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彼女は便器 前編(五千字)(コメディ)

 




 ボクの家は大変なお金持ちなのであります。


 どれくらいお金持ちかと言いますと、高校生のボクが一人で一軒家に住んでいるくらいお金持ちなのであります。

 ふっ、それくらい大したことないと考える人もいるでしょう。そうですね。高校生の一人暮らしなんて、珍しくもなんともないかもしれません。

 しかし、たったひとつ、これぞお金持ちの証しと言えるものがあるのです。


 それはおトイレでございます。


 ボクはおトイレに非常なこだわりを持っているのです。リビングもキッチンも寝室も、寛いだり料理をしたり眠れたりすれば、それで満足。でもおトイレだけは用を足せればそれでOK、ではないのです。


 いかに心地よく用を足せるか。


 ここが重要なのです。


 ですから、お金を掛けました。お父様に頼んで特注のおトイレを三坪のお部屋に設えていただきました。少し紹介させてください。

 まずはウォッシュレット機能です。便座に腰掛けるやいなや、音楽が奏でられます。組み込まれた千曲の中から自由にプログラム可能です。

 同時にお花畑の香りが室内に広がります。まるで野原で用を足しているかのような広大な気分になれます。

 ふくらはぎと足裏が接触する部分には、小型モーターが組み込まれたエアバッグが装着されており、五段階マッサージ機能によって、筋肉のコリをほぐし、ツボを刺激し、毎日のお通じをスムーズに行える工夫がなされています。


 使用後の洗浄はもちろん除菌水。角度の異なる三カ所のノズルから、1/fゆらぎパルス状水玉が適度な圧力で射出され、快適に、そして余すところなく隅々まで洗い清めてくれます。

 洗浄後の温風は噴出孔が二カ所あります。トイレ内の気温、湿度、使用者のお尻の表皮温度を計測し、最適の温度と風圧を設定した後、マイナスイオン、オゾン、フィトンチッドを含んだ爽やかなそよ風が、お尻を柔らかく撫でてくれます。あたかも木曽路を行く旅人の如く、気分はほとんど森林浴です。


 さて、最後は、おトイレの中でも一番大切なもの、便器です。製作は人間国宝の陶芸家、御通寺おつうじ快丁斎かいちょうさい先生にお願いしました。見事な出来栄えです。ほんのりと桜色を帯びた便器の表面は、常に人肌の温かさに保たれ、陶器でありながら柔らかさを感じさせてくれます。思わず頬ずりしたくなるのも無理からぬことでしょう。


「便器には、それはそれは有難い神様が宿られておられる。大事にされれば必ずそのご利益がある」


 御通寺快丁斎先生のこの言葉も、あながち嘘とは言い切れぬほど、この便器には抗しがたい魅力があります。なお、言っておきますが、お尻が触れる便座も陶器です。完全に固定されていますので便座の上げ下げなどはできません。大でも小でも必ず座って用を足していただきます。それがこの便器への礼儀というものなのです。



 2



 それは突然の出来事でした。このおトイレを使い始めて一週間ほど経った頃、ボクはいつものように登校前の三十分間、おトイレの中でまったりと時を過ごしておりました。と、声がするのです。


「ちょっと、のんびりしてていいの。遅刻するんじゃない」


 女の子の声です。テレビもラジオも消してあるし、一人暮らしですから声が聞こえるはずがありません。もしかして通行人の大声が耳に入ったのかな、と、ボクは最初、それほど気にはしませんでした。


「何、無視してんのよ。返事くらいしなさいよ」


 また聞こえてきます。しかもどうやらその声は、便器から聞こえてくるようなのです。まさかと思いつつ、ボクは答えました。


「あの、もしかして、便器さんが喋っているのですか」

「便器じゃなくて誰が喋ってるっていうのよ」


 驚きました。超ハイテク便器だと伺ってはいましたが、まさか会話機能まで装備しているとは夢にも思わなかったのです。受け取ったおトイレマニュアルは千ページもあったので、まだ全てを読み終えていませんでした。きっと知らないうちに会話開始スイッチでも押してしまったのでしょう。


「えっと、スイッチはどこに」


 ボクは座ったままであっちこっち探しました。見つかりません。それらしきボタンがないのです。


「馬鹿ねえ、あんた。あたしをロボットかなんかと勘違いしてるんじゃない。私は便器よ。便器そのものなのよ」


 なんだか信じられないことを言っています。取り敢えず、ボクは探すのをやめておトイレを出ることにしました。この便器の言葉通り、あまりグズグズしていると本当に遅刻しそうだったのです。


「ねえ、信じてくれた。私は便器そのもの……」


 水を流し、温風に吹かれ、おトイレを後にしてもまだ何か喋っています。かなり話好きのプログラムのようですね。

 




 一人暮らしで困るのは食事です。高校には購買部があるので、お昼はパンや牛乳で済ませられますが、朝と夜はそうもいきません。結局、ボクは放課後、コンビニに寄ってお弁当とパンを買い、お弁当は夜に、パンは朝に食べることにしています。


「ただいまー」


 と誰もいない家の中に向かって言いました。やっぱり無言じゃ寂しいですからね。玄関の戸を閉めようとしましたが、なかなか閉まりません。建て付けがかなり悪いようです。この家、実は築七十年のボロ家なのです。

 お金持ちなのにこんなボロ家に住んでいるのは変だと思うかもしれませんね。実はこれは我が家の生活信条に寄るものです。立派な家などロクなことはありません。ご近所様の余計な嫉妬を招きかねないし、なにより無駄な来訪者、つまりはセールスだの、寄付のお願いだの、おトイレ貸してくださいだのを呼び寄せてしまいます。

 人間、大切なのは外見よりも内面。家もそれと同じ。ということで、ボクの曽祖父が建てた家を今も大事に使っているのです。

 もちろん、家の内装はリフォームしてあります。ボロいのは外周りと玄関だけ。それ以外は高級建材を惜しみなく使っています。


 それでも、そんなにお金持ちならさぞかし有名なはず。家をボロくしても無駄なんじゃない、と思われるかもしれません。いえいえ、全然有名なんかじゃないんですよ。ボクのことを詳しく知っている方なんて、この町にはいらっしゃいません。なぜなら、ボクの実家は県外、それもずっと遠くにあるからなんです。

 この地は我が祖先発祥の地。今、ボクが通っている高校は江戸時代に藩が設立した学校を母体として、旧制中学から新制高校へとその流れを受け継いでいる、極めて由緒ある高校なのです。

 ボクの父も祖父も曽祖父も、それからそれ以前の御先祖様もこの学校の出身。我が家の血筋を汲む者は、全員、この高校への通学を義務付けられているのです。

 そんな訳で、ボクの生まれる前に引っ越してしまって、一度も訪れたことのないこの町に、ボクは一人で住むことになってしまったのです。ご近所界隈は、とっくの昔にボクたち一家のことなんて忘れてしまっているようです。まあ、その方が気を使われることも無いので、こちらとしても有難いです。


 さて、帰宅して最初にすることはおトイレでのリラックス。ボクはさっそく便座に腰掛けました。条件反射でなんとなく小の方をしてしまいます。


「あーあ、またジュースなんか飲んだでしょう」


 便器が喋ってきました。ちょっとギクリとしました。お昼に、眠かったので『糖分多め打眠一発』を飲んでしまったのです。


「そ、そんなことまでわかるの?」

「あったりまえでしょ。今のおしっこ、ちょっと甘かったわよ。それに、あんた、コンビニ弁当ばっかり食べてるでしょ。隠したって無駄。結構な量の食品添加物が、消化されずに毎日排泄されてるんだから」


 大した機能です。今晩は、おトイレマニュアルをじっくり読む必要がありそうです。


「す、凄いね。ご忠告、有難く受け取っておくよ」

「あーらいいのよ。別に有難がる必要ないわ。だって、あたし、あんたの彼女なんだから」

「か、彼女! 君が?」


 いきなり何を言い出すんですか、このは。便器を彼女に持った覚えはないんですが。


「あの、いつの間に君がボクの彼女になったのですか」

「なによ、彼女に決まってるじゃないの。だって、あんたの汚いものを、全部あたしが引き受けているのよ。ここまであんたに尽くせる女が他にいるとでも思ってるの。それだけじゃなく、他人には決して見せない恥ずかしい部分だって、あんたはあたしには見せているじゃない。こんなこと彼女にしかできないはずよ。それに」

「そ、それに……何ですか」


 なんだか、便器がニヤリと笑ったような気がしました。ボクは凄く嫌な予感がしてきました。


「あんた、人間の彼女を持ったことがないでしょ。わかるんだから。いつもあたしの前でぷらぷらさせているもの、使ったことないでしょ。つまり、あんたは、まだ童て……」

「うわーわーわー!」


 ボクは叫びました。いや、確かにその通りでしたが、面と向かって言われると恥ずかしいものです。

 洗浄、乾燥を速攻で済ませ、そそくさとおトイレを出ると、ボクはすぐさまマニュアルを開きました。いくら何でも高機能すぎます。少し黙っていただかなくては、安心して用を足せません。ボクはページをめくって、会話機能の項目を探しました。

 ところが何ということでしょう。ないのです。そんな項目はどこにもありません。困ったボクはおトイレのメーカーに電話しました。すると、言葉を発するおトイレはあるけれども、会話をするようなものではないし、そもそもボクの家のおトイレには、そのような機能は付いていないとのことでした。

 ボクは恐る恐る、もう一度おトイレに入りました。元気な声が聞こえてきます。


「ねっ、あたしが彼女だって認めてくれた?」


 どうやら認めるしかなさそうです。





「うむ、近来稀に見る会心の作だという自負はあったのだが、これほどの銘品が完成しておったか」


 ボクの前には人間国宝、御通寺快丁斎先生が座っていました。あの謎の便器を生み出した陶芸家です。彼女の父とも言える快丁斎先生ならば、この謎を解くことができるはず、そう考えて、はるばる先生の工房を訪ねたのでした。


「わしの言葉を覚えておるかね。便器には、それはそれは有難い神様が宿られておられる。大事にされれば必ずそのご利益がある。君はあの便器を心の底より、愛し、大切にした。それ故、便器が応えてくれたのじゃろう」

「で、では、彼女を静かにするには、どうすればよいのでしょうか」

「静かになどできるはずがなかろう。相手は仮にも神、それもどうやら女神さまのようじゃな。大切に持て成さねばならぬ。逆らってはならぬ。言葉を遮ろうなどと考えてはならぬ。そんなことをすれば、ご利益どころか天罰が下るのは必定じゃ」

「そ、そんな!」


 なんだか大変なことになってきました。どうやらこのまま我慢するしかなさそうです。


「よいか、今まで通り大切にするがよい。お前が便器に尽くせば尽くすほど、便器もお前に尽くしてくれる。逆もまた然り。もしお前の心が便器から離れれば、便器もお前を離れていくじゃろう。そうなれば、わしの天下無二の銘品は、三流の泥細工に成り果てる。それだけは避けて欲しいものじゃ」

「は、はい。努力してみます」


 結局、大した解決策も得られぬまま、ボクは帰宅することになりました。


 それからは便器の言い付けを守りました。甘い飲料は控え、もっぱらお茶やミネラルウォーターを飲むようにしました。コンビニ弁当はやめて、ちょっと遠くの手作りお惣菜の店でおかずを買うようにしました。早寝早起きを心掛けました。もちろん、おトイレのお掃除は欠かしません。毎日、ピカピカに磨きました。


「よろしい、余は満足じゃぞ、彼氏殿。はっはっは」


 便器のご機嫌はすこぶる良くなりました。ご利益と言えば、まあ、健康な体になったことでしょうか。日が経つうちに便器も可愛く思えてきました。犬も三日飼えば情が移ると言いますからね。

 不思議な縁で便器の彼女と暮らすことになりました。でも、どうやら仲良くやっていけそうです。





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