時間旅行者(五千字)(SF?)
1
男性の長寿世界記録保持者、それが次のインタビューの相手だ。さっそく私はその人物の住む土地へと飛んだ。
老舗の料亭の一室で私たちは対面した。今年、百二十歳というその男は、信じられないくらい若く見えた。年齢を聞かされていなければ、そろそろ定年を迎えるサラリーマンと思ってしまうだろう。頭髪も顔の皺も、まだまだ色気を感じるほどに艶がある。
「さっそくですが、長生きの秘訣を教えていただけませんか」
まずはありきたりの質問。男は苦笑いをした。多分、もう何十回、いや、何百回と聞かされている言葉なのだろう。それこそ耳にタコができているに違いない。
「そうですね。食べ過ぎず、考え過ぎず、頑張り過ぎず、怠け過ぎず、何事もほどほどにして過ごすことでしょうかね」
私は驚いた。話の内容ではなく、その男の声と喋り方にだ。とても百歳を越えた老人のものとは思えない、張りのある流暢な口調だった。
その後もお決まりの質問を私は続けた。男は嫌な顔もせずに淡々と答えてくれた。こちらが望む通りの答えを、張りのある声と流暢な言葉で。
そんな若々しい男の姿を見ているうちに、私の中に疑念が渦巻き始めた。百二十歳と言う年齢、実は嘘なのではないのだろうかと。
百二十年前と言えば、まだ明治時代。戸籍も不確実だし、役場への届け出が確実に行われていたとは言えぬ時代だ。出生届を忘れて、何十年もしてから記憶を頼りに申請したとか、別人と間違えて申請したとか、そんなケースもあっただろう。
目の前に座る男もそんなミスを犯して今に至っているのではないか。でなければ、この若々しさはあまりにも不自然だ。今年百二十歳と称する老人を、私は改めてまじまじと凝視した。
2
「疑っておいでのようですね。無理もありません」
男は苦笑いをすると、懐から何かを取り出した。白銀の表面に彫刻が施された丸い金属。端に鎖が付いている。
「時計はお持ちですか。お持ちなら、卓の上に置いていただけませんか」
そう言いながら、男は丸い金属の蓋をパカリと開けた。懐中時計だったのだ。
私は「あ、はい」と返事をして腕時計を外し、卓の上に置いた。男もその横に懐中時計を置いた。
時を刻む二つの時計。時刻はずれているが、秒針は同じリズムで文字盤に弧を描いていく。男は黙ってそれを見詰めている。何も言わない。しびれを切らして私は尋ねた。
「あの、これが何か?」
「どちらの時計も同じ速さで時を刻んでいます、そうですね」
「ええ、肉眼ではズレを判別出来ないくらい同じですね」
私の答えに満足したように笑みを浮かべた男は、卓の懐中時計を手に取り、自分の手の平に乗せた。
「では、今度はどうです」
自分の目が信じられなかった。懐中時計の秒針の動きは、卓に置かれた私の腕時計の秒針の動きとは明らかに違っていた。遅れている。ゆっくりなのだ。私の時計の秒針が十秒進む間に、懐中時計の秒針は五秒しか進まない。卓の上に置かれていた時は、確かに同じリズムで時を刻んでいたはずなのに……
「ご覧のとおりですよ。私の時間はあなた方の時間の半分の速さなのです。私は時間旅行者なのです」
3
「時間旅行者?」
男の言葉の意味がわからなかった。取り敢えず、時間の進み方が異なることは認めるとしても、時間を旅行しているとはどういう事なのだろう。
「タイムマシンをご存じですよね。例えば未来に行くとして、マシンを起動させて三十秒後に一万年後の未来に到着したとしましょう。その旅行者にとっては三十秒しか時間が経っていないのに、世界は一万年の時を刻んでしまった。つまり時間旅行とはそういうものです。そうでしょう」
「ええ」
「それと同じですよ。自分の時間と世界の時間の進み方が異なっているのなら、それは時間を旅行しているのです。三十秒掛けて一万年後の未来に行くように、私の場合は六十年掛けて、百二十年後の世界にやって来た、それだけのことです」
「つまり、あなたは六十年間、ずっとタイムマシンに乗っていた、とでも言うのですか」
「そうなりますね。もっとも目に見える形での機械などありません。強いて言うなら、私の体自体がタイムマシンなのです」
違和感が拭い切れなかった。男の意味するタイムマシンと私の抱くそれの概念が、少しずれているような気がしてならなかった。
「しかし、タイムマシンとはある時刻からある時刻へ、一瞬で移動するものでしょう。あなたのタイムマシンは出発時刻から目的時刻まで、途中の全ての時間上に存在していたことになる。それがタイムマシンと言えますか」
「ですから時間旅行者と言ったのです。時間ではなく空間の移動を考えてみてください。出発地から目的地まで、途中の全ての地点に旅行者は存在していたでしょう。徒歩でも飛行機でもそれは同じです。時間の移動にしても同じことですよ。途中の全ての時間に存在していたと考えた方がむしろ合理的です。もっとも将来、空間を一瞬で移動できる装置が発明されたのなら、時間に対してもそうとは言えなくなるかもしれませんが」
「それは、いつから……時間の流れ方が遅くなったのはいつからなのですか」
「恐らく、受精した時からなのでしょうね。母親から聞いた話では、腹の中に十五か月も居たくせに、大変な未熟児で生まれてきたと言っていましたから。小さい頃は苦労しましたよ。歩くのも、言葉を覚えるのも、人の倍かかるのですから。他の子が六歳になっても私は三歳。二十歳になっても十歳ですからね。五人兄弟の長子だったのに、物心ついた時には末っ子扱い。物覚えも相当悪かったようです。まあ、今と違って学校に真面目に行かなくても、さして怒られることもなかったので、ほとんど田んぼや畑で親の手伝いをしていましたよ。それでも体格が良かったせいか、三十歳――私にとっては十五歳ですが――の頃には一人前の青年として、働きに出られるようになりました」
4
笑顔でそう話す男の言葉を私は黙って聞いていた。到底、信じられるものではない。普段の私なら、即座に反論していたに違いない。だが、男の手の平に乗っている時計、その不思議な秒針の動きが、私の反発をあやふやなものにしていた。
卓の上では私の時を刻み、男の手の平の上では男の時を刻む時計。その進み方のズレ。これは紛れもない事実だった。秒針の動きを変えるトリックが、どこかに隠されているのだろうか。
「ああ、この時計ですか」
男は私の疑問をすぐに察したようだった。
「もちろん、時間の進み方が異なっているなんて、最初はわかりませんでした。私は他人より、覚えも、成長も、運動も遅れているんだ、それくらいの認識しかありませんでした。しかし歳をとって、同い年の者が歳相応の外見に変わっていくのに、私だけがいつまでも若いままでいることに、興味を持った医師がいたのです。彼は私の体を事細かくチェックしました。そして心拍数、呼吸数、毛髪や髭の成長速度などが、常人の半分であることに気付いたのです。私の時間の進み方が異なっているという仮説を最初に立てたのは彼です。その仮説を証明するために、彼は時間の研究をしている友人に協力を仰ぎました。そして大切に保管していた私の臍の緒に対して、ある処理――なんでも、細胞を活性化させるような処理だそうです――を施して水晶の結晶と同化させ、その水晶を組み込んだクォーツ時計を作ったのです。特殊な時計です。私の体と触れ合っている時だけ私の時を刻むのです。水晶の細胞が私の細胞と共振するのだと彼は説明していました。もう二十年も前のことでしょうかね。その時、ようやく私は自分が時間旅行者であることに気付いたのです」
そこで男は手の平を傾けて、私に懐中時計を見せた。話に出てきたクォーツ時計はこれであると言わんばかりに。
5
時計の秘密はわかった。それでも私の疑念は晴れなかった。そんな重大な発見が二十年も前になされていたのなら、もっと世の中に広まっているはずだ。だが、こんな話は間違いなく初耳だった。
「そんな話、これまで聞いたことがありません。どうして誰も知らないのですか」
「発表しなかったのですよ。してどうなるものでもないし、私もそれを望みませんでした。残りの人生をモルモットのように扱われるのは嫌ですからね。そして一番重要なのは、時計の秒針の動きが変化する詳しい原理が解明されなかったことです。水晶に組み込むのは現在の私の細胞ではダメでした。臍の緒とか胎毛とか、生まれ落ちた時の細胞でないとダメだったのです。そこで何人かの新生児に協力してもらい時計を作ってみましたが、秒針の動きは変わりませんでした。時間旅行者でないからか、水晶が上手く作れなかったからか、原因はわかりませんでした。私の臍の緒はもう使い尽くしていたので、結局、時間の変化を知る時計はこれひとつしか作れませんでした」
「その医師と友人は、今はどうされているのですか」
「二人とも既に他界しております」
私はため息をついた。真実を探る手掛かりは、やはりこの男ひとりだけなのだ。あとは話を信じるか、信じないか、それだけ……いや、待てよ。こうして初対面の私に話しているのなら……
6
「この二十年の間に、その話を誰かにしましたか?」
「いえ、あなたが初めてです」
「初めて! 二十年間秘密にしていたのに、見ず知らずの私には話したのですか?」
私の問いに男は静かに頷いた。私は尋ねずにはいられなかった。
「どうしてです。なぜ、私には話す気になったのです」
「それは……」
興奮気味の私を落ち着かせるように、男はこれまで何度も浮かべていた微笑をその口元に漂わせた。
「私が持っているのと同じ時間のズレを、あなたに感じたからです」
「同じ時間のズレ?」
「インタビューをお受けする時に、あなたの簡単なプロフィールを見せていただきました。失礼ですが、あなた、年齢の割には老けていらっしゃる。これまで何度かそう言われたことはありませんか?」
私は頷いた。確かに幼児の頃から大人びていると言われ、小学生の時にはオヤジと呼ばれていた。男は納得したように首を縦に振ると、話を続けた。
「私は未来へ行く時間旅行者ですが、その逆もあるはずです。自分の時間が十年経つ間に、世界の時間が五年しか過ぎていなかったら、それは、十年掛けて五年の時間を遡った時間旅行者であると言えるでしょう。そのような人物は完全に私の逆です。理解力も事務処理能力も反射神経も同年代の者よりは格段に優れているでしょう。言わば、生まれついての天才とも言えます。ただし、寿命は短くなります。過去に遡っているのですからね。どうです、身に覚えはありませんか」
私は身震いした。学生の頃から、何故、周りの人間はこんなにトロいんだろうと、いつも感じていたからだ。だが、ここ最近は、同い年の者たちより格段に早く進む自分の老いに愕然とする毎日だ。もし、この男の話が真実であるとするならば……
7
「では、まさか、私も……」
「さあ、どうなのでしょうね。たとえあなたの臍の緒が残っていたとしても、時計を制作できる者はもういません。あなた自身の時計がない以上、結論は出ないでしょう」
「ひとつ聞かせてください。もし、世界の時間が全く進まない時間旅行者がいたとしたらどうなると思いますか」
「それは……恐らく存在できないでしょうね。自分の時間で十年経とうが、百年経とうが、世界の時間は全く進まないのですから。その時刻に閉じ込められていると言えます。時間のズレは受精した時から生じるのですから、受精した瞬間に消滅するだけでしょう。さて」
男は懐中時計を懐に収めると、ゆっくりと立ち上がった。その立ち姿はとても百二十歳とは思えぬ、若々しさに満ち溢れていた。
「インタビューはこれくらいでよろしいでしょうか。今の話を記事にするもしないも、あなたにお任せします。もっとも私としては、ありきたりの長寿者の話を書いていただくことを希望していますが」
私はすぐには立てなかった。私の編集する雑誌の性質上、こんなSFじみた話を記事に出来ないことは百も承知だった。こちらの望む回答は十分にしてもらっているのだから、これ以上、記事に出来ない話をしていても仕方がない。男もそれをわかっていて、話を切り上げたのだろう。
それでも私は動けなかった。まだ何か聞きたい、そんな心残りに近い気持ちが私の中に沈殿していた。いつまでも動こうとしない私に、男は立ったまま話した。
「この時計を手に入れて、私は思ったのです。時間旅行者は私だけではなく、全ての生物がそうなのではないか、とね。時間のズレが一秒や二秒でも、いや、全くズレがないとしても、それは立派な時間旅行者です。過去に戻りながら、未来に進みながら、彼らは自分の時間を身にまとって、世界の時間を旅行しているのです。あなたも、私もね」
そう言うと、男は部屋を出ていった。私は卓の上に置かれたままになっていた私の腕時計を手に取った。瞬間、それは動きを速めたような気がした。
「臍の緒は、まだ、あっただろうか……」
力なくつぶやきながら、私は立ち上がった。




