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桃太と睡魔と三つのしもべたち 前編(四千字)(社内ファンタジー)

 

 第一章 食べ過ぎの午後


 1


 桃太は激烈に眠たかった。昼飯を食べ過ぎたのである。

 既に昼休み終了を告げる社歌がオフィスに流れ、他の社員はデスクの前で作業を開始している。しかし、桃太は目を開けているだけで精一杯の状態だった。このままでは午後の仕事に支障をきたすのは明らかである。


「くふう~、このままではマズイ。なんとかしなければ」


 学生の時は授業中でも平然と爆睡していた桃太であったが、さすがに社会人となれば、勤務時間中にオフィスでお昼寝など恥ずかしくてできない。

 というか、そんなことをすれば、上司から叱責を食らい、ボーナスの査定に響き、定期人事異動で途轍もない僻地に飛ばされ、そこでは定年間近のおじさんたちと一緒に窓際族の一員となり、一生、陽の目を見ないままサラリーマン人生を送ることになってしまうだろう。

 なんとしても睡魔に負けるわけにはいかないのだ。


「よお、桃太。眠そうじゃないか」

「あ、サルーン先輩」


 眠すぎて舟を漕ぎ始めていた桃太の肩を叩いたのは、二年上のサルーン先輩である。出身地も出身校も好きな女の子の髪型も同じサルーン先輩は、入社一年目の桃太にとって実に頼りになる存在であった。


「なんて顔してるんだよ。ホレ、これ噛んで目を覚ませ」


 手渡されたのは眠気覚ましで有名な「強力ミント・ブラックカフェイン・爽やかメントールなお目覚めガム」であった。桃太は感動した。八粒入りで八百円もする高級ガムだったからである。


「ありがとうございます、サルーン先輩。これで午後の仕事は大船を漕いでいけそうです」


 いや、舟を漕いじゃまずいだろう、とサルーン先輩は言おうとしたが、大方、大船に乗った気分と言い間違えたのだろうと思い、何も言わずにその場を去って行った。


「くはー!」


 ガムを口に入れた瞬間、桃太の脳天を衝撃が突き抜けた。さすが脳天直撃セガ・サルーン。辛いを通り越して痛い。これならどんな眠気も去っていきそうだ。あまりの刺激に涙を噴出させている両目を閉じて、桃太は頬に伝わる涙を手で拭った。


「ふっふっふっ」


 不敵な笑い声が聞こえてきた。


(誰だ! オフィスで変な声を発しているのは)


 桃太は怪訝な顔した。ガムを口に入れた時に発した「くはー!」も十分変な声だったが、自分の事は棚に上げるのが人間というものである。

 桃太は目を開けて変な声の正体を突き止めようとした。ところが何という事だろう、開かない。まるで瞬間接着剤で瞼をくっ付けられたかのように、目が開かないのである。

 それだけではない。閉じた瞼の裏に奇妙な光景が見えてきた。まるで王宮の謁見の間のように大理石とシャンデリアとその他豪華なあれやこれやが桃太の周りを囲んでいる。そしてその正面に、見るからに偉そうな奴が王様みたいな恰好で椅子に座っている。桃太は吠えた。


「お前か、オフィスで変な笑い声を響かせていたのは」

「いかにも私ですが」

「いったい、何者だ。部外者は出て行け」

「おやおや、無礼な方ですね。部外者はあなたの方でしょう。ここはどう見てもオフィスではないのですから」


 そう言われればそうである。んじゃ、間違っていたのは自分の方か、と思った桃太は素直に謝った。


「あ、どうも早合点したみたいですみません。で、ここはどこなんですか」

「素直でよろしい。では教えてあげよう。ここは睡眠と覚醒の狭間。眠ってもいないし起きてもいない世界」

「はあ、そうですか。で、あなたは何者なんで?」

「私は人々を眠りの世界に誘う睡眠大魔王、人呼んで、睡魔」

「す、睡魔!」


 その名を聞いた途端、桃太の全身に戦慄が走った。

 最近、オフィスで働く人々を恐怖のどん底に陥れている現象があった。昼食の後、職場の全員が眠ってしまう怪現象が、あっちこっちの会社で頻発していたのである。原因は不明だったが、目を覚ました社員は口ぐちに「睡魔にやられた」とつぶやく。そして睡魔にやられた会社は、急に業績が悪化し、ほどなく会社更生法を適用、努力の甲斐なく破産手続き開始、倒産という結末に至るのである。

 睡魔に狙われる、それは職場を奪われることを意味する。会社勤めの人々は、いつ自分の職場に睡魔が出現するのか、戦々恐々とした日々を送っていた。その睡魔が、遂に桃太の会社に現れたのだ。


「貴様が睡魔か。お前の好きにはさせないぞ。ボクが倒してやる」

「さて、あなた如きにそんなことができますかね」


 睡魔は右指をパチンと鳴らした。漂い始めた細かい粉が桃太を包む。同時に猛烈な眠気が襲って来た。


「く、くそう、負けるものか」


 桃太は気が付いた。自分の右手にはサルーン先輩にもらった「お目覚めガム」があることに。これを使わない手はない。


「行け、お目覚めガム。睡魔を倒すのだ」


 桃太は残りの七粒を睡魔目掛けて投げつけた。


「ウキャウキャ」


 またまた変な声が聞こえてきた。七粒のガムに手と足と尻尾が生えて、睡魔の体を引っ掻き始めたのである。


「ふっ、小賢しい」


 睡魔が右指をパッチンと鳴らした。またもや細かい粉が漂い始め、七粒の体を包み込む。


「ふにゃ~……ねむ」


 腑抜けた声を出して、睡魔の体からこぼれ落ちていく七粒ガムたち。


「桃太さん、私たちでは歯が立ちません。ここは一旦退いて、別の手を考えてください。さあ、早く」

「く、くそ。覚えていろよ、睡魔め」

「何度でも来るがいい、はっはっは」


 睡魔の高笑いを聞きながら、桃太は王宮みたいな謁見の間みたいな場所から退散した。



 2



「モモ先輩、いい加減に起きてくださいよ、モモ先輩」

 誰かに体を揺すぶられているような感じがして、桃太は目が覚めた。目を開ける。開いた、今度は目が開いた。安堵する桃太。

 そして目の前に立つ人物を眺める。同期入社のイヌローだ。出身地も出身校も好きな女の子の血液型も桃太と同じイヌローは、信頼できる友人として桃太の良き同僚である。

 ところで何故同期入社なのにイヌローは桃太を先輩と呼ぶのか、それは桃太が一年留年したからである。留年する前から先輩と呼んでいたので、留年して同学年になっても、なんとなくそのままの呼び方を続け、今に至っているのだ。


「うわ、先輩、ガムを噛んだまま眠っていたんですか。しかも八粒を一度に口に放り込むなんて無茶すぎますよ。あーあー、よだれでデスクがグチョグチョじゃないですか。いくら眠いからって仕方ないなあ、もう」

「す、すまん、イヌロー。いや、それどころじゃないんだ。睡魔だよ、睡魔が現れたんだ。この会社の危機だ」

「また、そんな馬鹿話。あんなのくだらない都市伝説ですよ。潰れかけの会社の社員が、やることがなくて眠ってばかりいるので、そんな話が生まれたんです。それよりも、それ午前中の仕事じゃないですか。まだ終わってないんですか。そんなペースじゃ定時に上がれませんよ。しょうがないなあ。半分貸してください。手伝いますよ」

「う、面目ない、イヌロー」


 桃太は情けなかった。実はイヌローは同期の中でも注目の優良株、末は重役も夢じゃないとまで言われているやり手なのである。

 一方、桃太は人事部が泣いて後悔したと言われるほどのお荷物社員。責任を取った人事部長は三ヶ月減給になっている。


「はい、これ」


 イヌローが桃太のデスクに小瓶を置いた。桃太は感動の声を上げた。


「こ、これは一本千五百円もする伝説の眠気覚ましドリンク『モンスターエナジー・みんみん打倒リフレッシュ・エクセレントぶるぶる・眼がしゃきしゃき』ではないか。いいのか、飲んでも」

「もちろんですよ。これ飲んで、ちゃっちゃっと仕事を片付けてください」


 イヌローはそれだけ言うと、桃太の仕事を半分持って自分のデスクへ戻って行った。なんてよく出来た男なんだ、桃太は頭が下がる思いだった。

 イヌローのおかげで仕事は半分になり、新しいアイテムも手に入った。これで睡魔との戦いに専念できる。

 桃太は眠気覚ましドリンクの小瓶を握りしめると、目を閉じた。途端に眠気が襲い掛かって来る。しかし、すぐには眠らない。目指すは睡眠と覚醒の狭間、睡魔の居るあの王宮みたいな謁見の間みたいな場所である。

 桃太は閉じた瞼の裏を見詰め続けた。浮かびあがってくる、先程と同じ光景が、人物が……


「いらっしゃい。お待ちしていましたよ」

「睡魔め、今度こそ退治してやる」


 相も変わらず余裕の睡魔である。しかし、桃太にはイヌローから託された新たなしもべが付いているのだ。こちらも結構余裕である。


「さあ、行け、お目覚めドリンク。睡魔を倒すのだ」

「ふん、同じことです」


 桃太がドリンクの小瓶を投げつけるのと、睡魔が指を鳴らすのは同時だった。あの眠気を誘う粉が漂い始める、だが、


「わんわん!」

「こ、これは……」


 睡魔は絶句した。投げつけられた小瓶からこぼれ出した液体は、猟犬の形となって粉に襲い掛かったのである。

 粉と液体の戦い、それは夏の夕方、埃っぽい小道に打ち水をするのと同じで、液体の勝利である。桃太は歓声を上げた。


「やった、睡魔の粉を消滅させたぞ」

「ふふふ、やるじゃないですか。私の眠り粉がこうも簡単に負かされるとはね。でも、あなたのしもべがひとつではないように、私のしもべもひとつではないのですよ。それ!」


 睡魔は左手の指をパチリと鳴らした。聞こえてくる。心地よい音楽。全ての緊張を解きほぐし、夢の世界へ誘ってくれる音楽。


「くう~ん……」


 ドリンク犬は床に崩れ落ち、ただの液体と化してどこかへ流れて行ってしまった。

 これは眠り粉に代わる睡魔の次なる魔法、眠りの曲だ。万事休す。桃太は耳を塞いだ。


「無駄無駄無駄ですよ。空気の振動ではなく、あなたの聴感神経に直接信号を送っているのですから」


 桃太の体から力が抜けた。眠い。しかし、ここで眠ってしまうわけにはいかない。もし自分が負ければこの会社は睡魔の思う壺。たちまち全従業員が眠りに落ち、業績はガタ落ち、会社倒産、自分は路頭に迷ってしまう。

 必死で眠りの谷の一歩手前で踏ん張る桃太に、悪魔の囁きが聞こえてくる。


「いいじゃないですか、会社なんかどうなっても。眠たい時に眠る、それが自然の摂理です。他の動物を御覧なさい。猿でも犬でも、お腹が一杯になったら平気で眠っているでしょう。眠りを妨害するグッズを作り、眠りの快楽から自分を遠ざけようとする生物など、人間くらいのものです。間違っていると思いませんか。そんな悪魔のような所業を従業員に押し付ける会社は間違っているとは思いませんか。なくなってしまった方がいいと思いませんか」

「で、でも、会社がなくなったらお給料がもらえなくて、生活できなくなるし」

「いいじゃありませんか、生活できなくなっても。永遠の眠りという最高の快楽があなたを待っているのです。さあ、私と一緒に至高の享楽の世界へ参りましょう」


 ああ、そうか、そうかもしれない。桃太は抵抗する自分が哀れに思えてきた。素直に自分の欲求に従えば、何の苦しみもないのだ。よし、眠ってしまおう、桃太がそう決心した時、その声は聞こえてきた。


「桃太さん、いい加減に起きてください!」

「おやおや、あと少しの所で邪魔者とは……」


 睡魔の声も眠りの音楽も遠く小さくなっていく。桃太は目を開けた。


 つづく!


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