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北風の話 そして春~4つの風の話その4(四千字)(童話)

 

 北から風が吹いて来ました。北風がやって来たのです。


「ヒュゥゥー」


 月光に照らされた夜気は一層冷ややかで、火さえも凍り付きそうな寒さです。北風は張り詰めた空気の中を、凛とした風を伴なって上空高く吹き進んでいました。


「全てが死んでおる」


 地上に生き物の姿は見当たりません。厳しい北風の前には冬の動物たちでさえ、その風に吹かれるのを恐れて姿を隠します。緑の針葉樹も雪を被って、北風から身を守ります。

 余りにも厳しい北風の寒風に触れれば、その身は容赦なく切り裂かれ、凍り付き、春が来るまでその傷が癒える事はないのです。それゆえ北風も上空高く飛んで、地上の者を自分の風から守っているのです。


「星と月だけか」


 北風は暗い夜空を見上げました。雲一つない夜空には無数の星が痛いくらいに輝いています。その中で冷たい光を放つ月。

 地上の者と接触しようとすれば、いやでもその者を傷付けてしまう北風にとって、自分に付き従ってくれるのは、これら、天の住人だけです。しかし、もちろん、話をするには彼等はあまりにも遠過ぎるのでした。


「天は変らぬ。永遠の者だ」


 北風は地上のもの全てを見下していました。絶える事なく姿を変え続けるその弱々しさ。

 わずか一年の間にも地上は大きく様変わりします。植物も動物も時間に合わせて、地域に合わせて、その姿を変えなければ生きていけないのです。それは彼等が弱いからでした。姿を変えねばならないのは、弱いからなのです。

 そして、北風は彼等の心も同じだと思っていました。弱いからこそ心は傷つきやすく、傷つくのを避けるために心を変えるのです。

 暑い時には服を脱ぎ、寒い時には服を着るように、彼等の心もほんのちょっとした変化ですぐに姿を変えるのです。北風はそんな地上のもの全てをひどく見下していたのです。


「移り変わる地上に比べ、未来永劫不変な天の、なんという崇高さよ。ヒュゥゥー」


 北風は暗闇に浮かぶ天の住人を見つめたまま、南に向けて吹いていきました。



 野原に一本の木がぽつんと立っていました。枝にはもう一枚の葉も残っていません。

 静まり返った夜の野原で、その木は月明りに照らされて、じっと寒さを耐えているようでした。その野原の上空高く、北風が通りかかりました。


「ヒュゥー」


 北風の目に野原の木が映りました。ものも言わずに佇むその木。北風はふと、野原の上に降り始めました。どうして地上に降りようと思ったのかは北風にもよくわかりませんでした。何かが呼んでいる様な気がしたのかもしれません。


「小さな木だ」


 北風はそばに降り立つと、その木を見つめました。何本もの枝が空に向かって伸びています。葉は一枚もなく、根元には折れた枯枝と、たくさんの枯葉。


「お前……」


 北風はその中の一枚の枯葉に気が付きました。一際大きなその枯葉は、その大部分が茶色くなっているのですが、まだ緑色の部分がわずかに残っています。完全には枯れていないのです。

 北風は目を見開いて言いました。


「驚いたな。この私が吹いて来るまで、生き残っている葉があろうとは」

「あ、あなたは……」

 北風の声を聞いてその葉も気が付いた様です。弱々しい声で北風に問い掛けてきました。

「あなたは、東風さんですか?」

「違う」

 北風は冷たく答えました。

「私は北風だ」

「ああ、そうですか。そうでしょうね。春はまだ遠いのですね」

「遠い」


 北風の返事を聞いてその葉は黙ってしまいました。あるいはもう、口を利く元気もなくなったのかもしれません。

 北風はその葉を見つめました。自分が今まで関わる事もなかった地上のものたちに、その時、興味が湧き始めたのです。この葉は何かを待っている、北風はそう思い、再び重い口を開けました。


「お前、何か訳があるのか。こんな死んだ葉の中に埋まって、まだ生き長らえているとは」

「ああ、北風さん」

 その葉が弱々しく言いました。

「でも、もう僕もここまでの様です。今まで頑張ってきましたが、ホラ、もう緑の部分がホンのわずかしかありません」


 その葉の言葉はうわ言の様に聞こえました。


「僕もずいぶん頑張ってきました。大嵐の時には強い雨や風に打たれて、それでも枝に必死でしがみついていました。暑い時には汗を流して、寒くなってもみんなが僕の為に協力してくれて、僕は枝にしがみ続けました。けれどもあの冷たい風が吹いてきた時、僕にはようやくわかったのです。自分は愚かな夢を見ていたのだという事に。そのために一体どれほどの犠牲を払ってしまった事か。そして、僕はとうとう約束を果たせませんでした。でも、きっと」


 その葉は何か懐かしいものを探そうとするように遠くを見つめました。


「きっと、東風さんもわかっていたのだと思います。あの約束をした時に……」


 そう言って口を閉ざすと、その葉は再び元の静寂に戻りました。

 北風は何も言わずにその葉を見つめていました。詳しい話ではありませんでしたが、北風には大体の事情がわかりました。


『この葉は東風を待っているのだ』


 北風はその葉を見つめながら、一つの確信を得ました。それは今まで自分が関わりもしなかった地上のものにも、天の住人と同じくらいの崇高さが宿り得るという確信でした。

 それは、もちろん天の崇高さとは比べものにならないほど、取るに足りないものではありました。けれども、その輝きは北風の目を開かせるのに充分な光を放っていたのです。


『死んだ葉の中で、この寒い野原の真ん中で、たった一人で』


 一枚の葉が放つ光は、北風の中でだんだんと大きくなっていきました。そして、それは凍りついた北風の心をわずかに溶かしました。北風は葉に向かって言いました。


「なにか、私にできる事はないか」

「北風さん!」

 その葉が驚いた口調で言いました。

「ありがとうございます。北風さんの様な方からそんな言葉を聞けるとは、夢にも思いませんでした。それならば」

 その葉は天を見上げると言いました。

「あの月まで、私を近付けてはいただけないでしょうか。この緑色の部分に光を浴びれば、私の元気も少しは回復するはずです。お願いできますか?」

「お安い御用だ」

 北風は大きく頷きました。

「あの月に吹き上げればいいのだな。それ、ヒュゥゥゥゥー」

「わあー」

 北風の風を受けて、その葉は他の枯葉と共に天高く舞い上がりました。

「ありがとう、北風さん、本当にありがとう」


 北風は舞い上がる葉を見ようともせず、自分自身もすぐに天高く舞い上がりました。そして、後を振り返ることもなく、南に向かって吹き去りました。


 北風の去った広い野原は黄色い月明りを浴びて、カンとした空気を湛えています。やがて野原に残った一本の木の上に、空から枯葉が――もうすっかり茶色になった一枚の枯葉が、細かい雪と一緒に落ちてきました。


 降り続く雪は野原を白く染め上げ、小さな木を樹氷で覆いました。

 何も訪れぬ、何の音も聞こえぬ静寂の中を、何度もお日様が昇り、お月様が沈みました。


 けれどもそんな日々もいつかは終わりを告げます。

 降り注ぐお日様の光は日増しに強くなり、小さな生き物が動き始め、雪は解け、土が姿を現し、生命の香りが野原に満ちてきました。冷たさを伴っていた風は、その身に暖かさをまとい始めました。


 そうして東から風が吹いて来ました。東風がやって来たのです。


 野原に立つ木のそばまで吹いて来た東風は、その根元を見て驚きました。たった一枚、ボロボロになった枯葉が、その身を土にめり込ませて横たわっていたのです。

 この木には不釣り合いな大きさ。破れ、朽ち、息絶えても尚、ここに残っているその枯葉。間違いなくそれはあの時、自分と約束した木の芽でした。


 東風は全てを理解しました。


 この葉がどれだけ努力したか。その努力を支えるために、この木が、他の葉たちが、どれだけこの葉に力を貸したか。

 暴風にも雷雨にも寒風にも耐え、遂に力尽きて、木を離れた時の悔しさ。それでも根元で待ち続けた健気さ。この一年間の彼の姿が目に見えるようでした。そしてそれらは全て自分との約束を果たすためだったのです。東風は深く頭を下げました。


「木の芽さん、いえ、葉っぱさん。ごめんなさい。あんな約束をしたばかりに、あなたを随分と苦しめてしまいましたね。こうなることはわかっていた、なのに、僕はそれを言いませんでした。あなたの親切な言葉を打ち消すのが忍びない、ただそれだけのために真実を告げず、結局、あなたを不幸にしてしまいました。僕は本当にひどいヤツです」


 東風の言葉はひどく冷たい風となって木に吹き付けました。まるで北風のような冷酷さに、小さい木はブルッと震えると、低い声で言いました。


「違うぞ、東風よ」

「違いません。全て僕が悪いのです」

「いいや、違う。お前の言う通り、この葉は約束を守れなかった。その点では確かに不幸だ。だが、守ろうとする約束を与えられたことは決して不幸ではない。この葉はいつも輝いていた。笑っていた。わしに付いている葉の中で一番幸せな顔をしていた。枝から離れ、地に落ちてもそれは変わらなかった。幸福な一生だったのだよ、あの約束のおかげでな」

「そうですか……木さん、ありがとうございます。たとえ私を慰めるための作り話であったとしても、その心遣いには感謝します」


 東風は頭を下げました。そして礼を言うように、木の根元の枯葉に優しく風を吹きかけました。と、余程ボロボロになっていたのでしょう、枯葉は散り散りに引き裂かれました。


「あっ!」


 枯葉は無数の破片となって舞い上がり、小さな木を覆いました。

 その時、東風は確かに見たのです。

 千切れたたくさんの破片はもう茶色ではありませんでした。緑の葉でした。全ての枝々に、まるで夏が来たかのように、新緑の若葉が生い茂り、陽光を浴びてキラキラと輝いていたのです。


 ――どうです、東風さん。見えますか、緑の葉に覆われた木が。約束は果たしましたよ――


 懐かしい声に東風は我に返りました。そこには小さな木が、先ほどと同じ姿で立っているばかりでした。けれどもその枝にはたくさんの若芽が付いています。一年前、約束をした時と同じ、枝から顔を出したばかりの小さな若芽たち。


「木さん、僕は行きますね。若芽たち、立派な葉におなりなさい」


 東風は空高く舞い上がり、西へ吹き始めました。いつも感じていた不安はもう少しもありません。

 たとえ自分は同じ景色しか見られなくても、世界は疑いなく変わっていくのです。それを教えてくれた一枚の葉に、東風は心から感謝しました。その姿は見えずとも、その想いは間違いなく東風に届いていたのです。


「あなたのおかげです。本当にありがとう。随分と待たせてしまいましたね。でも、これからはずっと一緒ですよ」


 東風の心の中には緑の葉が生い茂っていました。いつまでも自分を待ち続け、遂に出会えた緑の葉を心に抱いて、東風は西へと吹いていきました。





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