南風の話~4つの風の話その2(四千字)(童話)
南から風が吹いて来ました。南風がやって来たのです。
「ぶふおおおー。さあ、吹き荒れてやるぞ。オイ、雨雲。もっと雨を降らせろよ。南風様のお通りなんだぞ」
南風は真っ黒な雨雲を従えて、海の上を吹いていました。海は激しい風に煽られて、荒れ狂っています。
「南風さん、あんまりここで雨を降らせると、陸地に行った時、降らせる雨が無くなってしまいますよ」
南風に従っている雨雲が言いました。それを聞いて南風の勢いが少し弱まりました。
「おお、それもそうだな。雨が降らなくては俺様の力も出せなくなってしまう。よし、今のうちになるべく雨を溜め込んでおいて、降らせるのは上陸してからにするか。ぶふおおおー」
南風の言葉を聞いて、雨雲は雨を小降りにさせると、海上からどんどん水を吸い上げ始めました。それにつれて、雨雲はぐんぐん大きくなります。
「よおし、いいぞいいぞ」
南風は御機嫌です。雨雲が大きくなればなるほど、南風の勢いも大きく強くなるからです。
こうして南風はごうごうと唸りを上げ、雨雲は海の上にざんざん雨を叩きつけ、そして降らせる雨の何倍もの海水を吸い上げながら、波しぶきを上げて荒れ狂う海の上を突き進みました。
やがて、二人は海辺に近付いてきました。
「あ、南風さん、あんな所に家がありますよ」
雨雲が前を指差して言いました。海辺のすぐ近くに小さな木の家が建っています。雨と風にひどく打たれて、今にも壊れてしまいそうです。それを見て南風は容赦なく言いました。
「よーし、ひとつ、俺の力を見せてやるか。ぶふおおおー」
南風はその木の家目掛けて、思い切り吹き付けてやりました。雨雲も風に乗せて大雨を横殴りに叩き付けます。木の家はたまらず叫びました。
「おーい、南風さん。もう、勘弁して下さいよ。このままじゃ、私の屋根が吹き飛んでしまいます」
「ははは。どうだ木の家。俺様の力は」
南風は大威張りで言いました。
「大した力です。もう充分わかりました。ですから、どうかこれ以上吹き付けるのはやめにして下さい」
「駄目だ駄目だ。いいか、俺は人間に思い知らせてやるんだ。お前たちの作った物など、俺様の力に較べれば、取るに足りない物だって事をな。それ、ぶふおおおー」
「わー、やめてくださーい。本当に吹き飛ばされてしまう」
木の家は、ミシミシ、ガタガタ言って、それでもなんとか飛ばされない様に足を一所懸命踏ん張っています。南風はその姿を見てますます楽しくなりました。
「わっはっは。すっかり脅えているな。愉快愉快。わははは」
「あ、南風さん」
雨雲が今度は道路を指差して言いました。
「あんな所を車が走っています。」
「ふん、なんだ、あんな物。それ、ぶふおおおー」
南風は車に向けて一吹きしてやりました。車はあっけなく、ごろりと横になりました。
「はは。馬鹿な奴だな。こんな天気の日に外に出てくるとは。あんな無謀な奴はこうしてやる。それ、ぶふおおおー」
南風は横になった車を持ち上げると、ばっしゃあーんと、海の中へ落としてやりました。
「ははは、これであいつも目が覚めるだろう。さあて」
南風は雨雲に言いました。
「そろそろ上陸するか。雨雲は大丈夫だな」
「もちろん。たっぷり水を吸い込んであります」
「よおし。さあて、行くぞおー。ぶふおおおー」
南風は勢いよく一吐きすると、北に向かって吹き始めました。
野原に一本の木がぽつんと立っていました。枝々には葉がいっぱいに生い茂り、緑の葉はみんなでざわざわしています。空はもう真っ暗で、雨も落ち始めています。南風が近付いているのです。
「あ、南風さん。あれを見てください」
雨雲が野原の中に立つ一本の木を指差しました。南風も気が付いたようです。
「なんだ、あの木は」
南風はどうにも気に入らない様子で言いました。
「こんな広い野原にあんな木が一本だけ立っているのか。邪魔な奴だな」
「吹き飛ばしてやりましょうよ」
雨雲は南風をけしかけます。
「もちろんだ。あんな木は吹き飛ばして、さっぱりとした野原に変えてやる。それ、ぶふおおー、ぶふおおー」
南風は力一杯その木に向かって吹き付けました。雨雲も一層大粒の雨を降らして、その木に叩き付けます。
野原の木はみんな北側になびいて、海の上の緑の波みたいです。その中に立っている一本の木は、緑の海を進む帆船の様に、やはり北になびきながら、けれども少しも力を受ける様子もなく風に吹かれています。
「くそおー、しぶとい木め。ぶふおおおー、ぶふおおおー」
南風はムキになってその木に吹き付けます。雨雲も必死で雨粒を打ち付けます。それでもその木は倒れません。うまく力を殺して、幹はしなやかにたわみながら、枝を風の流れに乗せ、緑の葉はざわざわ言いながら、その力を再び流れに返します。
南風は木が思ったより頑張るので、少し驚いている様子です。
「こ、こんな木は絶対に地面に這いつくばらせてやる、ぶふおおおおー」
「ふふふ」
その時不意に誰かの笑い声が聞こえてきました。南風の顔色が変りました。
「だ、誰だ。今、笑ったのは」
「私ですよ。南風さん」
木の枝に付いている一枚の葉が楽しそうに言いました。
「南風さん、あなたにはこの木を倒すのは無理ですよ。いや、倒すどころか葉の一枚を引き千切る事もできないでしょうね」
「な、なんだとおー」
南風は自分を馬鹿にするような言い方をされたので、すっかり頭に血が上ってしまいました。
「き、きさま、この俺様を誰だと思ってそんな口をきいているのだ。この南風様に向かって、葉の一枚も落とせないだと」
「そうです」
その葉は平然として答えました。それを聞いて南風はますます怒り狂いました。
「許せん。断じて許せん。その言葉、後悔させてくれる。おい、雨雲。もっと雨を降らせろ。この野原を大洪水にしてしまえ」
「わかりました、南風さん。あんな事を言われたら、私だって黙ってはいられませんからね」
雨雲も相当頭に来ている様です。
「ぶふおおおーぶふおおおおーぶふおおおおー」
「ざざざざざああーざざざざざああー」
南風も雨雲も、もう自分の持てる力の全てを振り絞って、その木を倒す事だけに全力を傾けました。野原の草は荒れ狂い、そこに住んでいる小さな生き物たちも体を小さく丸めるだけです。
けれども、その木は雨と風に打たれながらも、やはりうまく力を逃がして倒れる気配は少しもないのです。
やがて、雨足が次第に弱くなってきました。空を覆っていた黒い雲も薄くなっているようです。南風が叫びました。
「おい、雨雲、どうしたんだ。もっと雨を降らせてくれ」
「ああ、南風さん」
雨雲が力なく言いました。
「どうやら、雨を使い尽くしてしまった様です。これ以上、雨を降らせるのは無理です」
「なんだと!」
南風の力も徐々に弱まってきました。
「俺は雨が降らないと力が出ないんだ。もう少し頑張ってくれ、おい、雨雲」
けれども雨雲は少しずつ切れて薄くなっていきます。それとともに、暗かった空もだんだんと明るくなってきました。
「くそ、なんてこった」
南風は悔しそうに唇をかみしめました。今では雨はすっかりやんで、風も大分落ち着いています。
荒れ狂っていた野原は、ほっとした様に落ち着きを取り戻し、体を縮めていた生き物たちも伸び上がって、明るくなってきた空を見上げました。
「ふふふ、南風さん。言った通りでしょう」
愉快そうな緑の葉の声が聞こえてきます。
「あなたには僕たちを倒せないのです。あなたに力で歯向かっている者ならば倒せるかもしれません。でも、僕たちのように風にも雨にも逆らわず、素直になびいているものを、あなたは倒すことはできないのです」
「生意気な事を言うな」
南風は悔しそうに歯ぎしりして言いました。
「俺はお前たちよりもっと大きな木を、一吹きで倒した事があるんだ。ここよりも、もっと大きな野原を水浸しにしてしまった事だってあるんだ。知ったような事を言うな。今日は、たまたま」
南風は言葉を詰まらせました。
「今日はたまたま、ここへ来るまでに力を使い過ぎていたんだ。一緒にいた雨雲も弱かったしな」
こんな言い訳をするのは、南風にとってはずいぶん腹立たしい事でした。しかし、自分の負けを認める方がもっと腹立たしかったので、こんな事を言ってしまったのです。
「ふふふ」
その葉は笑っています。南風の気持ちがよく分っているようです。
「まあ、いいですよ。確かにあなたは大変強い風だったんですから。正直言って、ホッとしているんです。引き千切られなくてよかったってね。なにしろ僕には約束があるんですから」
「約束?」
南風が聞き返しました。
「何の約束だ? 誰との約束だ?」
「東風さんです」
その葉は誇らしげに言いました。
「僕は東風さんと約束したんですよ。次の春、東風さんが吹いてくる時まで、この木に残っているって。そして、この木に立派な緑の葉が茂っている様子を東風さんに見せてあげるのです。今、あなたに引き千切られたら、その約束が果たせなくなってしまうところでしたよ」
「次の春……わははは」
突然、南風が大きな声で笑い出しました。緑の葉はそれを聞いてびっくりした顔をしました。
「次の春だと、東風に見せるだと、馬鹿め!」
南風は顔をにやにやさせながら言いました。
「いい事を教えてやろう。お前たちは秋になったら全員その木から離れるのだ。次の春までその木に残っている事など、絶対にできぬのだ」
「ええっ!」
南風の言葉を聞いてその葉は驚きの声を上げました。
「み、南風さん。悔し紛れにそんな事を言っても駄目ですよ。だって、僕は東風さんと」
「うるさい!」
南風が怒鳴りました。
「いずれわかる。その時になって自分の無知を嘆くがいい。さあて、いまいましい太陽が出てくる前に北に向かうか。北の海に出て、また新しい雨雲を捕まえんとな。それ、ぶふおおおおー」
南風は北に向かって吹き始めました。野原は風が収まっていつもの静けさを取り戻しました。空の雲は切れ始め、お日様が顔を覗かせようとしています。
「秋になったら、僕らみんな、離れる……」
陽に照らされながらも、野原の木はまだ濡れています。その緑の葉からはポツリポツリと雨の雫が落ちていました。いつまでもいつまでも落ちていました。




