文字フェチ彼氏(六千字)(ラブコメ)
気になっている男子は図書委員で文芸部。かなり本が好きみたい。私は読書なんて漫画だけで十分って思っているから、好みはまるで正反対だけど、それがまた魅力のひとつでもあるのよね。ホラ、自分にないものを持っている人に魅かれるって、よく言うじゃない。
同じクラスになってからそれとなく視線を送ったり、ちょっとした挨拶もしてみたけど、向こうからは無しのつぶて。なにしろ授業の合間もお昼休みも、暇さえあれば本ばかり読んでいるんだもん、取り付く島もないって感じ。
でも簡単に諦めないのが私の取り柄。さっそくラブレターを書いてみたのよ。わかっているんだ。言葉での告白よりも文字で告白した方が、彼は絶対に落としやすいって。
放課後、彼はいつものように図書室で本を読んでいた。それとなく正面に座って、しばらく観察。言うまでもなくこちらにはまるで無関心。咳払いをしてみたり、椅子をガタガタ言わせてみても全く反応なし。この集中力は見上げたものだわ、さすがは私を惚れさせた男。
なんて、ノロけていても仕方がないので、ここは実力行使。おもむろに椅子から立ち上がると手を伸ばして、正面に開かれた彼の本の上にラブレターを叩き付けてやった。
「……これは?」
「読んでください」
訝しげに私を眺めつつも、その内心では本の上の封筒がかなり気になっているご様子。文字なら何でも大好きな彼の反応としては至極当たり前ね。
彼は封筒を手に取ると封を切り、中の手紙を取り出した。読んでる、私の文章を読んでる。それだけで胸がドキドキ打ち始めた。もしかしたら私の裸を眺められるよりも恥ずかしいかもしれない。
「なるほど」
読み終わった彼は私の顔を見た。私は彼の次の一言を待った。
「つまり、あなたはボクに対して、出来れば恋人、それが無理なら親友、それも無理なら本を読む仲間になって欲しいと、こう言うのですね」
私はコクコクと頷いた。彼は続ける。
「ボクの恋人は文字、ボクの親友は文字。だから恋人にも親友にもなれない。ただ読書仲間にならなってあげてもいい」
「そ、それでお願いします!」
思わず声が上ずってしまったわ。本当は恋人か、せめて親友を選んで欲しかった。でも二つとも断られた時のために、三番目の選択肢を追加しておいてよかった。大丈夫。今はただの読書仲間でも時間が経てば親友へ、そして更には恋人へと、ランクアップしていく可能性だってあるはずよ。まずは順調な滑り出しと言えるんじゃないかしら。
それから私と彼は読書仲間として順調にお付き合いを始めた。お昼休みは校庭で読書。放課後は図書室で読書。休日は図書館で読書。そう、順調に、とても順調に読書仲間の日々は過ぎていった。
でも、こんなの全然楽しくなかった。だって読書仲間って言っても、ただ二人並んで黙って本を読んでいるだけなんだもの。これじゃ手紙を渡す前と何も変わっていないわよ。こんなの付き合っているって言える?
進展しない二人の仲に業を煮やした私は、彼の左腕に体を密着させると、「ね、一緒にその本読ませて」って言って、一冊の本を二人で読み始めたのよ。でも駄目。彼、何の反応も示さない。ガッカリよ。
それに彼の読むスピードって極端に遅いのよ。彼がページをめくるまで、三回くらい読み直しちゃった。きっとゆっくりと丹念に舐めるように、一文字一文字味わいながら読んでいるのね。おまけに、その内容はほとんど哲学書。小説と言ったらラノベくらいしか読まない私は、読んでいるうちに眠たくなってきちゃった。
こうして一学期の中間試験が終わり、期末試験が終わり、夏休みになっても、私と彼はたんなる読書仲間、って言うか、並んで本を読んでいるだけの高校生の男女、それ以上にはならなかった。
私は考えた。ここから先に進むには彼から本を、文字を、取り上げるしかないんだって。この世には本の世界より楽しく面白いものが沢山あることを、彼に教えてあげなくちゃいけないんだって。
夏休みに入って一週間ほどが過ぎたある日、私は彼を家に呼んだ。面白い本が手に入ったから一緒に読もうって。もちろん、それはただの口実。
その日、家族は出かけて、家には私一人。そうよ、勝負に出たのよ。ノースリーブのワンピースにお姉ちゃんの香水を吹き付けて、唇には薄く口紅。爪にはピンクのマニキュア。黒のニーソで絶対領域も完璧。これで迫れば彼だって年頃の男の子。その目は本から別のものへと向かうに決まっているわ。
「で、面白い本ってどれ?」
私の部屋へ入るなりこの言葉。でも焦りは禁物。
「えっと、これなんだけど、どうかな」
「どれどれ、『おれのメイドは新任教師、スクール水着でお料理されちゃう』……妙に長ったらしい題名だな。作者も、聞いたことないし」
明らかに不快な顔。でも彼にとってはどんな本も文字も、恋人であり親友、無視はできないのよ。さっそく床に座って本をめくり始めた。
私も隣に座ると体を密着させて彼の様子を伺う。クラスのおたくっぽい男子から「思いっきりエロいラノベ」という触れ込みで借りてきた代物よ。ちょっと読んでみたけど、男の子の妄想が凝縮されたトンデモ十八禁な内容だったわ。これなら絶対に効果があるはず。
彼はページをめくっていく。表情も息遣いも変わらない。そろそろ頬を赤らめるシーンが来るはずなのに、いつもとまるで同じ。しびれを切らして私は訊いた。
「ね、どう?」
「どうって、何が」
「えっと、その本どう? 面白い」
「あまり面白くないね。下品な行動描写ばかりだし、ストーリーが破たんしているし」
「興奮とか、しない?」
「興奮? 別に」
私は本を覗き込んだ。『キス』という文字が目に入った。ヒロインが唇を奪われて滅茶苦茶にされるシーンのはず。ここは押しの一手よ。
「あの、キスとかしたこと、ある?」
「いや、ない」
「してみたいとか思わない?」
「別に」
どこまで鈍感なの、この人。いいわ、こうなったら実力行使よ。私は仰向けになって本の上に頭を乗せた。胡坐をかいて座っている彼の顔を見上げる格好になる。
「おいおい、いきなり、何を」
唇を薄く開いて、少し舌先を出す。瞳をウルウルさせた感じにして、じっと彼の目を見つめる。ついでに右手で彼の膝小僧も撫でちゃう。どう、これなら少しは興奮するでしょ。
興奮するでしょ。
興奮する、で、しょ……
どれくらい時間が経ったかしら。彼がうんざりした声でつぶやいた。
「いい加減にどいてくれないか。本が読めない」
私の中で何かが破裂した。きっと堪忍袋ってやつね。私はむくりと体を起こすと立ち上がった。握りしめたこぶしが無意識のうちにワナワナと震えている。そして自分で驚くくらいの大声で喚きたてた。
「なによ、いつも本だ、文字だ、本だ、文字だって。そんな架空の世界の何が面白いのよ。私たちは現実に生きているの。現実の男の子と女の子なのよ。それなら本を読む他にもっとすることがあるでしょ。本の世界にばかり目を向けるのはやめて。もっと別のものを見て、って言うか、私をしっかり見なさいよ」
はあはあ、息が切れている。こんなに高ぶったのは久しぶり。これだけ言えば、さすがの彼も……
「って、ちょっと、聞いてる?」
呆れたわ。まるで何もなかったかのように、彼は本を読み始めている。完全に無視されている感じ。
「ねえ、私が言ったことわかってくれた?」
「あ、すまないけど、ボクは目と耳を同時に働かせることはできないんだ。読み終わったら聞いてあげるから、しばらく待っていてくれ」
私の中で二回目の破裂。これはもう普通の手段じゃ無理だわ。もっと何か別の手を考えなくちゃ。いきなり現実の世界に目を向けさせるのではなく、まず、文字と現実の中間の世界に導いてから……
「そうだ!」
閃いた。私は勉強机の上に置いておいた口紅を取ると唇に当てた。これよ、これなら絶対に彼は振り向くはず。準備ができた私は彼の本を引っ掴むと、思いっ切り遠くへぶん投げてやった。
「おいおい、本を投げるなんて、乱暴な……お、おおっ!」
彼の歓声。私を凝視する彼の目。感動に震える彼の両手。やったわ。遂に彼を振り向かせた!
「そ、その『唇』は……」
そうよ。口紅で書いてやったのよ。私の唇の上に『唇』という文字を。どこに書いてあっても文字は文字。彼はその魔力からは逃れられない。
「すまないが、口を開けたり閉じたりしてくれないか」
言われたとおり、私は口を広げたりすぼめたりした。文字は唇を跨ぐ形で書いてある。私が口を開け閉めするたびに、『唇』の文字は分裂したりくっついたりしているはず。
「おお、『唇』が動いている。別離の悲しみと再会の喜びにその身を震わせている。なんという感動。こ、これがリアルの素晴らしさなのか」
すっかり私の唇のとりこになってしまったようね。まあ、正確には文字の『唇』だけど。でも、こうやって見詰められていると、女の子としての自信が湧き上がってくる感じ。
「その口紅を貸してくれないか」
私が返事をする前に、彼は私の手から口紅を引ったくると、私の口の辺りに何か書き始めた。気になって、これまた勉強机に置いたままの手鏡を取って見てみると、『唇』の横に『結衣の』と書かれている。結衣、私の名前。
「うっはっ~、想像以上だ。『唇』だけでは性別も年齢も特定できなかったが、『結衣の唇』としたために、それが女子高生の『唇』であることが確定した。初々しい純朴さ、ほんのりと漂うエロティシズムという属性が文字に追加されている。頼む、動かしてくれ。口をパクパクしてくれ」
言われた通り、私は口をパクパクした。ついでにおちょぼ口にしたり横にずらしたりもしてみた。そうして『結衣の唇』が変形するたびに、彼は奇声を発して興奮している。
「ああ、こんな文字の世界もあったのか。新たなる夜明けだ。コペルニクス的新展開だ。おお、ルネッサンス!」
やがて私は次第に飽きてきた。私に注目させることには成功したけど、関心はあくまで『結衣の唇』、つまり文字。私の唇じゃなんいだわ。ここはもうひと押ししなくっちゃ。
「ねえ、見ているだけでいいの?」
「ん、見る他に何をしろって言うんだい。文字は見るものだろう」
「触ってみたいとか」
「そんなものタラコを触るようなものだろう」
「唇で唇に触れてみたいとか」
「唇で唇に触れたら『結衣の唇』が読めなくなるじゃないか」
ああ、そうですか。そうですよね。分かりました。じゃあ、触れても読めるようにすればいんですね。私は勉強机の引き出しを開けるとレポート用紙とサインペンを取り出した。大きく文字を書き、セロテープで胸に貼り付ける。
「さあ、これでどう」
「うおおおおー!」
彼が雄叫びを上げた。その目も意識も、私の胸に貼り付けられた紙の上の文字に集中している。
「ゆ、『結衣の乳房』だとおおー!」
そうよ、これなら手で触れても見えなくなることはないでしょう。さあ、触ってごらんなさい。
「はあ、はあ……」
私ははっとした。荒い息遣い。目の色が変わっている。両手が肘から前に突き出されて、何かを掴もうとしているかのように、十本の指がうごめいている。彼の様子が明らかにおかしい。
「え、ちょ、ちょっと」
こちらに向かってじわじわと彼がにじり寄ってきた。マズイ、これはさすがにやり過ぎたかも。いくら現実の女子に興味がないって言っても、健康な十代の男子だもの。ちょっと刺激が強すぎたかしら。私は怖くなって後ずさりした。ふくらはぎに何かが当たった。私のベッドだ。そのままストンと腰を下ろす。
「『結衣の乳房』あああ~!」
覆いかぶさってきた彼に、私はベッドに押し倒された。馬乗りになった彼の両手が私の胸に伸びてくる。私の胸に、私の乳房に、乳房に……えっ?
「揉みしだかれている。『結衣の乳房』がボクの手の中でもみくちゃにされているぅ~。なんという光景、なんという恍惚」
そう、揉まれているのは『結衣の乳房』だけど私の胸じゃない。彼は紙だけをもみくちゃにしている。さすがにここは注意してあげなくちゃ。
「ねえ、紙の下にある胸は触らなくていいの?」
「胸、そんなものボクにもある。自慢じゃないが大胸筋は結構発達しているのだ。君の胸板なんか、今、触る必要はない」
板! ちょ、女の子に向かってあんまりな言い方じゃない。そりゃ大きい方じゃないし、仰向けになっているから山というより丘みたいになっているけど、男の胸とは全然違うでしょ。
「あ、でも、大きさは同じでも、柔らかくて気持ちいいと思うわよ」
「ふん、何を言っているのだ。柔らかさを求めるなら肉まんでも触っていた方がマシだよ。所詮、女子のおっぱいなんて、この『結衣の乳房』の前では、月とスッポンみたいなものだからね。おお、豊満で香しいボクの『結衣の乳房』よ。その懐にボクを優しく誘っておくれ」
彼はいつの間にか私の胸から紙を引きはがして、自分の顔を押し付けていた。私は立ち上がった。何かが冷めていく気がした。
「これがリア充というものなのか。もみくちゃにされた『結衣の乳房』はもはや読めぬほどに形を崩している。だが、それは紛れもなく『結衣の乳房』に違いない。この変幻自在のエクスタシーは何なのだ。これこそ三次元の快楽か。二次元では味わえぬ、三次元の……リアルの……おおー、『結衣の乳房』よ! ボクの前で乱れるがいい。既に『結衣の乳房』とは読めぬほどに乱れに乱れたその恥ずかしい肢体を、惜しげもなくボクの前にさらけ出すのだ」
私はベッドの脇に立って、破れかけている紙に顔を埋めて戯れている彼を見下ろしながら、何もかも諦めていた。やはり彼とはやっていけない、そう感じていた。
夏休みが終わる前に私たちは別れた。告白が手紙の文字だったように、別れの言葉も文字で、メールで出した。彼の返信はあっさりしたものだった。
「ふむ、読書仲間を解消したいのだね。構わないよ。本とは元々、一人で読むものだから」
それからの高校生活、私は恋愛から遠ざかった。彼との一件で燃え尽きた感があったし、男の子と付き合うことにうんざりもしていたから。でも、そのおかげで勉強に集中できて、希望通り、地元の大学に合格できた。入学してすぐ、私は同じサークルの男子に告白された。今はその人と付き合っている。彼とは違って普通の人、だから普通に交際できて、その点は安心。
別れた彼は都会の大学に進学した。詳しくは知らないけど、なんでも書道に目覚めたらしく、それなりの大きな書道コンクールで入賞したりしているみたい。自分の書いた文字を紙ごと抱きしめて、毎晩添い寝したりしているのかも、って想像するとおかしくなっちゃう。
でもね、最近、私は思うの。恋愛なんて結局リアルじゃないんだろうなあって。だって、現実の人間なんて結局は動物だもの。不潔だし、匂うし、汗をかけば気持ち悪いし、糞尿だって出すし。肉体だけじゃないわ、その精神も清らかとは限らない。暴言を吐くし、邪悪な行動に駆られたりもする。人間の実態に触れれば触れるほど、嫌悪感がだけが募っていく。そんなモノをどうして愛せる? 恋人にできる? 親友にできる? 私たちは人間の向こうにある理想化した何か、それを恋愛の対象にしているんだと思う。リアルじゃない、一種の幻想に酔っているだけ。そして、彼はその幻想を、人間ではなく文字の向こうに見ていたんだわ。その点では、私たちも彼も、違いはないのかもしれないわね。




