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ソラトの皇  作者: 雪月葉
一章 物語の再開と皇子様の帰還
9/14

9 初めての戦場

 *


 遠目に見える場所にはドクンドクンと脈動する壁があった。煌々と青白い光を放ち蠢く壁。天井も同様で、それはまるで動物の体内のようだった。

 事実、その例えは間違ってはいないのだろう。ただそれが、動物では無く悪魔の腹の中だという違いだけである。

 セルはすぐさまこの状況を理解した。とは言っても、とても簡単な話なのだが。

「どうやら、アバドールに喰われたみたいですね。この学校ごと」

 前後左右、加えて上部にまで肉の壁が存在し、重苦しいまでの魔力が青白い光となって空間を満たしている。

「喰われたって……な、何故……」

「むぅ、どうやら視界に入っていたのは囮で地下を進んでいたのでしょう。悪魔は狡賢ズルがしこい、その程度の知恵は持っていると考えるべきです」

 途方に暮れるキリエにオルバー学園長は厳しい表情で呟く。その事実に、学生達は疎か騎士達もが混乱に陥ってしまった。

「し、静まりなさい! 空翔騎士団である貴方達がそんな事でどうするんですか!! とにかく今は皇子だけでも脱出させなければ!」

「で、ですが既に腹の中なのですよ!? 一体どうすれば……」

「そ、それは……」

 怯えるような騎士の言葉に、キリエは思わず口をつぐんだ。

 こんな事態、想定すらしていなかった。幻想種悪魔に喰われるなど、そして喰われた先があるとは思わなかったのだ。不測の事態に騎士、教師、学生全てが浮足立つ。

 混乱がその場を支配する。このままではそれだけで全滅だ。

 この状況を何とかするために、セルは深く息を吸い込んだ。

「う、る、さーーーーい!!」

 セルの大声が辺り一面に響き渡った。乱暴に吐き出された彼らしからぬ言葉に、全員が動きを止める。その隙をついて、セルは口早に声を吐き出した。

「全員今すぐ戦闘態勢! 武器を持って体育館に集合! 学生並びに教師達で体育館の周りにバリケードを構築! 君は放送室行って今言った事を大音量で放送してきて!」

「え、あ、あの……」

「命令! 早くする!!」

「は、ハッ!」

 騎士の一人に言葉を飛ばし、走って行く姿を横目で見ながらキリエ達に向き直る。

「ほら何してるのさ!? このまま死にたいの? 次の行動に移られる前に少しでも準備しないと!」

「で、ですが皇子殿下? 我々は一体どうすれば……」

「やる事なんて一つに決まってるよ。生き残る、そうだろう?」

 強い口調で言い切り、セルは言葉を続けた。

「今おれ達に出来る事は何だと思う? 腹を破いて出る? 出口を探す? そんな事不可能だ。出来る事はたった一つ。救援が来るまで待つ事だ」

 彼の言葉に、学生達がザワザワと囁き出す。

「きゅ、救援って言っても……」

「な、なあ? 皇都からここまでどんだけ掛かると思ってるんだよ」

 その中には1‐Aの少年少女達もおり、懐疑的な視線を向けている。だがセルは気にせずに言う。

「もちろん待つのは皇都からのじゃない! それよりも近くにいるだろう? 最強の騎士達が」

「も、もしやそれは……ノゾミ様達を待つと言う事ですか?」

 キリエの言葉にコクリと頷いた。

「そうだ。今もおれ達のために戦ってくれている空翔騎士団、彼等ならこの異変を察して飛んで来てくれるはずだよ。少なくとも、皇都方面からの救援よりかは早いはず」

 この状況を皇都が知るだけでも数日はかかるだろう。そこからの部隊運用ともなれば、一体どれだけ掛かるか分からない。だが、空翔騎士団ならば同じ杯羅地方にいる。魔国ベルヘイムと戦闘中かもしれないが、皇都からの救援よりは早い到着になるだろう。

「ふ、ふざけんな!? そんないつ来るか分かんねぇのを待っていられるか!!」

 先程セルに殴り飛ばされた1‐Aのクラス委員長が鼻の周りを赤く染めながら詰め寄った。怒気の込められた瞳を真っ直ぐに見詰め、セルは荒々しい動作で彼の胸倉を掴んだ。

「ならこのまま死にたいのか!?」

「っ!?」

「どちらにしろ今おれ達に出来る事なんて高が知れてるんだ! 召喚獣を使える者も少なく、武器だって満足いく物はほとんど無い! 退路も無ければ確実な勝利だって不可能! 無い無い尽くしで少しでも生き残るためにはこれしか方法が無いんだよ!?」

 声を荒げ、強い口調で責め立てるように怒声をあげる。セルの剣幕に気圧され、皆口を噤んだ。

「死にたいんなら勝手にすればいいさ。でも死にたくないんだろう!? 助けを望むくらいには生きていたいんだから! それなら例え可能性が低くても足掻いて見せるのが人間じゃないのか!? 少なくとも、簡単に諦めるような奴が国を守る騎士を名乗るな!!」

 ビリビリと心の内にまで響く激励の言葉。その場にいた者達は彼の言葉を受け、ゆっくりとだが行動を開始する。教師が生徒を連れ武器を取りに行き、残りが体育館へと走って行く。

 空翔騎士団の副長であるキリエはその姿を呆然と眺めていた。

「驚きましたかな?」

「オルバー学園長?」

 そんな彼女に声をかける者がいた。杯羅騎士養成学校の学園長、オルバー・めい多動たどうである。年老いた彼の深みのある瞳の奥には、優しげな光が宿っていた。

「彼は……いえ、セル・空と言う少年はとある問題児クラスのクラス委員長でした」

「問題児クラス、ですか?」

 小首を傾げ、オルバーの言葉を静かに受け入れる。

「ええ。素行の悪い者、家庭に問題のある者、家柄に制約のある者。とにかく面倒事を抱えたクラスでした。……セル君は普通ならば匙を投げるような状況であっても決して見捨てず、岩に齧りついてでも彼等と共にいられるよう努力し続けたのです」

「えぇと……つまり、どういう?」

 彼が一体何を言いたいのか分からず、疑問の声をあげる。その様子に小さく微笑んだ。

「いけませんな、年を取るとお喋りが過ぎるようで。……もし彼が、ただ無理やりクラス委員長をやらされただけではそもそも1‐Cというクラスは無くなっていた事でしょう。それを繋ぎ止めたのが、彼、セイルド皇子です。彼は、それを為せるだけの器があるのですよ」

「……」

 学園長の言葉に耳を傾けながら、テキパキと指示を出す少年を見遣みやる。

 最初に見た時は何とも頼りの無い少年だと思った。上司であるノゾミが仕えているから、キリエも同じようにしていたに過ぎない。この場を任された時も若干ながら不満だった。子供のお守を任された、その程度の認識しかなかったのだ。

 だが、今彼の姿はどうだ。不測の事態にも関わらず臆さない。少なくとも、キリエのように顔に出さずに立ち回っているではないか。これでは動揺し、指示もまともに出せなかった自分の方が子供のようだ。

「くっ」

 悔しさに歯噛はがみする。それを察してか、教育者たるオルバーは優しく語りかけた。

「その若さで騎士団副長を務めているのですから、貴女もこれまでに色々とあったのでしょう。それは彼も同じです。辿って来た道は一つでは無い、と言う事は、道順も距離も様々。貴女はこれからそれを少しずつ歩んで行けば良い。彼とは違い、貴女にこそ出来るものもあるのですから」

「……はい」

 素直に頷くのを見てオルバーは目を細めた。

 そして、続けるように言葉を紡ぐ。

「さあ、次は貴女がやるべき場面ですよ」

「えっ?」

 疑問の声は次の瞬間に無理やり理解した。いや、させられた、といった方が正しいか。

 地面がボコリと割れる。刹那、異形の物体が吐き出されるようにして現れた。

「なっ!? アバドーン!」

 それは、カエルのような姿をした泥の塊だった。目や耳と言ったものは存在せず、ただ巨大な口とうすの様な白い歯が印象的な醜悪な姿。地の底から喰らうモノとも呼ばれる、アバドールの眷属的存在。それが地面からボコボコと現れ、学生達を襲い始めたのだ。

 その内の一体がセルを目掛けて飛び上がる。

「――っ! させるかぁ!」

 即座に抜刀し、アバドーンの腹へと突き刺した。紫色の血液が顔に付着するが気にも留めず、キリエは右手で己の胸に爪を立てる。

「私を――キリエ・栄零えれ霊守れいもりを憐れみ給え! 世に生まれ出でた私を憐れみ給え! 憐れみの断罪を、この身に!」

 すると次の瞬間、光が集まるようにしてそれは現れた。

「Aaa――」

 人の口から発せられたとは思えないような音が辺りに響き、キリエのすぐ側に異形の存在――召喚獣が喚び出される。無機質な、鉄のような人の顔を持ち、生物的な温もりを持った山猫のような体。その背にはリング状の物体が浮いている。

「リベリウス!」

 彼女こそがキリエの所持する召喚獣、鉄猫てつびょうの乙女、リベリウスだ。

 キリエは喚び出したリベリウスの背に跨り、良く通る声で号令を発する。

「この場に居る空翔騎士団に告げる! 学生並び教員達の準備が整うまで私達が悪魔を相手にするのだ! 我らは空時ソラトが誇りし騎士の一翼! 我らが力で後輩達を守って見せよ!!」

『ハッ!!』

 この場に居る騎士が声を発し、全員が召喚獣を喚び出した。学生達へと襲い掛かっていたアバドーンへと立ち向かい、その間に急ぎ学生達は戦闘準備を整える。

「皇子殿下! こちらへ!」

「うん!」

 リベリウスの背中からセルへ向かって手を伸ばす。冷や汗を拭っていたセルは、頷くと彼女の手を取った。

『全校生徒に告げる――』

 その時校舎の方から大ボリュームで放送が流れた。内容は先程セルが言った通りのもので、体育館へと残る生徒達が移動していくのが見える。

「キリエさん、全員が中に入ったらおれ達も行きましょう」

「了解です、皇子殿下」

 頷き、それから少しだけ迷ったように視線を動かし、意を決してセルへと話しかけた。

「その、申し訳ありませんでした」

「へっ? 何が?」

「あの、皇子殿下に無礼な口を利いてしまって。私は、何も分かっていなかった愚か者です……」

 余程自分の醜態が許せなかったのか、苦渋の表情で自省する。見れば、彼女の召喚獣もどことなく元気が無いように見える。召喚者と感情が繋がっているとの噂は本当だったのだろう。

「そんな気にしないで下さいよ。おれが皇子様っぽくないのは本当なんだし、大体こんな状況になったら混乱するのは当然なんですし」

「ですが! 皇子殿下は冷静に指示を与えて下さいました。本当ならば私がしなければならないのに……」

「いやまあ、悪魔遭遇ももう二回目……や、三回目だっけ。それにこういうのは慣れてるんで」

「こういう、ですか?」

 キリエの腰にしがみ付いているセルへと視線を向ける。どこか照れたような表情で言った。

「バラバラの皆を何とかして纏め上げること。ほら、おれってクラス委員長やってたから」

 基本的に皇子様と同じでしょ、と。

 彼の言葉に、それは違うんじゃないのでは、とキリエは首を傾げるのだった。


 *


 全校生徒並びに教師達が体育館に移動を終え、鎧と武器を持って整列している。既に戦闘準備は万全だ。

 体育館の扉は二重に閉め、木の板を打ち付けてある。これによってアバドーンは侵入出来ずにいた。

「アバドーンの習性は二つです。土のある場所ならば地中を潜って移動が可能であると言う事。そして何でも喰い尽すと言う事」

 壇上で説明するセルの後ろにはスクリーンが降りており、醜悪な悪魔の姿が映し出されている。次に映し出されたのはこの体育館の周辺地図だ。

「重要なのは土が無いと地面からの奇襲が無いと言う事です。幸い、ここの周りはレンガが敷き詰められており奇襲行動はありません。ですが、だからと言ってこのまま引き篭もっていたとしても続々と生み出されるアバドーンに数で押されてしまう……つまり、こちらからも攻撃を行わなければならいと言う事です」

 体育館は二階建てで、東西南北にある大き目の階段から二階の入り口を通る事が出来る。そこから出て階段付近にバリケードを設置、一階の入り口付近まで戦線を広げようと言う作戦だ。

「騎士団の皆さんを筆頭に、教師、三年生、二年生、一年生をバランスよく配置、それ以下の学生達は体育館内で負傷者の救護をお願いします」

「一組毎に騎士を二名、召喚獣を使い、学生達を援護する事を第一に動くのです。魔法による攻撃も極力抑える行動を心掛けなさい」

 セルに続きキリエが騎士達に指示を飛ばす。今回の戦いは防衛戦。ノゾミ達が帰って来るまでの間耐え忍ばなければならない。一時間ニ時間ならばまだ魔力も持つだろう。だが半日ともなれば流石の空翔騎士団でも難しい。それ故に魔法の使用を制限したのだ。

 皆一様に真面目な表情で説明を聞いている。当然だ。己の生き死にが掛かっているのだから。

「……おれは死にたくない。それはきっと、皆同じ気持ちだと思う。例え生き汚いと言われたって、知った事かだ。だっておれは今ここで生きてるんだから」

 セルだって恐いのだ。この場に居る誰よりも。

 友人達を置き去りにしてまで一度は逃げた。二度目は死ぬ覚悟で相対し……結果的に助けられた。なら、三度目は?

「おれ一人じゃ無理かもしれない。けど、ここにいる全員が力を合わせればそれも絶対に可能になるはず。だから、お願いだ! 生きて、皆で生き延びよう!」

 ――自分達全ての力で以て生き延びる。

『セイルド! セイルド! セイルド!』

『ソラト! ソラト! ソラト!』

 学生、教師、騎士。

 誰もが同じ名を叫ぶ。誰もが同じ事を願う。

 圧倒的な相手に対し、一丸となっての抗戦が始まった。


 *


 二階の扉を開き、目に入ったのはおびただしい数の悪魔が蠢く姿だった。泥色の悪魔が地面を覆い尽くし、グラウンドなどは一色で事足りている。一階の扉に体当たりをしている個体もおり、騎士は急ぎ空へと躍り出た。

「皇子殿下の命令だ! まずは辺りの悪魔を払い除ける!」

 騎士の一人が剣を掲げ、召喚獣に魔力を流し込む。鳥型の召喚獣は口を開き、光線を放った。

「良し、一班続けぇ!」

 薙ぎ払うようにして放たれた魔法により、階段下の広場の悪魔が消滅する。そこへすかさず教師と学生が机や板を持って階段を下った。簡易的なバリケードを築くと、その後ろから完全武装の生徒が手に武器を持ち鈍い動きの悪魔へと突撃する。

「学生諸君は無理せず数人で一体を相手にするんだ! 周りに目を配り、決して油断するな!! 安心しろ、危ない時は俺達が援護してやる!」

 騎士の言葉に学生達は力強く頷いた。憧れの騎士と共に同じ戦場に立っている。それだけで否応無いやおうなしにもンションが上がるというもの。槍を、剣を、斧を地面で蠢くアバドーンに叩き付けながら、学生達は雄叫びを上げた。



 その中には1‐Aの生徒達も当然の事ながらいた。人数が他クラスよりも少ないため、位置的には後方だが、初めての戦場の空気にどこか緊張した様子だ。

「なあ、本当に俺達助かるのかな?」

「知るかよ。そんなの、あの皇子様にでも聞いたらどうだ?」

 クラスメイトの男子が呟いた言葉に委員長は痛む鼻を押さえて憮然と吐き捨てる。まだ彼はセルを認めていないのだろう。

「……で、でもさ、やっぱり恐いよな」

「うん……こんなの前にしたら、あたし、逃げちゃうかも」

「そう、だよな……普通、逃げるよな……」

 ムッとしながら彼等の話を聞いている。何が言いたいのかハッキリ言え、と言葉が喉まで出かかるが、そんな事彼にだって分かっていた。セルが幻想種悪魔から逃げ出した事を責めた彼等が、今こうして同じような状況を体験している。

 逃げ出したい程に体が震え、泣き出したいくらいに心臓が痛い。

 同じ窮地きゅうちに立たされ、ようやくセルの気持ちが理解できたのだ。

 こんなモノ、一人の人間にどうにか出来るとは思えない。

「正直、ちょっとだけあの皇子様の事見直した」

「あ、俺も俺も」

 例え今は大勢いるとは言え、それを指揮して戦おうなど誰が思うだろうか。しかも既に悪魔に喰われ、棺桶に足を突っ込んでいる状態だ。泣き喚いたとしても責められないような状況である。なのに、彼は必死に背を伸ばし、決して弱さを見せずにいた。

 それがどれだけ難しい事か、同じ状況に陥っているからこそ分かる。

「ちくしょう……」

 だからこそ、委員長は震える己の両手が憎らしくて仕方が無かった。



 体育館の屋根に立ち、眼下の乱戦を眺めながらキリエは一人魔力を掻き集めていた。手繰るのは九本の糸。リンクを繋ぎ、魔力を伝播していく。

 空翔騎士団の副長、キリエ・栄零えれ霊守れいもりの最も得意とするものがこれだ。他者の召喚獣と魔力を繋ぎ合わせる、リンク能力。普通ならば他人と繋がるのはかなりの難易度を誇る技術だが、彼女は特にその能力に優れていた。

 空翔騎士、騎士団長であるノゾミが扱えば五百人を束ねる事が可能だ。それだけでも十分に驚異的とも言えるのだが、キリエはさらにその上を行く。単純の数ならば彼女の十倍以上、およそ五千人とリンクする事が可能だ。確かにそれは素晴らしい能力だが、本質はまた別にある。

「リンク完了……情報を共有、魔力を等供給。痛覚を投影、完了。リベリウス、お願い」

「Aaa――」

 人の顔を持った山猫の召喚獣が一鳴きすると、その背中に浮いていたリングが四方へと向けられる。その中央にキリエが座し、ありとあらゆる情報を空翔騎士達と共有した。

 それは情報であり、魔力であり、体力であり、痛覚でもある。彼女が見ている物を見て、知った事を知り、痛みをキリエへと代替わりさせるもの。遠く離れた戦場も見通す事ができ、彼等の状況を全て調整コントロールする。それがキリエに与えられた戦い方だった。

 ノゾミでは魔力を一つに纏める事しか出来ない。だが、彼女ならばそれ以上の効果を戦場にもたらす事が可能なのだ。その特異性故にキリエは最強騎士団の一角、空翔騎士団に身を置いていた。

「ふぅ……とりあえず、今はまだ大丈夫ですね」

 訓練では常に五百のリンクを繋いでいるだけあって、たったの十人を纏めるのは比較的容易だ。本当ならば学生達も同様の状態にしたいのだが、召喚獣を扱えない者にはリンクは繋ぐ事が出来ない。なので諦め、彼等の近くにいる騎士達にリアルタイムの情報を与えるだけに留めていた。

「戦闘は始まったばかり。こんな所で弱音は吐けない……何とか、何とか皇子殿下をお守りしなければ……」

 ノゾミ達が戻って来るのにどれくらいの時間が掛かるだろうか。魔国の正規兵とは言え、こちらも空時国が誇る空翔騎士団が相手だ。しかも指揮をしているのはノゾミ・よく四慈陽しじよう。勝敗は既に決まったようなものだ。リンク戦術を取り入れた彼女達ならば一日と掛からないだろう。

「それまで耐えられるか? この軍勢を相手に……」

 一体一体ならばそれほどの苦戦は無い相手だ。だが、それがこうも大軍で押し寄せられれば脅威となるのは必然。空翔騎士達がいるため今の所は優位に立ち回れているが、もし彼等の魔力が切れれば一気に劣勢に陥るだろう。

 魔力の管理は思った以上にこの戦場を左右しそうだ。自身に課せられた役割を再度認識し、気合を入れ直して顔を上げる。

「うわぁ、何この光景。気持ち悪い」

「……へっ?」

 そこには守るべき主人の顔があった。

 遠くのグラウンドを眺め、そこにギュウギュウと押し込められたようなアバドーンの姿に顔を歪めている。うえ、と口元を手で押さえ、必死に嘔吐を我慢しているようだった。

「な、な……」

「うーん、これはキツイ。皆凄いなぁ。おれこんなの前にしたら軽く意識が飛ぶね。あ、キリエさんは大丈夫?」

 若干顔を青くしながらの質問に答える事が出来なかった。ただ呆然と、そして驚愕の声を上げる。

「何をしているのですか皇子ー!?」

「うわぉ」

 目の前のセルの顔はリンクしている騎士達にも届いており、遠くでズッコケている者もいる程だ。それも当然だろう。この場は戦場、その中心だ。例え屋根の上とはいえ、皇子が顔を出すなど想像も出来なかった。

 彼の後ろにはオルバー学園長が控えており、困ったように微笑んでいた。

「セイルド様がどうしても、と聞かなくて……」

 一応止めたのだけど、とは彼の言葉である。

 しかしそんな事キリエには関係無い。キツく睨みつけた後、セルへと向き直って口を開いた。

「今すぐに中へ戻って下さい! ここは悪魔の腹の中なのですよ!? 一体何が起こるのか分からないのですから不用意に姿を晒すような真似をしないで下さい! 皇子殿下の御身に何かあっては遅いのですよ!?」

「いやでもさ」

「でも何ですか!」

 怒りの形相に怖気づきながらも、小さく手を上げて言った。

「皇様っていうのは皆のいる場所で踏ん反り返ってないといけないんだから、仕方ないじゃん?」

「……は?」

「いやだからさ。大将って言うのは要するにお飾りなんでしょ? そのお飾りが誰からも見えない場所でブルブル震えてたら戦場で戦っている人達の士気が上がらないんじゃないかな」

 それは昔、クラスメイト達が教えてくれた事だった。皇様はイスに踏ん反り返って座っていれば良い。そうして、偉そうな姿を見せておけば兵士と言うものは安心するのだと。

 だからセルは今もこうして姿を晒してみせた。戦っている者達を鼓舞するように、見守る事で士気を上げるために。

「おれは大将で、皆が守ってくれている。だから、ここで戦っている皆の姿を見守る義務があるんだ」

「皇子殿下……」

 強い光りが瞳に宿っている。これ以上何を言っても引っ込む事は無さそうだ。

 ならば、ここは折れるしかないだろう。それに、

「……分かりました。では皇子殿下、どうかお気をつけ下さい。私も出来る限りお守りしますが……」

「分かってる。キリエさんはキリエさんのやるべき事をやって下さい。それにほら、こっちには守ってくれる人もいますし」

「ふふ、こんな老いぼれを頼りにされても困るのですけれどね」

 そうまで言われてはキリエも嫌な気はしない。

 槍を担いでいるオルバーも楽しげに笑っている。リンク越しから伝わる騎士達の感情も、皆嬉しそうだった。



 グラウンドがある西側が一番の激戦区となっていた。それも当然だろう。

 基本的に塗装された学園の中で、一番土のある地面が広がっているのがグラウンドなのだ。模擬訓練や馬術などもそこで行うため、かなりの広さがある。そこに一面、アバドーンが敷き詰められているのだ。その数がゾロゾロと向かって来るのだから、堪ったものではない。

 学生達の中でも最上級学年である三年生の多くはこちらに配置されている。その中で、生徒会長であるエゥラ・陽菜ひな名星めいせいは学生達の指揮を執っていた。

「こちらは粗方殲滅した! 次は両翼の援護に向かう! 私に続けぇ!!」

『ハイ!!』

 元より指揮官特性の高い少女は次々に押し寄せるアバドーンに対処しつつ、広い目で戦場を把握していた。バリケードを押し広げる事には成功しており、体育館から引き離す事には成功しつつある。

「A班は反転、B班と交代し休息を! 負傷者はその間に名乗り出ておけ!」

 それでも敵の数は全くと言って良い程に減らない。本当に倒しているのか疑問に思う程だ。それでも弱音を吐かないのは、学生の代表であると言う矜持きょうじからか。

 彼女としても助かっているのは、やはり騎士の存在だろうか。空からの攻撃が可能で、槍の技一つ取っても流石の力量だ。この場にいる騎士達は皆、最強騎士団と呼ばれるに足る実力を持っている。それだけでも学生達の士気には影響を与えてくれている。

 その騎士が、さらに声を大きくして言葉を出す。

「皆、聞け! 今この戦場を皇子殿下が見守って下さっている! 己の身の危険を押してまで戦場へと出て下さっているのだ!」

 体育館の屋根を指差し、声を張り上げる。

 先程までのキリエとのやり取りをリンクで聞いていたのだろう。エゥラはそれを聞きながらクスリと笑みを漏らした。

「どれだけ立場が変わろうとも、やっぱり君は変わらないんだね。それでこそ、あの問題児クラスの委員長だ」

 そして何よりも、従妹が信頼しているだけの事はある。

 剣を振りながら、彼女はどこか自慢げな顔の少女を思い出していた。


 *


 戦場は熾烈しれつをきわめ、それに伴って救護所には多くの怪我人が流れて来ていた。動く事に支障が無い程度の傷を負った者は簡単な治療を終えると急ぎ戦場へと戻って行く。かれこれ三時間が過ぎたが、一向に終わりは見えなかった。むしろ時間と共に怪我人は増える一方だ。

「園緒さん、ガーゼと包帯を! 止血しますから手伝って下さい!」

「は、はい!」

 救護所で手伝いをしているローゼも血の臭いに当てられ、気分が悪くなっていた。それでも泣き事を言っている暇はない。

 彼女も騎士候補の一人ではあるのだが、今の彼女を1‐Aの生徒達と一緒に戦場に送り出すのは不安と判断され、救護所の手伝いに回されていた。

 それも仕方ないと思っていた。間違った事をしたとは思ってはいないが、それでも仲間を裏切るような事をしてしまったのは事実だ。彼等がローゼに良い感情を向けないであろうことも覚悟していた。

(皆……どうか、ご無事で)

 だがそれでも、何年も共に過ごして来た仲間なのだ。無事を願うくらいはしたって良いではないか。

「セイルド様……」

 祈るように手を合わせる。

 彼に対し、こんな願いを祈る資格などないのだとは理解している。ならばせめて、

(セル君、どうか無事で)

 友人として無事を願おう。



 体育館の屋上から見る景色に変化は無かった。一時間が経ち、二時間が経ち、三時間が経った。しかし一向に数は減らず、無尽蔵に湧いて来る。

 考えれば当然だ。ここは悪魔アバドールの腹の中、湧き出るアバドーンはセル達を消化しようとする細胞のようなものだ。その数は無限と言ってもいいだろう。

 勢いの変わらない悪魔達に比べると、こちらは少しずつ弱まっていた。部隊毎に休憩を挟んではいるが、疲労は確実に溜まって行く。無傷と言う訳にもいかず、脱落する者も出始めていた。それでも未だに死者が出ていないのは、僥倖ぎょうこうと言える。

「皇子殿下、あまり身を乗り出さないように。足を滑らせたら大変です」

「あ、うん」

 セルはその様子を身を乗り出して眺めている。あれからずっと立ち続け、胸を張って虚勢を見せつけていた。

 キリエに注意され、慌てて後ろに一歩下がる。

「キリエさん、まだ大丈夫?」

「はい、今はまだ。……皆頑張ってくれています。学生達も、思った以上に奮戦してくれています」

「ふふふ、私達の自慢の生徒達ですからね。本当に、耐えてくれています」

 オルバーの声には誇らしげな色が混じっている。

 セルはホッと息を吐き、すぐに表情を引き締めた。

「厳しいね」

「……はい」

 状況は決して良いものでは無かった。押さえられているとは言え、どうにか、といった程度だ。一度崩れればそのまま全滅する可能性は高い。さらに言えば、頼みの綱である騎士達の事もある。

「現在、残り魔力は二割を切っています。召喚獣を使用しての戦闘も、後一時間維持できるかどうか……もしそうなれば……」

「最早、持たないでしょうか」

 不安気なオルバーに頷く事で返事をする。

「例え召喚獣が使用出来ずとも我々は戦闘を続ける事は出来ます。ですが、そうなりますと戦力は激減してしまうでしょう」

「……」

 厳しい状況に泣きたくなる。グッと涙を堪え、オルバーへと視線を向けた。

「今、どれだけの時間が経ちましたか?」

「おおよそ三時間、といった所です」

「三時間、か……」

 どうなのだろうか、と思考を深める。

 魔国の兵を討ち、ここまで来るのにどれほどの時間が掛かるのか。後一時間でノゾミ達が帰って来る事は出来るのだろうか。

 分からない。けれど、今はそれを信じるしかないのだ。

「……こいつの腹を破れれば良いのですが。いっその事、まだ魔力が残っている内に突撃を仕掛けてみましょうか?」

「いえ、それはいけません。アバドールの分厚い脂肪を貫通出来る程の攻撃力を確保出来るとは思いませんし、仮に貫けたとしてもすぐに再生されてしまうでしょう。この大量のアバドーンを掻き分けなければそもそも脱出する事が出来ません」

「クッ、となるとやはりこのまま耐えるしかないのですか……」

 キリエはギュッ、と剣の柄を握り締める。いざという時の覚悟を決めなければならない。

 鼓動が速くなる。自分が剣を振っている姿が想像出来ず、無残に喰い散らかされるイメージしか浮かんで来ない。学生達の大半がそうであるように、キリエもまた、戦場と言うものを体験するのはこれが初めてなのだ。初陣が悪魔の腹の中での薄氷を踏むような戦い。どうやら神様は余程艱難辛苦(かんなんしんく)を与えたいらしい。

 浅く呼吸を繰り返し、集中しようとするも意識がブレる。同時に、途方もない重圧がのし掛かった。この戦場でのリンクは言わば生命線だ。情報共有、魔力調整。どちらも切れれば今戦っている騎士達に軽くない負担が掛かってしまう。そうすればもう終わりだ。拮抗した状況は一気に瓦解し、彼女達は晴れて奴らの栄養になってしまうだろう。守るべき主諸共に。

 ここに来て初めて、繋ぎ続ける事への重圧を覚えてしまった。訓練の時には無い、絶望感。切れれば終わってしまう、責任。そのどれもがキリエを襲う。

 不味い。そう思った。

「キリエさん」

「……えっ?」

 すぐ近くからセルの声が聞こえてきた。顔を俯き集中しているキリエに、穏やかに声をかけて来る。

「そんな緊張しないで良いですって。キリエさんのおかげで今の所順調なんですから。胸張って下さい」

 ポンポンと背中を叩かれ反射的に顔を上げる。そこにはセルの顔があった。

「大体責任とかは全部おれに任せてくれれば良いんですから、そんな顔しないで下さい。って言うかほら、そんな顔するのは一人で十分なので」

 その顔は、自身に満ちていたり、穏やかだったり、そんな強い表情では無かった。顔は真っ青で、手はブルブルと震えている。

 それでも背を伸ばし立ち続け、遠目からはしっかりとしているように見えるだろう。

「皇子殿下……」

「大丈夫、だってキリエさんはあの最強騎士団の副長さんなんですから。絶対に大丈夫ですって」

 グ、と親指を立てて言うセルの姿が、少し可笑しかった。

「クス。そう、ですね。私は空翔騎士団副団長、こんな所でビビってなんかいられませんよね!」

 自分にもまだ出来る事があるはずだ、とキリエは奮い立つ。主に向かって情けない姿は見せられないのだから。

 リンクをさらに強固にし、ふと思い至る。

 リンクとは召喚獣の魔力を介し、情報を共有するもの。では、召喚獣と近い性質である悪魔には有効なのだろうか、と。

「……もしかしたら」

 何かこの状況を打開するような情報を得られるかもしれない。そう考えるや否や、キリエは即座に魔力の糸を頭上へと伸ばし始めた。

「ウソ……繋がった!?」

 青白い光に照らされた天井を超え、確かな手応えを感じた。

「リベリウス! 魔力伝播を優先的にこちらへ! もっと深くまで寝食します」

 キリエの指示にリベリウスのリングが折り重なって頭上へと向けられる。リングの中心を細い光りの糸が通過し、悪魔の光(デモナ・サイン)がリベリウスへと降りて来る。

「Laaa――」

「ちょっ、これ大丈夫なんですか!?」

 無機質な鳴き声が辺りに響き渡った。どこか苦しんでいるような声に、セルは心配そうにキリエを見た。

「悪魔の魔力は召喚獣にとって毒の様なものですからね。大丈夫、では無いですが、耐えられない程ではありません」

 辛そうなのはリベリウスだけではなく、彼女と繋がっているキリエも同様だ。苦しそうに吐息し、それでも何とか情報を得ようと必死に意識をリンクさせる。

「グ、ゥウッ……」

「キリエさん!?」

「むぅ、いけません! それ以上の進行は命を縮めますぞ!?」

 如何にリンク能力に優れていようと、しょせんキリエは一人の人間だ。悪魔、それも幻想種と呼ばれる災厄と繋がれば意識そのものが潰れかねない。

「いえ、まだです! ここで何かヒントを得られなければ私達は――皇子殿下が死んでしまう!」

 キリエの視界から色が消える。それでもなおリンクの手を伸ばし続ける。

「キリエさん……学園長、どうにかならないんですか!?」

「う、うぅむ、そのような事を仰られても……悪魔の力を遮断する物でもあれば、悪魔の魔力にも耐えられるかもしれませんが……」

「そ、そんなのどこにあるって言うんですか!?」

 だが幻想種悪魔の力を遮る程の代物がそこらに転がっているはずもない。諦めの表情のオルバーから顔を背け、ふと、手に何かが触れた。

「うん?」

 それはペンダントだった。先日の祭りの時に購入した、銀で出来た十字架のペンダント。

「……あ」

 そう、銀のペンダントだ。銀は悪魔を退ける鉱物。しかもこのペンダントにはそれに加えしっかりと紋が彫られている。シスターの(シスター)(自称)はこれは立派な法具になっていると言っていた。

「もしかしたら……キリエさん! これを!」

「おう、じ? これは……」

「いいから、とにかくこれ持って!」

 無理やり彼女の手を開き、十字架のペンダントを握らせる。

「え……? これ、は」

 効果はすぐに現れた。今まで苦しかったのがウソのように消え去っている。

「これは……法具ですかな? 一体、これ程の物をどこで……」

「ちょっと屋台で売ってたんだ。どう? これならいける?」

 キリエを真っ直ぐに見て、セルは問うた。


 いけるかだって?

「――当然です!」

 リングを四つに増やし、空へと魔力の糸を向ける。完全に情報がリンクされ、キリエの頭に新たな道が導き出された。

「……真上、ちょうどここの天井の魔力が異様に少ない! もしかしたら、ここから脱出できるかも――!」

 キリエの言葉の通りに上を向く。青白い光が邪魔をして良く見えないが、確かに空はドーナツ型になっていてその中央部分の光は薄い。

「でもあの高さじゃ脱出なんて無理じゃないかな?」

「う、それは……一人ずつ脱出させても外が安全とは言えないのは事実ですが……最悪、皇子殿下だけでも……」

「む? 何やら様子が可笑しいですよ?」

 空を見上げていたオルバーが頭上を指差した。周りの壁が蠢いている。

「まさか……穴を埋める気ですか!」

「こっちの話を聞いていたのかな? 賢そうには見えないのに、やってくれるよ」

 キリエの見つけた魔力の薄い部分を肉壁で補強していた。リンクされたのに気付いたのだろう。ズズ、と動いていく天井を睨みつけながら、ふとセルに視界に何かが入って来た。

「あれ? 何だろう、あれ」

「あれ、ですか?」

 指の先へと視線を向けるキリエとオルバー。そこには、天上から何かがはみ出していた。

 四角かった。形は恐らく立方体で、薄茶色の何か。遠くからでは良く分からないが、中々に大きい。それが蠢く壁の中から現れ、ポロリと落下を開始した。

「って、うわぁ!?」

「皇子殿下、危険です! こちらへ!」

 それがちょうど頭上にあったため、セル達のすぐ側に落ちてたる。キリエが慌てて腕を引き、セルを避難させる。

 ズシン、と重たい音が響き、立方体の何かは体育館の天井に突き刺さった。

「な、何だこれ?」

「お、お待ち下さい! 不用意に近付いては危険です!」

「多分大丈夫だと思うんだけど……」

 改めてそれを見る。やはり四角い箱のようにしか見えないが、新たに分かった事があった。材質が恐らく木材だと言う事だ。木で出来た立方体の箱。それも大きさは二メートルはありそうだ。

 基本的に悪魔は何でもあり、との話は聞いた事があったが、これにはセルだけではなくキリエ達も驚いていた。

「これは一体……ッ、お気を付け下さい!」

 オルバーが厳しい声を上げ、杖にしていた槍を構える。見ればキリエも剣を抜き、戦闘態勢を整えていた。

 え、と思わず天井を見上げる。目に映ったのは、無数の悪魔アバドーンが降り注いでいる光景だった。

「なっ!?」

 地面から奇襲するアバドーンは知っていたが、まさか空から襲い掛かって来るとは思ってもみなかった。だがよく考えればここは悪魔の腹の中。天井も壁も、全て幻想種アバドールのテリトリーなのだ。

「お下がりを、皇子殿下! ここは私共で何とかします! 急いで中へ――!」

 キリエが吠える。何とかセルを守ろうとしているのだろうが、如何せん数が多過ぎた。

「いかん! このままでは!?」

 オルバーの悲鳴が聞こえる。絶体絶命だ。ここだけではない。下で戦っている者達も、体育館の中にいる人達も、等しく死の近くにいる。

(クソ、どうすれば……どうすれば良いんだよ!?)

 混乱する思考の中で、必死に答えを探す。だがそんなもの、見つかるはずがない。答えがあるのならばもっと早く見つけていた。たった一人で見つけ出すのは不可能だ。

(……みんな!)

 目を固く瞑り、思い浮かべたのはやはりクラスの仲間たち。情けなくも彼等に助けを求めてしまった。


「ったく。相変わらず仕方ない奴ですね、うちの底辺大将は」


 ジャッ、と金属が流れる音がした。

『――――!?』

 刹那、頭上の悪魔アバドーン達が声にならない叫びを上げて消し飛んだ。すり潰すように消滅していく悪魔達。

「な、何?」

 突然の事態にセルは固まったまま上空を見上げている。そのせいで変化を見逃していた。

「箱が……開いている?」

 キリエの言葉にハッと隣の木箱へと顔を向ける。パカリと上の部分が開かれ、そこから巨大な鎖が空へと向けられていたのだ。

 さらに箱が開き、中から何かが飛び出した。小柄で、両腕に細い鎖を巻き付けた少女の姿。空中でクルリと一回転すると、腕の鎖をブン、と振り切った。

「天帝魔法――悪狼ヴァナルガンドの嘆き」

 伸びた鎖は腕から離れると瞬時にその身を巨体へと変化させ、何本もの鎖となり落ちて来るアバドーン達を捕らえ、すり潰す。それでも全てとはいかず、何体もの悪魔が落下を続けていた。

「残りはあたしね。クソ悪魔共の七面鳥撃ち(ターキー・シュート)なんて自慢にもなんないじゃない」

 少女の声が聞こえ、それと同時に箱は完全に形を崩し、八つの柱となって再度出現する。その中心に立つ少女の手にはハープのようなものが握られており、弦に指をかけた。瞬間、

「大樹魔法――聖弓(セレナード)の射手」

 八つの柱に矢がつがえられる。柱だと思っていたそれは、木で出来た巨大な弓だったのだ。

 音楽を奏でるようにハープの音色を響かせ、その度に魔力の矢が次々に射出される。

 その光景にも衝撃を受けたが、セルにとってはそれよりもずっと驚く事があった。

「う、そ……本物、なの?」

 向けられた言葉は弓の少女と鎖の少女へ。彼女達は二人ともムスッとした表情を作り、

「あんた、あたし達の偽物でもいるって言いたい訳? 寝言はクソして寝てから言いなさい」

「んとですよ。相も変わらずのヘタレっぷりにいっぺん(しめ)てやる必要がありそうじゃねぇですか。後でちょっと屋上に来やがれ、です」

 酷い毒舌である。あまりの言い草に涙が出て来た。それでも、そのほとんどは悲しみから来るものでは無い。

「リンネちゃん、シルフ……生きてたんだね?」

 リンネ・せきおわり。シルフ・コドゥージュ。

 級友と再会する事が出来た事に、喜びの涙を流すのだった。

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