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ソラトの皇  作者: 雪月葉
一章 物語の再開と皇子様の帰還
8/14

8 悪夢の再来

 ノゾミ達が戦場へと赴き、学園長室にはセルと数名の騎士が残される形となった。部屋の周りを警備している者もおり、十名程度が彼の護衛に回っている。

 ノゾミ曰く精鋭であるようなので、腕の方は問題ないだろう。

「えっと、確か君は……」

「ハッ! キリエ・栄零えれ霊守れいもりです! この度は空翔騎士団長であるノゾミ様より皇子殿下の護衛を任されました! 何か御座いましたら私共になんなりとお申しつけ下さい、迅速に対応させて頂きます!」

「あ、うん。よろしく」

 ピシリと直立して最上の礼をするキリエと名乗った少女の姿に、セルは少々面食らった。長い白髪を編み込み一つに纏めている。白い肌と赤い瞳が目を引くこの少女は、確かセルと同い年だったはずだ。ノゾミと言う規格外が側にいるため忘れそうになるが、彼女のような年齢で正騎士、それも騎士団の副長を務めていると言うのも異例の事だ。ノゾミとはまた違った才能を有しているのだろう。

 チラリと窓の外を眺め、今飛び去って行った騎士団の背を見守る。とは言っても、既に彼等は豆粒のように小さくなっているのだが。

「……キリエさん達は大丈夫ですか?」

「と言いますと?」

 沈黙を回避するために適当な会話を投げかけてみる。

「その、心配じゃないかなー、と。ノゾミさん達のこと」

「なるほど。皇子殿下はノゾミ様達を御心配なさっているのですね?」

 それはそうだ。戦争なんて十年の記憶には見当たらない。心配にならない方が可笑しいだろう。

 その表情が顔に出ていたのか、キリエは笑って答えた。

「ご安心ください。我ら空翔騎士団、空時ソラトに仇なす輩になど負けはしません。何より、ノゾミ様がいらっしゃるのですから間違いなく勝利の報が届けられる事でしょう」

 どこか自慢げな表情に、ノゾミ達を心の底から信じ切っている事が伺える。

 副長と言う立場上、長い時間ノゾミの近くにいるのだから、よりノゾミの規格外さを知っているのだろう。その表情に疑いの感情は一切存在し無かった。

「あはは、それはそうですよね。キリエさんはノゾミさんをとても信頼しているんですね」

「それはもう! もちろんです!!」

 今までの印象からキリエがノゾミを慕っているのは良く分かる。だからこその質問だったのだが、思いの外食いつきが良かった。彼女の後ろに控える騎士達はあちゃー、と顔を歪ませており、同情の視線が向けられている。

(え、何この空気)

 疑問に思ったのも一瞬、すぐにキリエの口は開かれた。

「ノゾミ様は私の恩人とも呼べるお方で強く、美しく、何よりも気高いのです! 私のような者に居場所を与え、さらに騎士と言う生き方を示して頂きました。それまで惰性で生きてきた私にとってノゾミ様はまさに神のようなお方なのです! 事実ノゾミ様は神です! 美を司るアフロディティア様よりも美しいでしょう! 強さはまさに一騎当千でありながら軍を動かす事に長け、軍神さながらの働きからは目が離せません! 私自身、まだ実戦でのノゾミ様は拝見なさっていませんが、それでもあの方の強さは常日頃二十四時間三百六十五日私生活からも滲み出いますよね? まさに人の上に立つ器! 出来る事ならば私もこのような場所ではなくお側でノゾミ様の勇姿を拝見したかったのに……いえ、ですがこの任務もノゾミ様直々の指名、ご期待を裏切るような事は――ハッ!」

 マシンガンのような言葉の弾丸に、思わずポカンと見つめてしまった。真面目そうな彼女の口から放たれた言葉に唖然としながら、チラリと他の騎士達を見る。苦笑し、生温かい眼差しを向けている事から普段からこういう感じなのだろう。

 ノゾミに対する忠誠心が高過ぎるのだ。

「も、申し訳ありません! 不必要な事を口走りました!」

「あー、うん。気にしないでいいよ」

 慌てて口を噤むキリエだが、セルはその早口の内容をハッキリと聞いていた。常から騒がしい環境にいたせいか、人の話を聞き取るのは得意なのだ。そして、そのムダな特技から彼女の本心を聞き取っていた。

「えーっと、ちょっとお手洗いに行きたいんだけど……」

「ハッ! ではすぐにお連れします!」

「あ、良いって。近くにあるし、一人で行って来るからさ」

「ですが……」

「本当に良いから。じゃ、ちょっと行って来るよ」

 キリエの制止を振り切り、セルは慌ててこの場を立ち去った。扉が開き、そこから出てきた皇子の姿に警備の騎士が驚きの表情をしているが、大丈夫だからと一人でトイレへと移動した。



 そして洗面所に手をつき、深々とため息を吐き出した。

「……はぁー」

 とてもではないが、息が詰まる。

 ノゾミやヨカイ達ならばここまで気を使わずに済んでいたのだが、キリエ達を前にすると自然、疲労が顔を覗かせる。

 理由は分かっている。ノゾミは心の底からセルを自ら望んで奉仕していた。ヨカイは、身分と言うものをあまり気にしていなかった。けれど、キリエ達は任務でここにいる。望んでここにいないのだ。

 キリエの早口の中にもあった。本当ならば、と。思わず口をついて出てしまったのだろう。それは仕方がない事だ。セルも非難するつもりはない。

「皇子、か……」

 そもそも、つい先日まで一般人であったセルを本気で皇として見ているのかと言う疑問。皇が認め、ノゾミが従っているからキリエ達も同じように仕えているに過ぎない。心の奥底で彼女達はセルの事を未だに認めていないのだろう。

「何となく、分かって来たけどさ。はぁ……」

 少し前までならば分からなかった。皇城で過ごしていただけでは。あそこでセルは皇の保護下にあり、周りを見ようにも見れなかった。それが少し外に出ればこんなにも良く見える。シグルド皇が外出の許可を出したのはこの事を自覚させるためだったのではないだろうか。

 親指を額に当て、考えるように低く唸る。

 セルの頭は悪くない。加えて、判断力も。当然だ。仮にもあのクラスを纏めていたセルの思考が鈍い訳がない。

「そっか、おれの味方って多くないのか」

 咄嗟に考え、この状況にゾッとした。

 今のセルには味方がいない。ノゾミは戦場へ行っており、彼女の部下が護衛をしている。けれど、彼等が本当に従うのかは分からない。セルが何かを命令しても、それがノゾミの与えた任務の範疇を超えていれば手を貸してはくれないかもしれない。

「…………」

 頭が痛い。吐きそうだ。

 この数日での出来事が音を立てて崩れ落ちて行く。これ以上無い程の危うさに、嘔吐感が込み上げた。

 蛇口を捻り、ザーと水を流しながらそれを睨みつける。両手で掬い、顔へとぶちまけた。

「ふぅ」

 冷たい水の感覚が熱を持った顔を冷やして行く。二度三度と繰り返し、ようやく落ち着いた。

「あー、皆が恋しい……」

 呟きながら手を振って水を落とす。濡れた手のままポケットに手を突っ込み、ハンカチを取り出そうとする。

 そこで顔を上げ、鏡を視界に収める。濡れた自分の顔、その後ろに複数の影が映った。

「へっ……?」

 瞬間、セルの視界は暗闇に染まった。


 *


(何か、そこはかとない懐かしさが……)

 どうやら大きな袋に入れられたようで、セルの視界は真っ暗だ。誰かに担ぎ上げられ、どこかへ運ばれている感じがする。

 突然の事にも関わらず落ち着いているのは、これが過去に何度も体験してきたからだった。やったのはもちろんクラスメイト達。今回のように大きな袋に入れられ、町中を運ばれた事があった。

 そして今回は落下の浮遊感もあったため、三階の窓から放り投げられたのだろう。結構な衝撃に軽く悶絶するが、その間にも順調に運ばれて行く。

(向きと移動経路から体育館かな?)

 落ち着いてそう判断し、暴れずに大人しくしていた。経験上、暴れると落ちて痛いのはこちらなのだ。

 扉が開く音と、次いで閉まる音。それを聞き終えるとセルは放り出されていた。

「ぐぇ」

 潰れたカエルのような声が吐き出され、もぞもぞと袋から這い出す。最初に目に入ったのは、大きな横断幕だった。

「お帰りなさいませ皇子様、だとよ。ハッ、傑作だよなぁ? セル・空!」

 後ろから書かれた文字を読み上げた声。慌ててそちらに振り向くと、数人の生徒達が仁王立ちしていた。


 威嚇するように睨みつけて来る数人の生徒達。男女半々で、十人程度が並んでいる。セルの名を呼んだ以上、彼等はセルの事をある程度は知っているのだろう。

(……誰だっけ)

 だがセルにはトンと記憶に無かった。いや、確かにどこかで見た事はある。だが、それがどこだったのか……。

 ここでどちら様、と聞くのは何となく恥ずかしい。覚えていない事を悟られないように質問する。

「君たちは……一体おれに何の用だい?」

 これなら大丈夫だろう。とにかくもう少しヒントが欲しい。制服に着いたバッチの色から同学年である事は分かるのだが。

「何の用だって? ふざけんな! 忘れたとは言わせないぞ!!」

 いえ、忘れました。……とは、流石に言える空気ではなさそうだ。

「そうよ! 何であんただけが生き残ってるのよ!?」

 女生徒が目に涙を浮かべながらヒステリックに叫んでいる。随分な言われように、セルの頭はさらに混乱した。

「それでしかも皇子様だぁ? ――ッざっけんじゃねぇ!」

「俺達の仲間見殺しにして何のうのうと生きてんだよ!!」

 見殺し、と言う言葉。そして、一人だけ生き残った。

 なるほど、とセルはようやく彼等の正体に気付いた。

「1‐Aの人達か……」

 最初の男性生徒をどこかで見た顔だと思ったのも当然だ。彼は数日前、模擬戦の前にセルのクラスメイト達をバカにした人物だった。そしてその周りにいる生徒達も彼のクラスの人間なのだろう。

「おい、何とか言えよ! どうせおまえだけ無様に逃げ回ったんだろ? しかも皇子様だぁ? 何かの間違いだ! 無能クラスの委員長が皇子だなんてある訳ねぇ!!」

「そうよ! あんたなんて死ねば良かったのに!? 返してよ、彼を返しなさいよぉ!!」

「…………」

 彼等の必死の訴えと怒りの言葉に、何と言うか――。

「おい、聞いてんのか!?」

「え、ああ? 何だっけ?」

「はぁ!?」

 冷めた。

 必死な彼等には悪いとは思う。けれど、どうにも彼等と自分との間に大きな隔たりがあるのだと理解してしまう。

 足に力を入れて立ち上がり、キョロキョロと相手を見る。

 ――良かった。ローゼの姿は無い。

 どうやら彼女とセルの認識は似ていたようだ。それも当然か、と自己完結。

「えっと、君達は1‐Aの人達だよね?」

「あぁ? そうに決まってんだろうが!!」

 確認のための言葉にも律儀に威嚇つきで返して来る。セルはその姿がどうしようもなく滑稽に見えてしまった。

「それで? わざわざこんな所までおれを招待したのは愚痴を言いたかったから?」

「なっ!?」

「愚痴? 何言ってんのよ! これは正当な抗議よ!! 皆を見殺しにした癖に!」

「見殺し、ね。まあ、間違ってはいないと思う。それは、認めるよ」

 素直に頷いたのが予想外だったのか、1‐Aの生徒達は目を丸くしている。

 驚く彼等をよそに、セルは目を閉じながら頷いていた。

「実際、そうしないと助からなかったから。あそこでおれ一人いた所で結局は変わらなかったと思うし、納得は出来なくても皆の判断が正しかったんだろうね」

 何の力も無い騎士候補生が一人追加された所で事態は何も変わっていなかっただろう。でも、

「認めたく無かったのは本当。だってそうだろう? それを認めてしまえば、自分が如何に役立たずか自覚して(わかって)しまうから」

 ポツポツと語るセルへ、何を言っているのかというような視線が突き刺さる。だが構わずに続けた。

「君達も同じな訳だね。でもおれとは決して違う箇所が一つあるよ。――君たちはあの場に居なかった事だ」

 彼等の無茶苦茶な言い分は、あの場で役に立たなかった事を攻めるものばかりだ。けれどセルにはそれが可笑しくて堪らない。

「あの悪夢を目の前にして、どうしてそんな責任転嫁が出来る? それは多分、ローゼがここにいないのが答え何だと思う」

 セルと一緒に命からがら逃げ出したローゼ・さき園緒そのお。彼女がこの場にいない理由は二つ考えられる。

 第一に、そもそも彼女に今回の事を相談していないため。そしてもう一つは、彼女が彼等の意見に賛同しなかったから。

 若干の希望はあるが、セルはそれを後者だろうと見ていた。同じように、幻想種悪魔と言う災害を前にした彼女だからこそ同じ価値観を得ているのだろうと。

 幻想種あんなものを前に自分勝手な文句など言えるはずが無い。それだけあのレベルの存在は脅威的なのだから。

「君達の気持ちも分からなくは無いよ? でも、そんな怒りだけで動いちゃダメだ。きっとそんな事、他の子達は望んでない」

「う、うるさい! 責任転嫁だと? 違う! これは正当な裁きなんだ!」

 淡々と語るセルに空恐ろしいものを感じたのか、1‐Aのクラス委員長が握った拳でセルを殴り飛ばした。

「いっつぅ」

 バキ、と言う音が響き、頬に痛みが走る。かなりの力を込められていたのか、生徒の拳も若干赤くなっていた。

「もういい! やってしまえ!」

「お、おう!」

 怒声に触発されてジリジリとにじり寄って来る生徒達。だが皇子に危害を加えるのは流石に躊躇ためらわれるのか、視線を交わし合っている。

 見事に怒らせてしまったようだ。さてどうしようかと内心で冷や汗をかいた。

 セルは武芸の成績があまりよろしくない。精々が一般的な学生レベルだ。武闘派四天王から少々手解きを受けていたが、流石に十人を相手になど出来るはずがない。

 この時点で先程饒舌(じょうぜつ)に喋っていた事を後悔した。

「ま、待った待った! 暴力とかいけないと思うよ、おれ」

 ジンジンと痛む頬を押さえながら涙目で手を上げる。だがそれも逆効果だったのか、1‐Aの生徒達は一斉に襲い掛かって来た。

「ひぃ!?」

 思わずしゃがみ込むセル。拳が、木の棒が肉薄する。

「貴様ら何をしている!」

「――っ!?」

 だがそれらがセルに当たる寸前、鋭い声が体育館に響き渡った。

 突然の事に生徒達の体が硬直する。その間に押し入って来た騎士達が彼等を取り囲んでしまった。

「皇子、ご無事でしたか?」

「キリエ、さん? ええと、まあ大丈夫ですけど……一体どうしてここに?」

「はい。あの少女から皇子を狙う不届き物がいると教えられたのです。申し訳ありません、遅くなってしまい」

 チラリと体育館の入り口へと視線をやると、そこには青色の髪の少女が怯えたような表情で立っていた。その少女を目聡く見つけた1‐Aの生徒は目を丸くする。

「ローゼ!? な、何やってるんだおまえは!」

「あなた、裏切ったのね!?」

 口々に非難の言葉を吐き出し、1‐Aの仲間でもあるはずのローゼはビクリと肩を震わせた。

「違います! 私はただセル……セイルド様が謂われの無い噂なんかで傷つけられるのが見ていられないだけです! ……あんな、あんなものにどうやって立ち向かえって言うんですか!?」

 だが気丈にも彼等を睨み返し、その時の事を思い出したのか顔を青ざめている。

「私には、私には無理です。セイルド様やあの人達みたいに、逃がすために戦いを挑む事なんて……勝ち目なんてあるはず無いのに……」

「ローゼ……」

 災害と等しい存在に二度も襲われたのだ。彼女の反応は実に正しいものだろう。しかしそんな経験の無い1‐Aの生徒達に取ってみれば、彼女の行動は裏切り行為の何ものでもなかった。彼等の怒りに染まる表情は変わらない。

「うるさい! おまえだって同罪だ! この人殺し!!」

 騎士達に包囲されてなおも喧騒は収まらない。現状が理解出来ていないのだろうか。頭に血が上った彼等では無理からぬ事かも知れないが。そんな彼等の言葉を、ローゼは黙って受け入れている。

 流石にこの状況を放っておくことは出来ないだろう。セルはどうしたものかと頬を掻こうとして、ジクリとした痛みに思わず手を離す。

「皇子? どうされ――っ!? そ、そのお怪我は、まさか……!」

 影になっていた事もあってセルの怪我を見抜けなかったのだろう。ようやく気付いたキリエは強張った表情で頬を指差した。

「へっ? あ、ああ、別にこれくらいどうって事はないから」

 こんなもの掠り傷だと言うセル。だが、怪我の原因を察した彼等の行動は素早かった。

「――その者達を捕らえろ! 皇子に傷を負わせた逆賊だ!」

「なっ! ギャア!」

「キャッ!?」

 キリエの号令に騎士達は学生たちを押し倒した。手を後ろに回し、魔力によって形作られる手錠で拘束する。

 あまりの早技に、セルは目を丸くした。

「えっ? ちょ、キリエさん? 一体なにを……」

「申し訳ありません! 皇子殿下! 我々が不甲斐無いばかりに御身に傷を――! 罰ならばどのようなものでも甘んじて受けましょう!」

「いや、いやいやいや、別にこのくらいの傷であーだこーだ言わないから彼らを……」

「ハッ、すぐに処分致します!」

「あ、うん。……って、ちょっと待って!?」

 当然のように言ってのけられ、一瞬彼女が何を言ったのか理解出来なかった。ただ直感で、止めなければマズイと感じ遮るように声を上げる。その判断は正しかったようで、目の前には剣を引き抜いた彼女が今にも生徒達を斬り捨てようとしていた。

「どうかされましたか?」

「どうかって、今何をしようとしたの!?」

「もちろん、皇子に仇名す愚か者に制裁を与えようと。ご安心ください、すぐに終わらせますので」

 そう言うと周りの騎士達も鞘から剣を抜き放つ。

 ハッと息を呑むローゼと命の危機を感じて引きつったような表情を浮かべる生徒達。騎士達の目は本気で、セルが何も言わなければこのまま剣を振り下ろしてしまうだろう。

「そこまでしなくて良いって! 大した怪我でもないし、注意くらいでさ」

 いくら殴られたとは言え命を奪う程ではないと擁護するセルだが、キリエは無情にも首を横に振った。

「いえ、皇子はこの国の宝です。それに傷を付けた者には死を以て償わせなければなりません」

「何、その無茶苦茶理論……で、でもほら、当事者が別に良いって言ってるんだからさ、ここは一つ穏便に……」

「それはいけません。今甘やかせばそれだけ空時皇家が軽んじられます。それに、ノゾミ様からも命じられています。皇子殿下に手を上げよう者がいたのならば手違い無く確実に抹殺しなさい、と」

 何を言っているのだ、あの人は。いや、でも確かに言いそうではある。そして、淡々と実行するのがノゾミ・よく四慈陽しじようと言う人物だ。

「ダメだってば! こんな所で刃傷沙汰とかは――」

「ああ、なるほど。分かりました」

「えっ? ホント?」

 なおも食い下がるセルに、キリエは得心したように頷いた。

「はい、血を見るのがお嫌なのでしたら別の場所で処分致します。申し訳ありません、考えが至らず。連れて行きなさい」

「ちっがうって!? 何でそういう話になってるのさ!」

 捕縛された生徒達を引きずっている騎士達。どうにも彼女達とは上手く会話が続かない。涙と鼻水で濡れた顔で抵抗している者もいるが、鳩尾みぞおちを蹴られてあえなく連れて行かれる。

(ダ、ダメだ……この人達、話が通じてない?)

 キリエ達の姿を見て薄々感じていたものが形となっていく。

 本来仕えるべき王の頼みよりも、自らの団長であるノゾミの命令の方が上位となっているのだ。

 彼等はこのままだと本当に殺されてしまう。視界の隅ではローゼが顔面蒼白で成り行きを見守っている。せっかく生きて戻れた仲間達、助けたいと思うのは当然だ。だが、相手は天下の空翔騎士団。そして非は彼等にある。一介の学生に騎士団の決定を覆す力などあるはずもない。

 何とかしなければと頭を働かせる。

 しかしその直後、幸か不幸か、思考は中断させられた。

「て、て、て……敵襲ぅううー!!」

 周囲を巡回していた騎士の一人が冷静さを失った様子で飛び込んで来る。その様子にただ事ではないと感じ、この場にいる者は彼へと視線を集中させた。

「ふ、副長! 大変です!? あ、あれは、あれは――」

「落ち着きなさい! 何があったのか説明しなさい!!」

 何事かをまくし立てる騎士に一喝し、無理やり落ち着かせる。キリエの言葉に幾分か落ち着きを取り戻したのか、兜がズレているのも構わず声を上げた。

「巡回途中、東より複数の魔力反応を感知しました!」

「バカな! ノゾミ様が討ち漏らしたんですか!?」

 その報告は、どんな大軍であろうとノゾミならば何とかしてくれると信じていたキリエにとって耳を疑う様な内容だった。

 しかしそうではないのだと騎士は首を横に振る。

「い、いえ、そうではないんです! 接近しているのは魔国ベルヘイムではないんです!」

「……? じゃあ一体何が迫っているんですか?」

「それが、その……」

 今この杯羅地方に攻めてきているのは魔国の軍隊のはずだ。それ以外に攻め込むような敵はいないはずである。だが彼の表情は真っ青で、ウソや間違いの類とは思えない。

 煮え切らないその態度に業を煮やし、少しキツめの言葉を投げかける。

「報告は正確かつ端的に! 早く言いなさい!」

「ハッ! て、敵は……」

 ゴクリと喉を鳴らし、覚悟を決めて言い放つ。その報告は、先ほどとは比べ物にならない程の衝撃を杯羅騎士養成学校にもたらした。

「敵は、悪魔! その中でも幻想種と呼ばれる存在です!?」

 彼の言葉に周囲の空気が凍り付いた。即座に再起動を果たしたキリエは再度問いかける。

「ッ、なんですって! それは本当なんですか!?」」

「間違いありません! それもあれは、序列三十一番――」

 ドクンと心臓が震える。幻想種悪魔と言うだけで彼等と対峙した時の恐怖が甦るのに加え、それは――

天地喰らう無限(アバドール)の悪魔です!!」

 この地でセルを襲った諸悪の根源(あくま)なのだから。



 悪魔襲来の報によってその場は俄かに喧騒が広がった。元々、騎士達の捕り物を見ようと集まっていた人達もいたため、その報告を聞いていた者は多くいた。

「ローゼ、大丈夫?」

「ひ、あ……セル、君?」

 ペタリと座り込んでしまったローゼを気にかけ、彼女の側に移動する。呆然とした状態でセルの名を口にした。幻想種悪魔というトラウマが甦り、思考が麻痺しているのだろう。

 近くにいた女子生徒に彼女を任せ、緊張した表情のキリエ達へと顔を向ける。

「何故、こんな時に幻想種悪魔が……!」

 ギリ、と奥歯を噛み締めるキリエ。セルはその後ろから報告を持ってきた騎士へと疑問する。

「あの、アバドールだけだったんですか? 周りに小さいのがわらわらいたりしませんでした?」

「そ、その通りです! 一つの山の周りに群がるように魔力反応がありました!」

「どう言う事でしょうか、皇子」

 質問の意味に首を傾げながら問うてくるキリエに、セルは過去の出来事と共に答えた。

「前に見た時、アバドールの周りには沢山のアバドーンがいたんだ。多分、アバドールから生み出されているんだと思う」

「では、アバドーンも一緒になってこちらに向かっているという事なんですか!?」

 小型版アバドールというような様相の悪魔。それも、騎士が感じ取った魔力の数からして百は超えていた。その全てが、こちらに向かって来ている。

 その情報に歯がみをしながら手近の騎士に指示を飛ばす。

「……学園長を呼んで下さい! 急いで!?」

 体育館を出て視線を報告のあった方角へと向ける。平原地帯の先には森林地帯が広がっており、遠く離れたその場所に小さな山が見えた。

 既に生徒達はその存在を視認しており、皆不安そうな表情をしている。あれが何なのかを理解している者はそれよりもさらに顔を青くしていた。

天地喰らう無限(アバドール)の悪魔。通った後には何も残さず、全てを平らげる。この分だと、学園諸共……いえ、杯羅の町が奴の腹に……」

 彼女の後ろからアバドールの姿を眺め、以前味わった恐怖が押し寄せる。それをどうにか振り払い、再度視認する。

「……なんか、前より大きくなってる?」

 巨大である事には変わりは無い。だが、以前に見た時よりも格段に巨体になっている。今ならば、この学校を敷地ごと一呑みに出来そうな程だ。

「まさか、成長してるって言うのか!?」

 あの時でさえ、皆が時間稼ぎをしてくれなければ逃げる事など出来なかった。そもそも、セルにはアバドールをどうにか出来る力などないのだ。唯一渡り合えそうなノゾミもいない。

 絶体絶命。冷たいものが脳裏をぎった。

「霊守殿!」

 そうこうしている内に学園長が走って来た。余程慌てているのか、靴が左右逆になっている。

「あれは……確かにアバドール! このような所まで来るなど、普通ならばありえませんぞ!?」

「ですが、事実あれはここを目指しているようです。本来食い散らかす事しか脳のない悪魔がひたすらに移動に徹している……一体何故? いえ、今はそれよりも」

 キリエはセルへと振り返り、緊張した面持ちで見据えた。

「皇子、すぐに避難の準備をお願い致します。最早一刻の猶予もありません!」

 幻想種という、彼女達の手に負えない相手が迫っている。ならば一番に考えるべきはこの国の皇子であるセルの身の安全の確保だ。この場から逃がすのが当然の選択となる。

 けれど彼にはその姿が、どこかで見たものと重なった。

「急いで下さい! 今一番足の速い召喚獣の騎士を呼びますので――」

「それで……おれが逃げて、他の皆はどうするつもり? 学校の生徒は? 町の人達だって」

「この場に居る生徒達は悪魔を迎え撃つ事になるでしょう。そしてその間に避難勧告を町に出すつもりです」

 キリエの言葉に周りにいた生徒がどよめいた。

「そんな……!」

「皇子殿下、お気になさらずに。彼等は未だ未熟ではありますが、騎士を目指す者達。その役割は、むしろ当然でしょう」

 その喧騒を掻き消すような重みのある言葉が学園長から発せられる。さらにキリエが続く。

「仕方ありません、皇子。これが今の最善ではありませんか。皇子を失う訳にはいかないのです」

「だからって……大体、町の人達だってそれじゃあ助かるか分からないじゃないか!」

 馬を所有していれば逃げ切れる可能性はある。だが、移動手段のない市民、怪我や病気で動けない者達ではあの悪魔達から逃れる事は難しい。最悪、全滅しかねないだろう。

 その可能性を把握していてもなお、キリエの答えは変わらない。硬い表情のまま、厳しい声を上げた。

「どうぞご命令下さい、皇子!」

 白髪の少女が真剣な眼差しでこちらを見ている。周りからはざわざわと小さな声が幾重にも折り重なり、雑音を奏でていた。


 *


 喉がカラカラだ。水を飲みたいとは思うが、例えそうしてもすぐに干上がってしまいそうなくらい、セルは緊張していた。

 いや、最早緊張と言うものを通り過ぎ、恐怖だけが思考を支配している。答えを紡ごうと何度も口を動かすが、声となる事は無かった。

 縋る彼女の表情に気圧され、すぐに逃げ出そうと言いたくなる。けれど、その度にあの時の事が思い出されるのだ。友人たちを見捨て、生き延びた時の事を。

 今セルの内にあるのは後悔と恐怖だ。後悔がこの場に留まろうとして、恐怖が逃げろと促して来る。一体どちらの声に従えばいいのか分からない。

「さあ、皇子!」

「――っ!」

 キリエの責めるような言葉につい体が反応する。頷く様に頭を、

「また一人逃げるのかよ!!」

 頷こうとして、その言葉が押し止めた。

 声の主は先程セルを殴った1‐Aのクラス委員長だ。怒りに染まった瞳でセルを射抜き、必死にもがいている。

 だがそう言うのは彼とその周りにいる者達だけで、他の生徒達はどこか諦めたような表情を浮かべているだけだ。彼等は理解しているのだろう。皇子が危険から逃げるのは当然だと。それがこの国の未来を背負って立つ者ならば、余計に。

 1‐Aの生徒達は騎士によって黙らせられるが、それでもセルへの非難は止まらない。そこへキリエの強い口調が届く。

「皇子!」

「卑怯者!!」

「うぅぅ……」

 無数の視線と、強い口調がセルを余計に混乱させる。どうすればいいのか、どうすれば良かったのか、何もかもが分からない。そして、自分がどうするべきなのかも。

 だから、

「ああもう! おまえらさっきからゴチャゴチャグチグチブツブツ、うるっさぁああい!」

 取りあえず、叫ぶ事にした。

「お、皇子?」

「ああそう! そうですか!! 逃げろと言ったり逃げるなって言ったり訳分かんない! つまり何さ? ここはおれの我が儘言って良い場面シーンな訳!?」

 混乱の極みに達したセルの様子に若干引きながら声をかけるキリエ。だがそちらへは顔を向けず、セルを糾弾した生徒を確保している騎士へと近付いた。

「君、その手錠外して」

「ハッ? い、いえですが……」

「皇子様命令。早くして」

「りょ、了解しました!」

 有無を言わせぬ迫力で命令を下し、慌ててクラス委員長の手錠を外す。その様子に驚いたのは彼の方だ。一体何故自由にされたのか分からず、セルを見る。

「な、何のつもり――ブハァ!?」

 その間の抜けた顔に、間髪入れず拳を叩き込んだ。

 鼻血を吹き出しながら悶絶する生徒から距離を取り、今度はキリエに向き直る。

「お、皇子? 一体何を……」

「今のでさっきおれが殴られた件はチャラにするから。良いね?」

「……え? いや、ちょっと待って下さい」

「何? 文句でもあるの?」

 先程とは違うセルの様子に若干怯むが、すぐに気を取り直し冷静に言葉を紡いだ。

「先程も言ったように、彼の処分は既に決まっています。まあ、もうこの状況ではそれもあまり関係ないかも知れませんが……皇子もそこはご理解頂きますよう。そうでなくてはこの国の……」

「五月蝿い。却下。おれの事を勝手に決めるな」

「なっ――!?」

「大体、何でさっきから人の言う事聞いてくれないのさ? って言うか、君のその耳はちゃんと聞こえてるの? もしもーし」

 憮然とした表情であっさりとキリエの言う事を切り捨て、深々とため息を吐き出してみせる。その態度にカチンと来たのか、彼女は食い下がるように睨みつけた。

「お言葉ですが、皇子。貴方はまだ皇族としての自覚が足りないのではないでしょうか? まあ、今までを徒人ただびととして過ごしていたのですから仕方の無い事なのかもしれませんが、今の貴方はこの国の皇子です。皇族には皇族の決まりがあるのですから、それをたがえないようにして頂かなければ」

 棘のある言葉がセルへと向けられている。恐らくこれが彼女の本音なのだ。元々一般人であったセルを皇子として見てはいない。

 先程も感じた事だった。ノゾミに命じられたから護衛し、そのために命を投げ出す。キリエはセルの味方ではなく、ノゾミの味方なのだ。だから、彼のためには動かない。願っても、頼んでも、ノゾミからの命令以上の事は行わない。

「そうだね。キリエさんの言いたい事は理解出来るよ」

「そうですか。では……」

「でもさ――」

 それならば、セルにだって考えがある。

「何で君はおれに命令するのさ?」

「えっ?」

 彼は今や皇子だ。事実がどうなのかは誰も分からないが、皇が認め、ノゾミが認め、多数の民が認めてしまった時からセル・空はセイルド・なない空時ソラトなのだ。

「君の主はノゾミさんなんだろうね。でもね、おれの主はノゾミさんじゃない。対等以上の関係だ。それなのにさっきから君はおれの言う事なんて放ったらかしにして勝手に話を進めようとする。口を開こうとすれば封殺してさ。それこそ不敬ってやつなんじゃないの?」

「なっ!? 違います! 私は皇子のためを思って――」

「おれのため? うん、ありがとう。――でも良い迷惑だ」

「ッ!?」

 ゾクリ、と震える。先程まで曖昧に笑っている事しか出来ないと思っていた少年の瞳に、キリエはその時確かな重圧が存在していた。それはまるで、シグルド皇と対峙したかのように。

 その時、一人の騎士が慌てたように声を上た。

「これは……大変です! 魔力が、この辺り一帯に――!?」

 突如膨大な魔力が学校の敷地全体から溢れ出す。発生源は、地下。魔力が観測されると同時に、凄まじい揺れがその地を襲った。

「な、これは――!?」

「アバドール!!」

 閉じて行く空を眺めながら、杯羅騎士養成学校は悪魔によって一呑みにされたのだった。

今回は少し短めですね。毎度思いますが、小説って切り所が難しいです……。

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