7 戦の始まり
*
気分は最悪だった。膝に肘を乗せ、組んだ手に額を乗せて先程の事を思い出していた。
幼少から世話になっていたエゥラと、短い時間ながら共に励まし合ったローゼ。二人の少女から向けられた、あの瞳。それは今までに何度も受けて来たものだ。
出席したパーティーで、先日行われたパレードで、皇城で働く人達からも。散々に向けられた、畏敬の込められた視線。
正直に言って、セルはこれまでその事をあまり深く考えていなかった。パレードの貴族も、皇城の使用人も、皇都の民衆達も、結局は交流の無い他人だったためそんな視線で見られても気にはならなかった。だが、比較的仲の良い者たちが向ける今までとまったく違った瞳は、存外に堪えるものだと思い知らされた。
どこか簡単に考えていたのだ。例え皇族だ何だと言われても、結局自分はセル・空なのだから、と。だが現実は違った。皇子様とは敬う存在であり、また存在自体が畏れの対象なのだ。
まるで別次元の生き物を見る様な瞳。逃げるように去って行った背中。
思い出すだけで、吐きそうだ。
「…………っ」
口元に手を当て、しっかりと目を閉じる。暗闇に閉ざされた視界は、深く深く沈んで行く。
「失礼します」
「あ……はい、どうぞ」
コンコン、とドアをノックする音に我に返った。返事をするのが少しだけ恐い。エゥラかローゼがまた来たのだとしたら、自分は果たして我慢出来るだろうか。だが幸いな事に、扉を開けたのは彼女達とは違った人物であった。
「皇子? どうかされましたか?」
「い、いえ、なんでもないです。それよりノゾミさんこそどうかしたんですか?」
「ええ、指示を出し終えたので、皇子の話相手にでも、と。どうやら今は皇子一人で暇をしているようなので」
「それは、何と言うか……助かります」
入って来たのはノゾミだった。柔和な微笑みを浮かべ、小首を傾げている。
そんな彼女を見て、ほんの少しだけ疑問に思う。彼女は一体、セルの事をどう思っているのだろうか、と。敬っている、というのは分かる。事実彼女はこれ以上ない程にセルに良くしてくれているのだから。ただ、その尽くし方が少々過剰と思えるのだ。
「ふふ、そんなに見つめられては照れてしまいますわ」
ジ、と盗み見ていたのに気付かれていたらしい。少しだけ頬を朱に染める。
「あ、と……ごめん。ちょっと考え事をしていて」
すぐに謝り視線を外す。
「考え事、ですか? それは一体どのような事でしょう? よろしければご相談下さい。私に答えられる事ならばよろしいのですけれども」
「え? それは、その……」
そう言われては聞いてみたい感情が先を行く。どうせあしらわれるだろうと思いながらも、折角の機会なので聞いてみた。
「ノゾミさんは、おれをどう思っているんですか? 本当に皇子だと、敬われるような存在だと思っているんですか?」
「もちろんですわ」
即答だった。間髪入れず、条件反射のように。ニコリとした笑顔に強い意志を携えながら頷いた。
「皇子は、間違いなくセイルド様ご本人です。それはつまり、畏敬の存在として君臨するに相応しい方だと言う事です」
当然だと言わんばかりに答え、さらに続ける。
「貴方様が不安である事は重々承知しております。また、今までとの差異に苦しんでいる事も。ですが、皇子にはそれすらも克服して頂きたいのです」
「……もしかして、今回の事って……」
薄々勘付いてはいたのだ。ただの慰安でこの地に行く事を勧めた訳ではないのでは、と。だがそれよりも喜びが先に立ってしまい、今の今まで考えるのを止めていた。
「ご安心下さい。何も今すぐとは申しません。時間はまだありますから。もしそれを邪魔しようとする者がいたら仰って下さいな。すぐにでも首を取って来ますので」
真剣なノゾミの瞳に気圧されながら、不思議とセルの心は穏やかだった。彼女からは畏敬の念が感じられる。だが、それはセルが皇子だからといった理由からではない。彼女は初めから一貫していたではないか。セル・空やセイルド・無・空時ではなく、彼が彼だからこそ敬い、尽くしているのだ。
「……いや、首とかはいらないです。インテリアにはちょっと不気味ですから」
「おや、そう言われるとそうですね。これは私とした事がうっかりしていました。皇子のお部屋はもっと美しくかつ優雅な物に仕上げなければなりませんのに」
「どちらかと言えばおれは質素で落ち着いた感じでお願いしたいんだけどなぁ」
少しだけ調子を取り戻し、クスクスと笑い合う。まだ乱れてはいるが、今にも吐きそうな程ではない。これからまた彼女達を見なければならないが、きっと今ならば大丈夫だ。
冷め切ってしまったお茶を一気に飲み干し、喉を潤した。
「そう言えば今何時……って、うわっ、もう一時間近く経ってる!?」
「余程お考え事に集中していらしたのですね……皇子、お腹は空いていませんか? 何か作らせますので、どうぞ仰って下さい。どんな困難な物でも作らせますから」
「いや、うん、そんなにお腹空いてないから大丈夫だよ。それにほら、こっちのクッキーもあるし」
モグモグと放置していた焼き菓子を胃に収めて行く。流石に彼も学食のおば様方には世話になっていた手前、無茶振りをさせるつもりは無かった。
「失礼します。歓迎会の準備が出来ましたので、そろそろご準備願います」
「あ、分かりました」
学園長が現れそう伝える。セルは軽く頷き、窓の外を見下ろした。
「…………」
これから知り合いにどんな顔をされるのか、想像しただけで気が重い。それでも、歩みを止める訳にはいかないのだ。この地へ来る事はセルが決めた事。考えが甘かったのは否めないが、一度決めたのだからそれを成し遂げなければここまで連れてきてくれたノゾミ達に悪い。
顔を上げ、歓迎会の会場へ――
「おや?」
行こうとして、何かの音に足を止めた。
ピーピー、との電子音がノゾミから聞こえ、内ポケットから何かの機械を取り出す。
「これは、白斗光様から? 申し訳ありません、少しお待ち頂いてもよろしいでしょうか?」
「えっ? うん、別にいいけど……って言うか、それ通話機?」
「はい。団長クラスの者にだけ支給される携帯用のものです。それでは少し席を外します」
そう言って廊下に出て行ったノゾミ。
通話機とは離れた相手と話をする事が出来る代物だ。皇城に設置されている据え置き用の物とは違い、携帯用の通話機は数が少なく、個人使用出来るのは団長クラスの者だけなのだとか。噂では通話機は古代のオーパーツで、各国には既定の数しか所有できないのだそうだ。
珍しい物を見たな、としか感想が浮かばないセルは、ノゾミの戻りを待っていた。
『――それは本当ですか?』
そこへ扉の外にいるにも関わらず背を震わせるような鋭い声が聞こえて来た。
少々行儀が悪いが、何かあったのだろうか、と耳を澄ませる。
『分かりました。そちらからはやはり? ……いえ、確認を取っただけです。やはり時間が足りませんか……ではこちらで何とかする必要がありそうですね』
緊張したような声が続く。彼女の声に嫌な予感が頭をよぎった。
『ええ、そちらも警戒を怠らないように。もしかしたら、と言う事もありますから。……それでは』
プツ、と通話が切れ、それとほぼ同時にドアが開く。そこから現れたノゾミの表情は硬く、どこか切羽詰まったようにも見えた。
「申し訳ありません、皇子。歓迎会は延期になりそうです」
「延期? って、一体どうしてまた……」
「な、何かこちらに不手際でもありましたでしょうか?」
「いいえ、そう言う訳ではありません。ただ――」
彼女の言葉を聞いて慌てて入って来た学園長がそう問う。ノゾミは首を横に振り、東の窓を指差した。
「東にある魔国の一軍が国境沿いに侵入して来たようです。私はこれより、そちらの迎撃に向かわなければなりません。下手をすれば……いえ、既に遅いですね。先日は皇子を狙い、さらに軍まで引っ張り出した。一体彼等が何を考えているのかは分かりませんが、私達のする事は一つ」
一瞬、彼女が何を言っているのか理解出来ない。
「彼等を迎え撃ち、殲滅します」
ノゾミは無表情にそう言った。
それからの彼女の行動は素早かった。学園のグラウンドに空翔騎士団を全て集め、整列させて現在の状況を説明。そのまま戦闘準備を終わらせた。元々フル装備でここまで来ていた事が幸いし、武装の追加を少し学園に任せるだけで事足りた。
その様子を遠くから学生達が見詰めており、皆一様に不安そうである。それも当然だ。もし魔国の軍がここまで攻め入って来たならば、戦闘を行うのは彼等養成学校の学生達だ。未だ騎士の任に就いていなかったとしても、彼等は予備兵扱いになっている。
だが、果たして彼等が戦って相手になるのだろうか。他国の軍隊と言う事は、召喚獣と契約した者達と戦闘になるという事。召喚獣が戦闘において絶対とは言わないが、軍対軍の戦争においては召喚獣という存在は絶対だ。少なくとも、今までの戦争では召喚獣の有無が重要になっている。
そうなるとやはり、頼みの綱は空翔騎士団と言う事になる。
「ご安心下さい、皇子。敵はしょせん一部隊に過ぎません。全ての戦力を投入したのならばいざ知らず、千にも満たない軍など相手にもなりません」
学園長質へ報告に来たノゾミが少しも気負った様子もなく微笑んでいる。普段と変わらずの笑みは確かに心強いが、それでも胸中の不安は拭えなかった。
「それとこちらには少ないですが腕利きを残しますので、何かありましたら彼等にお申し付け下さい。と言っても、十名程で申し訳ないのですが……」
「それはしょうがないよ。今はそっちに戦力を割かなきゃいけないんだからさ」
空翔騎士団は五百人。対して敵は千程度。単純に見て戦力差は倍だ。そこからさらにセルの護衛に何人も引き抜けない。むしろ護衛など必要ないと言いたかった。だがどうしてもと言うノゾミに折れ、結局副長と数名がセルの護衛に残った。
副長が残って大丈夫なのかとの問いに、
「無論です。むしろ、皇子のために死ぬことの出来る者を残していかないと心配で心配で……」
との事。
多分これ以上言っても無駄なのだろうな、と判断してセルはしつこく言うのを諦めた。
「さて、どうやら準備が出来たようですね。……遅い」
ポソリと冷たく呟いた言葉は、無理やり耳からシャットダウン。一瞬目が恐かった。
「あら、失礼いたしました。どうにも弛んでるようなので……帰ってから、少々鍛え直そうかと」
「えと、あんまり無茶はしないようにね?」
傍らで青い顔をして震えている空翔騎士団の副長さん。そちらを見る事もせず、ニコリと微笑んだ。
「はい、善処いたしますわ」
どうやら彼等の運命はあまり変わらないようだ。
空を飛んだ約五百の召喚獣とそれを乗りこなす騎士達。ある種荘厳な光景を前に、ノゾミはガラリと窓を開けた。冬の冷たい風が侵入し、少しだけ身動ぎをする。そのまま窓の外へ腕を伸ばした。
「ニヒト」
一言。それによって現れた黒と白の羽を持った魔鳥が空に浮く。ノゾミは軽やかに窓を超えニヒトの背に飛び乗った。
「それでは皇子。最上の勝利を願い、我らの帰還をお待ち下さい。我ら空翔騎士団一同、一等の戦果を貴方様に捧げます」
恭しく頭を下げ、それに対して何と答えて良いのかをセルは知らない。けれど、願う事は一つだ。
「ありがとう。皆さんの無事を願ってます」
その言葉にコクリと頷き、ノゾミは東の空へ剣を掲げ、号令を発する。
「皆、続きなさい! 我らが主のため、その翼を血に染め勝利を刻め! 我ら空翔、空時のために在り!」
『オォオオオオオ――!!』
気合の怒号が響き渡り、五百の騎兵が空を駆けて行った。
その勇ましさに皆目を見開き、その力強さに息を呑む。
「……戦争が、始まるのか」
既に遠くへと行ってしまった彼等を見送り、セルは不安げに声を震わせた。
*
空を駆け、冷たい空気が肌に触れる。それを心地よく感じながら、ノゾミ達空翔騎士団は荒れ果てた荒野の上を飛んでいた。
「…………」
ノゾミはその様子を複雑な表情で見下ろし、誰にも気付かれぬように息を吐いた。
「団長、どうかされましたか?」
だが目聡くそれを見ていた者がいたらしく、軽い声をかけられた。そちらへと視線を向け、素っ気ない言葉を口にする。
「どうもありません。それよりも皆ついて来ていますか?」
「ええ、問題ありません。遅れたら特別訓練をもう一回させると脅しておきましたからね。死に物狂いでついて来てると思いますよ?」
「そうですか。ならば結構。光葉、他の者への気配りは貴方に任せます」
「はあ、了解です。面倒ですけどね」
やる気の無さを隠そうともしない男性騎士、コウキ・片士・光葉。彼は鷹の上半身と獅子の下半身を合わせ持った召喚獣に騎乗している。役職としては大隊長、空翔騎士団の№3にあたる人物だ。
性格はご覧の通り軽く、面倒臭がり屋だが部下への面倒見が良く隊を纏めるのに優れた人物だ。騎士団に関してノゾミが一番頼りにしているのが彼だった。
「そう言えば、あいつを置いてきたんですね?」
飄々とした雰囲気でそう語りかけて来る。彼の言う、あいつ、と言うのは副長であるキリエ・栄零・霊守の事だろう。
「ええ、そうです。それが何か?」
「いえいえ。まあ、キリエにはまだ早いとは思いますからね。良い判断だったと思いますよ?」
「良い、と言うよりは当然とも言える判断ですけれど。あの子に戦場はまだ早い」
キリエは騎士団で一番年若い騎士だ。空翔騎士団だけでなく、他の騎士団でも彼女程若い騎士はいないだろう。そんな彼女は未だ戦場を経験しておらず、今回のはあまり役に立たないと判断したため置いて来たのだ。
「指揮する能力は群を抜いてるんですがねぇ……あれでもうちょっと度量があれば、いえ何でもないですよ。いない者の事を言っても無駄ですからね」
苦笑し、おどけたように肩を竦める。
「その通りです。故に、他の騎士団の事など考えずに済む。良かったですね。手柄は独り占め出来ますよ」
「手柄よりも楽をしたいってのが本音ですがね」
ため息交じりの言葉に部下の数名が頷いている。そんなものだろうかと思考するが、ノゾミはすぐに首を振った。
他人の心の内などどうでもいいし、今の状況で楽が出来るはずがない。ただ己が主に近付く愚か者達を皆殺しにする。それだけなのだから。
「……見えてきましたね。隊列をこのまま維持! 最大速度で戦域に突入します!」
瓦解しかけている国境砦を視界に収め、荒野を駆ける翼が今到着した。
戦闘領域は荒野のど真ん中である。十年前の大崩壊で荒地となった場所に砦を造り、土の壁が数キロに渡ってその土地を貫いている。
その砦も今やボロボロに崩れ落ち、煙が立ち昇っていた。それでも未だ戦闘は終わっておらず、砦に残存していた戦力でささやかな抵抗を試みていた。
「クソッ、いきなり攻めてきやがって……魔国の奴らめ!」
杯羅地方東部国境、杯琉砦の守備隊長であるリク・馬堂は砦の上から弓を射続けていた。既に魔力は尽き、召喚獣を喚ぶ事も出来ない彼にとって、本当に最後の抵抗だった。門の部分を破壊して入り口を塞ぎ、魔国の軍はその瓦礫を伝って砦へと侵入しようとしている。僅かに残った兵達で何とか防いでいるが、それも時間の問題だろう。
「グッ――!?」
「隊長!?」
「構うな! 絶対に奴らを砦に入れるな!」
飛来した炎を纏った矢がリクの肩を貫通し、炎が腕を呑みこんだ。即座に剣で腕を斬り落としたお陰で火達磨になる事は避けられたが、これでは弓を扱う事が出来ない。
かくなる上は剣を片手に特攻を仕掛けるのだと立ち上がった。
「――えっ?」
だがそれも無駄に終わる。何時の間にそこにいたのか、漆黒の鎧を着た魔国の兵が抜き身の剣を陸の心臓に突き立てていた。
「ぐっ、ぞぉ……」
血が口から溢れ、鉄の味が広がる。炎に焼かれる自分を見下ろし、彼の意識はそこで途絶えた。
リクを討ち取った兵士はすぐに周りを見渡す。既に剣同士のぶつかり合いが響き渡っていた。空時の兵の練度は近隣諸国から見ても確かに高い。だが、それも数の暴力には叶わなかったようだ。一人の兵に対して三人~五人が相手取り、確実に命を刈り取っている。恐らくこの戦いも数分で終わりを迎えるだろう。
「ギャっ!?」
「ガハッ!!」
――そこへ彼等が現れなければ。
「……えっ? な、なんだ?」
運良く生き残っていた空時兵の前には、先程まで自分を殺そうとしていた魔国兵が血を吐いて倒れている。胸に拳大の穴が開き、そこからはドクドクと血が流れていた。
「総員、突撃」
涼やかな声が流れた。それは彼等の頭上から聞こえ、次いで勇ましき風の音がその場を支配する。
「うわぁああー!」
「そ、空から来るぞー!」
「バカな! 空翔騎士団だと!?」
空からの強襲に為す術もなく、魔国兵は勢いの乗った突撃槍に脳天から貫かれる。鳥が獲物を狩るような光景に、敵軍は慄いた。
「総員隊列を崩すな! 敵を蹴散らせぇー!」
コウキの怒声が戦場に響き渡った。敵兵を貫いた槍を引き抜き、穂先を敵軍に向ける。だがその時には既に敵方は撤退を開始していた。
「……五番隊は生存者の保護を。一からニ番隊は追い過ぎない程度に向かいなさい。他の部隊は警戒を。特に壁を乗り越えた者に注意しなさい。では、行きなさい」
『了解!』
ノゾミの号令に一斉に動き出す。流石は最強の一角、空翔騎士団。その動きに一切の無駄が無い。それらを眺めながら、団長であるノゾミは爪を噛んだ。
「この苛烈な戦場、そして引き際を見極めた素早い撤退……指揮しているのは、やはり」
戦場に来ているであろう人物に当たりをつけ、小さく吐息した。
砦の中に残った者は十人といなかった。守備兵達は先の防衛戦で戦死し、残されたのは非戦闘員ばかりだ。怪我をしている者もおり、彼等を移動させるのも難しい状況。結局、まだ少し砦で待機してもらうしかないようである。
三十分程部隊を休ませ、疲労がある程度回復したのを見計らって指示を飛ばした。
「それでは皆、準備は出来たでしょう。これより我らは敵陣へと赴き敵大将の首を取ります」
「うげっ、マジですか? 相手は倍の戦力ですよ?」
「ならばこそです。倍の戦力に防衛戦など仕掛けた所で押し切られます。一息に斬り込んだ方が勝算はあるでしょう」
空翔騎士団は絶対的な矛だ。圧倒的な突破力、空からの強襲により敵陣に巨大な穴を開ける役割を持っている。だが、逆に防御に関しては他部隊よりも脆い。数は少なく、地面に落されては召喚獣の恩恵も受け辛い。だからこそノゾミは先に得意な戦況を作り上げようと言うのである。
そして空翔騎士団に属している者もその考えを良く分かっているため、口では嫌そうに言うが既に覚悟を決めていた。
「総員騎乗! 敵が戻って来るより先に、敵大将であるメルカパ・大・凱亜を討ちます!」
『ハッ!!』
ノゾミの号令に従い空翔騎士団の全騎士が各々の召喚獣に飛び乗った。そして、
「って、メルカパ将軍!?」
出された名前に思わず何名かがズリ落ちた。何とかグリフォンにしがみ付き落下を回避したコウキ。ノゾミは彼の反応に鬱陶しそうな表情を向けた。
「何ですか、喧しい」
「いやいや、何でそんなに落ち着いているんですか!? メルカパ将軍ってあれですよね? 魔国に鬼将軍あり、って良く宣伝している……」
「そうですね。鬼将軍と良く呼ばれているそうです。それを自慢げに語って来るあの方は……少々鬱陶しかった」
クスリと冷たく微笑むノゾミの姿に唖然とする。
メルカパ将軍は魔国の皇、クジャク・獣・魔光からも信が厚く、軍を統べる大将軍の地位に立つ人物だ。そんな人物がたった千の軍勢を率いてここまで攻め込んで来るとは考えられない。
「それは流石に、何かの間違いじゃないですか? 大体、今ではかなり御年を召しているはずですし」
「確か今年で六十八になったそうですが……まあ、あの方ですからね。生涯現役だとほざいていましたし別に不思議ではないでしょう」
彼女の言葉に、う、と言葉が詰まる。コウキも彼とは面識があり、豪快に笑う老人の姿を思い浮かべてしまった。
だからと言って今ここにいるのは分からないのでは、と進言するが、ノゾミは即座に否定した。
「あの方の戦い方、兵の動かし方は良く知っています。まず間違い無いでしょう。何せ、メルカパ将軍は――」
ニコリと冷たく微笑み、吐き捨てる。
「仮にも私の師ですから。良く理解しています」
「っ!?」
コウキはゾクリと背筋を震わせた。
ノゾミは数年前に魔国に留学しており、その時にメルカパ将軍に連鎖刃と戦術を学んだ、言わば彼の弟子にあたる。
「さて、行きましょうか。我が主に剣を向けた愚か者共を、粛清しに」
にも関わらず、彼女は師を手にかける事に少しも臆していない。否、むしろ――
「ノゾミの奴……何かテンション高くないか?」
一人呟き、ギュッと拳を作る。自分よりも年下の少女に恐れているのだと部下に見せたくなかったからだ。
*
「グワハハハ! そうかそうか! 援軍が到着しやがったか!」
魔国側の国境近辺に展開された天幕の中から豪快な笑い声が聞こえて来る。白さの混じる髪に老人とは思えない程にガタイの良い体躯。彼こそが鬼将軍、メルカパ・大・凱亜だ。
「は、はい! それも相手は……」
「言わんでも分かるわい! この短時間での援軍、あの忌々しい小娘意外にありえんわ!」
報告に来た兵を一笑し、苦々しげに表情を歪めた。
「おう、オマエ! 撤退じゃ! 伝令を回せぇ!」
「は! ……はっ?」
上官の命令に一瞬頭が働かず、つい聞き返してしまった。
「どうした! 早くせぇ!」
「お、お待ち下さい将軍! 何故そのような事を? 相手は我々よりも数は少ないですし、交戦すらせずに突然撤退など……兵が納得しません!?」
彼の言っている事は当然の疑問だろう。だが相手が相手なだけにそれを認める事など出来ない。
「グワハハ! オマエ、空翔騎士に会った事がないな?」
「は。以前魔国に来られた時に自分はまだ騎士では無かったので……」
「なら覚えておけぇ! あの娘はな? ……異常だ」
メルカパ将軍の肩がブルリと震えた。まさか恐怖しているのかと愕然として彼を見る。あの鬼と呼ばれた老戦士が、孫と同じ年代の娘に対して震えたのだ。
「それは、どう言う……」
「言葉の通りじゃ!」
天幕に怒声が響く。
「オレはあいつに剣を教え兵の動かし方を教えた! そしたらどうだ? たったの半年でオレの五十年を軽く超えて行きやがった! しかもだ! あいつは帰る段になってこう抜かしおった!」
『どうやら貴方から学べる事はもう無いようですね。それでは息災で。穏やかに床の上で最後を迎えられる事を祈っておりますわ』
そう言った彼女の瞳は、まるで路傍の石を見下すようだった。
あの時に気付いてしまったのだ。この女はいずれ我が国を混沌に導く存在になると。
そして今、その予想は的中し、彼女は最大の剣を引きつれて魔国軍を殲滅せんと迫っている。
「あの娘は危険だ、力が有る無いではなく、まるで目に映る全てが無価値であるように振る舞う……あんな相手、敵対するだけで割に合わん!」
「で、ですが……それならば何故我々は空時国に侵攻して――い、いえ、申し訳ありません! 口が過ぎました!」
一介の兵が国上層部の命令に口を出す事は、本来許されない。彼の疑問はもっともだが、メルカパは望む答えを示す事は不可能なのだ。
何故なら、彼とてその命令を受けた側なのだから。
「……とにかく行けぇ、今は撤退準備を――」
「で、伝令ー! 西の空に巨大な竜の影が!?」
顔を真っ青にして別の兵士が現れる。言っている事は荒唐無稽なもので、それを聞いた者は首を傾げる事しかしない。しかし、ただ一人その正体に気付いた者がいた。
「グワハハハ! 本気か? もう来やがったのか!?」
鬼将軍メルカパ。ノゾミ・翼・四慈陽と言う鬼子を育ててしまった、罪深き一人である。
戦争とは群と群のぶつかり合いだ。兵と言う個が群れを為し、お互いの国や信条のためにぶつかり合う。数と言うのは絶対的な力となり、個の力など無理やりにでも押さえつけてしまう。
だが、一人の猛将がそれを否定した。
如何に数がいようと、有象無象では意味が無い。バラバラの群れよりも強大な個こそが戦争においては有益なのだと。
その猛将を師に持つ少女は彼の言いたい事を理解し、事も投げに言い放った。
――つまり、戦争とは究極的な連携が勝敗を分けるのでしょう?
「ドラゴン? バ、バカな! そんな存在がこんな場所にいて堪るか!」
「じゃ、じゃああれは何なんだよ!?」
本陣のある場所から数キロ離れた場所、部隊の最前線にいる兵士たちは西の空を見上げてあり得ないと絶叫する。
ドラゴンなど、召喚獣のいるこの世界においても伝説の存在でしかない。
ならば、あの影は何なのか。
「敵影、見えました!」
「ええ。それではこれより、私達(騎士)の行進を始めましょう。優雅に、力の限りに敵対するものを――捩じ伏せるのです」
空を泳ぐ龍の如く、長い体をしならせながらもの凄い速さで突貫するその正体。それは、五百に近い騎士の集合体だった。少しの距離もおかず、まるで一個の生物のように見せる空の騎士達。ノゾミはその先頭で指揮を執っていた。
「龍顎の陣!」
剣を高く掲げ、力強く言い放つ。号令に従うように騎士達は大きく広がった。そして、
「龍撃魔法――黒龍王の咆哮!」
無数の雷が降り注いだ。半数が撃ち終えればその次は半数が。さらにそれを何度も何度も繰り返す。
轟音と悲鳴が延々と響き渡り、収まった時には魔国兵は誰一人として立ち上がらなかった。
「……」
少しも息を乱さず、ノゾミはその惨状を無表情に見下ろす。
「団長、次はどうします?」
「そうですね……双頭龍の陣で行きましょう。部隊を二つに分け、一つは陽動に使います。私達は本陣を目指すので――」
「了解、こっちは派手にやりますよ。 ――おまえ達! 双頭龍の陣! 俺に続け! 暴れられるぞ!」
コウキは吠えると同時にグリフォンの手綱を引いた。部隊のほぼ半数がそちらにつき、残る半分はその場で留まりノゾミの指示を待つ。
(……にしても、相変わらず凄いわね)
ノゾミの側にいた騎士が彼女の行っている技術に下を巻く。
現在彼女は空翔騎士団の召喚獣、一体一体の魔力を繋げていた。召喚獣には魔力を伝播する性質があり、それは連なれば連なる程容量も力も上がって行く。先ほど彼女が行った魔法は連携術式と言い、複数体の召喚獣を介して行う特別な魔法だ。使用するには他者の召喚獣と心を繋ぐ必要があり、そのリンクが非常に難しい術なのである。
だが彼女はそれを容易に操る。例え五百のリンクであろうと、僅かに集中するだけで行ってしまうのだ。さらに今は陽動に赴いているコウキ達の部隊にもリンクを行っており、連携術式の維持を続けていた。
これこそが彼女本来の戦い方だ。剣も、召喚獣も、全ては多数の個を扱うための下地に過ぎない。
天才と呼び声高い彼女も、この思想を授けてくれた師、メルカパ・大・凱亜には感謝している。教えられなければ、このような戦い方は考えもしなかっただろう。天才であるが故に、余計に。
だからこそ――
「……さて、それでは行きましょうか。師から教わった術を耄碌した目に焼き付けて差し上げましょう」
師の最後は自身の手で。
阿鼻叫喚の戦場を見上げ、鬼将軍メルカパはギリ、と奥歯を噛み締めた。
「なんだ、こいつは! 小娘め! 一体何をやってやがる!?」
遠くに見える一体の――否、一隊の龍。それは雷を撒き散らし、炎を吐き出し、風すらも操って見せた。
何をしているのか、それは彼とて理解している。構想として考えていた物をさらに発展させた戦術が、あれだ。今ようやく本国の方でも訓練が始まった、新たな新戦術。それがまるで当然のように目の前で行われている。
「……グ、グワハハハ! これを悪夢と言わずして何と言う! えぇ!? 小娘ぇえええ――!」
あらん限りの力で声を張り上げ、ゼェゼェ、と荒い息を吐く。
「……おい」
「ハッ! 出陣ですか?」
心配そうに見守っている兵士へと声をかけ、彼の場違いな答えに笑いすら込み上げた。
「出陣? バカ言ってんじゃねぇ! 撤退だ! とにかく逃げろ! じゃないと、間違い無くオレ達は皆殺しだぞ!?」
「で、ですが――」
「ですがもクソも無ぇんだよ! 良いから言う通りにしやがれ! 大体、オレは嫌だったんだよ! 明らかに勝ち目の無いこんな場所、誰が来たがるかってんだ!?」
「しょ、将軍?」
半狂乱になったメルカパ将軍へと声をかけるが、それすら聞こえていないのか胸に溜まっていた泥を吐き出す。
「クソッたれの大臣共め! 端からオレを嵌めるつもりだったな!? 国皇をダシに浸かってまでぇえええー!」
怒声が響く――瞬間、閃光が爆ぜた。
「グゥウウウー!?」
本陣に張ってあった天幕も、鉄柵も、凄まじい衝撃に例外なく吹き飛ばされる。
メルカパは自身の得物を地面に叩きつけ何とか吹き飛ばされずに済んだようだが、不意打ち気味に放たれた巨大な魔法はすぐ側に控えていた兵士を簡単にひしゃげさせた。遠く後方で鉄柵に貫かれ、絶命しているのが見て取れる。
閃光によって視界が奪われ、霞む視界を上げた。
「お久し振りですね、お師匠様? かれこれ、五年振りになりそうでしょうか?」
「チッ、オレぁ会いたくなんて無かったがな! 久し振りだなクソガキ!」
そこには地に降り立ち、ズラリと整列した騎士団を背後に控えさせる金髪の美少女が立っていた。光の薄い視界でも分かるような美しさだ。
「グワハハハ! それで、何の用だ小娘ぇ!!」
だがそれだけでは無いのをメルカパは知っている。美しさの裏に、どれだけの冷たさが潜んでいるのかを。
「無論、貴方を殺しに」
少しの淀みも迷いも無く言い放たれ、予想していた答えに舌打ちをする。
「カッ! 殺しにだと? このオレをか? オマエに剣を教え、戦いを教えたこのオレを殺すのか?」
「当然では無いですか。必要とあらば私は何者をも斬りますよ?」
クスリと小さく笑み、彼女の手には剣が握られている。最早逃げる事は不可能。そう判断し、メルカパは自身の得物である戦斧を構えた。
「待て、とは言わん! だが、聞け! 此度の件、オレは何者かの思惑によってこの地へ誘われた! 大よその敵は分かっている。だが、魔国だけとは考えられん。この一件にはオマエ達空時を含む十ニ国家の意思が――」
「どうでも良い」
メルカパの言葉を遮り、ノゾミは無表情にポツリとつぶやいた。
「何?」
何と言ったのかと、メルカパは鋭い視線を外さずに問うた。
「どうでも良いのですよ、そんな事は」
「どうでも、だと?」
「ええ、至極どうでも。全くと言って良い程に。そんな些末な事では私が貴方達を屠る理由にはなりませんから」
「な、なんだと!?」
つまらなそうに答え、怜悧な瞳を向けて言う。
「私にとって何故貴方がここにいるのかとか、貴方の国の思惑などは知った事では無いのですよ。そんな下らない事などでは私はここまで舞い上がれない。何故ならば――」
ふわりとステップを踏み、ゆっくりとその場を回り出す。金の髪が後を追うようにクルクルと舞い、剣の光が血に染まった大地を照らす。
そうして、心の底に潜む熱を見せつけた。
「今この時に、皇子がいらっしゃる。私の背に、護るべきお方がいらっしゃる……それだけでこんなにも、私の胸は高鳴るのです」
「……皇子、だと? バカな! 空時の皇子は十年前に――っ!?」
メルカパの足元に刃が突き刺さっている。いつの間にか連鎖刃が鞭のように地面を抉っていたのだ。
それを行ったノゾミへ視線を向けると、そこには怒りの表情を浮かべた彼女がいる。
「黙りなさい。そして知りなさい。皇子を狙い、皇子の命を脅かす愚者共に生きる価値など必要無いと言う事を。――ふふ。普段神など信じてはいませんが、今日だけは神に感謝しましょう。十年前、全てが終わったこの地で、恥知らずにも我が国を攻めた不届き者を殺せるのだから」
「十年……だと? 何を、言ってるか知らねぇが、せめてオマエだけでも道連れだ! 来い、アイゼンビルグ!」
クスクスと笑う少女に業を煮やし、メルカパは召喚獣の名を呼んだ。その瞬間、地面は盛り上がり、地中から黒い何かが現れた。
「アイゼンビルグ。鉄甲虫型の召喚獣でしたか。その強度は鋼すら凌駕すると言わせしめる程。まあ、個人的にはあまり気持ちの良い見た目では無いですけれど」
少し嫌そうなノゾミ。外見は、一見するとダンゴ虫だ。ただ馬車よりも巨大な所が普通の虫との違いだろうか。
「オォオオ! 斧王の大激槌!」
魔力による召喚獣との共応魔法が発動し、アイゼンビルグは巨体を斧へと巻き付かせて巨大なハンマーとなる。漏れ出す魔力は凄まじく、まさしく鬼と呼ぶに相応しい。
「潰れろ小娘ぇー!?」
メルカパは鬼の力を遺憾なく発揮し、目の前に立つ少女へと大槌を振り下ろした。ノゾミはその姿を眺め、
「哀れですね。ニヒト」
魔鳥の名を呼ぶ。――瞬間、彼女の持つ剣に凄まじい程の魔力が注がれた。巨大な鉄塊の如きハンマーへと向け、無造作に振るう。
「ガッ――!?」
鍛え抜かれた鋼の肉体。魔力によって身体能力を最大限に強化した。
それでも、届かない。
簡単に弾かれ、魔法が解けてアイゼンビルグはダンゴ虫の名の通りクルリと丸まった。メルカパは無様に転がり、憎々しげに顔を上げる。
「クソがぁ!?」
「ふふ。……やりなさい」
彼の怒りの表情を受け止めつつ、ニヒトへ指示を出す。魔鳥はアイゼンビルグへと襲い掛かり、その鋭い爪とクチバシでバラバラにしてしまった。ブチブチと裂かれ、声も無く虚空に消える。
召喚獣である以上、物質的な死と言うものは存在しない。彼等のいる場所へと還るだけだ。しばらくすれば再度召喚する事が出来るだろう。だが、少なくともこの戦闘の間に再召喚するのは不可能だ。
斧も砕けたメルカパは、全ての武器を失ったに等しい。
「クソが! 何をしやがった小娘ぇ!?」
「やれやれ、相も変わらず喧しい……。何て事はありませんよ、将軍。確かに貴方の魔法と召喚獣は素晴らしい。例え私であろうと真正面から受ければただでは済まないでしょう」
「ならば何故だ!」
嘲るような微笑みに怒りを覚える。だが、彼女は気にせず言葉を続けた。
「簡単な事ですよ。たった一人の猛将も、五百の兵卒を相手に勝ち目などあり得ない。貴方のお言葉だったと思いますが? 戦争とは、連なりに連なった群れの戦いだと」
当然のように言ってのけた事にメルカパは呆然とする。
「まさか……リンクしているのか!? 空翔騎士団、その全てと! バカな、そんな事普通の人間に出来るはずが――」
「それ以上は不敬になるのではないですか? この程度、私以外にも出来る者はいるはずです。少なくとも、十二名は。将軍の仕えている方も可能なはずですけれどね」
彼女の言う人物、それは各国の皇の事だろう。確かに、メルカパの属する魔国の皇も、五百のリンクを可能とする。だが、彼からすれば皇達など比較対象にならないのだ。
「バカを言うな! あんな存在と比べられるか! それこそ不敬だろうが!?」
「ふむ、それもそうですね」
これは失敬、小さく頭を下げ、ニコリと微笑んだ。
「それでは、そろそろお話も終いにしましょうか」
「っ!?」
そう呟いた途端、重圧が増した。ノゾミの周りに存在する魔力が光を放ち、息苦しいまでの空間が出来上がる。
「ああ、そうでした。――皆さん、少し離れていて下さい。巻き込まれてしまっては、面倒です」
ニヒトの羽が美しく輝き、空間に作用し出した。顔も向けずに言葉だけを受け取り、後ろにいた騎士達は騎乗するともの凄い勢いで飛んで行った。
一体何事かとメルカパは鋭い視線をノゾミへと向ける。
「巻き込む程のものがオレの最後か。グワハハハ! 派手にやるつもりじゃねぇか!?」
「ええ。師への手向けです。これくらいはやらせて頂きましょう。何せ四方一キロ、全てが消えますからね。この辺りには何もありませんし、そのくらい構わないでしょう」
「――っ!?」
彼女の言葉に愕然とする。既にこの辺りは荒野だが、そこへさらに破壊の地を築くのだと言う。
最早、逃げるのも無駄か。
「せめて一太刀ィ!」
砕かれ、ただの棒となった自身の武器を持ってノゾミへと襲い掛かる。だがそれも、無意味。
「往生際が悪いですよ、将軍。悔いも未練もその身に背負い、この地で果てなさい。貴方が滅ぼそうとして、この杯羅の地で」
彼女を護るように現れる召喚獣、ニヒト。その身に流れる圧倒的な魔力の前に、棒きれなど意味を為さない。背後から伸びた連鎖刃によって腕を切断され、愛用の武器はクルクルと宙を舞い、ノゾミの手に収まる。
そして、崩壊は始まった。
「空間を圧縮した際、元へ戻ろうとする効果によってある種の虚数空間が生み出されます。それは周囲一切を呑み込み、砕く。昔の人はその現象を黒位点と呼び恐れたそうです。なるほど、言い得て妙ですね」
訥々と語るノゾミの言葉に、メルカパは全てを察した。見れば、ニヒトの周囲の空間がポロポロと崩れている。ガラスのように砕き、それを一所に凝縮する。いつの間にかニヒトの背にはノゾミが騎乗しており、極上の笑みで師を見つめた。
「それでは御機嫌よう、お師匠様。貴方の教えは、しっかりと受け継いでいきましょう。いざとなれば貴方の国や家族すら潰して」
ニヒトが急上昇する。グングンと高度を上げ、荒れ果てた大地を見下ろしながらノゾミが小さく口を動かした。
「――黒位点の墓標」
クチバシの先に現れた黒点を眼下へと放り出す。黒点は周囲の空間を呑み込みながら巨大化し、眼下にいる大将軍を呑み込もうと口を開く。
「ギッ、ガァ!? おのれ、四慈陽ォオオオオ――!!」
地面に這いつくばり耐えていたメルカパも、広がる黒から逃げる術は無い。怨嗟の声を響き渡らせ、無情にも死の黒点に呑み込まれて行った。
*
魔国軍の残骸も、鬼将軍もそこにいたという痕跡は見当たらなかった。ただ巨大なクレーターが出来上がっているだけ。その中心に空から何かが落ちてきて地面に突き刺さる。
斧の残骸だ。一本の棒となったそれは、メルカパが最後に残した唯一の物。まるで墓標のように突き立ち、降り立つ者を迎えた。
「…………」
ノゾミ・翼・四慈陽。これだけの破壊を体現してみせ、師であるメルカパをその美しい手で討った少女だ。
あれだけの大魔法に加え、リンクの維持を行っていた事もあり、フラフラと地面に足をつけた。よろめきながら斧の残骸へと近付き、フッと力が抜けて座り込む。
「あ、は……はは……」
疲労の色は濃い。だが、その口から出たのは笑い声。
「はは、はははは! あはははは!」
普段の物静かな微笑みでは無く、子供のような感情を爆発させた笑み。それは、ずっと押し隠していたものを解き放ったかのようだった。
「やった! やりましたよ、皇子! やっと……やっとです! やっと皇子の仇が取れました!?」
誰もこの場には近付かない。そう指示を出しているのだから当然ではあるのだが、もし彼女の様子を見れば普段とは違う姿に戸惑っただろう。
けれど今の彼女にそこまで考える余裕はない。ただ嬉しくて嬉しくて堪らないのだ。
「そうです、そうですよ……だって私は」
胸元から一つのペンダントを取り出す。鎖におもちゃの指輪を通しただけの代物だ。ノゾミはそれをとても大切そうにギュッと握り締め、涙を流しながら胸に抱いた。
「十年間、この時が来るのを待っていたのだから……」
消える様な声。万感の思いを吐き出し、囁くように、愛しい人の名を呼んだ。
「皇子……クーくん……。やっと、ここまで来たんだよ……」
その思いは、きっとどこまでも深いものなのだろう。
ノゾミ・翼・四慈陽にとって師、メルカパ・大・凱亜は尊敬こそしても決して気を許せるような相手では無かった。何故ならば、彼は十年前、空時の国へ攻め込んだ張本人だからだ。杯羅地方の東部が一夜にして荒野になった事件で、彼は驚くべき速さで国境を超えて来た。まるで事前に何が起こるのかをしっていたかのように。
魔国へ留学した際に当時の事を彼に尋ねた事があった。何故あれほど早く動けたのか。何か知っているのではないのか、と。だがメルカパは押し黙るだけで、何も答えようとしない。ただ一言、呟き背を見せた。
――ただ不手際があったのだ、と。
不手際? そんなもの、知った事か。何があったのかなど関係無く、彼のせいで皇子は行方知れずとなったのだ。それが許せない。すぐにでも殺してしまいたかった。けれど、当時の彼女では歯牙にもかけられなかっただろう。だからこそ、忍耐に忍耐を重ね、ついに今日この日、一つの悲願を達成したのだ。
それで誰が喜ぶのかなど、彼女には分からない。けれど、それで良いのだと言い聞かせる。
ノゾミには、それで十分過ぎた。
マントに着いた土を払い、ノゾミは騎士団のいる場所にまで戻って来ていた。瞳は僅かに充血しているが、気が付いていないのか騎士達は報告を続けている。その後指示を出し、一度砦へ戻ろうとニヒトを呼び出した。
「だ、団長! 大変です!?」
だがそこへ一人の騎士が大声を上げた。どうしたのかと問い、彼は西を指差して震える声を絞り出す。
「えっ? ……あれは」
杯羅の町の方向に、青白い光が輝いていた。かなりの距離があるにも関わらず、その青白い光は異様にハッキリと視認出来る。
呆然とする騎士の一人が恐怖に駆られながらも呟いた。
「悪魔の光……」
「っ! 光葉、すぐに砦へと戻り怪我人を運び出しなさい。私は急ぎ町へと戻ります!」
「えっ、ちょっ――!?」
その言葉に弾かれるようにノゾミが動いた。ニヒトへと飛び乗り、コウキへと指示を出す。
答えを聞くよりも早く魔法を展開する。前方に丸い輪が現れ、ニヒトをそこへと潜らせる。刹那、彼女の姿は消えていた。
空間を繋げ、短距離の転移を断続的に発生させるニヒト専用の魔法、『翔翼の走力』。これを発動してしまった彼女に追いつくのは不可能だ。
「一応自分が追います! 光葉殿は部隊を頼みます!」
「チッ、仕方ねぇか」
「では――!」
一人の女性騎士がノゾミを追うように飛んで行く。後に残されたコウキはガリガリと頭を掻いた。
そこでふと、思う。
「あれ? あいつってあんなに速かったっけ?」
誠に勝手ながら、六話の一部を一話へと移動させて頂きました。物語の進行に支障はありませんので、これからもソラトの皇をよろしくお願い致します。
次回、セルの視点に戻ります。そろそろ彼も一皮向ける時……でしょうか?
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