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ソラトの皇  作者: 雪月葉
一章 物語の再開と皇子様の帰還
5/14

5 街中の遭遇

 *


 パレードも終わり、城下では様々な出店が並んで賑わっている。自室の窓からその様子を眺めつつ、セルはつまらなそうに呟いた。

「いいなぁ、おれも外に出たいんだけど……許して貰えなかったんだよなぁ……」

 流石に命を狙われたすぐ後なので外出を許可出来なかったのだろう。ただし、セルには狙われた事を伏せていだが。

 これ以上セルに不安になるような情報を与えたく無いというノゾミの配慮からだ。

 とはいえ、そんな事情を知らないセルにとっては目の前に食事がぶら下げられてお預けされた状態なのだが。お祭り好きのクラスメイト達のおかげか、彼もまた騒がしいのが好きな一人だ。それなのにこういった状況で何も出来ずにいるのは苦痛以外のなにものでもない。

 ハァ、と再度ため息を吐き、机に肘をついて城下を見下ろしていた。

 そこに、大きな声がかけられる。

「よう、オージ様! 邪魔すっぜ!」

 大柄な女性が乱暴に扉を開いて現れた。彼女は現在、セルの護衛を任されている血迅騎士団団長、ヨカイ・じゃ清華せいがだ。

 日に焼けた浅黒い肌と対比するように純白の騎士服に身を包んでいる。似合わない、とまでは言わないが、子供が学芸会で着る衣装の様なちぐはぐさが感じられる。

「ヨカイさん? どうかしたんですか?」

「ああ、ちょっとな。っと、そのままで良いよ。オージ様に余計な気を回されるとあたしノゾミに殺されるから」

 イスから立ち上がろうとするのを制止され、そのままストンと腰を下ろした。

 ティーカップに紅茶を勝手に注ぎ、焼き菓子をパクリと一口。ノゾミが見れば即座に斬りかかりそうな光景だが、セルにとっては特に気になるような事でもない。むしろ、彼女のその自分勝手な所がクラスメイト達のようで不思議と安心する。

 ……こんな事考えていたなど知られれば、友人たちに一体何をやらされる事やら。

 そんな彼女に、セルは再度問う。

「それで、なにかあったんですか?」

 現在の護衛はヨカイ一人である。普段ならば付きっきりで側に控えているノゾミがセイジュウロウと共に後始末をしているため、残った彼女がセルの護衛と言う重大任務(ノゾミ的に)を任せられているのだ。

 そんな彼女が声をかけて来た事から何かあったのではと勘ぐってみたのだが、どうにもそう言った雰囲気は感じられない。セルの目の前でゴソゴソと何かを取り出している。

「いやさ、意外かも知んないけどあたしって祭りとかそう言うの大好きなんだよな。意外かも知んないけど」

「はあ、そうなんですか」

 見たまんまですね、とは流石に口には出さない。

「んでな? それなのにこんな所で引き篭もってるのってちょっと耐えらんなくてさー。それにほら、オージ様もちょっとは気分転換が必要だろう? だから……行こうぜ?」

「えっと、どこへでしょうか?」

 取り出した物を広げながら、ニヤリと笑って言う。

 輝かんばかりの笑顔と、紫色の髪が印象的だった。




 そんな経緯を経て現在、セルは城下町の広場にいた。着ている服はそれまでの高価な服ではなく、生地の厚い小間使い用の制服だ。それに帽子を目深に被って簡単な変装をしている。これはヨカイがわざわざ用意したものだ。この服に着替え、バレないように城を後にしたと言う訳である。

「いやー、やっぱ祭りは良いねぇ! こう、バカ騒ぎしてるんだぞーって感じがさ! オージ様も分かるだろ!?」

「あはは、そうですね。みんなの熱気とか、勢いとか。見てるだけで楽しくなってきますよ」

「おっ、流石はオージ様だ! 良く分かってるじゃねえか! へへ、ちょっと待ってな」

 何かを発見したのか嬉しそうに屋台へと向かって行った。

 彼女も先ほどの騎士服から着替えており、黒いレザーの服の上に獣の皮で作られたコートを着ている。若干山賊っぽいっと思ったのは内緒だ。

「ほれ、オージ様」

「あ、うん。ありがとうございます」

 屋台から帰って来た彼女の手には腸詰をパンに挟んだ物が握られていた。セルはそれを受け取り、ガブリと被り付く。塩辛いジャンクな味が懐かしい。地元でも良く食べていた物で、かつてはセルの主食でもあった食べ物だ。この三日間ではこう言った食べ物は口にしていなかった事もあってか、余計に美味しく感じてしまう。

「うん、美味しい! お祭りで食べるのって余計に美味しい気がしますよね?」

「ははっ、確かにな! それが分かるとは、オージ様も中々に通じゃねえか!」

「それはまあ。年中お祭りクラスと言われたクラスに在籍していましたからね」

 もぐ、ともう一口。その様子を見ながら、ヨカイはふぅん、と呟いた。

「オージ様っつっても一般人とそんなに変わんねえよな。顔だってそこまでイケメンって訳でも無えし。なんでノゾミはオージ様にお熱なんだろうな?」

「あの、そう言う事は本人目の前にして言わないでくれませんかね?」

「ああ、うん。無理」

「無理!?」

 抗議するセルの言葉を半ば無視して、ヨカイは同僚であるノゾミ・よく四慈陽しじようを思い浮かべる。普段から冷たい目をする彼女は、この皇子様にだけは正反対の瞳を向けている。それは誰が見ても分かる程に恋する乙女の視線であり、彼女の人となりを知る者からすればあり得ないモノだった。

 外見だけならばノゾミはヨカイの好みに直球ど真ん中だ。これまでに何度もアプローチをしたりもした。けれどその度に素気無く追い返され、悪い時など召喚獣を使ってまで叩き出された事もあった。

「……主人に対する視線ともなんか違う感じだしなぁ。弱っちろい奴が好みなんかね?」

「いやだから、何の話してるのかは分かりませんが弱いとか面と向かって言わないで下さい。割と傷つくんですけど」

 もちろん無視である。諦めてパンに齧りつくセル。そう言えば、とヨカイに質問した。

「でも、ノゾミさんって何であんなにしてくれるんですかね?」

「あんなに?」

「いや、ほら。一つの騎士団の長でもあるのにも関わらずメイド役までやってくれてるじゃないですか。何か、皇子だからってのとは違うような気がして……」

 清廉潔白、容姿端麗、冷静沈着。

 セルの知っていたノゾミ・翼・四慈陽とはまさに騎士を描いたような人物だった。それなのに彼に関わると評価がガラリと変わる。その事に違和感を感じていた。

「さてねぇ? あたしもあいつとはそこまで付き合いがある訳じゃないしね。初めて会ったのは、大体五年くらい前っだったか。まー、そん時には既に並の騎士なんか手も足も出ないような奴だったけどね」

 閉月羞花へいげつしゅうかな少女の姿を思い浮かべ、ヨカイはため息交じりに語り出した。

「えっ? 五年前って……ノゾミさん、その頃まだ十歳かそこらですよね?」

「あー、まあね。初めて会った時は天使と見間違えるくらいに可愛かったんだが……中身が最悪だったんだよねえ。あの頃に戻って過去のあたしに忠告してやりたいよ。そいつには手を出すなってさ。そうすれば生傷が増える事も無かったし……」

 ぶつぶつと何かを呟いているヨカイ。十歳の少女に懸想するとは何とも危ない感じがしてならないが、あえて聞き流す事にする。

「と、まーそん時から今みたいな性格だったみたいだよ? 子供の頃から騎士に囲まれて過ごして来た訳だから分からんでもないけどね」

「子供の時からって、そう言えばノゾミさんって何時から騎士だったんですか?」

「あれ? 知んないのか? あいつ、たった五歳の時に召喚獣を喚び出してたんだぜ?」

「……えっ? ご、五歳!?」

 召喚獣を喚ぶためには相応の魔力と何かを護る覚悟が必要だ。その為に騎士学校でも魔力増強の訓練と、国を護るための教育を受けている。それを何年も繰り返し、ようやく契約にまで至れるのだ。

 だがノゾミはそれを僅か五歳の時にクリアしてみせた。本来ならば騎士学校に通い始める年であるにも関わらず、その圧倒的な才能によって聖獣すら喚び寄せた。

 あまりの話に呆気に取られるセルを見ながら、ヨカイは残ったパンを一口で飲み込んだ。

「んぐ……。そ、たったの五歳だ。それから今まで十年、絶えず研鑽を続けて来たあいつは騎士としてのキャリアなんてあたしよりもずっと上。実力で言えばまさに最強って訳だ。まー、ガチ戦闘系ってだけならあたしだって負けないけどね」

 豪快に笑うと今度は近くの屋台でブドウ酒をビンごと購入し、グビ、と喉を鳴らす。

「はぁー、まさかそんな昔から騎士だったなんて……全然知りませんでしたよ」

 セルが初めてノゾミを知ったのは今から三年程前、当時十二歳だったノゾミが、幻想種悪魔を退治したのが最初だった。

 幻想種悪魔、第99番、進化せし獄炎(エボルエフリード)。その炎は全てを灰燼に帰し、際限なく巨大化する焔から逃れる事は不可能と言われた天災級の悪魔。出現したのが杯羅地方から近かったため、騎士学校でも大騒ぎとなった事件だ。その事件を切っ掛けにノゾミは騎士団を任せられる程になったと聞く。

 鮮烈なデビューはセルの記憶にも残っており、彼女が初めて新聞に載った姿は今でも思い出される。それほど強烈な存在だった。

「まー、あたしもそれ知って驚いたのと同時に納得したよ。あの融通が効かないまじめ一辺倒な性格も、そんな昔から騎士やってりゃそうなるわな」

 ブドウ酒の入ったビンを逆さにして一気に飲み切り、律儀にも屋台の店主にビンを手渡している。それから帰って来るなり、あ、と何かを思い出したように口を開いた。

「そー言えば、あの時は何か変だったな」

「あの時?」

「ああ、三日前。オージ様が見つかった時の事だよ」

 セルの隣にドッカ、と座り込み、思い出す様に語り出した。

「あいつは普段、どんな時でも焦るような事はないんだよ。異常事態が発生しても顔色変えずに対処する。前に皇都に魔物が現れた時も無表情で部隊を展開して殲滅してたし」

 ちなみにその時ヨカイは二日酔いでダウンしていたとか。何をやってるんだよと内心でツッコミを入れておいた。

「でもそん時は違った。見るからに焦って、いつもの冷静沈着なノゾミとは思えない姿だったよ。部隊を急がせて、他の部隊をせっついて。それでも待ち切れずに一人で勝手に出撃した。あん時ノゾミだけ先に到着したろ? 本当なら最前線にいたはずのあたしや白斗光のやつが一番に着くはずだったんだ。けど、最後尾にいたはずの……皇都にいたはずのノゾミがお得意の空時ソラト魔法であたし達を追い越した」

「あのノゾミさんが?」

 ノゾミの焦る姿など想像が出来ない。ヨカイもそう考えるセルに同意する。

「信じられねえだろ? あたしもだよ。あんなノゾミ、今までに一度も……あ、いや待てよ? そー言えば前に一回見たかも知んねえ」

「えっ?」

 んー、と首を捻りながら何かを思い出す様に唸る。やがて、あ、と声を上げた。

「そーだ、三年前に見たな。あいつの焦った顔」

「三年前って……もしかして」

 三年前に起きた事件に思い至り、セルは視線だけでヨカイに問う。それに答えるため、彼女は口を開いた。

「オージ様の考えてる通りだろうよ。三年前、杯羅地方付近に現れた悪魔、エボルエフリードを消滅させた時だよ」



 腹ごしらえを済ませたセル達は、もう少し別の場所を見て回ろうと移動を開始した。お祭りと言うだけあって人混みは凄まじく、中々思ったように移動出来ない。

「……どうしよう。はぐれた?」

 だから、ヨカイとはぐれてしまったのは仕方ない事なのである。……いや、実際は違うのだ。人混みのせいではぐれてしまったと言う訳ではなく、主にヨカイが悪い。

 何故なら、


『おっ! あの子可愛いな! おーいお嬢ちゃん、ちょっと一緒に遊ばないか!?』

『ちょっ、ヨカイさん!?』

『むむ! あっちの子はおっぱいがダイナマイトだ! そこのおねーさんあたしと一杯やらないか?』

『だからヨカイさんってば!?』


 突然ナンパしだして人混みを掻き分ける最強騎士に追いつけるはずもないのだ。

 結局彼女の遠ざかる後ろ姿を見送る事しか出来ず、人の波から離れたら既に彼女の姿は無かったのである。

「同性愛者って言う噂があったけど、本当だったんだなー」

 若干現実逃避気味に虚空を見つめ、頭を振った。

 幸い資金はヨカイから渡されているため、祭りを楽しむ分には困らないだろう。迷子の心配だってそうは無いだろう。城と言う巨大な目印があるのだから、そこに向かって進めば着くはずだ。問題なのは、護衛である騎士が皇子を放ってどこかへ行ってしまったと言う点。

「ヨカイさん……ノゾミさんに殺されるんじゃなかろうか」

 先ほどまでならばまだお小言で済んだだろう。だが、御役目を忘れて女の尻を追い掛けて行った。セル自身は知らないが、先ほど暗殺未遂があったすぐ後でだ。

 セルに対して沸点の低い彼女ならば、まず間違いなく全力の魔法をぶつけるだろう。

「……ノゾミさんに見つかる前に合流しないと。流石に最強騎士団が内部分裂なんて冗談じゃ済まないぞ」

 割と本気で洒落にならない事態を想像して血の気が引いた。


 それからしばらくヨカイを探すセル。しかし本当にどこに行ったのか分からず、結局元の屋台が並ぶ広場にまで戻って来てしまった。人混みは嫌いではないが、こうまで多いと流石に疲れてしまう。疲労の色濃いため息を吐き出した。

「はぁ、本当にあの人どこ行ったんだ? 子供じゃないんだから迷子って……しかもその理由が可愛い女の人につられてとか……」

 それって女性としてどうなんだ、と疑問。別に同性愛を非難するつもりはないが、あのオッサンのような思考は止めた方が良いと思う。せっかく美人なのに、いや、美人だからこそ余計に。

「……喉、渇いたな。せっかくだし、何か買おうか」

 今セルの手元には少なくない額のお金が握られている。しかも自分のお金ではないときた。普段から節約を心掛けて来た彼にとって、祭り特有のぼったくり価格の物を買う事になんの躊躇いはない。

 手頃な屋台を探して視線を動かし、果実ジュースを売っている店に目を止めた。

「あそこにするかな。……ちょ、ちょっと高めのメロンジュースとか、買っちゃおうかな? ふ、ふふふ、なんて贅沢!」

 恐らくその程度は大した贅沢ではない。

 意気揚々と屋台へと近寄り、注文を――

「いや、だからよ、お嬢ちゃん。金がなきゃ売れるもんも売れねえんだって」

「そうですか。では先ほどから泣き喚くわたしのお腹はどうすれば良いのでしょうか?」

「知らねえって。金さえ払ってくれれば売ってやるって言ってんじゃねぇか」

 しようとすると隣から言い争うような声が聞こえて来た。見れば、そちらには羊肉を串に刺した食べ物が売っており、店主と客の一人が睨み合っている

「困りました。お金を持っている者が迷子になってしまったのです。どうすれば良いでしょう?」

「はあ? なんだ、お嬢ちゃん迷子か?」

「……いえ、迷子はわたしではありません。ちょっと風船に気を取られている間に姿が見えなくなっていたのです。まったく、嘆かわしい限りですね」

「いや、それ明らかにお嬢ちゃんがはぐれたんだよな?」

 どうやら迷子のようだ。しかもお腹が空いているらしい。

「あの、どうかされましたか?」

 放っておけば良いのかもしれないが、どうにもそうする事が出来ない。クラス委員長のさがだと副委員長は言っていたが、むしろ厄介事を常に持ちこむクラスメイト達のせいではと最近思っている。

 声をかけられ、店主は困ったように頭を掻いた。

「ああ、いやそれがこの子が迷子みたいでよぉ。金も無いみたいだし。なあ坊主、悪いんだけど騎士団の詰所にでも連れて行ってくんねぇか?」

「詰所ですか?」

「ああ、城門前にテントがあるんだが、そこで迷子とかの呼び出しをやってくれるんだよ」

 そう言えば出る時に見たな、と思い出す。それくらいならば良いか、と頷き、少女へと顔を向ける。

「えーっと、そう言う訳だから」

「あっ……」

 目があった。仄かに赤い瞳がセルを見て、複雑な色を作る。そして、

「兄さん、どこに行っていたんですか? 探しましたよ」

「へっ?」

 なんかとんでもない事を口走った。

「おっ? なんだ坊主、このお嬢ちゃんの兄ちゃんなのか?」

「え、いやいや! おれこの子知らない……」

「まったく、兄さんはすぐにわたしの側からいなくなるんですから。ああ、そうです。私はお腹が空きましたよ、兄さん」

「え、あの……」

「坊主、一つ三百ゴールドな」

「あ、はい……あれ?」

 いつの間にか二つの串が手渡され、六百ゴールドを渡していた。少女はセルの腕を引っ張って近くのベンチへと移動し、串焼きを一つ奪い取った。

「……ふむ、中々美味しいじゃないですか。あのおじ様、やりますね」

 指に付いたタレを舐め取りながら満足そうにしている少女。そこでようやく再起動を果たしたのか、セルはハッと立ち上がった。

「ちょっ、君だれ!?」

「反応遅いですよ、兄さん」

「って言うか兄さんってなに!?」

「兄とは兄妹のうちの年上の方ですが?」

「それくらい知ってるよ!」

 セルのツッコミを受け、ジッと視線を合わせる。そしてすぐに串焼きを食べる事を再開した。

「まあ、それはそれとして、です。兄さん、食べ物は出来たてが一番だと聞いた事があります。食べないのならばわたしが……」

「いや、食べるけどさ」

「……そうですか。残念です」

 心の底から残念そうに肩を落とす少女。一体何なんだと疑問に思いながら彼女の格好を盗み見る。

 雪のように純白の髪はふんわりとウェーブがかっており、赤い瞳と病的なまでに白い肌。着ている服はシスターが着る様な法衣だ。

 半目で串焼きに齧り付く彼女を眺め、ハタと気がついた。

「もしかしてさっきの兄さんって言うのは……」

 シスター(聖職者)シスター()をかけたのでは。

「……ふっ、お分かりになりましたか」

 何故か勝ち誇ったような顔に若干イラッとした。

 つまらないダジャレとは言え本人が自信有り気なため強く言える訳もなく、場の空気を誤魔化すように話を変える。

「なんだ、本当に妹でもいたのかと思ったよ」

「……えっ? 兄さん、本当にわたしの事を忘れてしまったんですか?」

 驚いたように目を丸くしている少女の姿に、えっ、と動きを止める。顔を見れば、どこか泣きそうな表情だ。まさか本当に、と焦って声をあげた。

「ちょ、ちょっと待って……! それって本当に?」

 セルには過去の記憶が無いため、嘘だと決めつける事が出来ない。何とか過去を思い出そうと頭を捻る。だが少女は何て事の無いようにフイと顔を背けて言った。

「あなたに兄妹がいるかは知りませんよ? まあ、わたしは一人ッ子ですけど」

「……」

 どうやらウソだったようだ。それもそうだろう。もし彼女がセルの妹だとすれば、彼女は空時国の皇女と言う事になるのだから。この国に住んで長いが、シグルド皇に娘がいるとは聞いた事も無かった。

 澄ました表情の少女を恨みがましく睨みつけ、ため息を吐く。

「そういう心臓に悪い冗談は止めてよ。ただでさえこっち、色々あり過ぎて頭がパンクしそうなんだから」

「そうなのですか、それは申し訳ありません。お詫びと言ってはなんですが、これからあなたの事を兄さんとお呼びする事にします」

「……いやいや、別にその妹設定ゴリ押さなくて良いから。って言うかそれはお詫びになるの?」

「良く知りませんが、殿方は背徳的な恋愛を楽しみたい方が多いと聞きますよ? その一環として見ず知らずの少女に兄と呼ばせる方もいるとか。最近の調査ではストレートなお兄ちゃん、よりも兄さん、お兄さんの方が人気があるそうですが」

「そんな調査結果初めて聞いたんだけど……」

 随分と偏った知識を持っている少女だ。そしてそれは果たしてどこ調べなのか。若干気になる。

「そう言えば自己紹介がまだでしたね。わたしはクーシャ・十公じゅうこう。どうぞ、よろしくお願いします」

 ペコリと口の端にタレをつけながら少女はそう言った。

「おれは……」

 さて何と答えたものか。流石にこの場でセイルドの名を出す訳にはいかないだろう。となれば、やはり慣れ親しんだ名を答えるのが無難か。

「セル・空だ。よろしく、クーシャ」

「セル……なるほど、いい名前ですね、兄さん」

 その名を噛み締めるように反芻し、クーシャはニコリと静かに微笑んだ。


 お腹は満たされたようで、次にクーシャはジュースを所望してきた。ちょうど自分も喉が渇いていたので彼女の分も一緒に購入する。どうせヨカイのお金だし、可愛い女の子のために使われてると思えば彼女も本望だろう。

「さて、と。それ飲んだら行かないとね?」

「行く? どこへですか?」

 小首を傾げる仕草が小動物のようで微笑ましい。セルはクスリと笑ってクーシャに人差し指を向けた。

「迷子のクーシャの知り合いを探さないと。多分、心配してると思うしさ」

 お金も持たず、どこか天然気味な少女が迷子になってしまっては心配するだろう。少なくともセルならば急ぎ探し回る程度には心配する。

「……そうですね。あの子が迷子になってわたしも心配ですし、探さねばなりませんね」

「あはは、そうですねー」

 頑なに迷子は自分ではないと言い切るクーシャ。苦笑してポン、と彼女を軽く撫でた。

「あ……」

 セルからすれば何の気無しに撫でただけだったのだが、クーシャは思いの外強い反応を示した。

「あ、ごめん、つい。女の子の頭を気軽に触れちゃダメだよね?」

 クラスメイト達は良く頭を撫でろと強要していたのでついつい同じような感覚で接してしまったが、普通は女性に気軽に触れるのは良くないだろう。すぐに謝罪をするが、クーシャは俯いてしまった。

「うぇ!? そ、そこまで嫌だった? ご、ごめん!」

「……いえ、ちょっと驚いただけです。もう何ともありません。ほら、その証拠に手がブルブルと震えています」

「それダメなやつじゃない!? もはや生理的に受け付けないレベルじゃん!」

 震える手のせいでジュースがこぼれそうになっている。セルは慌ててカップを受け取った。

 ギュッと拳を握って震えを抑え込み、数秒。

「……ふぅ、収まりました」

 顔を上げ、僅かに潤んだ瞳がセルを視界に収めた。そこまで嫌だったのか、と若干ショックを受ける。

「すみません、わたしあまり人と接した事が無かったもので。別に兄さんの事は嫌いではないですから、そんなに落ち込まないでください」

「い、いやその……本当にごめんなさい」

 ズーン、と沈んだ表情で頭を下げるセル。

「気にしないで、と言っているんですけどね。……それなら兄さん、お詫びに私を案内してくれませんか?」

「案内?」

「はい。わたし、こういったお祭りって初めてなんです。どこ行ったらいいのかも分かりませんし……。どうでしょう? エスコートして下さいますか?」

 クーシャの浮かべる儚げな笑みを見て、断る選択肢などあるはずもなかった。


 その後、セルはクーシャと共に町を歩き回った。色々な屋台を覗き込み、面白い物、変わった物に目を輝かせ、甘い食べ物に舌鼓を打った。特にクーシャが気に入ったのはわたがしで、雲を食べているようだと楽しそうにしていた。

 少し裏道を行くと小さな公園に出た。そこでは大道芸を行う一団がおり、セル達は彼等に近付いていく。

「あれは……! 魔物がなぜこんな所に!?」

「待った待った、あれは大丈夫だから」

 その一団に混じって狼と猿に似た魔物がいた。警戒するクーシャを宥めるように、セルは説明をする。

「数は少ないけど、この大陸には魔物使いって言う人がいて魔物を操る事が出来るんだよ。多分、彼等の中にそういった人がいるんじゃないかな?」

「……大丈夫なんですか?」

「うん、大丈夫。ちゃんと国の方で審査して、許可を与えられている魔物なら人間に危害を加える事はないはずだよ。結構厳格な審査だって話だから。確かセイ……白斗光様が立ち合ってたはずだから間違いはないと思う」

「なるほど。噂の英雄騎士様が、ですか。それならば安心ですね」

 ようやく警戒を解き、今度は興味津津で魔物達に視線を送っている。

 大道芸人達が鳴らす音に合わせて狼の魔物はピョンと宙返りを行い、ボールの上に着地する。子ザルの魔物は小さなイスを幾つも積み上げていき、一番上のイスに座って優雅にコーヒーを飲み始めた。そこへ狼の乗ったボールがぶつかり、積み上がったイスが音を立てて崩れる。

 思わず目を瞑るクーシャ。だが子ザルと狼は崩れるイスを一気に頭上へと放り投げた。筋骨隆々の男性が落ちて来たイスをタワーになるように受け止め、グラグラと揺れるイスのてっ辺に子ザルと狼が飛び乗る。ジャン、と言う音と共にポーズを決め、周りから盛大な拍手が送られた。


「凄かったですね。魔物が人間よりも優れた肉体をしているのは知っていましたが、それをあのように見世物にしてしまうとは。あの狼さんも可愛かったですし」

 解散する人だかりを眺めながら、セルは興奮冷めやらぬクーシャの相手をしていた。

「はは、魔物を可愛かったって、中々凄い発言だよね」

 確かに見た目は大きな犬のようだが、牙もあれば爪もある。分かっていても恐れるのが普通なのだ。それを可愛いと称す辺り、意外に大物なのかもしれない。

 地面に置かれた籠に小銭を入れ、セル達は離れる人達に続いて公園を出た。

「おや? あれは何のお店でしょう?」

 入り口のすぐ側に布を敷いて品物を並べている女性がいた。女性物のアクセサリーのようだ。

「ほう……これは、中々……」

 銀で出来たアクセサリーにクーシャは鋭い視線を向けている。何が気に入ったのか、注意深く眺めていた。

「いらっしゃい、お客さんもどうだい? 一つ彼女の贈り物にでも」

「いや、この子は別にそう言うのでは……」

 ニヤリと笑う女性を誤魔化す様に苦笑する。

「これを作ったのはあなたなんですか?」

「うん、まあね。とは言ってもお師さんからはまだまだだって言われてるんだけど。あ、そうだ。せっかくだから占いなんかしていかないかい?」

「占いですか?」

 クーシャが首を傾げ、女性はにこやかに頷いた。

「そうそう。私これでも占いが趣味なの。そっちは無料タダだからやってみない?」

「占い、かぁ」

 総じて女子と言うのは占いが好きなものだ、と思っている。クラスメイト達もカリスマ占い師がどうとか、恋占いがどうとかキャアキャア騒いでいた時期があった。

 チラリとクーシャを見れば、好奇心の込められた瞳をしている。

「えっと、やってみる?」

「はい。ではわたしと兄さんの相性などを」

「あ、兄妹さんなの? 確かにどこか似た感じがしないでもないけど、でもごめんねー。私が見れるのは恋愛運とかじゃないんだ」

「と、言うと?」

「未来や選択肢、いわゆる大きな流れの分岐点をちょっとだけ覗き見る事が出来るだけの、些細な占いしか出来ないんだよ」

 聞く限りそちらの方が凄いと思うのだが、女子的には違うらしい。隣の少女は残念そうにしている。

「ではそれで構いません。お願いします」

「ほいほーい。っと、それじゃあ失礼して……」

 女性は静かに瞳を閉じ、集中するように姿勢を正した。占いと言う事なので水晶玉でも出るのかと思ったのだが、どうやら違ったらしい。

「えっ?」

 彼女の様子を眺めていると、艶やかな黒髪にじんわりと光が宿るのが見えた。

「兄さん、お静かに。来ます」

 なにが? そう尋ねようとしたセルだったが、それを遮るように女性が滔々と言葉を紡ぎ始める。

「貴方と心を分かちし者達は絶望の淵から足掻き出しました。ですが、黒き底から逃れられずにいる者がいるのもまた事実。このままではその者との再会は為し得ない」

「っ!? そ、それって――」

 問い質そうとするも女性の指先が今度はクーシャへと向けられた。

「永遠の別れと共に混沌の渦に絡め捕られる定め。逃れる術は無く、ただ泥に沈む。それ切っ掛けに、大いなる力が空天を染め上げる」

「……なるほど」

 占いに疎くても分かる。クーシャに投げかけられた言葉は、あまり良い物ではないのだと言う事を。思い当たる事でもあるのか、ジッと彼女の言葉を聞いていた。

 占いと言うよりは、厳かな神託のようだ。瞳を閉じる女性は神秘的であり、さらに口を開く。

「ですが、恐れる事はないでしょう。何故なら……」

 ふ、と目蓋を開き、ガラスのような無表情から一転した笑みを浮かべ、手近にあった商品を持ち上げた。

「この! 私作のシルバーアクセサリーを買えばそんな運命など屁のカッパ! 一つ二千ゴールド! ですが~、今なら何と! 三つで五千ゴールドです! そんな訳でどうか買っていきませんか!?」

「って、結局それなんだ!?」

 いきなり商売人に戻った占い師は、ニコニコと自作のそれを勧めて来た。

 今までの厳かな雰囲気とは違った女性の態度にガク、と脱力してしまう。

「あ、もちろんさっきの占いは本当ですよー? 本当だからこそ買った方が良いんですよねー?」

「なにその棒読み!? どうしよう、さっきのが途端に信じられなくなったんですけど!」

 これがこの人の売り方なのだろうか。とは言え、ここまでしてもらって何も買わないのも悪いと思い品物に目を通した。

 銀製のペンダントや、ヘアピン、ブローチなど。本職の職人が作り上げた物と遜色の無い出来栄えだ。これならば買っても損は無いと思えた。

「えっと、それじゃあ二つ下さい。今手持ちがこれだけしかなくて」

 ヨカイから貰ったお金は四千弱、三つ買うのは無理そうなため、そう申し出る。だが女性はえー、と嫌な顔をした。

「それは止めておいた方が良いと思うなー。三つ買っておかないと、後が恐いよー?」

「後が恐い? いや、でも持ち合せが……」

「ん、それじゃあ君の被ってる帽子。それと三つを交換って事にしない? それなら等価だろうし」

「えっ?」

 思わず頭に被っている帽子に手をやった。ヨカイから借りているとは言え、この帽子は城の小間使いようの安物だ。千ゴールドもいかないだろう。

「良いんですか?」

「もちろん。等価での交換じゃないと意味がないからね、こういうのは」

「それじゃあ、はい」

 被っていた帽子を女性に手渡す。ふむ、と頷いてから帽子を眺め、楽しそうに被った。

「毎度あり! それじゃあ好きなの選んでね」

「と言う訳だから、どれがいい? クーシャも一つ選んでよ」

「わたしが? よろしいのですか?」

「うん」

 クーシャを促し、自身も銀のアクセサリーを眺め始めた。何となく目についた二本一組のヘアピンを手に取り、うん、と頷く。

「一つはこれにしようかな。自分のは……これにしよう」

 鳥の羽を模したデザインのヘアピンを一つ。それから、自分用にと十字架のペンダントを選んだ。

「では、わたしはこちらを」

 クーシャが選んだのも十字架のペンダントだ。セルが選んだ物と似ている。

「なるほどなるほど、了解しました。こちらの三点ですね? うん、良いチョイスだと思いますよ?」

 ヒョイ、と選んだ品を二人に渡す。

「ありがとーございましたー! いやぁ、初めて売れたよー。このまま戦果無しでしょぼんと帰らなきゃいけない所だったし、助かったよお二人さん」

「もう帰るんですか?」

 残った商品をカバンに入れながらニコニコと笑みを浮かべている女性。どうやらもう店仕舞いのようだ。

「ま、ねー。お師さんに内緒で来た様なもんだし、早く帰らないと雷落とされちゃう。クソ生意気なガキの面倒も見なくちゃいけないし、お姉さんこれでも忙しいのよー。っと、それじゃあまたね? この帽子、ありがたく貰ってくからねー」

 言うが早いか、女性は嵐のように去って行った。ポカンとそれを眺めながら、チラリとクーシャを盗み見た。

「なんか、変な人だったね」

「……そうですね。ですが、腕は確かなのでしょう」

「腕?」

 ジ、と購入したばかりのペンダントを眺めながら言う。

「銀とは悪魔を退ける鉱石です。それ自体にも力はありますが、そこに魔力を用い、彫りをして力を高める事が出来ます。教会風に言えば法具ですね。これは、十分その法具と同じような力があるのでしょう」

「……これが?」

 驚きながらペンダントを眺める。良く見れば、確かにそこには見慣れぬ模様が彫られていた。

「……これほどの物が二千で良いと言うのも驚きですが、あんな帽子一つと交換出来たのが驚きです。等価と言っていましたが……」

 むぅ、と真剣に考えているクーシャ。やがて何かを思いついたのか、悔しそうに表情を歪ませた。

「……なるほど、そう言う事でしたか」

「えっ? 何か分かったのか?」

 セルの問いが聞こえていないのか、クーシャはボソリと吐き捨てる。

「占いだけに売らないといけなかった、そういう事ですね。……やりますね」

「はっ?」

 ふざけている訳ではないのだろう。真剣に悔しそうだ。

 こんな時どうして良いのか分からず、結局無視する事にした。


「お嬢様ー! どこですかお嬢様ー!?」

「おや? この声は……」

 どこからか必死な声が聞こえて来る。それに反応し、クーシャは遠くを眺めるようなポーズを取って声の出所を探る。

「ああ、やはり」

 声を発している女性を視界に収め、クーシャは僅かに口元を緩めた。セルがつられてそちらを向くと、法衣を着た女性が涙目になって誰かを探していた。いや、誰かなど分かっているのだが。

「……なんですか、兄さん」

 ムッとした表情のクーシャの視線に気圧され、何でもないですと首を横に振る。

 だが彼女の反応から、あの女性がクーシャの連れなのだろう。

「良かったな、見つかって」

「ええ、全くです。迷子になって心配しましたよ」

「……」

 あくまで迷子になったのはあちらだと言い張るようだ。まあ、その辺りは本人が納得しないのだから仕方ないが。

「えっと、それじゃあな、クーシャ。一緒に回れて楽しかったよ」

「……はい。わたしも、楽しかったです。兄さん」

 連れが見つかったのだからエスコート役も御役御免だろう。クーシャもそれが分かっているのか、小さく微笑んだ。

「色々と奢って頂きましたし、これも。兄さんだと思って大事にします」

「あはは、そんなに有難がられても。こっちだって楽しませてもらったからさ。お相子って事で」

「そう、ですね。では今度会った時はわたしがエスコートします。その時まで、兄さん。どうかお体にお気をつけて」

 ふわりと法衣を持ち上げてお辞儀をした。お姫様のような仕草に一瞬ドキリとし、誤魔化す様にこちらも礼をする。セイジュウロウ達から教わった、気取った皇族の礼。

「それではまた、どこかで。クーシャ」

「ええ、またいつかどこかで。皇子様」

 彼女の言い方に、ん? 首を傾げる。何故彼女は、自分を皇子と呼んだのか。

 そんなもの、分かるに決まっている。

「おい、あそこにいるの皇子様じゃねぇか?」

「はぁ? そんな訳ねぇだろ?」

「いや、あの顔、パレードの時に見たぞ? 来てるのはボロっちいけど、あれじゃねぇか? お忍びで遊びに来てるとか」

「なるほど、俺達の暮らしを見ようって事か。それもこんな裏道に来たって事は揉め事が起きていないかの確認。流石我らの皇子様だな!」

 今セルは顔を隠していた帽子を脱ぎ捨て、素顔を晒してしまっているのだ。これがパレードの前ならば気付かれなかったかも知れないが、直前に全市民にお披露目してしまった。バレるのは必然だ。

「や、やば……じゃあね、クーシャ!」

 顔を青ざめ、不味いと思ってその場を後にした。


 *


「なるほど、ああして焦る兄さんを見たくて帽子を受け取ったのだとすれば、中々趣味が良い方ですね」

「やっと見つけましたよ、お嬢様!」

 セルの背中を眺めていると、クーシャは法衣の女性に呼びかけられた。

「ああ、マリリアですか。まったく、迷子になるなんて、あなたも随分と子供っぽいんですね」

「違いますよ! 迷子になったのはお嬢様じゃないですか! お腹が空いたって言うから食べ物を買いに行ったらお嬢様どこかへ行っちゃうし! 私言いましたよね? ちゃんと動かず待っていて下さいって言いましたよね!?」

「そうでしたか? てっきり風船につられてフラフラとどこかへ行ってしまったのかと思いましたよ」

「あはは、そんなバカな。お嬢様じゃあるまいに……あいた! お嬢様脛はダメですって!? メルカパ将軍の泣き所って言うんですよ! 知ってますか!?」

 向こう脛を蹴っ飛ばされて涙目を浮かべている。

「ええ、知っています。メルカパ将軍でさえ涙を流す急所の事ですよね? 痛かったですか?」

「メッチャ痛いです!」

「そうですか、それは良かった。メルカパ将軍もさぞ浮かばれる事でしょう」

「いえ、メルカパ将軍、まだ現役で斧振ってるんですけど……」

 内輪ネタはそのくらいにして、クーシャは誰にも聞かれないように小さな声を発する。同時に人気のない場所に移動し、周りから知覚されない位置で足を止めた。

「それで、今はどのような状況ですか?」

「はい。先ほどの狙撃も、我が国の手の者だったようです。既に空翔の騎士によって捕らえられているので、事が判明するのは時間の問題でしょう。急ぎ、この国を離れた方がよろしいかと」

 やはり、と想像していた通りの報告を聞き、クーシャはつまらなそうに息を吐く。

「……どこへ行っても、わたしの居場所などありはしないのに、ですか」

「はい? 何か仰いましたか?」

「いえ、何も。……それでは帰りましょうか。ルートは?」

 聞かれていなかった事にホッとして、すぐに気を引き締める。先の襲撃が起こった時点でこの国はクーシャにとって安全な場所ではないのだ。最強騎士団にバレる前に離脱するのが得策だ。

 マリリアはクーシャの疑問に頷く事で返し、胸の前に掲げた腕輪を光らせた。一瞬の後、そこには二人の他にもう一つの影が現れていた。

「この場から近郊の森に一度移動し、そこから大魔法で国に転移します。よろしいでしょうか?」

「問題ありませんね。それでは、お願いします」

「はっ! それでは頼みましたよ、ケッツァ」

 主の言葉に反応し、現れた召喚獣、翼持つヘビが魔法を展開する。召喚獣、ケツァルカトル。属性は空時。得意な魔法は、空間転移。

 足元に描かれた二重の五芒星。浮遊感が訪れる中、クーシャはため息を吐き出した。

「わたしもゆっくりと花嫁修業をしていたかったのですけれどね。今の世が、それを認めてくれないようですね」

「それも仕方ない事かと。何せお嬢様は――」

 その先は言わずとも分かっている。それでも嘆かずにはいられない。

魔国べルヘイムが継承者、クシェリア・じゅう魔光まこう様なのですから」

「…………」

 そんな事分かっている。だからこそ、未来の自分と重なるようであの少年が気になったのだ。自分と同じ、国を治める宿命を背負った記憶の無い皇子様を。

「……兄さん」

 忘れよう。どの道、すぐにまた出会う事になる。どこで、どのようにかは分からない……いや、分かり切っているからこそ忘れたい。

「次に会うのは、戦場か処刑台か。どちらにせよ、悲劇のヒロインが演じられる事だけは感謝しておかなければなりませんか。この――運命に」 

 光が収まると、そこには既に誰もいなかった。元々そちらに気を配っていた者がいなかったため、誰にも気付かれる事なく二人の人物は空利唖ソラリアから消えたのだった。

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