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ソラトの皇  作者: 雪月葉
一章 物語の再開と皇子様の帰還
3/14

3 運命の出会い

 *


 もう大分走った。時間にして二十分を全力で。体力の続く限りに走り、こんなに走れるのかと驚く程に速く走り続けた。

 シンと静まる森の中で、荒い息が木霊する。ようやく足を止め、木に手をつき酸素を補充する。まだ呼吸が整わないうちに顔を上げ、セルは踵を返した。

「ま、待って下さい! どこに行くつもりですか!?」

 ここまでセルを連れて来た女子生徒が慌てて彼の服の裾を掴んだ。だが気付いていないのか、覚束ない足取りで進もうとしている。

「戻るんだ……戻って、みんなを助けなきゃ……」

「なに言ってるんですか! もう無理ですよ! それにあなたが行ったところでなにが出来るって言うんですか!」

「それでも!」

 そんな事は分かっているのだ。あんな災害のような化け物相手に、果たして自分に何が出来るのか。分かっている、何も出来ないと言う事は。それでも、ただ逃げるだけでいられるか。

「それでも、おれは皆を助けなきゃ……今ここにおれがあるのは、みんながいてくれたからなんだ!」

「あなたは……」

 強い意志に一瞬手の力が緩む。けれど、それ以上の強さでセルの手を握り締めた。

「ならば、あなたは尚の事生きなければダメです! 彼等はそれを願っていたんですから!」

 ジワリと涙が溢れて来る。彼女は既に仲間を失っているのだ。目の前で、喰われて死んだ仲間たちを。苦しさはセルと変わらない。それでもこうして生かせようとしてくれている。

 その事実を受け入れ、ようやく少し落ち着いたセルは小さく頭を下げた。

「……ごめん。勝手に喚いて。君だって辛いのに……」

「いえ、気持ちは分かりますから。私も、あの子に発破をかけられなければ動けず死んでましたから」

 発破と言うより半ば脅迫だった気がするのだが。

「……えと、おれはセル・空。君は?」

「あ、はい。ローゼ・さき園緒そのおです」

 お互い名前を知らないままだったのを思い出し、簡単に自己紹介を済ませる。青髪の少女はペコリと頭を下げ、柔和な笑みを見せた。

「っ、とにかくここから離れよう。今は、とにかく生き延びなきゃね?」

 その笑みに級友の一人を思い出し、涙が出そうになるのをグッと我慢する。彼の心情を理解したのか、特になにも言わずにローゼは頷いた。

「でもここはどの辺りなんでしょう?」

 無我夢中に逃げて来た彼等にはここがどこなのかは分からないでいた。杯羅地方だと言う事は分かるのだが、このまま進んで平気なのかも分からない。

「とにかく、歩こう。そうすれば、分かる場所に出るさ」

「……はい」

 立ち止まれば悪魔の手に捕まるかもしれない。その恐怖を和らげるために、二人は歩くのを再開した。



 鬱蒼と茂った森を歩きながら、周囲の警戒は怠らない。悪魔に見つからなかったとしても、魔物や野生動物でも今の彼等にとっては脅威になり得るのだ。なにせ現在彼等は完全な手ぶら。武器は疎か食糧すら持ち合せていないのだから。このまま迷って三日もすれば動けなくなってしまうだろう。

 そのため、逃げながらではあるが同時に水辺の探索も行っていた。

「……うぅん、方向感覚が狂ったな……最初に我武者羅に逃げたのが悪かったか」

「あの、ごめんなさい……。私が無我夢中で走ってしまって……」

「い、いやいや、あの場合は仕方ないって! 大丈夫、近くに湖があったのは確かなんだ。結構大きかったし、すぐに見つかるよ」

 自己嫌悪に陥ってしまったローゼを慌ててフォローし、参ったなぁ、と視線を泳がせる。何と言うか、彼女のようなタイプはセルにとって初めてなのだ。普段から彼を足で使う様なクラスメイト達と接していたからか、大人しくて気弱なタイプはどう接したらいいのかとても迷う。

「おっ?」

 ふと、視線の先にある物を見つけ、声を上げた。

「セルさん? どうかしたんですか?」

「あ、いや、ちょっと待ってて」

 そう言うとセルは近くにあった木にスルスルと登って行った。パシリ生活を長年続けて来た彼にとって木登りなど簡単なものだ。すぐに枝に跳び付き、生っていた実を幾つかもいで飛び降りた。

「よ、っと。ほら、これは食べられる実だよ。水分を多く含んでいるから水分補給にちょうど良いんじゃないかな?」

「あ、ありがとうございます」

 ローゼに手渡し、残ったもう一つを口に運ぶ。味は薄いが、中から出て来る水気が喉を潤した。

「はむ……。セルさん、良く知ってましたね?」

「あはは、これは受け売りなだけだよ。カシェ……ネコミミの子がいたでしょ? あの子にサバイバル知識は一通り習ってるんだ」

「あ……」

 少しだけ悲しそうな瞳に言葉が詰まる。それでもセルは構わず言葉を続けた。

「カケルには槍を教えてもらったし、セガミには刀、コトウには格闘術、リンネちゃんからは武器全般の扱い方。アイシアには医術に、マキフネには薬学、ヒールからなんかは縄の縛り方を教えてもらったっけなぁ。あれは果たして役に立つ日が来るんだろうか……」

「セルさん……」

 背を見せて語る彼の言葉は空元気にしか思えない。それでも仲間の事は話し続ける。そうでもしなければ、今にも弱音が口から吐き出されそうなのだ。

「……そうやって、おれはみんなから色んな事を学んだんだけど、あんまり実になったかは微妙な所なんだよね。だから……だから、今度あったらもっと教えて貰わないと」

 振りかえったセルの瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいた。ローゼは小さく頷いた。

「その時は、私もご一緒しても良いでしょうか?」

「もちろん。あ、でもあの人達かなり濃いから驚いちゃうかもしれないね。初見の人には結構キツイかもよ?」

「ふふ、頑張ってみます」

 空元気なのは分かるが、今はそれでも前に進まなければならない。お互いにそれが分かっているからこそ、弱音を吐かずに笑い合う。それしか、今の彼等に生き残る術はないのだ。


 少しの休息を経て歩くのを再開したセル達。変わらぬ景色に辟易としながら、休憩を挟みつつ半日程歩き続け、ようやく森の外へと抜け出した。

「う、うわぁ……ここってもしかして……」

「うん、多分、立ち入り禁止区域……」

 唖然として目の前の光景を視界に収める。そこには後ろにある緑溢れる森とはうって変わって、荒涼とした荒野が広がっていた。

「ここが、十年前に起きた魔刻戦争の発端……崩壊事変の発生地……」

 力無く吐き出された言葉が目の前の惨状を物語っていた。

 大地は割れ、巨大なクレーターがあちこちに出来ており、雑草の一つも見当たらない。線引きされたように緑と土色が区切られており、一体なにがあったのか想像もつかない。

 その光景に、セルは崩れるように尻餅をついた。

「だ、大丈夫ですか?」

「あ、あれ? なんか、急に力が……それに、なんでか震えまで……」

「疲れが来たんでしょうか? 一日中歩き詰めでしたし……。とにかく少し休みましょう」

 ブルブルと震える体を押さえるように両腕を抱きしめる。立ち上がろうにも全く足に力が入らない。ローゼが手を貸してようやく立ち上がる事に成功し、すぐにその場を後にした。


 荒野から少し離れ、森の中で休憩を取る事にしたセル達。既に辺りは暗くなっており、これ以上進むのは無理だと判断したのだ。先ほどと同じ果物が生っていたので食料の心配はないが、今は冬。寒さはどうしようもない。厚着をしてはいるが、毛布などはもちろん持って来ておらず、冷たい風が身を震わせる。

「……っ」

「流石に、冷えるね。なんだったら上着貸そうか?」

「い、いえ平気です。私よりもセルさんの方が……体長はどうですか?」

「ん、もう大丈夫かな。力は入るし、あの変な震えも止まった。まあ、今度は寒さで震えてるけど」

 安心させるように笑って応え、先ほどのはなんだったのだろうかと考える。突然力が抜けたのは、あの惨状を目にしてからだ。あんな事は初めてだったため、驚きが思考を占めていた。

 それと同時に――

(なんだろう、何か忘れているような……なにか、とても大事な事があの場所で起きたような……)

 記憶に触れる何かを感じる。

 あの何もない荒野に、大切な宝物が埋まっている様な感覚。

 失くした記憶が、叫んでいるようだ。

「――っ」

 そこまで考え、ズキリと走った頭の痛みに思考を中断した。それ以上を思い出そうとするがどうしても痛みが邪魔をして先が見えない。

 結局、諦めて目を瞑った。

「…………」

「えっ?」

 すると、すぐ近くに温もりがやって来た。驚き目を開くと、セルの肩とローゼの肩が触れ合っている。

「あ、あの、具合が悪そうだったので、少しでも温かくなればと……その、迷惑でした?」

 上目遣いでそう尋ねて来る少女に、思わず勢い良く首を横に振った。

「い、いやいや! そんな事ないよ! うん、温かくて、気持ち良いから!」

 いや、自分は何を口走っているんだ。

 内心で口から出た言葉にツッコミを入れながら、セルは気恥ずかしさで赤く染まった顔をローゼからふいと外した。

 それきり無言となった二人は、いつしか目を閉じ今日一日の疲れを癒すために眠りにつくのだった。


 *


 翌日。幸い本日も晴天であり、歩き回るにはちょうど良い天気だ。今どこにいるのか、詳細な場所までは不明だが、どこへ行くべきかはある程度分かっている。

 荒野地帯に沿って森が続いているのは頭の中の地図から検索済みであり、そこに沿って東へと移動すれば川が見えて来るはずだ。その川を下って行けば、杯羅騎士養成学校に着くはずである。

 当面の目標が決まり、セル達は移動を開始する。荷物などはないため、身軽なのが救いだろうか。


 太陽が昇る前から歩き始め、ようやく陽が昇り始めて来た。現在彼等は森の中を進んでいた。セルが荒野地帯に足を踏み入れると体の力が抜けてしまうのだ。

 そもそもあの場所は悪魔が跋扈していると言う話もあり、装備の無い彼らには危険を犯してまで侵入するべき場所でもない。

 遠くから鳥の声が聞こえ、その度に心臓がドキリと跳ねる。幸い、未だ獣や魔物と言った類のものには出会っていないが、いつ遭遇しても不思議ではないため生きた心地がしなかった。

「……少し休憩にしようか。かれこれ三時間近く歩き詰めだ。流石に足が棒になってるよ」

「そう、ですね……」

 汗を流しているのはセルだけではなく、ローゼも苦しそうに喘いでいる。騎士学校に通っているだけあり、彼女も一般人よりは体力はある方だ。それでも気を張っての移動は精神的に堪るものがある。もちろんそれはセルとて同様なのだが、表情を取り繕う事によって空元気を保っている。ここで彼が弱音を吐けば、目の前の少女が折れかねないからだ。

 いつもならばその役目は別の人物が担うのだが、今回ばかりはそうも言っていられない。必死に口の端をつり上げ、不敵な笑みを作る。

「……それにしても、一体今はどの辺りなのでしょう?」

 シャリ、と果実を齧りながらローゼが呟いた。

「そうだね……荒野地帯もそれほど大きくはないはずだし、そろそろ川が見えて来る頃だと思うよ?」

 半ば希望的観測を口にし、同じように果物を頬張る。水分が溢れ出し、疲れた喉を洗い流していく。

「そしたら川を下れば学園だ。大丈夫、もう少しの辛抱だよ」

「はい……あの、ありがとうございます、セルさん」

「はは、それはこっちのセリフだと思うけどね」

 苦笑する。

「……え?」

 同時に、怖気が走った。

「……セルさん? きゃっ!」

「シッ! 静かに!」

「えっ、えぇ? どうしたんですか?」

 突然抱きつかれて押し倒されたローゼは顔を赤くしてセルを見た。責める様な視線を向けるが、それにも気付かずに青い顔をするセルを見てようやく異変に気付く。

 先ほどまで聞こえていた鳥の声が一斉に聞こえなくなっていた。

「――っ、こっちだ」

 生い茂った草の影に身を潜め、息を殺す。すると、大きな地響きが聞こえた。

「……っ」

 ローゼは思わず悲鳴が漏れそうになった。荒野の方角から何かがやって来て、それを見て表情が引きつる。

 一歩踏み締める度に地面が揺れ、バキバキと木々を倒しながら現れる。狼のようなフォルム、ダラリと垂れた舌は真っ赤で、舌だけで小さな民家程もある。ノコギリのようにギザギザの歯は触れただけで肉を切り裂いてしまいそうだ。あの巨大な口ならば人間を纏めて百人くらい呑み込んでしまえるだろう。

 そして最大の特徴に額から青白い光が放たれている。

「げ、幻想種悪魔……」

 小山のような巨体を見せつけたその存在は、つい先日もこの目で見る事になった悪魔の幻想種。

百貌を統べる魔獣(ヴリヴェラ)……」

 アバドールと同様に幻想種の悪魔、ヴリヴェラ。彼について記されたものにこんな言葉あった。


 ――百の貌を持ちしヴリヴェラ。其れは獣の皮を被りし悪魔。其れは人の皮を被りし悪魔。其れは魔の皮を被りし悪魔。百の貌と万の腕を持ちし悪魔。


 獣であり、人であり、魔物でもあるとされる、謎多い幻想種の中でも一層不可思議な存在。それがヴリヴェラである。特徴はその額から溢れる悪魔の光(デモナサイン)。幻想種悪魔の中でも一部にしか現れない最高位悪魔の証だ。

 震えるローズの肩を抱き、冷たい汗が流れ出す。呼吸すら儘ならず、心臓が張り裂けそうだ。

 悪魔は何かを探しているように鼻をヒクヒクと動かしている。

(まさか、おれ達を? クソッ! 恨むぞ、神様……!)

 幻想種悪魔など普通に生活していればまず出会う事の無い存在だ。それなのにこの短期間で二体の悪魔と出会ってしまった。絶望的な状況に、セルはギュッと目を閉じる。

 すると、どこからか音が聞こえて来た。

(……?)

 カチカチ、カチカチ。

 固いものが触れるような音。それは自分の腕の中から聞こえていた。

「あ、あぁ……止まって……止まってよぉ……!」

 ローゼだ。恐怖からガクガクと震え、歯と歯が重なり合って音を上げていた。

 目の前にあり得ない異形が現れ、しかも彼女は先日あれと同じような存在に仲間を殺されたのだ。恐怖に支配されても仕方が無い。

 小さな音だとしても狼の形を模している悪魔は容易に聞き分ける。ヴリヴェラは四つの瞳をセル達のいる茂みへと向けた。

(――っ!)

 押し潰すような重圧がセルを襲う。同時に死の気配が近寄った。

 もうダメだと、自覚する。

「っ、こっちだ! 化け物!!」

「えっ……?」

 それならば、せめて出来る事はやろう。死が免れられないのならば、せめて誰かを救ってみせよう。あの、大切な仲間たちと同じように。

 ローゼに一瞬視線を向け、手に持っていた食べかけの果実を力の限り悪魔へと放り投げてセルへと注意を向けさせる。冷たい視線が貫き、一瞬硬直する。だがすぐに駆け出す。背を見せ、大声を上げながら逃げ出した。

「わぁああああー!!」

 それを獲物だと判断したのか、ヴリヴェラは地を揺らした。狼のような体を使って獲物であるセルを追う。

 ただ一人そこに残されたローゼは、呆然としながら見送った。

「な、んで……? セルさん、なんで、私を……」

 思考が上手く働かない。ようやく理解出来たのは、生かされたと言う事だけ。自らを犠牲に、彼女を逃がそうとしたのだ。その証拠に、今彼が逃げたのはこれまで移動していたのと逆方向。僅かに交わされた視線が、先に行けと言っていた。

「あ、ああ……私の、私のせいだ……」

 情けなく震えて、そのせいで気付かれた。それなのに、彼はローゼを守るために行動したのだ。セルへの罪悪感と、自身への無力さに体が動こうとしない。ただバカみたいに動きを止め、ボロボロと涙を見せるだけ。

「嫌だ……もうこんなの嫌なのに……」

 ローゼには友人がいた。同じクラスで特に仲の良かった少女。ちょっと良いなと思っていた男子生徒。そんな彼等が無残に貪り喰われるのを間近で見て、その時にも感じた絶望感。それをこんな短期間で二度も感じなければならないなんて。

「っ……く……ぅあ」

 嗚咽がこぼれ、その場にへたり込む。逃げなければならないのに、せっかく彼が作った好機なのに、足が動かない。

「だれ、か……」

 ただ無様に、泣き叫ぶだけ。

「だれでもいい、から……だれか、助けてよぉ!!」

 分かっている。こんな情けない事を言っても誰も来ないと言う事は。それでも叫ばずにはいられない。願わずにはいられない。


 ――お願いします! 誰か私たちを助けて下さい!


 刹那、黒と白の影が吹き抜けた。

「えっ……?」

 何が通り抜けたのか分からず、涙に濡れた目を瞬かせる。もう見えなくなっているが、確かに何かが通り過ぎた。

「今のは、なに?」

 何かに注意が行っていた事により散漫となった意識は、背後で揺れた草木を見過ごしていた。



 ヴリヴェラは小さな丘程もあろうかと言う巨体だ。セルは木々の間を縫うように走り、相手の動きを制限しようとした。

「って、やっぱりそんな簡単にはいかないよね!?」

 だがそんなもの関係ないとばかりに木々を吹き飛ばしながら直線で追って来る。級友の一人、カケル・五道も似たような事をやっていたのを思い出し、その際のインパクトを改めて実感した。

「カケルを相手した人ってきっとこんな気持ちだったんだろうなっ!」

 倒木を乗り越え、さらに駆ける。必死に全速力で走り続けるセルに比べ、ヴリヴェラはゆっくりと追う。ゆっくりと言っても一歩が違い過ぎるため、全力で走っても振り切れずにいた。まるでいたぶるような動きに、思わず悪態を吐いた。

「狩りのつもりなのかな? んっとに、性格の悪い!」

 悪魔になにを言っても無駄か、と諦めて走る事に専念する。もはやこの場を切り抜ける事など考えず、ただ時間を稼ぐために走る。幸い、悪魔は狩りを楽しんでいるらしく一息に喰い殺そうとはしない。ならば、出来るだけ奴の遊びに付き合い、ローゼが逃げ切る時間を稼ぐ。それが今セルの出来る事だ。

 後ろからの威圧感を受け、荒く呼吸をしながら命をかけた鬼ごっこが続く。獲物は自分で、鬼が悪魔という洒落しゃれにもならないこの状況。捕まれば確実に命は無い。制限時間も存在せず、あちらが飽きればすぐにでも掴まって喰われるだけの、負けが確定した鬼ごっこ。

 理不尽だ。あまりにも酷過ぎる。それでもセルは、笑っていた。

「ハッ、ハッ、ハッ――! まだ、まだ逃げれる! まだ生きている!」

 昂揚した意識の中で、級友の声が再生される。


 ――絶対に、生きるの!


 口元はつり上がり、酸素が足らずに痛む頭にはなんの考えも浮かばない。それでも、生きている事だけは脳髄に強く刻み込んだ。



「――ハァ、ハァ……ふぅ」

 足を止め、深呼吸を数度行う。目の前には緑の切れ目と、荒廃した土色の大地。

 逃げ延びた訳ではない。そもそも、あんなもの相手にいつまでも逃げ続けられるはずがないのだ。後ろを見なくても圧倒的なまでの存在感は分かる。それが一歩一歩近づき、同時に死の気配が色濃くなってくるのも。

 息を落ち着かせ、ゆっくりと振り返る。そこには、既に見上げるほどの巨体が立っていた。

「ホント……最悪だ」

 苦笑いと共に出たのはこの場には不釣り合いな楽しげな声。自分でも可笑しいと思いながらも、頭のどこかで納得していた。

 つまりこの状況、自分セルの頭はとっくに可笑しくなっているのだ、と。

 理解してしまえば、すんなりと入って来る。そしてこの状況を改めて客観視し、あまりの絶望に笑いがこみ上げる。

「簡単には、死にたくないなぁ……みんなの言葉もあるし」

 つま先に木の棒が触れたのに気付き、悪魔から視線を外さずにそれを手に取る。

 悪魔を倒すのに聖剣でもなければ銀の武器ですらない。その辺に落ちていた棒が最後の希望になるとは、あんまりではないか。

 本日何度目のあんまりだ、を頭の中で再生し、セルは木の棒を構えた。バカみたいだ、とは自分でも思う。

 ヴリヴェラは嘲笑うかのように一鳴きし、口が裂け牙が剥き出しになる。鬼のようなその外見に恐怖しながら、セルは心の中で涙を見せた。

(ごめん、みんな。おれ、ここで死ぬみたいだ)

 生きろと言ってくれた仲間たちの期待も全うできず、たった一人の少女を救って死ぬ。そもそもこの後彼女が無事であるかの保障すらない。ただの自己満足に浸って死ぬ自分を、果たして彼等は許してくれるのだろうか。

 答えは、分からない。それでも、今のセルにはこれだけしか出来ないのだ。力もなく、仲間たちもいない。彼個人の力では、この逆境を超える事など不可能。

(分かってるよ、おれは無力だって。だから、戦うんだ。勝てる可能性なんてないけど、それでもみんなに顔向け出来るように)

 目に力を入れ、目の前の存在を見据える。決して目だけは逸らさずに。

「GAAAA――――!!」

 悪魔の咆哮。凄まじい音と暴風となってセルの持っていた棒などすぐに折れた。悪魔は爛々と目を輝かせ、家すら一呑みにしそうな巨大な口を開き――

「――っ!?」

 死が押し寄せる。



 明るかった。悪魔の口は暗く、闇に埋め尽くされていたはずなのに。両の目が見ているのは、純白。

「え……?」

「良かった……間に合たようですね」

 目の前には誰かの後ろ姿があった。バサ、と白のマントが揺れ、場違いなほどに美しい、金糸のような髪が流れている。

 一体何者なのか、そう尋ねようとするがそれより早く目の前の状況に思考が硬直した。

「な、なに……?」

 目の前には、金髪の人物がいる。そしてさらに奥には、ヴリヴェラを押さえつける巨鳥の姿があった。

 三メートル程の体躯に、白と黒の混じった羽毛が巨鳥を斑に染めている。どれだけの力を持っているのか、自分よりも数倍の巨体を持つ悪魔を上から押さえつけているのだ。それらを視界に入れていた金髪の人物は、優雅な動作でセルへと振り向いた。

「……あぁ、やっと」

 後ろ姿から予想はしてはいたが、その人物は美しかった。目鼻は人形のように整い、袖から僅かに除く腕にはキメ細かな白い肌が覗いている。優しげな双眸はセルへと向き、形の良い唇は感極まった声を発した。

 その美しさに、セルは息をするのも忘れて見入っていた。

 だがそれもすぐに遮られる。巨鳥の拘束を抜け、ヴリヴェラが大きく吠えたのだ。

「GuAaa――!!」

「まったく、感動の再会もさせてはもらえないのですか」

 セルから視線を外すと、先ほどとは一転した冷たい表情で悪魔を視界に収めた。巨鳥を自身の側へと控えさせ、少女はセルに対して優雅な一礼を披露する。

「しばしお待ちを。すぐに終わらせますので」

「へ? は、はぁ……」

 ニコリと微笑むその姿は、まさに天使の微笑みだった。セルは呆けたように頷き、戦場へと向かう少女の背を見送った。


「幻想種悪魔、第49番、百貌を統べし魔獣、ヴリヴェラ。元々この杯羅地方において発見報告は多くありましたが……このような土地になった後でもそれは変わらないのですね。中々に故郷思いなのでしょうか」

 腰に差した鞘から白銀の長剣を抜き放つ。その動作に彼女の側に控える巨鳥はピクリと反応し、翼を一度はためかせ空へと移動する。

「故郷を思う、それは素晴らしい事でしょう。ですが、今この時に限ってはそれも哀れ。もし貴方がこの地にいなければ、そして、あの方を襲うなどという愚行を起こさなければ、もう少しだけですが生き残れたでしょうに」

「AーLaー?」

 疑問する様な眼を見せるヴリヴェラ。少女は興味なさそうに巨鳥を仰ぎ見た。すると巨鳥の額が白黒の光を放ち、同時に少女が首から下げた指輪からも同様の光が漏れる。

「あれって……召喚獣、なのか?」

 セルの呟きが聞こえたのか、少女はクスリと優しげに微笑んだ。それをすぐに冷たい微笑みに変化させ、スッと腕を差し出す。微かな魔力の光が巨鳥へと吸収され、黒と白の光が翼に変換する。

「私の愛すべき召喚獣、名はニヒト。空時ソラトの国を守護せし魔鳥。貴方を下す、忠義の光です。存分に、味わいなさい」

「A――!?」

 魔力によって本体よりも倍以上巨大になった翼を操り、魔鳥ニヒトは突貫する。あまりの早さに反応が遅れたヴリヴェラはのけ反りながらニヒトを弾き飛ばす。

「UuLaaaaa――――!!」

 全身に力を入れ、ヴリヴェラは己の毛を逆立てた。すると悪魔の体毛は一瞬にして膨張し、小型の魔物となって現れる。その姿は様々で、狼のようなものもいればクマの様な姿を取るものもいる。さらには人の姿になって武器を手にしているものもいた。

 これこそが悪魔ヴリヴェラが万の腕を持つと言われる所以ゆえんだ。毛から生まれた獣や悪魔は全てヴリヴェラの一部であり、目的を遂行するための腕。個々ではなく、あれら全てで一。例え一体を倒したとしても他が行動可能ならば何度でも復活する、まさに規格外な悪魔。

「あまり毛を飛ばさないで頂きたいものですね。あの方に汚れがついてしまうではないですか」

 それを前にしても、少女は少しの焦りもない。無造作に長剣を振るった。

 一歩も動かず、対して力も入れていない。そんなものでは何も斬る事は出来ないだろう。そもそも敵との距離はヴリヴェラ二体分は開いている。当たるはずが無いのだ。

 ……普通ならば。

「Ga、A?」

 だが届いた。刃は確かに小さな悪魔(ヴリヴェラ)の一体を裂き、さらにもう一体を貫く。見れば、彼女の持っている剣は鞭のように伸びていた。

 連鎖刃と呼ばれる武器がある。剣の内部には特殊なワイヤーを通し、刃を幾つものパーツに分けて扱う武器だ。普通の剣として扱ったり、鞭のように伸ばして使用できるそれは、扱うのには熟練の技が必要な代物である。

 それを容易く扱い、小型悪魔を圧倒している。それだけで、彼女が只者ではない事が分かる。

 いや、既にそんな事は分かっていた。彼女がニヒトと呼ぶ魔鳥を操っている姿を見れば、騎士学校に通う者ならばだれにでも分かる。


 召喚獣。それは騎士に選ばれた者にしか使役出来ない魔物の事。この世とは異なる場所から魔力と契約によって具現する存在で、騎士の力の源と言っても過言ではない。何故ならば、魔力を扱う事の出来ない人間にとって、召喚獣とは魔法を使用するために必要不可欠な存在だからだ。

 空天の座に住むほぼ全ての人間には魔力と言われる力が宿っている。霊的なエネルギーであるとか、無色単体の力であるとか言われているが、詳しい事は分かっていない。分かっているのは、その力は人間には相性が悪く、一部の古代種エルフ以外には解き放つ事が出来ないと言う事。

 しかし、ある時にそれを扱う術がもたらされた。自分で扱えないのならば、扱える存在を使役すれば良いという考えである。

 それが、召喚獣。

 魔法を使えない人間が高位の存在に挑むために呼び出した存在。そして、召喚獣とは召喚者の力が強ければ強いほど、現れる召喚獣も相応のものとなる。

 特に幻獣と呼ばれる存在は高位の悪魔である幻想種に匹敵するとさえ言われるほどだ。


 そして眼前の少女が使役する召喚獣は、紛うことなく幻獣種。しかもニヒトと名を与えられたそれを、セルは良く知っていた。

「……もう良いでしょう。ニヒト、行きなさい」

 首からさげられていたペンダントから手を離し、魔鳥へと飛び乗る。今まで動かずにいたのは、自身の召喚獣へ魔力を与えていたからだ。

 ニヒトは一際大きく翼を広げ、空中から眼下の悪魔を見下ろした。先ほどまでニヒトに突撃されていたヴリヴェラはのそりと起き上がるとなにかに気付いたような反応を見せる。

 だが一瞬遅い。

空時ソラト魔法――」

 呟かれた言葉に反応し、ニヒトの翼に白と黒の光が集まる。それは絡み合い、繋がり合い、一つの螺旋となって発動する。

「――翔翼ワルキューレの行進」

 召喚獣と一体となって発動する、共応魔法。少女と魔鳥は一陣の槍となって地に這う小型悪魔もろともヴリヴェラに突撃した。あまりの早さに避ける事も敵わず、悪魔の横っ腹に白黒の光が衝突する。

「A、Giiiii――!?」

 苦痛に満ちた叫び声と共に吹き飛ばされるヴリヴェラ。巨大な影が吹き飛んで行く様を呆然と眺めているセルの視界に、チラリと小さな影が映った。

「おっとぉ? こっちに来ンなら相応のお出迎えが必要だなぁっと! 来な、エキドゥナぁ!!」」

 影は声を張り上げ、同時に前方に巨大な何かを作り上げた。

「なっ!?」

 それは巨大な蛇だった。ヴリヴェラと同じくらいの巨体で、体には鋼鉄の車輪がいくつも付いている。

 召喚獣、エキドゥナは主の指示に従い、ガパッ、と巨大な口を開く。

「やっちまいな! 大地魔法――蛇蝎コブラの砲撃!」

 口から吐き出されたのは砲撃だ。近距離からの容赦ない一撃に呆気なく倒れようと体が傾いた。

「二人とも詰めが甘い」

「えっ? わっ!?」

 いつの間にか背後に誰かがいた。背の高い男だ。男は縁のない眼鏡をクイ、と持ち上げ、召喚獣を喚び出した。

「やれ、レオアズエル。審判魔法――」

 光と共に現れた翼ある獅子。気高い姿を見せた召喚獣、レオアズエルは一瞬でヴリヴェラに近付き、

選定ジャッジメントの鉄鎚」

 極大の魔法によって叩き潰した。

 いかに強力な幻想種の悪魔と言えど、あれだけの大魔法を続けざまに喰らっては一溜まりもなかった。


 唖然としてその様子を見ていたセルは、もう一度現れた召喚獣を見る。

 幻獣、時渡りの聖獣ニヒト。

 幻獣、大地支配の聖獣エキドゥナ。

 幻獣、裁きを与えし聖獣レオアズエル。

 すぐに彼等の名前が出たセルだが、別に彼が特別召喚獣について詳しいと言う訳ではない。恐らくこの空時ソラト国に住んでいれば間違いなく誰もが知っている、それほどまでにこの召喚獣達は有名なのだ。

 いや、正しくは、有名なのは彼等ではなく彼等を使役する者達か。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「ひゃい!? しょなことありましぇん!?」

 ニコリと微笑みを向けるニヒトを操っていた少女。美しさとはまた違った意味で緊張し、上手く口が回らない。

 さらに女性が一人近寄って来た。ボサボサの髪を無理やり纏めただけだが、それがワイルドな女性の魅力を引き立てている。

「良く持ちこたえたな! ついでに女の子を守ろうとしたお前さんの心意気、あたしは好きだぜ?」

「わぷっ!? お、女の子? ……あ、そうだ! ローゼ!?」

 見た目に違わない豪快な笑みでセルを見て、わしゃわしゃと頭を撫でまくった。

 ローゼの事を思い出し、立ち上がろうとするが眼鏡の男性が制止する。

「ローゼ・咲・園緒ならばご安心を。既に救助済みです」

 淡々と答えるように言葉を発し、その内容にホッと息を吐く。

 セルが大人しくなったのを見て、彼の視線は少女の方へと向いた。

「しかし四慈陽。独断専行を許可した覚えは無いのだが?」

「なにを仰っているのですか? 私が先に行かねばかたは大怪我を負っていたかもしれないのですよ? むしろ貴方達の対応の遅さにこそ非があるのではないですか?」

「カカッ、仕方ねぇだろ? 女の子が泣いてンだ。ここでポイント稼いどきたくなるじゃねぇか」

「黙りなさい不潔女。そんな小娘などどうなろうと知った事ではありません。生きていたのだから放っておいても良かったのではないですか?」

「……テメェ、そりゃ女の子保護(ペロペロ)委員会会長のあたしに喧嘩売ってるンか?」

「はぁ……黙れ貴様ら。御前だぞ」

 何故か喧嘩が発生した。あわあわと三人を見回す事しか出来ないセル。だがそれもすぐに終わり、柔らかな笑みを見せる少女、ムスッとした女性、無表情の男性が一斉にこちらを向く。そして――

空時ソラト国、空時ソラト騎士団が空域制圧部隊《空翔騎士団》団長、ノゾミ・よく四慈陽しじよう

「同じく地上殲滅部隊《血迅騎士団》団長、ヨカイ・じゃ清華せいが

「総轟突撃部隊《英雄騎士団》団長、セイジュウロウ・おう白斗光はくとこう

 まるで皇に対するように膝をつき、頭を垂れた。

 え、え? と疑問に頭をいっぱいにするセル。それも当然だ。大陸最強と謳われる空時ソラト騎士団。その中でもさらに最強と呼び声高い三人の騎士――三騎士――が自分に向けて頭を下げているのだ。

「真に遅くなり、申し訳ありません。ですが、ご安心を。貴方様は、これより御帰還なさるのです」

「き、帰還? それってどういう……」

 一体どういう事? と尋ねようとするが、セイジュウロウは気にせず更なる言葉を続けた。

「――お迎えにあがりました、我らが皇よ」

「……はっ?」


 こうして、セル・空は帰るべき場所を見つけた。見つけてしまった。

 彼としては、帰る場所などクラスメイト達のいるあの場所以外にあると思いもしなかったのだが、真実はそれを良しとしなかった。彼の周りにいる者が、あるいは遠くても彼の存在を知った者は皆一様に涙する。

 帰って来たのだと。生きていたのだと。

 それはセル・空に向けた言葉ではない。大多数の人物において、セル・空と言う学生の事など興味すら示さない。例え奇跡的に助かったという見出しが新聞に出ても、ふぅん、の一言で終わりだ。だが、彼ならば違う。その記事が出れば慌てて外へと飛び出し、空時ソラト国の皇城に向けて頭を下げるなり手を合わせるなりするだろう。それほどまでに、セル・空と彼の存在は違い過ぎたのだ。


 杯羅騎士養成学校1―Cクラス委員長、セル・空。

 改め、

 空天の座、第四国家、空時ソラト国王位継承者にして神獣継承者。


 ――セイルド・なない空時そらと


 それが、彼の本来あるべき名。

 ……なのだそうだ。

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