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ソラトの皇  作者: 雪月葉
一章 物語の再開と皇子様の帰還
2/14

2 唐突の別離

 中央突破組が風となっている頃、総大将であるセルはそわそわとしながらお手製の王さま椅子に腰かけていた。王さま椅子とは言っても、ただ単に折り畳みの椅子にこれでもかとクッションを乗せただけの代物なのだが。置き過ぎて上手く座れないため、既に何度か落ちてしまっている。

「大丈夫かな、みんな……」

 心配だなーと呟く。それを耳にしたユゥリが、呆れたように声をかけた。

「あんたねぇ……あの連中があの程度の奴らに遅れを取ると思ってるの?」

「いや、そう言うのは心配してないんだけど……やり過ぎてないかなって。カケル含めてみんな容赦ないからさ。同じ学園の仲間なんだし、再起不能にまで追い込まれるとクラス委員長として肩身が狭くなりそう」

「あ、そ。……あんたもしっかりこっち側なのよねぇ」

 思っていた心配と違って少し呆れてしまう。それだけクラスメイト達を信頼しているのだろう。少し気恥ずかしさはあるが、そうまで言われては悪い気はしない。

 若干赤くなった頬を冬の風で冷ます。

「おやおやー? 副委員長、そんなに顔を赤くしてどうしたかなー? 照れちゃってる? ユゥリ、照れちゃってるのぉ? ぎゃん!」

「ヒール黙れ。あんたは向こうできゃっきゃうふふしてなさいよ」

「あいちち……ヒドイなぁ、ヒーちゃんの頭叩くなんて、極刑に処すぞ、あぁ? っていたっ! 痛い痛い痛い!」

「やれるもんならやってみなさいよ腹黒ビッチ。その時にはあんたの頭、洋ナシみたいに握りつぶしてやるから」

 ビシビシとチョップを繰り返しているユゥリに敗北し、ヒールはデヴィに泣きつきにいった。ふん、と勝利に酔いしれる事なく級友達を見渡す。

 警戒はしているが、それでも最低限だ。後は欠伸をしていたり、ボーっと空を眺めている奴らが多い。緊張していないと言えば聞こえは良いが、これは流石に緊張感が無さ過ぎだ。

 それも慣れたものとして見ている自分がいることに、ユゥリはちょっとした敗北感を感じていた。

「サイハ、あっちは良いとして、こっちの守りは大丈夫なの?」

「ん? それって奇襲についての心配って事? まあ、少しは予想不能な事態とか起きるかもしれないけど、それも大した修正点はないよ。この試験ゲームの勝敗条件は、敵総大将の撃破。または本陣の奪取。つまりこことセルを守り切ればこちらの勝ちは無条件で達成出来る。守ってれば向こうが勝手に落としてくれるだろうからね」

 こんなものゲームにすらならない、と皮肉屋の参謀は口の端を歪めて言った。まあそれもそうか、と頷くユゥリ。

「一応シノオに監視を怠らないように言ってあるから、なにかあればすぐ分かるよ。それまでうちの大将と遊んでたらどう?」

「間違ってるわよ、サイハ。セルと遊ぶ、じゃなくてセルで遊ぶ、よ」

「うっわ、ヒドイ間違えで失礼しましたねっと」

 苦笑しているサイハから離れ、再度セルへと近寄る。するとそこには既に先客がいた。

「暇だ。裸踊りが見たいから取りあえず脱げ、底辺大将」

「いきなりこっち来ていきなり何言ってんの!? リンネちゃん、もう少し口の悪さを押さえた方が良いよ!? おれじゃなかったら結構な致死ダメージ受けてるって絶対」

「ハッ、お山の大将になったら態度までデカくなりやがりましたか。ちょっとオレより背が高いからって舐めた口利きやがって……いっぺん〆てやりましょうか?」

 見た目幼女が放つ黒い殺気にビビりまくっている。はぁ、とため息を吐きユゥリが二人に声をかけた。

「リンネ、あんまりセルを苛めないの。こいつハムスターより心臓ちっこいんだから、その内マヒして死ぬわよ?」

「流石にそこまでではないよ!」

「チッ、確かにそうですね。仕方ねぇから今日の所は勘弁してやりますよ」

 嫌な引き下がり方をするクラスメイトに、げんなりとした表情で責めるような視線を向ける。

 十歳の子供と同じような身長のこの少女も、れっきとしたセルのクラスメイトだ。リンネ・せきおわり。ジト目、毒舌、ロリッ子。ダイノに言わせれば1‐Cのラスボス。この口の悪さに何度も泣かされかけたセルは、その評価になるほどと頷いてしまった。

 リンネは口撃を止め、なにを思ったのか椅子に座るセルの膝の上に飛び乗って来た。

「うわっ! ちょ、リンネちゃん!?」

 突然加わった重量と、少女特有の薫りに顔を赤くさせてしまう。

「ハッ、お前よりもオレの方が偉いんだから膝に乗るのは当然の事でしょう? なにを今さら驚いているんですか。もしかして……興奮してるんですか? このスケベ」

 ニヤリとした口元から発せられた言葉にビクリと体を硬直させた。流石に見た目子供な彼女に可笑しな反応をする訳にはいかない。はぁ、と大きく息を吐き出し、平静を取り戻す。

「まったく、おれは遊び道具じゃないんだから毎回からかうのは止めて欲しいんだけど」

「そうよ、リンネ」

 意外にも援護射撃はユゥリから放たれた。

「セルは皆のおもちゃなんだから。独り占めしないでよね」

「ユゥリさん? 今なんて?」

 もちろん援護はリンネへの援護だが。

 ユゥリとリンネ。趣味であるセル弄りが共通しており、実は仲が良い二人である。


 二人に対して恨みの視線を向けていると、突然辺りに笛の音が響き渡った。

「この音は……」

「釣れたみたいだね。デヴィ、ヒール。ちょっと行って見てきてよ。多分、リリの仕掛けた罠にかかってるだろうから、ふん縛ってきて」

「了解だ」

「うふふーん、デビちゃん、縛るのはヒーちゃんに任せておいてね?」

 ビシ、と縄を持つヒールの慣れた手つきにどことなく嫌な予感がする。セルの視線の先にはデヴィがおり、首筋に僅かに見える縄の痕が気になった。

「ユゥリ、やっぱりアレって……」

「気にしないの。って言うか、セルは見ちゃいけません」

 若干ユゥリの顔が赤いのは、やはりというかそう言う事なのだろうか。少し、友人に対する態度を改める必要がありそうである。

「……ん?」

 ざぁ、と風が流れ、ふとセルは後ろを振り向いた。特に代わりはなく、気のせいかと視線を戻す。見れば、縄でグルグル巻きにされた1‐Aの生徒がヒールに蹴られながらやって来ていた。

「……なんか、嫌な予感がするな。みんな大丈夫かな?」



「ん? なんだあれ?」

 中央の森を超えた先にある1‐A本陣。そこの総大将である生徒は、一瞬遅れて彼等の存在に気付いた。

「んん?」

 それはスゴイ勢いでこちらに向かって来ていた。まさか魔物か、と身構える。

「行くぜ行くぜぇ! 1‐Cの一番槍、カケル・五道! 退かねぇ奴は、轢きっ殺すぞぉー!!」

「なぁ!?」

 バリケードとして立てられていた木材を吹き飛ばしながら、その人物は突撃槍ランスを突き出して本陣へと突貫した。円錐状の槍を止めようと1‐Aの生徒が盾を構えるが、そんなもの関係ないとばかりに弾き飛ばす。

「ハッハァ! 全員手を上げな! これ以上やるとムダな怪我が増える事になるぜ?」

 槍を立てて挑発するように片手を前へと出す。普段から一転した凶暴な笑みに一瞬気圧されるが、即座に武器を構えて対峙する。

「舐めるな! たった一人で本陣に奇襲をかけた所で……!」

「ふむ。すまんな、生憎とカケル一人ではないのだ。こういうのはなんと言ったか……そうだ、糠床が喜ぶだ」

「ぬか喜びって言おうとしたんだろうけど、ちょっと分かり辛いにゃー」

 カケルの後ろから現れたコトウと、木の上で苦笑いしているカシェ。それでも三人だ。1‐Aの生徒は十名はいる。負ける事など考えもせず、1‐A総大将は号令を発する。

「やれ! こんなバカ共さっさと潰してしまえ――!」

「グァ!?」

「だ、誰だっ!?」

 だがそれを遂行出来た者をいなかった。彼等の背後から突然の襲撃が降りかかり、刃を潰した模造刀が彼等を打ち据えた。

「む……ダメだ。やはり斬れない。斬れないと調子が出ない。ああ帰りたい……」

 二人を倒した時点でやる気が下がって行ったのか、急襲したセガミがどんよりと暗いため息を吐いた。

「おいおい、もうちょっと頑張ってくれよ。うちの大将が勝ちたいって言ってたんだからよ」

「む……なら、もう少しやる」

「ふふ、天下の辻斬り魔もセーくんに対しては甘くもなるようだな」

「それはコトウちゃんも一緒だと思うけどにゃー」

 やる気を持ち直し、構えを取るセガミ。さらにカケルも槍を持ち直し、コトウは両の拳をぶつけて腰を落とす。

 それを眺めながら、カシェは自分の出番はないんだろうなと諦めた。元々、カシェはその身軽さや夜目が効く事を生かしての斥候が役割だ。直接的な戦闘は彼等よりも数段劣る。それでも一般的な学生よりも頭一つ抜けているのだが。

 つまり、彼等1‐C武等派四天王は学生レベルを軽く超えている。

 ちなみに四天王の最後の一人は本陣でセルを護衛しているはずだ。

「そらそら、遅いぜ!」

「ぐぁ!」

 重量のある突撃槍を操るカケルは、それを軽々と振り回し一瞬で相手の意識を刈り取って行く。

「斬……れない。斬……れない。後で獣でも斬りに行く」

「こ、恐ぇ……ガク」

 セガミは模造刀で斬り付けながら、暗い目でブツブツと地獄の底から聞こえてきそうな声を出している。軽いトラウマになりそうだ。

「ふむ、確かこういうのを獅子はウサギを狩るのにも全力を出すと言うんだったな。だが私はウサギ派なのだが、どうすれば良いだろうか?」

「し、知るか……」

 思案顔で相手を殴りつけながら、コトウは悩ましげな声を上げていた。

 先ほどまで十人いた1‐Aも既に残るは総大将一人となってしまっている。開いた口が塞がらず、唖然とした表情で後ずさった。

「な、な、なんなんだよ、おまえ達は……」

 相手はしょせん万年最下位の最弱クラスのはずだった。相手取れば、負ける事は無いと思える敵でしかない。そのはずだったのに、今ではそれも逆転してしまっている。あり得ない状況に、恐怖を浮かべて彼等を見る。

「ふふん、どうだ。今度こそ俺の凄さを見てただろ?」

「ふむ? だが倒した数はセガミの方が多かったはずだが? 私が二、セガミが四、カケルが三。凄いな、セガミ」

「……照れる」

「俺も褒めろよー!!」

 敵大将を前にして漫才を始める。こんなふざけた連中に負けるなど、あり得ない。

「まだ、まだだ……! まだ俺たちは負けていない!」

 言うが早いか即座に身を翻し逃走を開始する。この場は逃げ延び、仲間と合流するつもりなのだろう。

「む、逃げたか」

「げっ、ちょっとふざけてる隙に逃げるたぁ、空気が読めない奴だな」

「むしろ空気を読んだからこその逃走なのではないか? こういうのを脱兎の如くと言うらしいが……やはりウサギはいいな」

 追おうとはせず、軽口を叩き合っているカケル達。追えばすぐにでも捕まえられるだろう。けれど、それをしないのには訳がある。

「はぁ、はぁ……!」

 無様にも逃げ出す事になった1‐A大将は一心不乱に足を動かす。先ほど感じた恐怖を振り払うように駆け、地面に足をつけ――

「えっ?」

 しかしそこには地面がなかった。空を切る足と微かな浮遊感。そして、彼はそのまま重力に引かれて落下を開始する。

「にひひ、カップイン! 大成功、だね!」

 落とし穴の底を見下ろしながら、これを作っていたリリが口に手を当ててニヤリと笑った。

「よー、これまた古典的なもんを持ってきたな。てっきり爆発オチにでもすると思ったんだが、これはこれで嫌だな」

「えへへ、カケルくん達もお疲れ様ー。リリ、役に立った?」

「無論だ。万が一にも逃がす訳には行かなかったのだからな。これが最上だ。確かこういうのを……蛇足と言うのだったか?」

「んな訳ないだろ。円満解決とでも言っとけ」

 げんなりとツッコミを入れ、カケルは落ちた際に気を失った敵大将を引き上げる。

「お疲れだにゃー。この人を縛って報告すれば試験終了、うちらの勝利にゃー!」

 クルクルと木から降りて来たカシェが嬉しそうに声を上げる。カケル達もどこか昂揚した雰囲気でそれを出迎えた。

「おう、俺たちが本気出せばこんなもんだぜ。これでうちの大将のお願いも完了か。くくく、これをネタに今度はどんな無茶振りしてやろうかね」

「あまりセーくんを弄るのは感心しないぞ。まあ、それはうちのクラス全員に言える事だが」

「特にユゥリちゃんはにゃー。好きな子には意地悪をしたくなるそうにゃけど、そんなもんなのかにゃー?」

「……それはつまり、カケルはセルの事を……いや、なんでもない」

「おいコラ、なに言おうとしやがった? 変なこと言ってんなよな!」

 言葉の合間にカシェは空に花火を打ち上げ、勝利の報告を終える。これで後は本陣に戻りセルを胴上げでもすれば良いだろう。

 そう考え、

「おい貴様ら! すぐに戻れ!」

 突如として響いた声に目を丸くした。

 森の入り口からマキフネが肩を上下に揺らして現れ、焦ったような表情でカケル達へと指示を出した。彼の様子に疑問したカケルは、どうしたのかと問う。

「おいおい、試験は終わりだろ? これ以上なにが……」

「シルフからの伝言だ、この森に悪魔が出現した。それもかなり高位の存在だ!」

 悪魔とは魔物と同様、人に害を為すものの総称である。特に高位の者になれば幻想種とも呼ばれ、特異な能力を有しているものが多い。一介の学生にどうにか出来る様な存在ではなく、騎士団でも精鋭が相手取るような連中だ。

 それらに出会った際、逃げるのが一番の対策と言われている。

「それが複数、本陣に現れた。……セルがピンチだ」

 けれど、彼等の守るべき存在が危機に陥っていると言うのならば、そんな手段取れるはずがない。

 カケルは突撃槍を肩に担ぎ直し、体を低くして走り出す直前の姿勢を取る。

「先に行く、おまえ達も急いで来い! 俺とあいつでどこまで凌げるか分からねぇ!」

 言うが早いか、一気にトップスピードへと体を持って行く。足が地面を踏むと同時にさらに前へ前へと突き進む。一番槍にして駆ける事に関しては天賦の才を持つ走者、カケル・五道は一瞬にして仲間たちの視界から消え去った。

「了解だ、リリ、乗れ」

「うん!」

「カシェ、先導を。我らも、カケルに続く」

「分かったにゃ!」

「わ、私は少し休んでから行くからな?」

 体力的に難のあるマキフネをその場に残し、コトウ達も急ぎその場を後にした。



 セルは目の前で起こった事が理解出来ずにいた。ヒール達が奇襲しようとしていた1‐Aの生徒を引っ張って来て、彼等と話をしようと側へと近寄った。リリの罠にかかり少しの傷は負ってはいるが、大したものでなかったのは僥倖だった。手当の指示を出すために顔をそらした。

 その一瞬で、彼等は地面へと吸い込まれて行った。

「な、なに?」

「セル! 退がりなさい!」

 ユゥリに襟を掴まれ、引き戻される。間一髪、地面にパカリと穴が開き、先ほどまでセルの近くにいた1‐Aの生徒が一人、彼に代わって落下する。悲鳴を上げる暇もなく地面の下に消えた少年。同時にバキバキという異音が響いた。

「く、喰われた……?」

 青ざめた顔でその様子を眺める。地面からはジワリと赤い染みが広がり、何かがズズ、と蠢いたと思うと別の生徒の下に移動する。そして、

「ひ、ひぃいい!?」

 パカ、と地面が口を開き、再度咀嚼音が発生した。

 固まっていた1‐Cの面々はそこでようやく我に返り、行動に移る。

「全員後方に避難! 地面には立たず、椅子や机の上に登りなさい! アレは地面にいる奴を知覚する!」

「リンネちゃん!?」

 下がる友人たちとは反対に、リンネはそのまま一息に前へと出た。そのまま赤い染みの出来た地面に向けて刃が二つついた二刃短剣ツイン・ソードを突き刺した。

「ギィイイイ!?」

 耳を塞ぎたくなるような異音と共に、地面の中から何かが飛び出した。カエルのような姿に、巨大な口。目は退化しているのかどこにも存在せず、臼のような歯が口から飛び出している。

「チッ」

 追撃を仕掛けようとした所へ他の悪魔が近寄り、地面を開きリンネへと喰いついて来る。軽やかにバックステップで躱し、懐から取り出した鎖を飛び出した悪魔に絡みつける。

「ふっ!」

 グイ、と引っ張って無理やり引き付け、噛みつきを避けながら腹に短剣を突き刺した。柄を挟んで刃の反対側にも刃の付いた短剣を器用に操り地面へと再度突き立てる。だが今度は手応えがなく、素早く跳躍して椅子の上に着地する。

「スカしたみたいですね」

「リンネちゃん、無事!?」

「平気に決まってます。オレがこの程度でどうにかなると思ってるんですか? 〆ますよ?」

 武道派四天王最後の一人の口から放たれる毒舌が通常運転であることに安堵し、セルは動かなくなった悪魔へと視線を向けた。

「あれ、アバドーン?」

「そうです。地の底から喰らうモノ、その名の通り、食欲旺盛な連中です」

 ほら、と指を向けるとその先には1‐Aの生徒を貪り食っている悪魔の姿があった。地中に落とされたものは咀嚼され、地上に出て来た悪魔は動けない生徒たちに群がって齧りつく。血の匂いに加え、悲鳴がこの場の地獄を余計に掻き立てる。

「っ、この!」

「待つんだ! 僕たちが行った所でどうにか出来る訳がない! ここは大人しく援軍が来るのを待とう!」

「でも!」

「セル、落ち着いて。ここはサイハの言う通りよ。見てみなさい、あいつら、どんどん集まって来る」

 ユゥリに指差された先にある広場には、地中から出て来たアバドーンが昼に作って残ったカレーに殺到していた。見ただけでも十は超えており、今の戦力では太刀打ちできないのは明らかだ。悪魔と対等に戦える者など、このクラスでも多くはないのだ。

「ひぃいい!? 痛いぃいい!! 腕が、腕がぁああ!?」

「いや、いやぁああ!! 来ないで、食べないでぇえええ!?」

 四肢を齧られている少年を見て、少女は半狂乱となって後ずさる。そんな惨状を見て、ただ耐えるしかない。

「…………」

「辛いとは思う。でも、ここは我慢してもらわないと――」

「……るかよ」

「えっ?」

 サイハの言葉を遮り、絞り出す様に声を発する。

「黙って見ている事なんて出来るかよ!」

「セル!?」

 木材を持ち、跳躍して地面に着地する。その勢いのままに女子生徒の指に齧りついていたアバドーンを殴り付け、男子生徒の腕を奪い合っているもう一体に突き立てる。

「こんな状況で黙って見捨てるなんて出来る訳ないだろ! 来い、化け物ども! おれが相手になってやる!」

 半ばから折れた木材で地面を叩き、注意をこちらに引きつける。

「っ!」

 大口を開けて迫る悪魔を前に、臆すことなく睨み返す。

「「セルちゃん!?」」

「セルくん!」

 仲間達の叫び声が聞こえる。実力的にあまり強くはない彼ではあの悪魔に太刀打ち出来ない事が分かっているのだ。助けに入ろうと身を起こし――すぐに立ち止まる。

「……はぁ、遅いですよ、まったく」

 リンネの漏らした呟きは、ドン、という音によって掻き消された。

「間に、あったぁ!!」

 セルに襲い掛かった悪魔を、地中に潜む別の個体もろとも突撃槍が貫く。

「カ、カケル?」

 肩で息をしながら現れたのは先ほどまで1‐Aの本陣にいたカケルだった。驚くほどの速さでこの短時間の内に戻って来たカケルは、セルを守るために飛び込んだのだ。

「っ、この、バカ野郎! いつも言ってんだろ! 無茶してんなよな!?」

 握った拳でセルの頭を強かに殴り付け、言葉を荒げる。

「うっ、ごめん……」

「ったく、おまえらもこいつの事ちゃんと見てろよ。こういう奴だってのは分かり切ってただろ?」

「分かってても防げるかどうかは別問題だとおもいますけど――ね」

 クラスメイトに不満を言うカケルの背後から襲いかかるアバドーンを鎖で縛りつけ、斬り捨てるリンネ。どこかムスッとした表情だが、彼の言う事も最もなため素直に聞き入れた。

 と言うよりも、

「大体おまえが悪ぃんだけどな」

「うぅ、ごめんってば。悪かったよ」

 ダイノの言葉にしゅんとうな垂れる。だがそれもすぐに切り替え、セルは生き残った1‐Aの生徒の下に駆け寄った。

「生存者は三名、内二名は重症……アイシア、すぐに手当てをお願い!」

「分かりました! ダイノくん、シノオくん、デヴィくん! 彼らをテーブルの上にお願いします!」

 少しでもアバドーンの標的から逃れるために彼等を移動させる。その間にも悪魔たちはこちらを狙って来る。

「カケル、リンネちゃん! 大丈夫?」

「俺は問題ないぜ!」

「こちらも。それに、援軍も到着しているようですからね」

 その言葉と同時に空から矢が降って来た。さらに銃声が響き、地上にいるアバドーンを攻撃する。彼等の知覚の範囲外からネムとシルフが狙撃しているのだ。

「もう少しすりゃセガミ達もこっちに来る! このくらいならまだなんとかなりそうだぜ!」

「うん、じゃあよろしく! ユゥリ、学園への連絡は?」

「したけど、どうも反応が返って来ないのよね。多分、向こうにもなにかしらのアクシデントが起こったんじゃないかしら?」

 チッ、と舌打ちをするユゥリの言葉に、セルは歯がみする。悪魔アバドーンを相手に出来るのは武道派四天王くらいなものだ。ダイノやデヴィも一対一ならばまだ対抗出来る。だが、こうも乱戦となってしまってはいたずらに前に出す訳にはいかない。遠距離からの攻撃は有効ではあるが、地中にいる相手には届かないため全てを殲滅するには至らないのだ。

 さらに言えば、アバドーンに対して銃撃はあまり有効な手立てではない。古代種エルフであるシルフならば単体で魔力を発動できるため、矢での攻撃は効果が見込めるだろう。しかしながら魔力を付与出来ないネムの銃弾ではアバドーンの分厚い脂肪を貫く事は難しいのだ。

 アイシアが欠損の激しい男子生徒の治療を行っているため、逃げ出すことも出来ない。

 厳し過ぎる状況に、セルは知らずのうちに拳を握りしめていた。

 その手を解す様に、温かな感覚が手の甲に触れる。

「えっ……ユゥリ?」

「大丈夫よ、安心して。例えどんな事があろうとも、私たちはあんたを守って見せるから。絶対にね」

 力強くも優しげな言葉が向けられる。見れば周りにいた仲間たちも同じように彼を見つめていた。

「手近なものでバリケードを作るんだ! その際にシートなんかを地面に置く事を忘れないようにね!」

「いよっしゃー! 力仕事は任せておけよー!」

「デビちゃん、このテント崩すの手伝ってぇ!」

「「包帯とお薬ー」」

 サイハの指示で悪魔と戦闘している者以外のクラスメイトが行動を開始する。カケル達は迫るアバドーンを迎撃していた。

「すまない、少し遅れた。遅れを取り戻すために、斬る」

「リリ、マキフネ。ありったけの爆薬をばら撒くのだ。ここは私たちに任せるが良い」

「うにゃ、爆発物ならシオノんも持ってるはずにゃ! なんたって忍者にゃし」

「だーかーらー、オレってば忍者じゃないって何度言ったら分かんだよ!」

 戻って来たセガミ達も攻撃に加わり、大勢はこちらが有利だろう。

「……なんだ?」

 それでもセルの中では嫌な予感が止まらないでいた。その証拠とばかりに、アバドーンの数は一向に減らない。

 その様子に違和感を覚え、再度周囲を見渡した。

「……え?」

 ようやく違和感の正体が分かった。それは、倒したはずのアバドーンの死骸がどこにも見当たらないこと。今までカケル達が倒して来た悪魔の姿が影も形もなくなっているのだ。そして、今彼等は誘導されるように一角に集まってしまっている。

「マズイ! みんなここから離れて!?」

 セルの叫びを受け、ユゥリ達はすぐさま行動を起こした。ダイノ達男組は負傷者を担ぎ上げ、アイシアは欠損のある男子生徒の傷口を押さえながら退避する。

 すると次の瞬間、地面がベコリと陥没した。

「なんだぁ!?」

 地面もろともその上にあったものが全て吸い込まれていく。もしも退避がもう少し遅れていれば、セル達もあそこに呑み込まれてしまっただろう。

 手を止めるカケル達。その隙をついてアバドーンは撤退を開始した。地中へと潜り、大穴を開けたナニカへと寄り添うようにして。

 吸い込みの風が収まると、ソレはのそりと姿を現した。

「で、か……」

「うわぁ……これはまた、やばいね」

 異様の姿にポカンと口を開けるセル。すぐ側にいたサイハの青い顔が印象的だった。

 槍を取り落としそうになりながらも頭上を見上げ、カケルは掠れる声で呟いた。

「幻想種悪魔……」

 他の悪魔よりも恐ろしく、また力のある悪魔。空天の座において一〇八体存在すると言われる幻想種。目の前にいるのは、その内の一体。

天地喰らう無限(アバドール)の悪魔……」

 サイハの震えた声にセルの顔はこれ以上ないくらいに強張る。知識としては知ってはいるが、こんなものと遭遇するなど考えた事もなかった。

「ぁ――み、みんな……」

 小山のような巨体に、バカリと開いた口は漆黒の闇だけが蠢いている。顔はなく、ただ口だけがある山。

 先ほどまででも十分あり得ない状況だった。それなのに、今はさらに絶望的だ。逃げ出せるか思考し、すぐに理性が首を横に振った。

(ダメだ、こんな奴から逃げ出せるはずがない……! くっ、なんでさっき逃げなかったんだ!)

 アバドーンだけならばまだ振り切れた。だが、アバドールの口から逃れられる術など考えつかない。自分の判断の遅さに怒りすら覚える。

「みんな、ごめん……おれが……」

 顔を伏せていたセルが顔を上げ、絶望と向き直る。そして、

「……えっ?」

 唖然としてしまった。

 悪魔アバドールは一介の学生に倒せる相手ではない。それは単純に力量がどうのと言った話ではなく、絶対的な《力》が届かないからだ。例えそれが古代種エルフの少女だとしても、一人の魔力ではどうにもならない。腕一つで山を崩せるかと言うのと同じだ。

 そんな事は、この世界に生きている者にとっては常識である。

 それなのに――

「さぁて、どこまでやれっかね。セガミ、コトウ、リンネ。どれだけつと思う?」

「戦い方次第で……五分ですね。まあ、その後のお食事タイムを考えれば一人くらいは逃げ出せるかもしれませんが」

「む……最後に斬るのが幻想種。是非もない」

「ふむ、それは困った。我ら十九名、その内の一人を逃がすとなると……多数決で決めるべきだろうか」

 彼等は武器を手に少しの怯えも見せずに巨体と向き合っている。

「さてね。どう思う? 副委員長」

「そこであたしに聞くってのがあんた達らしいわよね。そうね、ならそうしちゃいましょうか」

 サイハの問いにニッと笑みを深めて全員を見渡す。武道派だけではなく、マキフネやアイシア、頭脳労働担当だと言って憚らないサイハまでもが剣や槍を手に取っている。だがしょせんそれは試験用に支給された刃のついてないものばかりだ。殺傷能力は皆無と言っても良い。

 それなのに、立ち塞がっている。

 双子のギリアとアリアが。デヴィとヒールが。リリにカシェまで。

 彼らを見渡し、ユゥリは問う。

「逃がすのはクラス委員長であるセルが良いと思う人! 手を上げて!」

 バッ、と一斉に手が上がる。シルフやネムも近寄りながら上げている。

「ま、待ってよみんな――」

「それでは満場一致でセル・くうをなにがなんでも逃がすことに決定します!」

 遮り、セルへと視線を向ける。皆が。だれもが笑ってセルを見る。その姿に気圧され、ゾクリと背を震わせた。

「そう言う訳で、良い? セル。あたし達があれを押さえてる間に逃げなさい。絶対に、なにがなんでも逃げ延びなさい」

「ユゥリ! おれがそんな事出来る訳ないだろ!? みんなを、置いてなんて!!」

 セルにとって奥底にある最初の記憶はクラスメイト達の顔だった。重傷を負い、記憶さえ失ったセル・空が目を覚ました時、彼等は揃ってセルの前にいた。涙ぐむ者、顔を綻ばせる者、とにかく彼等は目を覚ましたセルをなによりも先に受け入れてくれた。その後だって、彼等は事あるごとにセルの味方でいてくれたのだ。

 それなのに、今この場で見捨てるなどと。

「出来る訳ない……そんな事!」

「セル……」

 涙を流し縋る様にユゥリへと手を伸ばす。だが、彼女はそれを優しく払った。

「セルがあたし達を想ってくれてるのと同じように……ううん、それ以上に、あたし達はあんたに感謝してるのよ? この十年間であんたがあたし達をどれだけ助けてくれたのか、忘れた訳じゃないでしょうね?」

 ふふ、と微笑みながら背を向ける。刃の無い剣を片手に、彼女は皆の前へと進んで行く。

「だから、あんたは気にしないで生き延びなさい。そしてそれを誇りなさい。あたし達は、みんなでそう願ってるわ」

「あ……」

「まぁ、こればっかりはね。全員が生き延びる方法を見つけたいけど、現状そうは言ってられないし。今はとにかく君を生かす事を考えなきゃだし。そう言う意味だとこれが最善としか言えないんだよね」

 サイハが言い、ポン、と肩を叩いた。

「セルくん、辛い事を言っているのは分かる。でも、私たちにとってあなたは恩人で、なによりも助けたい相手なの。だから、今は生きて」

「諦めなさい。こいつらはお前に対して過保護なんですから」

 アイシアとリンネの微笑が見える。

「君に対しては、色々言いたい事はあるけど。まあ、一つ言える事と言えば、君がいたから僕は最愛の人と出会えた。感謝してるよ」

「やん、デビちゃんってば、それもしかしたらヒーちゃんの事ぉ? うふふ、それならヒーちゃんもおんなじ気持ちよん。ありがと、セルちゃん?」

「へへっ、おまえとバカやるのは楽しいからな。今度はもっと楽しもうぜ?」

 デヴィ、ヒール、ダイノが親指を立てる。

「餞別だ。いざとなったら使うと良い。私の失敗作で悪いが、目くらましくらいにはなるだろう」

「リリはおバカだけど、それでもセルくんに助けて貰ったことは忘れた事なかったよ? だから、今度はリリが助ける番なんだよ!」

「私もー、寝てばっかりじゃないんだからねー?」

 マキフネから薬品の入った小ビンを受け取り、リリとネムがウィンクをする。

「ったく、忍は主君に殉じる、なんてダサいと思ってたけど、中々捨てたもんじゃねーな。ま、オレは忍者じゃないけどな!?」

「にゃはは、素直じゃないにゃあ。そこは皆そんな感じにゃけどにゃ」

「縁があればまた会えるわよ。クソでもしながら待ってなさい」

 シノオとカシェ、シルフがくしゃりと頭を撫でる。

「「またねー。……絶対に、またねー?」」

 両隣りから双子のギリアとアリアが顔を押し付ける。

「私の拳はセーくんのためにある。それを、忘れないで欲しい。こういうのを、なんだ。他生の縁と言うんだったな」

「我が刃もだ。忘れるな、セル」

 コトウとセガミが己の得物を掲げて前を見据えている。静かに佇むアバドールを前に、少しの怯えもない。

 カケルが槍を地面から引き抜き、空へと掲げた。

「俺はまだ騎士じゃねぇ。それでも、俺が仕えるべき王は決まってる。初めっから、おまえと出会ったその時から。だから、生きろ。俺を従えるに足る実力を、育てて見せろ。そん時になったら、こっちから出向いて膝をついてやるよ」

「なにを、みんな何を言って……」

 狼狽するセルを無視し、セガミは1‐Aの無傷でいる女生徒の縄を斬ると守るべき王へと押し出す。

「セルを連れて逃げろ。無傷のオマエならば出来るだろう」

 他の二名は既に虫の息だ。そのため、セルを逃がすために彼女を頼ったのだ。状況が分からず混乱する女生徒に、リンネは殺気を向けながら言い放つ。

「少しでもそいつが傷つけば、オレ達はお前を許しません。ここで喰われて死ねばよかったと思える責め苦を与えてやります。それを、忘れるな」

「っ!? わ、分かりました……」

 濃厚な殺気に顔を青ざめる少女。コクコクと必死に頷き、セルの手を取った。

「ま、待ってくれ! みんな!?」

 声をかける。だが、既に彼等の腹は決まっている。

「おいおい、おまえが物騒な殺気出すからあちらさん、完全に俺たちを敵認定しちまったぞ?」

「ふむ、それはそれでちょうど良いのではないか? 少なくとも、こちらを的にしてくれればセーくんが逃げ易いだろうし」

「いわゆる一つのファインプレーって奴ですね」

 カケル達は軽く言い合い、武器を構え直す。同時に、アバドールが咆哮する。

「――――――――!!」

 体が痺れる程の雄叫び。一瞬体が硬直してしまった。

「行きなさいっ! セル!? 絶対に、生きるの!」

 ユゥリの声。弾けるようにして女子生徒はセルの手を引いて駆け出した。

「あ、あぁ……」

 止まる事も出来ず、恐怖に支配されながら走る事しか出来ない。後ろから轟音が響くのを聞き、それでも振りかえる事が出来ない。それが悔しくて、苦しくて、涙する事すら忘れて駆け出していた。

この作品は主人公最強物ではありませんが、覚醒後は強キャラになる予定です。今はまだ逃げることしか出来ませんでしたけど……。

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