第88話『血の涙』
これでアリスの過去編はひとまず終了です。
「オレハ両親をコロシタ」
……こいつは、何を言っているの。
「ど、どんな顔をするか見たかったっ、だけっ!くひひっ……なのにあいつらときたらさぁ、く、くくっ!!泣き出すんだよっ、必死に俺に、俺にしがみつきながら!『助けてっ!お願いぃ助けてぇ!』って!!!ひたすらそればっかり!!!泣いて泣いて泣いてっ!涙っ!鼻水っ!その他諸々、汁という汁を床にだらだらぶちまけちゃってさぁ!くくっ、余りの奴らのおぞましさに笑っちゃったよ!何一つ感情という感情を知らなかった僕がっ!ハハッ、ハハハハハハハハハハ」
奴の感情の無い不快な笑いが耳に信号として入ってくる。
どこを見ているのか、その顔は私に向いていながらも目の焦点は明らかに他、というよりも目まぐるしく移りに移って、ある一点に定まっていなかった。その奴の言動はもちろんの事、奴の様子は既に常人のソレでは無かった。壊れた人形、今の奴にはそれが最もお似合いの言葉だった。
「だから、殺したんだよ。だって、いくら面白いからって言ったって、ずっとずっと同じリアクションしか取らない玩具なんて楽しくないでしょ?そう思わない?だから、殺した、いや捨てたんだよ。くひひ」
奴の言動は一見、落ち着いたように見えたが言っている事は狂人そのものだった。
私は、私は……何故、何故この男に恋してしまったのだろうか。今では分からない。
ただ、ただ私は奴の人間性を見抜けなかった自分に対して不甲斐無さ、怒り、憎悪……そういった諸々の負の感情がこの胸の内に満たされていく………
「ハハッ!だから、君みたいな感情の起伏が激しい子は大好きだよっ!ハハッ、あはははははははははは」
「っ、もうっ!やめっ、やめてよっ!!!」
もう、もう私は自分のうちに満たされてゆく負の感情が抑えられなくなってしまった。
気付けば私は奴をコンクリートの塀に押し付けて、奴の首を絞めていた………
「ふざ、ふざけるな………ふざけるなぁ!あんたはっ!あんたは!単にそんな理由で……そ、んな理由で………っ」
その続きは言葉にならなかった………私は、私はこの男に裏切られたんだ………頬に暖かいモノが流れていく感触が、何、何で………泣き、たくないのに………無意識に私は自分の頬を触り、その暖かいモノを見た。
ポタッ、ポタッ……
ーーー血。
それは、血の涙だったーーー
「……っ」
……何よ、今の……確か、確かに私の目から血の……けれど、違う。普通の涙………幻覚、幻覚……なの?
「くっ、くくく………」
そして、もう一度、奴を見ると何がおかしいのか愉快そうに笑っていた……
「な、何がおかしいっ?!」
ギリギリ、ギリギリ………
私は首を絞める力をだらに強めた………死んでしまうかもしれない、でももう自分を制御できなかった。
「ぐ、く、ぎ…ぐひひっ!そ、りゃ……くびっ、くひ…おかしい、ねぇ………くひひっ」
「あぁっ?!」
「君達、姉妹は、ぐぎぎっ、似過ぎ、なんだよ、くび、ぐぎぎ………」
「……?どういう意味っ?!アンタ……まさかっ!エリスに何かしたのっ?!」
ドンッ!
私は奴の首を絞めていた手を離し、そのまま地面に叩き落とした。
「はぁ、ハッ、は……ハハ、僕は、何も、してないよ………クククッ、それでも、それでも心配なら入るといいじゃないか、そこに、くくっ」
奴は未だに不愉快な笑みを浮かべて、私の家を指差しそう言った。
「………っ」
私は一目散に我が家の玄関に向かった、何故かは分からない。奴の言葉を信用している訳じゃないが、自然と私の足はそこに向かって動いた。
「………くひひっ」
「もう既に遅いかも、だけどね………くひひっ」
「………」
玄関に入ると、電気は消えていた。
……誰も、いない?
「………エリス?」
………
返答は無い、暗闇に向かった私の言葉に対しての返答は無かった。
………誰もいない……?
「………エリス、いるの?」
靴を脱いで家に上がる。
ミシ、ミシ……
もう随分古いこの家の廊下を歩いていると今のようにミシミシと音が鳴る。
その軋る音以外、一切、音という音は聞こえてこなかった。
「エリス……エリス、どこにいるの?」
でもいる、エリスはこの家のどこかにいる、私は確信していた、いや感じていた。
この先に見える左側の扉は………リビングだ。
「………?」
そのリビングの扉は半開きになっていた……おかしい、朝はちゃんと閉めたはずなのに。
不審に感じた私はその半開きのドアに近づいて行った。
「………暗くて、よく見えないわね」
半開きとは言えどリビングの電気は消えているので中の様子までは見えない………
……見てみますか、と私は半開きのドアに手を掛けたその瞬間………
『ヒュー………ヒュー………』
かすかな音が聞こえた。
何かの音……物音?いや、違う………風?風の音にしてはやけにリアルのような………
「………エリス、入るわよ」
ドアノブを握る手の力を強めた。
「………」
ゆっくり、ゆっくり………扉を開く。
何故か、ドアノブを握る手から汗がにじみ出てくる………何だろう、この、緊張感は。
キィ、キイィィィ………
電気のスイッチは丁度リビングに入りすぐ右側にある。
私は暗闇の中、手探りでそのスイッチを探す。
………左手にスイッチの凹凸の感触があった、これ。
そして、私はそのスイッチを押した。
部屋に電気がつき、私の視界に現れた光景はーーー
装飾された壁、テーブル、イス、その他諸々………らしき跡ーーー
テーブルにはイチゴケーキ、七面鳥、その他諸々………それらしき跡ーーー
そして、床一面にぶちまけられたケチャップーーー
さらによく見てみると、ケチャップに異物が混じり合っているーーーーー血、真っ赤な、新鮮な、鮮血。
その、血の元を辿ってみるとーーー
手首からパッサリ、大量の血を流した少女エリスが床で仰向けに倒れていた。
「エ、エ、リ、ス………?」
な、んで………なんで、こんな事。嘘、嘘、嘘、何コレ………夢、悪夢を見ているみたい………
「ヒュー………ヒュー………」
……エリスは肩で息をしていた、まだ息はある………
「エリスッ!!!」
誰か、誰か、誰かッ!!!
叫びたくなる気持ちを必死に抑えて私はエリスの元に駆け寄った。
「ヒュー………ヒュー………お、ねぇ、ちゃん………」
「エリスッ!エリスッ!エリスッ!エリスぅーーー!!!」
私はエリスを抱きしめた。
何?何なの?何なのよコレ……もう、何も考えてたくない、きっと、きっとこれは………夢、夢なんだ。
一時の過ちを犯した神様から私への天罰、きっとそう、天罰なんだ。
だからこんな悪夢が目の前に………なら、ごめんなさい神様、だから………だから、もう、早く、目を覚まさせて………こんな、こんな、こんな悪夢はもう、もう嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌………
「嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌………」
「ヒュー、ヒュー、ハァ………ハ、ァ」
私が何度唱えても、エリスの目は虚ろ虚ろ………何やらワケのわからぬ色で染まっていく。
濁り濁ったエリスの目は私を捉えていた、何か訴えたいかのよう………
そしてエリスの目は濁りが消え、次に徐々に赤に充血していく………抱きしめているエリスの身体からは徐々に力抜けていくのが分かる………エリスはずっと私を見つめていた。
充血したエリスの目から、何か液体が零れていく、ポタッ、ポタ、ポタッ、ポタ………
ポタッ、ポタッ……
ーーー血。
それは、血の涙だったーーー
「ヒュー、ヒュー………おねえ、ちゃん………」
そして、おそらく最後であろうエリスが力尽きる前に残した言葉、それはーーー
「あイツモ、おマエモ、ユルサナイ、ゼッたイ、ウフ、うフふフフ、ウフフふふフフふフふフフフふふふフ」
ドサ………
私と浩二に対する恨み詞だった。
ーーーあれから一ヶ月。
エリスの両親のいないひっそりとした葬儀が終わり、私は自分の部屋の荷物をまとめていた。
身寄りのいない私を遠い親戚の……橘家の人が引き取ってくれるらしい。
何故、そんな会ったこともない親戚の人が私を引き取ってくれるのかは分からない。
でも、私は断る気は無かった、いや断る気力が無かった、というより何もする気力が無かった。
今、片付けている私の部屋の荷物もほとんど無い………ほとんど引越しの業者さんがやってくれた。
そして私はというと残った思い出の品を漁っていた。
別に……何となく、漁っていた。
昔のアルバム、小学校の頃に使っていたリコーダー、成績表、卒業作文等………懐かしい品々が出てくる。
中でもアルバムの写真にはほとんど私と妹が写っている写真で占めていた。
私の思い出の中にはあの子しかいなかったのね………そんな感慨にふけながら私は両手にそれらの思い出の品々を抱えて表に出た。
パチ、パチッ、パチ、パチ………
思い出は灰の中、私はそれら全ての思い出の品々を燃やした。
決別するために、自分と、奴と、エリスに。
真っ赤な炎、メラメラと燃え上がるその様は私の中にある黒い感情を増殖させる、それは憎悪という名の感情。
それは小田原浩二、………そして自分に対して。
ーーーだけど、私は大切な人を失うと同時にーーー
『S県S市、飛び降り自殺。男子中学生、1人死亡ーーーあまりの異常な死に周囲の住民は戸惑いの色を隠せない模様。しかし、詳しい死についての情報は住民に問いただしても恐怖のせいか誰も答えようとしない。警察もこの事件については大まかな情報のみで詳しい情報については非公開ーーー謎の男子中学生の死』
新聞の記事にそう書かれてあった、そしてその記事に写真つきで亡くなった男子中学生の顔も載せられていたーーー
ーーー亡くなった男子中学生、小田原浩二(13)ーーー
復讐の相手も失ってしまったーーー
ーーーなら、私は、この押さえきれない感情を誰に、誰に向ければいいの……?
ーーーあぁでも、あと1人残っていたな………復讐の相手。
ーーー私、自身だーーー
ポタッ、ポタ………
ーーー血の涙、真っ赤な、赤、新鮮な、鮮血の、赤。
ポタ、ポタッ、ポタ、ポタ………
今でも、絶えず、私の中でソレは滴っている。