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第85話『誘惑』

彼の唇の味。

それは甘い甘い、ただ雌を引きつけるためのフェロモン。

そして、鉄の味、すなわち血。

甘い、本当に甘い、甘さが勝っている。

息が苦しい、あれからどれほど経っているのだろうか。

そんな時間を忘れるほど彼の2回目のキスは甘く、そしてどこか切ない味だった。

「………………」

彼と私の両者に言葉はなかった、あるのは今という時。

私はもう抵抗する気力もなかった、むしろこの彼の唇の甘さに惹かれていた。

すごく、甘い。意識が薄れてしまいそう。

だから、私はさらに彼を求めた、ディープ。

殻の心が満たされてゆく、何者かの手によって。

もう、それが何者でも良かった。私には今を受け入れるしかない。

それだけが私を動かす力でしかなかった。

「………アリス」

すっと、彼の唇が離れていく。

口元から離れた瞬間、寂しさがこみ上げてきた……私は、私はこんなに弱い女だったのだろうか。

もう、私の目は彼から離す事ができなかった。

あぁ、もう私は………






しかし、ほんの一瞬、それはほんの一瞬。

私は見てしまった、奴の目、奴の私を見る目が同情の色を帯びていたのを。






パチンッ!






「………っ」

私は右手を振りぬいた、奴の頬をめがけて。目からとめどもない涙が溢れてきた。

「痛いなぁ……」

私は悔しかった、目の前の男に一瞬でも心に隙を見せてしまったことを。

「馬鹿にしてんのっ!?」

だから堪らず私は奴に罵声を浴びせた。

「………………」

奴は何も言わず、ただただ次の私の言葉を待っていた。

「私は……!私はっ!あんたのこと、大っ嫌い………!今まで、そう感じていた」

そう、私は目の前にいるこの男が嫌い………その気持ちに偽りはなかった。

「今でもあんたの顔を殴ってやりたい気分………!なのにっ、なのにあんたは………!」

「………………」

「………っ」

その先の言葉が出てこない。

目の前にいる男の瞳がさっきのような哀れんだような瞳ではなく、真摯に、それはもう純粋で真剣な、思わず今の私が目を逸らしたくなるような瞳で見つめていたから。

「………………」

「………………」

ヒュー………

奴と私の間に夜の風が通り抜ける。

無言の間、それを崩したのは奴の方からだった。

「とりあえず………踊ろうか?」






「………………」

「………………」

ステップ、ステップ、ステップ。

それは周期的に華麗に踊りきることが出来れば最高のダンスが生まれる。

最も、それはパートナー同士との相性が絡んでくる。

技術が良ければいいってものじゃない。

臭い台詞かもしれないけれど、ダンスは技術を超えたパートナー同士の意思疎通が重要となってくる。

支えあう。

1人が1人を先導する。

他人から見ればその姿は単に人任せのように見えるけれど。

足並みを揃える、体の動きを合わせる、そして軽やかに。

ステップ、ステップ、ステップ。

それは意思疎通なしでは語れない動作。

それを目の前の男は当たり前のようにこなす。

私が右にぶれようものなら、わずかに左に体重をかけて。

私が左にぶれようものなら、わずかに右に体重をかけて。

ダンス等、経験した事もない私にとって奴の動きは繊細で華麗で美しく、同時に当てつけの様な。

でも、今の私のはソレが不快ではなくむしろ空いた心が少しずつ満たされていくようで。

先ほどのようなわけの分からぬ何か不純物で満たされていくような感覚ではなかった。






「………アリスちゃん」

私の耳元で奴の私を呼ぶ声が聞こえた。

「………何」

私は無愛想な声で返事をした。

「もいっかい、キスしてもいい?」

にっと、無邪気な笑顔で奴はそう言った。

「………馬鹿っ」

私は何故か奴から顔をそらしてしまった。

徐々に自分の顔に熱が帯びていくのが分かる………不覚、一生の不覚。

死んでしまいたい………この世の塵となってしまいたい………

「んー?どうしたの?アリスちゃん?」

ニコニコ

………とびっきりの素敵な笑顔。

………ムカつくっ、本当にムカつく奴っ!顔面に思いっきりキツイの一発入れたい!!!

「…………」

「黙秘……っと。それは肯定の意味でとっていいんだよね?」

奴はニヤニヤしながら私に尋ねる。

いけない、感覚が麻痺しているのかもしれない。

この男の人を喰ったような性格に振り回されっぱなしの私って一体………

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

「………んぅ」

奴の唇と私の唇が重なる。

甘い、やっぱり甘い。3度目のキスは濃厚で、ほんの少し、ほんの少し苦いものであった。

切なくて、寂しくて、辛くて。

でも、そんな暗い暗い感情しか残されていなかった『開かずの部屋』の少女に初めて光が灯された。

それは『恋情』という名の感情が『嫌悪』という名の感情に押し勝った瞬間であった。






でも、彼女は気付いていなかった。






遠くから2人を見つめる自分と瓜二つの少女をーーー






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