3話 「浅い深海」 前編
中央部での戦闘が終了してから十数日後、グレン達はようやくロック砦へと帰還した。砦の入り口である門をくぐり抜けると耳を塞ぎたくなる程の歓声が聞こえたと思ったら、多くの人間達が駆けてきた。駆けてきた人達はあっという間に門前の広場を埋め尽くした。皆が勝利を祝っていたのだ。なにしろCTRを交えた戦闘では9割はこちらが敗走しているのだ。残りの1割も善戦した結果辛くも勝利したのであって被害も甚大だった。
そんな中、今回の戦闘では半数以上の死傷者をだしたものの参加した兵士達の多くが帰ってくることが出来たのだ。それを喜ばずにはいられない。帰ってきた兵士達の中にはすでに砦にいた友人たちと語らっていたり、事の次第を報告しに行ったりしている者もいる。そのほかの兵士たちも砦の人間たちに囲まれて今回の戦いについて聞かれていた。聞かれた兵士は自分自身がやったかのように今回の戦闘のあらましを語っていた。
その今回の戦いの立役者でもあるグレンはそれらの光景を一人ただ見ていた。グレンにとってあの戦いはなんてことのないものなのだ。だからその勝利したという実感があまり分からなかったのだ。
「なに突っ立ってるんだ、グレン。」
よく知る声をかけられ、グレンは首だけ左を向いた。
「よう…ランスロット。ひさしぶりだな。」
「ひさしぶりもなにもあるか!!。お前が勝手に持ち場を抜け出したせいで俺にお前の仕事まで押し付けられたんだぞ。」
ランスロットはグレンがいなくなってからいままで、普段の任務からグレン個人が受け持っている手伝いの仕事などを一人でこなしていたのだ。
「そうなのか。それは悪かった。」
そう言ってグレンは頭を少し下げる。
このやり取りが繰り広げられたのもこれで5回目だった。これまでもグレンは仕事中に抜け出してしばらく帰ってこなかったことはあった。本来ならばこれは職務放棄として兵士を辞めさせられる行為だが、グレンはいつも戦場で活躍をして、職務放棄をした時も、必ず何かを得て帰ってくるため上層部の人間も辞めさせようにも辞めさせられない状態だった。
「許さないところだが、今回も味方の窮地を救ったのだろう。大目に見てやる。というか、しろと言われている。」
「相変わらず、上の人間は難しいものだな。」
「誰のせいだ…いくぞ。」
ランスロットはサボり癖のある相棒に呆れつつも、グレンを促してとある場所へと目指して歩いていった。
「分かったよ。」
グレンも他に行く宛てがないので、ランスロットについて行く。
そうしていつもと変わらない会話をしながら二人は砦の坂を登っていく。
ロック砦は山を削ってできた砦だ。山の麓には周囲を取り囲むかのように石造りの門が下層部から見上げる程の大きさでそびえたっている。そして山肌は石と岩で出来た要塞だった。また、いたるところに山を貫くトンネルがあり山の内部まで居住地が広がっている。当然高低差があり、地上の門から頂点の司令部まで山の周囲に沿ってなだらかな坂や階段を30分もかけて登らなければいけない。だから会話はなかなか途絶えない。
「そういえば、さっきはまた、しけた顔をしていたな。」
ランスロットはいつも気になっていたことを聞いた。
「ん、あれか。あれは仕方ないことだ。俺はそういう風にできてるからな。」
「まあ、お前にとってCTRなんて敵ではないだろうからな。むしろドラゴンと戦っているときのほうがまだ生き生きとしていそうだ。」
グレンは返事をしない。しかし、満更でもない顔であった。ランスロットにとってもそれが肯定の意であるのはわかっていた。だからこそ意を決して聞いてみた。
「ひとつ聞きたいんだが、お前の目指しているモノはなんなんだ?」
それはいまのいままでなぜ聞かなかったのか分からない。ただ、ひとつ思い当たるとすれば、それは、俺たちはグレンの力に頼っているだけで、、グレンのことをなにも知ろうとしなかったからだろう。しかしそれは戦争に行く兵士達にとっては暗黙の了解となっていた。
戦争は非常である。仲の良かった隣人が次の瞬間には死に、気づけば自分も死者の仲間入りをしていることも少なくはない。そんななか相手の事を知りすぎて、その相手が死んだとき、自分が動揺したならば、それが自分の最後なのだ。
だけど目の前の存在は死ぬ場面がまったく思い浮かばなかった。だから聞いたのかもしれない。まあ、実際のところはふと、聞きたくなっただけだが。
グレンの表情は変わらない。しかし、先程見せたモノとは明らかに違っているように感じられた。それは、まるで大切ななにかを思い出そうと遠くを見ているようだった。それをランスロットは既視感を覚えた。
「俺は、この世界に存在する全ての悪を滅ぼす。そのために強い奴と戦う。」
事も何気にグレンは言い切った。それが不可能なことにも関わらず。
「・・・本気、なのか?」
ランスロットは驚きのあまり真意を聞いてしまった。
「本気だとも。そのために力を手に入れる。」
「今のままでも十分強いだろう。」
「たしかに強いさ。だが、それは人間相手だ。「レジェンズ」を相手にするにはまだまだ足りない。」
ランスロットは今度こそ絶句した。レジェンズがなんなのかは知っている。というより、知らないものはいないといってもいい。
この世界の支配者だ。その力には、人間は足元にも及ばないという。幸いにして、アイリ・スタ王国はレジェンズの支配は少なく、人間が比較的安全に暮らせる場所である。
実際に昔、ランスロットはレジェンズと戦ったことが何回かある。その中で特に記憶に残っているのが3m近いトラだった。しかし、ただのトラではなかった。言葉を理解し、魔法を使い、戦い方を知っていた。ランスロットは死闘の末それを倒すことができた。しかし、後から聞けばそのトラは群れの中で真ん中の戦士程度のレベルだったらしい。群れ全体で30頭のなかでだ。当時、すでに名を馳せ始めていた自分としては非常に悔しかった。人間はこの程度なのかと。
そしてそんな戦いをあざ笑うかのように「神」の存在がある。神はレジェンズの中で最も位の高い存在で、その実力は凄まじい。そして実際に過去この世界に存在し、力を振るっていたのだ。昔話にはよく、人間の国を滅ぼしたり、神同士の戦いの余波で周囲の地形がまるで爆撃されたかのように様変わりしたり、さらには人間の姿を真似て自分たちの周りで行く末を見物しているというものがあるまでに神の存在は恐れ、崇められていた。
そして、よくあることだがレジェンズは魔物と混同されやすい。というより、同じではあるが、違うという感じだ。
魔物は、意思なき動物である。その目的は、他者を殺すことを第一として楽しんでいたり、自分の強さを証明したりといった原始的なものだ。もちろん人間に組することもないため、よく小競り合いや討伐隊が編成されるぐらい危険だった。
それに対してレジェンズは生まれもっての戦闘狂だが、知性がある存在だ。だれもが戦いに明け暮れ、争いが絶えない。しかし、出来るだけ相手を殺さずに、お互いを高めあっていったり、それは人間が相手でも例外ではない。なかには平和を愛し人間とともに過ごす変わり者もいる。それでいて誰もが圧倒的強さを見せているため、迂闊に手は出せなかった。
魔物もレジェンズも同じ「魔」の存在だ。しかし、魔物はどう扱おうが邪の存在だが、レジェンズは人間の歴史と深く関わっているため聖とも中立とも邪とも扱っていることが一番の違いだった。
このようにレジェンズは年中戦いが絶えないやっかいなモノとして、そして幸か不幸か魔物より何十倍も強く恐ろしい存在として君臨している。
そんな存在を相手にグレンは戦っていこうとしていたのだ。おそらく全ての魔物の元凶たる邪神すらも倒そうとしているのだろう。
「お前がそこまでする…」
理由は何だと言おうとすると声が掛かる。
「お待ちしておりました、ランスロット様、グレン様。」
気がつくと砦の頂上、上層区画の一角にたどり着いてた。上層区画とは主に貴族や騎士達の住居や作戦司令部、砦の主が居を構える部屋などがあり、砦の心臓部でもある。そして二人がいる場所は、とある貴族の住居。といっても砦のなかに家を構えているので並大抵の貴族ではない。
なにしろここの砦の主は、実力はあるが傲慢で、かと思えば上の立場の人間に媚を売って自分の名を上げる典型的な貴族だった。だから自分より立場が上の人間なら迷わず最大限の厚意を与える。そのためここ、上層区画には砦には不釣り合いのいくつもの家が建てられている。それも豪華な装飾を施して。ちなみにランスロットなど騎士たちは一人部屋を与えられていて、扱いも良い。さらに低くなって一般兵士になると中層下層の砦内部や山肌の住居の何人もの仲間と共に同じ部屋に押し込められていた。
二人が訪れた家も貴族の例に漏れずそうだった。そして二人はここの家の貴族に招待されていた。
グレンは突然声を掛けられても動じなかった。ランスロットといるとこんなことは良くあるのだ。とはいえ、成り行きでここまでつれて来られたのは変な気分だったのでランスロットに聞く。
「ランスロット、またなにかあるのか?」
「ああ、お前がいない間に一つ依頼を受けておいた。内容はお前のことだ。」
「俺のこと?なにかまずいことでもしたか?」
グレンは心当たりがいろいろ思いついた。が知らないふりをした。
「…まあいい。ここの主は聞きたいことは会って確かめるらしい。」
「そうか。わかった。」
ランスロットはグレンに意向を伝えると向き直り
「では、待たせて悪かったな。」
「お気になさらず。主様は来て頂いただけでも喜びます。」
そう答えるは、壮年の老人であるこの家に住む貴族の執事だった。
そして、老執事は二人を促し、家に入っていく。二人もそれに続いた。
中に入っていくと、そこにはテーブルとイスに座った一人の女性がいた。
「お待ちしておりました。二人の英雄さん。」
待っていたのは豪華な衣装を来た傲慢な貴族ではなく、流暢にドレスを着こなし礼儀正しく挨拶をしたお嬢様だった。