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藍櫻果伝――束の間の交差

作者: 深山瀬怜

 ソウイチがこの街を出ていく日はあいにくの雨模様で、僕は髪がまとまらねえじゃんと舌打ちをした。だけど、あいつになら、ぐちゃぐちゃの頭を見られたっていいかなとも思う。どうせ何度も見られてるから。僕の髪は猫っ毛で、とにかくまとまらないから、雨の日の朝は毎回とんでもないことになっている。それにソウイチも僕と同じ猫っ毛だ。同じ悩みを持っているから、多少髪が乱れていても許してくれるだろう。

 それよりあれだ。今日は笑ってなきゃいけない。ソウイチの旅立ちを、笑って応援すると決めたから。

 本当は泣きたいけど、そんなの格好悪いし。

 それにソウイチはこの街を出た方がいいだろうから。誰も味方のいないこの街に居座る必要なんてないのは、僕が一番わかっている。だから、もう笑うしかない。

 僕は洗面台の鏡に向かって自嘲的に笑ってから、黒い外套を羽織って、こっそり家を抜け出した。

 見送りに行くのさえ内緒にしなきゃいけないなんて、馬鹿らしい。ソウイチは実際は唯の身寄りのない青年で、街の人間が言うような恐ろしい怪物などではないのだ。だけどソウイチは僕の家族にとっても悪者で、会うことは反対されている。

 そんなこと知った事ではない。どうせソウイチに会ったところで僕の人生は汚れたりしない。その程度で汚れる人生なら、最初から汚れていたんだろう。それより何より、綺麗な人生を歩けるほど真っ当な人間でもない。

 本当は僕こそが呪われた存在なのだ。それを知っているのは僕とソウイチだけだけれど。


 ソウイチがこの街に来るのと前後して、僕の周りで人が死に始めた。ほとんどが狂ったとしか思えない死に方だった。優しかった女教師は僕を監禁した挙句、僕の目の前で腹を切って死んだ。父親は何の理由もなく家に火をつけ、家族を殺そうとした。友人は目に何本も縫い針を刺して病院に運ばれた。友人の友人の話まで始めると、本当にキリがない。何か良からぬことが起こっているのは明らかだった。しかもその現場には大抵ソウイチがいて、彼のお陰で早期に発見されて死に至らなかった場合も多かった。

 ソウイチは色々な人の命を救ったはずなのに、街の人間には疑われた。確かに何故毎回狂った人間の傍にいたのか、真実を知らなければ説明はできないだろう。それにソウイチは、何故かいつも着流し姿で、着物など着ない人たちの中では相当浮いていた。その上ソウイチの目は綺麗な藍色をしていて、その変わった瞳の色が人々の目に怪物然として映ってしまったようだ。けれど、ソウイチはただ人を助けようとしていたのだ。僕はそれを知っている。

 あのとき本当におかしくなっていたのは、死を招いていたのは僕だったのだ。僕は、人の魂に寄生し、その周囲の人間の魂を喰らう化物・藍櫻果(らんおうか)に取り憑かれていたのだ。魂に根を張る藍色の桜は、見えない枝を僕の周囲の人間に伸ばし、その心を壊していたらしい。ソウイチはその人とは違った目で、不可視の枝を見ることが出来る。だから人が狂う現場に居合わせることが出来たのだ。

 ソウイチは僕に巣食った藍櫻果を不思議な大鎌で取り除き、退治した。それ以来、騒動は収まったのだが、再び同じことが起きるのを恐れた街の人間にソウイチは追い出されることになった。とはいえ強制されたわけではない。それとなく出ていくように言われただけだ。しかしソウイチは何故か藍櫻果のことを説明せず、化物がいない以上ここに残る必要はないと言って、あっさり出ていくことを決めてしまったのだ。


 僕は息を切らしながら、寂れた駅に辿り着く。

 ソウイチは既に切符を買い、駅のベンチに腰掛け、いつもの黒の着流し姿で缶コーヒーを飲んでいた。合わない。平成の世に着流し姿というのも合わないし、その格好で缶コーヒーなんて違和感しかない。しかも今日に限って何故か色の薄いサングラスをかけている。

「何がしたいんだよ、その格好……」

「次の場所でも、すぐ仕事になりそうだから。正装ってとこだね」

「いやそうじゃねぇよ。何でその格好で缶コーヒー飲んでサングラスかけてるのかって聞いてんの」

 着流しがソウイチの正装だということは聞いていた。藍櫻果を狩るときは、この格好であることが望ましいとされているらしい。しかしソウイチは妙に冗談めかして言っていたから、もしかしたら嘘かもしれない。嘘だった場合は、この格好は単なる趣味ということになるのだろうか。

「いや、この格好に合わせると現代文明を利用出来なくなるだろ。サングラスは、一応目の色を誤魔化すためにね。昨日買ったんだけど、似合う?」

「……僕はカラコンの方がいいと思うが。似合ってるけど、カタギに見えない」

「やだよ、何で目の中に物入れなきゃいけないんだよ。それにカラコンって質の悪いヤツは――」

 ソウイチは延々と、カラコンの短所とサングラスの長所をあげつらう。正直どうでも良くなってきた。どんな格好をしようが、結局はソウイチの自由だ。

「ていうか、荷物少ないな」

 ソウイチの荷物は旅行鞄一つだった。その傍らに置いてある傘は黒色の和傘で、そこは服に合わせてあるのだな、と僕は思った。

「大体は向こうに送ったんだ。大荷物で行くのも面倒だし。でも行ったらすぐに荷解きしないとな」

「そうなんだ。荷解きしたらすぐに仕事?」

「そうだな。世を忍ぶ仮の職業の方もすぐに準備しないとまずい。お前に憑いていた藍櫻果は強力だったから、副業の方が進まなくてな」

 ソウイチは副業として作家のようなことをしているらしい。何も知らない人から見れば、そちらの方が本業なのだが。しかし彼の本が売れている気配もないし、化物退治もどこから報酬を貰っているのか僕は知らない。一体どうやって生計を立てているのか。贅沢している様子はないが、かといって生活に困っているというわけでもないのだ。聞いても教えてくれないから、知る由はないのだが。

「さて、そろそろ時間かな」

 ソウイチが立ち上がる。確かに、あと数分で列車が来ると放送が流れていた。僕は離れて行こうとするソウイチの袖を引っ張って止めた。ああ、何だか泣きそうだ。笑って送り出すと決めたのに。ソウイチが決めたのなら、と思っていたのに。

 ソウイチはここに来てからの三ヶ月間、周囲の変化に戸惑う僕を支えてくれたのだ。その上何度か命も救われた。周りの人間が狂うことによって、宿主の魂が壊れる瞬間を藍櫻果は狙っているらしい。その方が美味だからとか、僕にはわからない論理がそこにはあるようだ。ソウイチは僕の心が壊れるのを防ごうとしていた。僕に優しかったのは、あくまで仕事だったのはわかっている。

 それでも、彼が僕を救ってくれたのは事実だ。

「何、そう遠いところに行くわけでもない。いずれ会おうと思えば会えるさ」

「僕にとっては遠い」

「――大人になったら近くなるさ」

 宥められているような気もした。子供扱いだ。でも仕方がない。僕はまだ、どうしようもなく子供だ。ソウイチを引き止めることも、追いかけることも、おいそれと会いに行くことも出来ない。

 僕には何も出来ない。もしかしたら仕事中に化物に殺されてしまうかもしれないソウイチを、ここで見送るしかないのはわかっている。そう思うと、とめどなく涙が溢れてきた。

「おいおい泣くなよ。全く仕方ないな……次の仕事を終えたら一度こっちに戻ってくる。そのときに必ず会おう」

「――必ずだからな。約束破ったら許さない」

「ああ。俺は約束は守る男だ」

 ソウイチは淋しげに笑い、改札に向かって足を踏み出した。小さな駅だから、改札をくぐるとすぐにホームだ。僕はしゃくりあげながらその背中を見送る。

 必ず、ここに戻ってきて。

 本当は化物退治なんてやめてしまえと言いたかった。けれどソウイチはそれには頷かないだろう。見ず知らずのはずの僕を助けてくれるほど、ソウイチは優しい人間なのだから。

 待合室からも、ホームの様子が見える。列車のドアは無情にも閉まり、徐々に加速して僕の目の前から消えていった。ソウイチは手を振ることもなく僕を見ていた。僕も手を振ることはなかった。さよならも、じゃあねも、言えなかったからだ。

 僕は涙を拭い、駅から出た。今の僕は彼を待つしか出来ない。ならば彼の安全を心から祈って、彼のことを忘れないようにするしかない。

 そう、僕は知らなかったのだ。

 ソウイチのような藍櫻果を狩る人間の記憶は、その人と離れると霧消してしまうことを。最後にソウイチが見せた淋しげで綺麗な笑みの理由を。


少し構想に上がった設定を即興的に短編にしてみました。

雰囲気を感じとれるように書けていたならいいのですが。

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