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「さっきの狸の子は、野良の物の怪みたいだね。今回はちょっとした問題を起こしてしまったけど、ボクとしては、そっとしておいてあげたいんだ」
狐子ちゃんが小さく穏やかな声で解説の言葉を加えてくれた。
「ボクには最初からわかってたんだよ。あの狸の子の気配だけじゃなくて、フランソワちゃんの気配も……」
だからこそ、迷うことなくこの神社まで来た、ということか。
「狐も狸も、分類上はネコ目イヌ科。親戚みたいなものだからね」
淡々と語る狐子ちゃん。
「犬なんて、この近所だけでもたくさんいるはずなのに、それでもフランソワちゃんの気配だってわかったの?」
「うん。身勝手だったとはいえ、犬を想って行動に出た狸の子の気持ちと、家から連れ去られてしまって寂しがっている犬の気持ち。どちらも強かったから、感じ取ることができたんだと思うけどね」
「そうだったんだ」
傍らでこちらにつぶらな瞳を向けていたフランソワちゃんを、私はそっと抱え上げる。
狐子ちゃんが言っていたように、フランソワちゃんは微かに震えていて、おなかもすかせていそうだ。
ともあれ、きっと大丈夫だろう。
こんなにも元気に尻尾を振って、嬉しそうに私の顔をペロペロと舐めてきているのだから。
そういえば、さっきの狐子ちゃんの話の中に、にわか雨というのが出てきていた。
「フランソワちゃんがにわか雨に濡れたのって、もしかして雫さんが私を迎えに来てくれたときの、あの雨なの?」
「うん、そうだよ。フランソワちゃんの毛の様子を見て気づいたんだけどね」
一度雨に濡れた動物の毛って、自然乾燥では完全に乾くまでには時間がかかるはずだから、見た目的に濡れていたことくらいはわかるかもしれないけど……。
「ここって、をどろし荘から電車で数駅くらい離れてるよね?」
「雫さんはね、すごく強い力を持った物の怪なんだよ。カモメちゃんを迎えに行ったときの雨も、雫さんを中心にして二~三十キロくらいの範囲には影響が及んでいたんじゃないかな」
「そうなんだ……」
とっても穏やかな雰囲気のある雫さんではあるけど、物の怪としての力が強そうなのは私でもなんとなく感じていた。
をどろし荘で一番の古株みたいだし、影のボス的立ち位置にいるのかもしれない。
そんな考えは、あながち間違ってはいなかったようで。
「もし怒らせたら、人間なんて一瞬であの世行きだから、気をつけてね」
「ええええっ!?」
狐子ちゃんの忠告に、私は驚きの声を上げてしまった。
間違っていないどころか、想像を遥かに超えていたみたいだ。
……と思ったら、すぐに狐子ちゃんは相好を崩す。
「にはははっ! 冗談だってば! 力が強いのは確かだけど、雫さんは見た目どおりの優しい物の怪だよ!」
「もう、脅かさないでよ~!」
「にはは、ごめんごめん!」
笑顔をこぼし、ほがらかで温かな雰囲気に包まれる、私と狐子ちゃん。
さっきの狸の子とも、こうやって一緒に笑い合えたらいいのに。
と、そこで思いつく。
「あの狸の子、をどろし荘に住まわせてあげないの? そうしたら、年齢も近そうだし狐子ちゃんとも仲よくなれるんじゃない?」
私としては、ナイスアイディア、という思いだった。
もっと早く提案しておくべきだった、とすら思っていた。
でも狐子ちゃんは、即座に否定の意を唱える。
「う~ん、それは無理かな。をどろし荘に――というか、凪刀さんに馴染めなさそう」
「慣れれば平気なんじゃない?」
「難しいと思うよ。オーナーである凪刀さんの気の性質と合うかどうか、ってことになるし。それに、野良とはいっても、あの子にはあの子の居場所があるはずだから。自分の存在しやすい場所にいるのが、物の怪にとって一番幸せなんだよ」
「そっか……」
至って真面目な声で自分の思いを語る狐子ちゃんに、私はそれ以上なにも言葉を返すことができなかった。
今の世の中は、物の怪にとって決して住みやすい世界ではないのかもしれない。
ふと考える。
狐子ちゃんは今、幸せなのだろうかと。
狐の耳と尻尾を持った、小さな女の子。
実際の年齢は私より上みたいだけど、それでも、こんなに小柄で、小さな存在。
私は――『お姉ちゃん』は、この子を守ってあげる立場にあるのだろう。
たとえどんなに強い物の怪が狐子ちゃんの前に立ちはだかったとしても。
一介の人間の女の子でしかない私に、なにができるかはわからないけど。
私は私なりに頑張って、もがいてあがいて、狐子ちゃんを守っていこう。
そんな決意を思い浮かべて、あれ? と首をかしげる。
なにか忘れてるような……。
「あっ、そうだ! さっき言ってた、妖狐とかは?」
一旦は、あの狐の子の気配と間違えただけ、なんて考えはしたけど。
狐子ちゃんはさっき、フランソワちゃんの気配も、そして狸の子の気配も、しっかりわかっていたと語った。
だったら、気配が妖狐ではないことだって、最初からわかっていたのでは……。
私が指摘すると、狐子ちゃんはペロッと舌を出す。
「あんなの、嘘に決まってるじゃん! 敵を騙すにはまず味方からって言うでしょ?」
つまりは、私を騙していたということだ。
あのときには騙されるべき敵もいなかったのだから、納得がいかないところだけど。
そんなことよりも……。
「それじゃあ、あのおまじないは?」
「あ~、あれも嘘!」
私の再びの問いに、狐子ちゃんはやっぱり事もなげな様子で答えた。
しかも、さらにこんな理由までつけ加える。
「だってボク、お姉ちゃんの胸を触りたかったから! それにキスもしたかったし!」
「お……女の子同士なのに!?」
困惑と同時になんだか恥ずかしいような、むずがゆいような、そんな気持ちにも包まれつつ、私は続けざまに問いを投げかける。
それに対して狐子ちゃんから返ってきた答えは、まったく想像だにしていないものだった。
「え……? あのね、ボク、本当は男なんだよ!」
「ええええええっ!?」
いったい何度、驚かされているのか。もう、なにがなにやら、わからなくなってくる。
だけど、狐子ちゃんが男だとしたら……。
女の子同士だからノーカウント、と考えていた私のファーストキスが、実際にはしっかりと奪われていたということに……!
いや、そもそも女の子同士ならノーカウントっていうのも、よくわからないルールだとは思うけど。
でもでも、そんな……。
顔を赤らめたり青くしたり、汗をかきかき焦りまくる私に、狐子ちゃんは悪びれる様子もなく、さらなる混乱を引き起こす言葉を放つ。
「なんてね、嘘だよ!」
「ほ……ほんとに嘘なの!?」
なんというか、すでに狐子ちゃんの言うことは全然信じられなくなっていた。
狐子ちゃんは狐子ちゃんで面白がっているのか、
「さ~て、どうかなぁ~?」
と言葉を濁して、またしても私を惑わせようとしてくるし。
こ……この、いじめっこ小狐め!
「でも……体は嘘をつかない! 確かめてやるんだから!」
私は反撃に転じる。
素早く着物の裾から腕を潜り込ませ、狐子ちゃんの股間の辺りに手を伸ばしたのだ。
「うわっ! 結構大胆だね、お姉ちゃん……」
私の手のひらは、男であった場合に存在するはずの突起物に触れることはなかった。
「あん、もう。変なところを触らないでよ! ボクはれっきとした女の子だってば!」
「うん……確かにそうみたいね」
「ボクはただ女性が好きなだけの、普通の女の子の物の怪だよ!」
「それは全然普通じゃな~い!」
私のツッコミに、狐子ちゃんはイタズラっぽい笑みをこぼしていた。