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「あたくしのフランソワちゃんを、探してほしいザぁ~マスのよ!」
「はぁ……」
うわぁ……初めて見たよ、ザマスおばさん……。
実在するものなのね。しっかり、三角形っぽいレンズのメガネまでかけてるし……。
若干頭がくらくらしてはいたけど、私はビデオカメラを構え、レンズをザマスおばさんのほうへと向ける。
「それにしても、こんな小娘ふたりを寄越すなんて、MDSとやらは少々失礼なのではございませんこと?」
本人を目の前にしてそんなことを言うザマスおばさん自身も、充分に失礼だと思うけど。
相手はお客様なのだから、ここは堪えておくべきだろう。
そもそも私は単なる記録係。こうやってビデオカメラを掲げて、狐子ちゃんとザマスおばさんの会話を録画しておけばいいのだ。
ぱっと見、どう考えても子供としか思えない狐子ちゃんが、いったいどんな切り返しをするのか。
ビデオカメラ越しにのぞき込み、ちょっとドキドキしながら口が開かれるのを待つ。
狐子ちゃんも失礼なことをズバズバ言うタイプみたいだったし、私がフォローするべきなのかもしれない、といった考えもあったのだけど、その心配は杞憂に終わる。
「不安に思われるのもよくわかります。ですが、ボクはこう見えても物の怪の端くれ。子供のように見えるでしょうけど、あなたと比べてもずっと長く生きています。愛犬のフランソワちゃんは、無事見つけ出してみせますので、大船に乗ったつもりでお任せください」
「あ……あら、そうザマスか? だったら安心ザマスわね。こちらこそ失礼なことを言って、悪かったザマス」
「いえ。よくあることですから、お気になさらず。それでは、依頼内容について詳細をお伺いしたいのですが」
「そうザマスわね。すぐに紅茶とケーキを用意してくるザマスから、座って待っていてほしいザマス」
ザマスザマスととってもうるさいおばさんは、すんなりと納得したようで、素早く紅茶とケーキを出してくれた。
……納得してもらえなかったら、追い返されるところだったのだろうか。
ともかく、豪華そうなソファーに腰を落ち着けたザマスおばさんは、依頼の詳細について話し始めた。
「フランソワちゃんがいなくなったのは、つい二日くらい前のことザマス」
「単に逃げ出しただけ、ということは考えられませんか?」
「そんなこと、あるはずないザマス! これ以上ないほどの愛情を注いで可愛がっていたんザマスのよ!? フランソワちゃんもあたくしにとぉ~っても懐いてくれていたんザマス!」
「失礼しました。では、よくフランソワちゃんと一緒に遊んでいたという男の子について、お話いただけますか?」
「あの男の子は、いつからかうちに遊びに来るようになったんザマス。うちの広いお庭につられて入ってきたんザマスわね、きっと。フランソワちゃんも警戒することなく、まるで兄妹のようにくっついていたザマス」
ザマスザマスと鬱陶しいので、以下要約すると。
そうやって遊びに来ていた男の子のことを、おばさんは近所の子だと考えていたのだけど、どの家の子なのかまでは知らなかった。
ザマスおばさんは近所づき合いがないわけでもなく、それどころか、かなり多くの人と積極的に会話を交わしているのだとか。
こんなうるさい感じのおばさんだったら、嫌われ者だったりするのが相場だと思うのだけど、どうやらそういったことはなさそうだ。
おばさん本人から話を聞いているだけだし、他の人に尋ねてみたら、また違った意見を得ることができるのかもしれないけど。
と、それはいいとして。
フランソワちゃんと一緒に遊んでいたという男の子だけど……。
はっきりと見たわけではないものの、どうやら尻尾が生えていたらしい。茶色っぽくてふわふわした感じの尻尾だったという。
とすると、尻尾の色は違うみたいだけど、狐子ちゃんと同じように狐かなにかの物の怪で、男の子の姿に変身していたのではないかと考えられる。
ザマスおばさんは、だからこそMDSに依頼してきたのだろう。
「でも、なんで尻尾があるって気づいたときに、どうにかしなかったんですか?」
私は記録役に徹するつもりだったのだけど、自然と質問の言葉が飛び出していた。
地味好きな私ではあっても、黙っているのは苦手な性分なのだ。
「なんとなくそのときは、微笑ましい気持ちに包まれていたんザマス。あとから考えてみれば、それも不自然だとわかるザマスのに……」
「おそらく、その男の子が持っている物の怪としての能力によるものだと思います」
「やっぱり、そうなんザマスのね」
「ですが話を聞く限り、危害を加えるつもりではないでしょう。本当にその物の怪がフランソワちゃんをさらったのかは断言できませんが、依頼を正式にお受けして、調査を開始したいと思います」
「よろしく頼んだザマスわよ!」
狐子ちゃんは、会話のペースを完全に自分のほうへと引き寄せ、依頼の話を進めていった。
最終的に依頼を受けるかどうかは、こうやって直接話を聞いてから決めることになっている。
事前に叔父さんが電話で聞いてはあるらしいけど、よくよく聞いてみたら全然違っていた、なんてことも充分にありえるからだ。
詳しい話を聞いたあとで、解決するのは無理そうだと判断して断った場合でも、出張費は支払ってもらえる。
とはいえ、それだと額としてはかなり少ないし、会社の信用にも関わる。
電話で上手く内容を伝えられなかったという依頼主の非は考えられるけど、MDS側としては改めて、別の事務所に依頼を割り振り直すことになる。
その時点で依頼主からキャンセルされてしまう可能性だってあるのだから、話を聞いたあとで断るのはなるべく避けるべき対応だと言える。
もっとも、ダメそうだけど試しにやってみたら、案の定、失敗しました、なんてことになるよりは遥かにマシだと思うけど。
こういったMDSの仕事の基本部分に関しても、依頼人の家に来るまでの時間で、狐子ちゃんから教えてもらってあった。
私はビデオカメラを回しながら、狐子ちゃんって子供っぽいのに、意外とやるもんだな~と感心していた。
しっかりとケーキを完食したのち、私たちはザマスおばさんの家を出て、実際にフランソワちゃんの捜索を開始する。
「それにしても、びっくりしたな~。あのザマスおばさんをねじ伏せちゃうんだもん。それに、狐子ちゃんがあのあばさんよりも年上だなんて、ほんと驚きだよ~!」
私が感心の言葉を口にすると、狐子ちゃんからはサラッとこんな答えが返ってきた。
「いや、あれはハッタリだよ」
「えっ?」
「時と場合によっては、必要なことなんだよ。とくにボクの場合、こんな見た目だしね」
「そ……そっか、大変なんだね」
「お姉ちゃんより長く生きているのは本当だけど、まだこの世に生まれて二十年ちょっとくらいかな。物の怪としては、まだまだ子供だよ」
寂しげに目を伏せる狐子ちゃん。そんな様子も、実に可愛らしい。
確かにこんな感じでは、ハッタリでもかまさないと、威厳を保てはしないのだろう。
「変身して騙したりはしないの?」
「ボクの変身能力は、効果時間が短いから。途中で変身が解けたりなんかしたら、それこそ最悪だからね。それに、さっき雫さんに変身したせいで、力がまだ戻ってないってのもあるんだけど」
「ちょ……っ!? 私にイタズラするためだけに、大切な力を使いきっちゃったっていうの!?」
「うん!」
即答だし……。
「なんて、さすがに嘘だよ!」
「も……もう、狐子ちゃん! からかわないでよ!」
「にははは!」
狐子ちゃんは楽しそうに笑みをこぼす。
寂しげな気持ちを消し去ることができたのだから、嘘をつかれたことくらいは許してあげよう。
だけどすぐ、狐子ちゃんの顔からは、またしても笑みが消えてしまうことになる。
「ただ、今回の依頼は結構厄介だと思う」
「え……?」
「おばさんが言っていた男の子、もしかしたら妖狐かもしれないんだ」
「妖狐……っていうと、狐子ちゃんと同じ、狐の物の怪?」
「全然違うよ。ボクなんかじゃ絶対に歯が立たない」
狐子ちゃんは全身をぶるぶると震えさせている。冗談なんかではないのだろう。
「そ……そんな……」
「ふふっ、心配しないで。ボクは頑張るよ」
笑顔を見せながらも、全身の震えは止まってはいなかった。
それが強がりだというのは、いくら鈍い私でもすぐにわかった。
「い……今からでも、依頼を断れば……!」
「ダメだよ、そんなことできない。実はボク、前回の仕事で大失敗しちゃったんだ。だから、今回上手く仕事をこなせないと、凪刀さんに捨てられちゃう。失敗したら、をどろし荘から出ていかなきゃならないんだよ」
「そんな! 叔父さんがそんなことを言ったの!?」
「うん。約束してあるんだ」
「信じられない……あの叔父さんが……」
とても優しい雰囲気で、大声を張り上げる姿すら想像するのが難しい、あの叔父さんが……。
いくらアパートのオーナーという立場で、MDS事務所の所長でもあるとはいえ、をどろし荘に住む物の怪を捨てる――つまりは、強制的に追い出してしまうだなんて。
そんなこと、私には信じられない。
でも、今にも涙がこぼれ落ちそうなくらいに震えている狐子ちゃんのまつ毛は、それが演技なんかではないことを雄弁に物語っていた。
「あっ、そうだ! 他の物の怪――雫さんとかにも来てもらって、助けてもらえばいいんじゃない?」
「いや……ボクひとりの力で解決しないとダメなんだよ。大丈夫、お姉ちゃんのことだけは絶対に守るから。だけど、もしものときは、ボクを置いて逃げてね!」
「狐子ちゃん……!」
なんて健気な子なのだろうか。
私の目にまで、熱い涙が湧き上がってくる。
「そうだ、おまじない、しておくよ。お姉ちゃんの身を守るおまじない。ボクの力をお姉ちゃんの体の中に送り込むおまじないだから、妖狐でも簡単には壊せないはず。逃げるときに役立ててね」
狐子ちゃんはそう言うと、静かに両手を伸ばし――なんと、私の胸を揉み始めた。
「ひゃうっ!? ちょちょちょちょちょっと、狐子ちゃん!?」
「相手が女性の場合、柔らかい胸から力を送り込むのが一番効果的なんだよ」
「あんっ! で……でも……」
「途中で途切れると、なにか副作用が起こる可能性もあるから、おとなしくしてよ、お姉ちゃん!」
「はう……ん、わ……わかった……。ふぁんっ!」
狐子ちゃんは、ひたすら私の胸の膨らみを揉みしだく。
ああん、女の子同士なのに……なんだかおかしな気持ちになりそう……。
「最後にキスをしたら、おまじないは終了だよ!」
「えっ? キキキキキ、キス~!?」
「そうだよ。もちろん唇同士で。お姉ちゃんのほうからね」
狐子ちゃんが唇を突き出して目を閉じる。
わ……私、ファーストキス、まだなのに……。
あっ、でも、女の子同士だしノーカウントでいい、よね……?
戸惑いながらも顔を寄せていき、そっと唇を重ねる。
次の瞬間、狐子ちゃんが唇を強く押しつけてきた。
「んっ!? んーんーんんんーーーーっっ!」
声を出そうにも声にならない。声は出せないものの、私は焦りまくってしまう。
なぜなら、狐子ちゃんの舌が私の口の中に入り込んできたからだ。
うわ……なに……これ……。はうう、脳みそ、とろけちゃう……。
唇とか舌とか、とっても柔らかくて……。
なんだかトロトロで……。ほのかに甘いような気もして……。
胸を揉まれながらの濃厚なキスで、私はどうにかなってしまいそうだった。
相手は物の怪とはいえ、女の子なのに……。
どれくらいの時間が経過しただろう。
ぴちゅ。
だ液の絡まる音を残して狐子ちゃんの唇が離れたときには、ぼーっとしてなにも考えられないような状態になっていた。
「これで大丈夫だよ、お姉ちゃん」
「……うん」
かろうじて、ひと言だけ言葉を返す。
きっとこれで、私の中に狐子ちゃんの力が宿ったはず。
もし妖狐が現れたとしても、狐子ちゃんの力が守ってくれるはず。
ぼやけた頭ながら、内なる熱い力のようなものが、私の胸の辺りにはハッキリと感じられた。