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「なにをしてるんですか~!?」
絹綿さんにしては珍しいほど、大きな声で怒鳴りつけられる。
老夫婦も駆けつけてきているようだ。
「だって、この部屋に幸くんを移せば、治るんじゃないかと思って……!」
私の叫び声に、絹綿さんは簡潔な答えを返す。
「それで治るなら、アタシがやってます~!」
「うっ……」
確かに。
素人の私が思い至ったのだから、絹綿さんだって最初に考えたついただろう。
もしかしたら、このお屋敷に住む銀治さんや多恵さんだって、一度はそう考えたかもしれない。
ご夫婦ふたりは、開けてはならぬという言い伝えを忠実に守っていたのだから、たとえ考えついたとしても、その方法を取れなかった可能性は高いけど。
少なくとも絹綿さんは、それではダメだとわかっていた。
だからこそ、実行しなかった。
余計に悪い結果を招く。そのリスクがある、もしくは確実にそうなるという結論を導き出していたのだ。
私は幸くんに視線を向けてみた。
目は血走り、獣のような咆哮を口から吐き出しながら、両手をぶんぶんと振り回している。
そこに自らの意思はない。
部屋の中に渦巻く禍々しい気にあてられ、狂気に囚われている。
そんな痛々しい様子ではあった。
「でも、これだけ激しく動けるようになったんだから、力は戻ってるってことじゃないの?」
私の浅はかな考えは、絹綿さんによって一閃のもとに切って捨てられる。
「弱った体で無理矢理パワーをまき散らしているだけです~! このままじゃ、すぐに消えてしまいます~!」
消えて……しまう……?
幸くんが……?
顔から血の気が引いていくのが、自分でもよくわかった。
絹綿さんは必死に両手を前方に掲げ、幸くんの気を落ち着かせるように念じている。
近づくだけでも危険。そう判断しているのだろう。
もっとも、絹綿さんはあくまでも物の怪のお医者さんでしかない。
みさかいなく暴れまくる患者を力技で押さえつけるすべなんて、持ち合わせてはいないのだ。
「私のせいで、幸くんが、消えちゃうなんて……!」
「まだ……大丈夫です~! だから、気にしてはダメですよ~!」
絹綿さんの声は聞こえていた。
それでも後悔の念が風船のように膨れ上がり、今にも張り裂けそうなほど、私の小さな胸を内側から圧迫する。
苦しくてつらくて。
涙が浮かんでくる。
私自身が招いた結果だというのに。
私自身が悪かったというのに。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
堪えきれなくなった私は、謝罪の言葉をひたすら吐き出す。
謝ってどうなるものでもない。
謝って許される問題でもない。
だからといって、他にできることもない。
私は涙を止め処なく畳に染み込ませながら、何度も何度もごめんなさいと謝った。
それも悪かった。
マイナスの感情が、マイナスの空気を引き寄せる。
これまで無闇やたらに腕を振り回し、空気を相手に暴れるだけだった幸くんが、明らかにある一点を睨みつけ、ターゲットにし始めたのだ!
そのターゲットは、他でもないこの私。
泣きわめいているだけの役立たず。
それどころか絹綿さんの邪魔をする、マイナスの効果しか生み出していない存在。
そういった自虐的な考えも、状況を悪化させる結果につながっていく。
「ちっ……」
絹綿さんが、ほんわかした雰囲気には似つかわしくない舌打ちの音を響かせる。
余裕がないのは、一目瞭然だった。
私は一直線に飛びかかってくる幸くんを、すんでのところで避ける。
倒れていた状態から強引に飛び退いたせいで、思いっきり腰をひねって痛めてしまったけど……。
ふと目を向けると、多恵さんと銀治さんが、ふすまの向こう側の廊下で立ち尽くしているのが見えた。
ふたりに対しても、申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。
「ダメです~! 気を強く持ってください~! カモメちゃんは悪くありません~!」
私は悪くない。
そう言われても、私が悪かったのは明白すぎる。
絹綿さんは事態を収拾するためだけに、嘘をついているだけだ。
情けなさが胸いっぱいに広がる。
そんな私に、幸くんは再び飛びかかってくる。
今度は避けられなかった。
幸くんが私に覆いかぶさり、馬乗り状態になる。
目は赤く血走り、口からはヨダレをまき散らしている。
私のせいで、幸くんをこんなふうにしてしまった。
それは私の罪。
罪は償わなくてはいけない。
諦めかける私。
絹綿さんは絹綿さんで、おろおろと慌てふためいている。
「アタシじゃあ、戦うのなんて無理ですし~。をどろし荘に電話をして来てもらうにしても、時間的余裕はなさそうですし~」
いいよ、絹綿さん。私が犠牲になれば、それで済むことだから。
と考えて、はたと気づく。
もし私が幸くんに殺されたとして、それで収まるの……?
答えは否。
おそらく次のターゲットとなるのは、絹綿さんだ。
非戦闘員の彼女は、あっさりと消し去られてしまうだろう。
もちろんそこで止まるはずがない。
残るターゲットは、多恵さんと銀治さん。
このお屋敷の主であり、幸くんのことをずっと可愛がってきた老夫婦も、その幸くん自らの手で――。
そ……そんなのダメ!
私はどうにか身をよじり、逃れようとする。
だけど、体は動かない。
小さくて弱々しい幸くんではあっても、その力は私なんかよりずっと強大で、そして強暴だった。
幸くんは異常なほど長く鋭く伸びた爪で、私を何度も突き刺そうとする。
私をじらして楽しんでいるのか、深く肉にまで食い込んでくる様子はない。
お気に入りのどどめ色の服が、徐々に引き裂かれていく。
諦めの気持ちは薄れ、なんとかもがいて抜け出そうと必死になってはいるものの、まったく押しのけることができない。
このままでは切り刻まれて肉片と化してしまうのも時間の問題だ。
次第に意識がもうろうとしてくる。
そうか、痛みをあまり感じていないのは、私が死にかけているからか……。
死。
それを意識したとき、私の中でなにかが弾けた。
いや! 死にたくない!
叔父さん、助けて!
私がとっさに思い描いたのは、憧れの叔父さんの姿だった。




