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雨がしとしと降り続く中、私と雫さんは並んで足音を響かせていた。
雫さんは、私を迎えに来てくれたらしい。
十年ぶりの再会に、積もる話は途絶えることもなく。
雨音とふたり分の足音と会話の声とが不規則なリズムを刻み、雫さんの和装の雰囲気も相まってか、優美なハーモニーを奏でる。
私が向かっている先は、『をどろし荘』。
親戚の叔父さんがオーナーを務めるアパートだ。
地理的には、私の住んでいる場所から見て、隣町になる。
電車でたったひと駅。
駅からの距離があるため、歩くとそれなりに時間はかかってしまうけど、そんなに遠いというわけじゃない。
にもかかわらず、そこへ行くのは十年ぶりくらいとなる。
昔はお母さんと一緒に、頻繁にではないものの、季節ごとに一回くらいのペースで足を運んでいた。
でもいつからか、ぱったりと行かなくなってしまった。
私としては、お母さんと一緒に行く場所、としか思っていなかった。
お母さんが行こうと言わなければ行けない場所、とすら思っていた。
それで、こんなにもご無沙汰となってしまった。
どうしてお母さんが、をどろし荘を訪れなくなったのか、その理由は知らないけど。
なんとなく、私をあの場所へ近づけたくないという想いがあったようには感じている。
私が今こうして、をどろし荘に向かっているのは、そこでバイトをするためだ。
高校生ともなると出費はなにかと多くなり、お小遣いだけではなかなか厳しくなってくる。
とくに禁止されていない高校だから、バイトをしたい。お母さんに話してみたら、やっぱり反対された。
ただ、ちょうど同じ頃に叔父さんからの電話があって、手が足りないため人を探しているというのを、お母さんは聞いていた。
そんなわけで、知らない場所でバイトをさせるよりはと考えたのだろう、叔父さんの手伝いならばという条件つきで許可を出してもらえたのだ。
バイト初体験。しかも、もしここでダメだったら、他のバイトをすることはできない。
プレッシャーを感じながらも、わくわくドキドキの期待感のほうが上回っていた。
なぜなら、なにを隠そう、その叔父さんが私の初恋の相手だからだ。
前に会ったのは、五歳くらいの頃になるだろうか。
相手はお母さんの弟である叔父さん。その人に対して、幼かったとはいえ、
「大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる!」
などという、こっ恥ずかしいセリフを何度も何度も繰り返していたのだ、当時の私は。
叔父さんはきっと覚えていないだろう。
だいたい、もう十年も経っているのだから、叔父さんだって歳を取り、随分と老け込んでいるに違いない。
それでも私は、淡い恋心を抱いていた記憶をしっかりと持ち合わせていて……。
だからこそ、ガラにもなく可愛らしいワンピースなんかに身を包み、気合いを入れておめかししてきたというわけだ。
「叔父さんは、今でも元気ですか?」
雫さん自身のことから、徐々に叔父さんに関する内容へと話題を移していく。
相手は叔父さんで、今では四十歳近い年齢の人。
歳の差なんて関係ないとは思うけど、叔父さんと姪という関係は、法律上では結婚できない間柄になる。
どちらにしても、叔父さんから見たら私なんてまだまだ子供なのだから、恋愛対象になりえるとは思えない。
わかりきってはいても、なんとなく気になってしまうものらしく。
私の頭の中では、少しでも叔父さんのことを知りたい、といった思考が無意識に働いていたようだ。
「ええ、元気よ。あの人は全然変わってないわ」
「そうなんですか~」
全然変わってない。その発言は同時に、雫さんがずっと叔父さんと一緒だったということも示している。
なんだかちょっぴり、ジェラシー。
なんて、恋する乙女っぽい気持ちに揺れたりなんかして。
べつに私だって、叔父さんとおつき合いしたいだなんて、今でも本気で考えているわけじゃない。
お父さんの年齢とさほど変わらない人で、結婚もできない関係なのだから、それも当然といえば当然だ。
だけど、もしカッコいい感じのダンディーなオジサマになっていたら、思わず惹かれちゃう、といったことくらいはあるかもしれない。
中学時代もずっと、好きな人すらいなかった私。
小学生の頃には想いを寄せるクラスメイトがいたけど、名字は覚えているものの下の名前はすでに忘れてしまった。
そんな、まともな恋も知らない私だから、燃えるような恋愛なんて、もちろん憧れはあるけど、実際に体験することはないだろうと思っていた。
叔父さんに再会して、ちょっと惹かれたりすることはあっても、それは恋心とは呼べない。私はそう考えていたのだけど……。
「着きましたよ」
雫さんに言われて視線を上げてみると、そこにはレンガ造りで時代を感じさせるたたずまいの建物があった。
アパートという名称から浮かんでくるイメージとは、随分と違った印象。
二階建てでこぢんまりとした感じではあるけど、をどろし荘などという名前からは想像もつかないほど、温かな雰囲気に包まれていた。
十年くらい前までは何度も足を運んでいた場所だというのに、まだ幼かったからか、それとも叔父さんのことばかりを意識していたからか、建物の外観についてはほとんど覚えていなかった。
それでも、懐かしいという思いだけは、瞬時に湧き上がってくる。
「わぁ~……えっと、なんというか、その、古い建物ですね~!」
そんなことが言いたいわけではなかったはずなのに、口をついてこぼれ落ちた感想は、アパートの住人である雫さんに対して随分と失礼な言い方になってしまっていた。
「ふふっ、そうね。実際、とても古いから、このアパート」
雫さんは機嫌を損ねることもなく、それまでとなんら変わりない微かな笑顔のままで言葉を返すと、傘を閉じて傘立てに置き、アパートのドアを引き開ける。
私もそれに倣って傘を置かせてもらい、をどろし荘の中へと十年ぶりに足を踏み入れた。