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たんぽぽ色の明るい風が私の髪の毛をそわりと撫でる。
春の川原では、菜の花を筆頭に色とりどりの花が咲き乱れ、土筆が顔を出し、ちょうちょが舞い遊ぶ。
優しい日差しに温められた空気は、体全体をそっと抱きしめ、心の奥までポカポカにしてくれる。
私は河川敷をゆっくりと歩きながら、この時期特有の多種多様な爽やかな匂いを感じ、思わず立ち止まっては深呼吸を繰り返していた。
太陽からの贈り物を受け取り、川面はキラキラと自らを輝かせている。
川にかかっている鉄橋を電車が通り過ぎるたびに、自然の光景にはないカラフルさを添えつつ、絵画の中みたいな静穏なる空間の中にささやかな脈動を与える。
暖かな陽気につられて、ウキウキと気分も躍る。
元気印の子であれば、軽やかにスキップでも飛び出すところかもしれないけど。
私はあいにく、そういう性分ではない。
とはいえ、サラサラと流れる水音や鮮やかな川原の色彩に心奪われ、完全に夢見心地だった。
ともすれば、自分自身が真っ白いちょうちょになって、大空を自由に泳いでいるような、そんな感覚にすら陥ってしまう。
ああ……春の女神様が私に微笑んでくれているのね……。
なんて、脳みそが少々現実から離れた場所へとワープしたのではないかと疑われるような思考だって、次から次へと湯水のごとく湧いてくる。
あまり行き過ぎると、湯水どころか、虫までもがうじゃうじゃと湧いてしまうかもしれない。
春の女神様もそうお考えになったのだろうか、一瞬にして私の頭は冷やされることとなった。
雨――。
つい今しがたまできらめく日差しがこれでもかとばかりに降り注いでいたはずなのに、冷たい雫が一斉に落ちてきた。
徐々に空が雲に覆われ、徐々に薄暗くなって、徐々に涼しくなって、といった過程を完全無視ですっ飛ばして……。
私は本当にワープでもしてしまったのだろうか?
いやいや、そんなはずはない。それが証拠に、頭上には暗濃とした灰色の雲が分厚く立ち込めている。
ほんのちょっとだけ、私の思考がどこか遠い世界へと飛んでいるあいだに、上空の速い気流によって雲が運ばれてきただけなのだ。
そうじゃないと、説明がつかない。
ともかく、いきなり降り出した冷たい雨に、浮かれ気分の白一色だった盤面も、いっぺんに裏返って完全に真っ黒け。
いつもの自分へと逆戻り。
やっぱり、慣れないことはするもんじゃないな~。
珍しくおめかしして、淡いクリーム色の爽やかなワンピースなんて着てきたのが悪かったのかな~。
雨粒によって重さを増し始めているスカートの裾をそっと握りながら、私はそんなことを考える。
――と、アンニュイな気分に浸っていたら、洋服まで雨にびっしょり浸っちゃうじゃない。
肩にかけていたバッグから、のそのそと折りたたみの傘を取り出し、もそもそと広げる。
若干トロい私は、傘を差すのにも時間がかかってしまう。
小さいほうがスペースの有効利用につながるな、などと考えて、三段折りのタイプにしたのが失敗だったか。
雨の中で目立たない、灰色の傘。
女の子らしくはないかもしれない。だけど私には、お似合いの色。
できれば一番好きなあの色の傘がほしいところだったけど、買いに行ったお店には残念ながら置いていなかった。
私、桑若鴎は、普通科の私立高校に通う高校一年生。
顔にも体にも、とくにこれといって突出した特徴の見られない、地味な感じの女の子だ。
それで、いい。
それが、いい。
私は地味をこよなく愛している。
地味ラブ。
地味・イズ・ザ・ベスト。
自分で判断できるものか、微妙な部分ではあるものの、顔立ちは至って並。
告白されたりラブレターをもらったり、といった経験もない。
もしかしたら、並以下という可能性もあるけど、さすがにそうは思いたくないので、並でいい。
胸の膨らみだって、まったく印象に残らない程度。
つるぺたな貧乳でも、ダイナマイトな巨乳でもない。ちょっと小さめに感じる程度の、ごくごく普通サイズだ。
胸に関しては、自分の意思でどうなるものでもないし、もう少しくらい膨らんでくれてもいいのに、と思わなくもないけど。
目立ってしまうよりはずっといい。
髪の毛だって、ショートでもなくロングでもなく、肩にかかるかかからないかくらいの中途半端な長さ。
つやめくサラサラキューティクルでもなければ、ボサボサの鳥の巣頭でもない。
せめてものこだわりとして、左側の髪の毛をまとめて地味なリボンで束ね、サイドテールにしているのだけが、私の唯一のオシャレといったところだろうか。
加えて、好きな色は、どどめ色。
桑の実の色が由来という説もあるけど、人によって、そして地域によって定義がまちまちな不思議な色。
私としては、濃い茶色っぽい色をイメージしている。
言い方は悪いけど、腐った木の実のような色。それが、あたしの好きな、どどめ色。
今日はワンピースに合わせたから違うけど、リボンだってどどめ色のものをたくさん所有している。
同じ物をいくつも持っていてどうするの? なんて言われてしまいそうだけど。
色には幅というものがある。
ひと口に青や赤といっても、濃淡の違いや光沢の度合いなど、細かく分類すればその種類は無限にあると言っても過言ではない。
当然、どどめ色だってそう。
むしろ、もとより定義がまちまちな分、色の幅は広いとも考えられる。
地味ラブ。
地味・イズ・ザ・ベスト。
どどめ色ラブ。
どどめ色・イズ・ザ・ベスト。
それが私を象徴する信念なのだ。
「カモメちゃん?」
もう随分と雨に濡れてしまってはいたけど、ようやく傘を頭上に掲げたのと同時に、しっとりとした声がかけられた。
傘の陰から前方に目をやると、そこにはひとりの女性が立っていた。
濃いめの紺色の和装に、紫色の蛇の目傘といういでたち。
長いストレートの黒髪がしなりしなりと揺らめく様が、落ち着いた雰囲気を存分に漂わせる。
「雫……さん?」
懐かしさが込み上げてくる。
「ええ、お久しぶり。カモメちゃん、大きくなったわね」
「わぁ、本当に雫さんだ! 雫さんは全然変わってませんね。とっても綺麗で、羨ましいです! 元気でした?」
「ふふっ。見てのとおり、元気よ。このお天気みたいにね」
「いや、雨ですけど……」
ここで私はようやく思い出す。
この人――雨宮雫さんが、雨女だということを。