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世界

作者: 里村橙子

『嵐が丘』

 

抱き合って泣くことを夢見た日

 

今までごめんと言い合って

柔らかく抱擁し合うのを夢想した日

 

でも現実は綺麗事じゃなかった

 

おそるおそる手をのばしたら

押し込めたふたが急に開いて

圧とともに飛び出した

それまでの疼きは

全部開いた

独りで

独りで開いてしまった

 

まるで壊れた蛇口

熱く膨らみ

開きっぱなしの

からだが直らない

 

あなたは迷惑顔

馬鹿にするのもいい加減にしろと

悪魔的になじられても

 

悔しまぎれに悪態をつく

なんで私がこんな目に

お腹がつりそう

丸二日開き続けて

息も絶え絶え

 

 

やがて許し合い

どんなに正しく愛し合っても

二度となかったそれは

初めの初めだけの

背徳の美酒







『清流』

 

悲しみにすぐついてくる

いい人ぶった小汚い奴らは

私の獲物だ

喰ってくれる

 

そう言うあなたの背中が

悲しみで青く発光していた

誰よりも誰よりも

熱い涙を持っていて

いつでも人を励ます

あなたの底は

 

ぽつねんとひとり

発光する清流

 

 

きっと誰かを探していた

流れつく岸辺を

 

わたしも誰かを探していた

干上がった洞を埋める

遥か大きな存在を

 

 

清流は稲妻を帯びたまま

わたしの前に姿を現した

わたしは顔をしかめながら

その強い光の虜になった







『焦がれる』 

 

わたしの話をしたから

あなたの話を聞かせて

という交換条件が

 

どんなに身勝手で

汚くて

卑しいかを

あなたは教えてくれた

 

殴りたいと凄んだけれど

殴られなかった

 

 

泣いて泣いて泣いて

だけどわたしは

どうしても知りたかった

 

だって

人の皮膚の下に潜るのは

気持ちがいい

 

 

写し取るように

あなたを知りつくしたかった







『専属SP』

 

迷いがあだになってはいけない

 

正しいか正しくないか

検証する必要などない

 

重ね重ねていつしかわかった

 

あなたほど真実の答えを

出せる人はいない

 

 

だから何だってやれる

 

 

無意識下でも愛してくれた

 

あなたを守るために







『同意』

 

考えてみれば極めて困難で

二重三重にありえない設定の

薄襞の一枚一枚が合わさるような

淡く繊細な合意が

あなたを取り巻く夢物語のお屋敷で

取り交わされたのです

 

 

今日も確かな信頼が

わたしの憎悪を鎮める

絶え間なく愛する人を侵食する

悪意に怒り同化せぬよう







『指示待ちドール』

 

誰かの前であなたのために装う

ここは早めにおいとましますか

どうしたらいいか教えて

 

どこでも独りで行動できる

にこやかに振る舞う

こんなもんでいいかな

どうしたらいいか教えて

 

どうしよう

相手の言いなりになってしまった

どうしたらいいか教えてよ

お願い誤解はしないで

わたしには他意はないんだから

 

 

忘れないで

感情は

あるじの前でだけ

投げ出せる

それがわたしの意志







『世界』

 

世界の成り立ちから変わったのは仕方ない

 

あなたに出会ったから

 

なんとなくではなくなってしまった

 

なんとなくではなくなるように

 

世界の成り立ちに個人的に脅されたのだ

 

それが誰にわかるか

 

言葉なんて消えてなくなる

 

あなたの言葉だけ残ればいい







『初めの夢』

 

白い砂浜。何時かはわからない。

夢のなかでわたしはあなたの左隣に横たわっている。

燦々と光を浴びながらただ仰向けに並ぶ二人。

あなたがあなただということと、微動だにしないあなたの体の内側が傷だらけなことだけが、恐ろしいまでに伝わる。

何処かもわからない。人種もわからない。

ひんやりと冷たくはないから、生きているのか死んでいるのかもわからない。

外側は彫刻のように美しく完全なのに、人の悪意を一身に受けとめた内側には、鋭く引っかかれた爪痕やえぐられ傷、裂かれた斬り傷が無数にある。

それゆえあなたは力尽きた。

わたしはまだ愛しはじめたばかりで、気持ちを確かめ合ったこともない。

右手であなたの左手に指を絡めても、何の反応もないのが、酷く酷く悲しかった。

あなたの半分も悲しみも苦しみも知らない、愚かなわたしのそのままで。







『風塵』

 

常識の範囲の

どこかで見た御託

そこが壁だと

思えばいい

 

一時的なもののくせに

 

 

私の強がりも

いつか紙切れのように破けて舞う

塵芥となって流れゆく

風の行方を見やるだけ

 

あなたがいなくなれば

必ずそうなる







『私』

 

楽をさせてくれるから

人を好きになるんじゃない

ただ息がきれる

わたしごとき凡人には

 

実力もなければ

器量もない

 

あなたの頼まれごとを

律儀にこなそうものなら

眠る暇もない

 

隙を見て眠る

今しかない

 

夢も見ずに眠る

 

悪夢にうなされる

あなたを後目に

 

床に就く前にも

くだらない菓子を食み

 

薄明かりのなかで

眠る

 

 

それでも卑下なんかしない

何と言われようと

退かない

負けない

そう決めたから

 

光りながら震えている

あなたといるために

いくらでも

ふてぶてしくなるよ







『アンチ・モスキート』


斜に構えたふりでいて

自分では気づかない

 

何かをつかんだ気でいて

いつまでも不安げで不機嫌な羽音を

垂れ流す

 

同じ穴ならわかりあえるという錯覚

一時的な旨味に浸り

調子づいて

幼稚に矛を振り回す

 

無邪気なやつ

わからないなら一生そのまま

美しいものに憧れたり

触れたりするなたかるな

 

また自覚なく飛び立つ

あのうるさくてか細い羽音を消したい

 

わたしは愛する人を

ぐっすり寝かせたいんだから

 






『十月』

 

所在ない待ち時間や

吹きすさぶ淋しさに

声を震わせる

 

神無月

あなたが弱るこの時期に

互いにどんな負荷がかかろうと

 

処方箋は

健やかな眠りと

食欲と

あたたかい行為

 

巡らせよう

通わせよう

満たそう

 

わたしがいるから

 

これまでもこの先も







『第三楽章』

 

わずかな接触の強烈な残像が

忘れられなかったからなのか

 

必死で流れに逆らった

 

逆流を懸命に前へ進めば

からめる指さえ届かない

切なさは紛れる

 

気持ちの全部で包むよ

耳元の囁きに嘘はない

指先からでる粒子は

リアリティそのもの

 

 

だから

詮無いこととわかっている

でもいつかの言葉を

一度きり言わせて

 

「万難を排そう」

 

 

どんなに枯れつきても

すべてのご褒美が笑いかける

遠い未来はあるよ







『消息のない夜』

 

無意味に静まりかえった夜

蛍光灯の瞬きが重い

部屋の四隅に巣くう闇は

見えない悪意のかたまり

 

あなたをどこに隠したの

体を裏返すまで悶え

あなたの名前を叫んだなら

聞こえるはずでしょう

 

地層の狭間で無息でいても

あなたには届くはず

過信という名の盲信を

愚かだと貶めないで

 

 

半身削がれたただの女は

無の世界に怯えながら

独り力無く

涙を流すだけだよ







『天空原』

 

坂道を下って

風通しのよい原に出た

北北東に雲が往く

だだっぴろい空に

 

 

ああ

大勢はいらない

わたしには

ひとりだけあればいい







『見定める』

 

魅力を放つものは

やさしい顔ばかりしていない

ときに震撼する

ときに底から覆される

でもそれがあなただと

知るだけ本望

 

脅かすものは別にいた

何気なかった日常を

見事に隠してみせる

 

縁の切れ目を決めろと迫るものは何だ


 

水煙立つ滝の向こうに

子犬のように尻尾を振るわせた

あどけないあなたがいる

あの尻尾は初めから

わたしのものだ

 

伝えてくれるのはあなた

だから甘言など通じない

何だろうと決してあなたを

奪わせるものか







『あのままこのまま』

 

ありがちな家庭に堅牢に守られ

些末な不平不満を並べては

野蛮で広大な世間を前に

メルヘンチックな怯えを

普通に抱えていた

 

きっとそのまま死んだろう

あなたに出会わなければ

 

自己表現を自発的な欲求だと思い

自分の思惑に最大の意味を持たせ

 

きっとそのまま死んだろう

自分の価値に固執しながら

葬式に来てくれた人数を数えて

満足して死んだろう

あのままあなたに出会わなければ

 

でもわたしはもういいの

あなたと経験したうちのごくひとかけらしか

なぞることがかなわない自己表現なんて

あなたに語れないことまでほかの誰かに

滔々と喋る気はないから

このまますべて墓場まで持っていく

 

誰も来ない葬式をしれっと済ませるんだ

素直に墓に収まっておとなしくしてみせる

どうにかしてあなたの笑顔さえ確認できれば

わたしのなかで豊かに色づいた

世界はこのまま続くのだから







『聞いて』

 

強い強いあなたは繊細な薄氷のよう

パリンと音がしそうな落胆が

すくい上げようとしてすり抜ける

 

不感症でないからひとが見える

どん底からだって浮上してくれた

いままでのあなたに甘えてはいけないけれど

だからってこの状況に埋もれる必要もない

 

好きだからだけじゃないの

異才を放つあなたに相応しいほまれが

絶対にあるから

案外簡単なこのからくりも

いつかは全てわかること


あなたを待っているのは

水の違う人達だけじゃない

片鱗は見えているのに

鈍いから姿をあらわさないだけだ


欲深な者どもは邪魔なだけ

あなたは座って息を吐いて

ほらこっちを見て

あなたがいないとはじまらない

それは本当のことなんだよ







『見知らぬ人』

 

疑いをくぐり抜け悲しむ涙を通過したから

簡単に言えない人の進歩なんて

話せばちゃらになどならない思いを

何度も何度も繰り返し紡ぎだして

 

もし仮に簡単に開くとしたら

それぞれが重ね重ねた歴史があるだろう

その場の勘と勘のぶつかり合いが

たとえ後で笑える勘違いでも

 

ああ見ず知らずの人を信頼するなら

どこかに見知った秘密のにおいがある

見知った共通項が胸を刺す

 

芯に触れる気持ちをどうして預けられよう

いや寧ろ浅はかな繰り言ならば

知らない人にでも言えばいい

いたずらに風が掠める前に

素早く掃いて捨てればいい







『現象がすべて降りかかる』

 

黙って見捨てるわたしなら

黙ってさよならする

向こうもそうするならば

いつの間にかいなくなる

それでいい それがいい

 

なのにあなたは突っ込んでいく

とるにたらない者の慰めあいに

なまあたたかい澱に浸かるなと

真っ直ぐと告げてしまう

返り討ちを予想して縮こまったりしない

 

けれど見過ごせばよくなるかというと

世界がひずんで支障がやってくる

現象がすべて降りかかる

 

底力のある人は

見事に立ち上がっていく

だがそうはできない甘えたがりばかりだから

揃いも揃って

必ずや後ろ足で砂をかけていく

 

蛭は吸い付く

すり替えられたテーゼで

違いのわからない朴念仁めらが声高に

「お前こそが悪い」と指差すまで

ひたすらに耐える意味はどこに?


たちまち重さと黒さを増していく現象を

素手で受け止めて

あなたはそれさえ力一杯うつくしくする

発光するからまた蛾がたかる

いけない

裸でいてはいけない

 

わたしは屏風を重ねた楯の影で

あなたの裸を隠して抱きしめる

自覚なき砂つぶたちよ

はやく風に吹かれて行け


そしていつか罪を知れ

お前が為したことがお前に還るように

それもまた自然の摂理であるように









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