73 救助と泥
助けを求められたので、その女性が嵌っている沼に近づく。
その際、女性と同じように沼に嵌らないよう鞄の中から棒を取り出し、地面を確認しながら慎重に進んだ。
私も同じように沼に嵌っちゃったら本末転倒だし、沼と陸の境界も目に見えている通りとは限らないからね。引き上げるときに力を入れたら自分も沼の中にってならないよう、ここは慎重にやらないと。
[ほらロカさん、あれが沼地を歩くときの基本的なやり方だよ]
[まあ、もう嵌っている人がいるから慎重になるのは当たり前だけど]
[救助に行って自分も同じ結果になるみたいなこともあり得るからね]
[あれ、この子どこかで見たような?]
「それじゃあロープを投げるので掴んでください」
「ありがとうー」
地面を確認して問題なさそうかつ一番近い位置まで行き、女性に声を掛けてから救助用のロープを投げ込む。
「これから引き上げますけど、しっかりロープはもちましたか」
「大丈夫ー」
「それでは引き上げますね」
しっかりロープをつかんだのか確認してから力を入れ、女性を沼の中から引きずり出す。
水面に草が生えるくらい泥状の沼だけあって、引き上げるのにかなり力を必要とした。
ちょっと待って。ダンジョンの中でなければ確実に引き上げられないくらい重いんだけど、もしかしなくても荷物ごと沼に嵌っているよねこれ。沼の泥が荷物に引っかかって余計に力がいるやつだ。
引っ張り上げるのにここまで力がいるんじゃ、さすがに自力で脱出は難しいね。
ズリズリとゆっくり女性を陸に引き上げていく。そして女性を沼の中から引き上げることに成功した。
「助かったぁ」
全身泥だらけになりながらも完全に沼から抜け出し、安堵した様子で女性はそう言葉を漏らした。
そして体に付いた泥を軽く払いながら立ち上がると彼女はこちらに向き直り、深々と頭を下げてきた。
「助かったよ。ありがとう」
「いえ、こちらも助けられてよかったです」
今回はこうやって救助できたけど、手遅れになっている場合もあるからね。特にこういう沼とか水の中は被害に遭っていても見つけられないパターンが多いし、この沼でも……
一瞬、想像したくない状況が頭の中をよぎったが、思考を切り替えそれを振り払う。
「おわぁ、泥だらけだぁ」
露骨にテンションの低い声で女性、お礼を言ってもらった時に確認できたけど結構年が近そうだったので彼女と呼んだ方がいいか、その彼女が泥と水分をふんだんに含んだ装備の端を掴んでそう漏らした。
ここまで全身泥だらけになってしまえばこのままダンジョンの中に居続けるのは難しい。おそらくこれから地上に帰還することになると思うが、装備品などの予備は持って来ているのだろうか。
「中までぐちょぐちょだし一旦脱ごう。うへぇ、靴の中もやばい」
スマホからまだ読み上げ音声が聞こえてくるけれど、それを一旦無視して、装備を脱ぎ始めた彼女に声を掛ける。
「着る物や装備の予備はありますか?」
「あるから大丈夫だよ。心配ありがとう」
装備の予備や浮き輪などを準備しているところから、ダンジョンの探索に慣れているようだし、一瞬の不注意でこんなことになってしまったのだろう。
「って、ちょっと!?」
泥だらけの装備とその下に着ていた服を普通に脱ぎだしたのは、まあ周囲に私しか確認できないからまだいいとして、彼女に追従している撮影用のドローンが近くに浮いている状態だ。いまだに止まっていないコメントの読み上げ音声から察するにまだ配信状態なのは間違いない。
そんな状況で装備だけではなくその下に来ている服も脱ぎだすのはよくない。
私はとっさに彼女の近くに浮いていたドローンを掴み、ドローンのカメラを別の方向へ向けた。
「え?」
彼女を映さなくなったことで、残念がる様な少し抗議しているような音声が聞こえてくるがそれらは無視する。
「不快なのはわかりますが、配信中に脱ぐのはよくないと思います」
「あ、と……あっ!? そうだった配信止めてなかった!」
私の声で振り返った彼女が、私が掴んでいる物に視線を向けた瞬間、すごく焦った表情になり、「まずい」と連呼しながら中途半端に装備を脱いだ状態でスマホが置かれた場所まで駆け寄っていった。
[気づかれてたー;;]
[あとちょっとだったんだけどなぁ]
[ま、実際映っちゃったらBANされてただろうし、むしろ感謝なんだよな]
[これぞロカPON]
どうやら助かったことによる安堵で気が抜けていたのか、自分が配信していたことが頭の中から抜け落ちていたようだ。
「助かったから一回配信終わるね。ここまで付き合ってくれてありがとう。また後で連絡します」
[はいよー]
[落ちた時はどうなることかと思ったけど、大事無くて良かったは]
[またのー]
[朱鳥ちゃんもありがとうねー]
彼女はいくつかコメントの読み上げ音声を聞いてから、スマホを操作して配信を止めていた。同時に私が掴んでいたドローンの電源もオフにしたようで、ドローンから伝わってきていた弱い抵抗感がなくなった。
最後に聞こえてきた音声の中に私の名前があったけど、同じプラットフォームで配信しているのだから気づく人が居てもおかしくないし、この前の配信で結構名前が売れたみたいだから、彼女の配信を見ている人たちの中で私のことを知っている人がいることはなにも不思議ではない。
「本当にありがとう。助けてもらっておいてこんなことまで」
「さすがに目の間であれを放置するわけにもいかないですし」
私の姿が配信に載ってしまっているし、その状況であれを放置するわけにもいかないのだ。
手に持っていたドローンを返しながらそう返事をする。
「そっか。でも感謝だよ。昔からテンパると、どうしてもいろいろ抜け落ちちゃって……、うん。もう大丈夫だから」
「えっと、着替えが終わるまでは近くにいますよ。ダンジョンの中ですし、何が起こるかわからないので」
モンスターが弱くてあまり出てこないダンジョンとはいえ、全くでないわけではないし装備を着ていない状態で襲われたらどうなるかもわからない。
それに今は私しか近くに居ないけど、着替えている途中で他の人が近づいてくる可能性もあるからね。
「あ、ありがとう」
そう言うと彼女は着替えを再開する。しかし、その光景を見て私は一つ疑問が浮かんだ。
「テントとか姿隠しみたいな物は持って来ていないんですか?」
いろいろ準備して道具を持って来ている人みたいだから、そういう物も持って来ていると思うんだけど。
「そうじゃん!」
そう言って彼女は泥だらけになった鞄の中からテントを取り出し、それを張り中に入って着替えを再開した。




