05
◇
ララナ・ティアベル。十七歳。彼女は、この『月のトロイメライ』のヒロイン、クローネ・ティアベルの腹違いの姉であり、この世界でいう公爵令嬢だ。
攻略対象である、ユグオン・フラムスの婚約者だったが、彼がクローネに夢中であることから、嫉妬により、暴走してしまう。
家族にも愛され、ひだまりのような環境で育つ彼女を羨み、冷遇を味わったララナは、クローネの恋路を邪魔して、ヤンデレ気質を備えたヒーローたちにこてんぱんにやられるという、なんともお手本通りの悪役だった。
そんな彼女に私が転生した時はすでに他の攻略キャラには嫌われていたし、どのルートも殆ど詰んでいた。
どうにかバッドエンドにならないように努力をしたけど、物語の強制力で、あれよあれよと、悪役に仕立てあげられて、あの婚約破棄の現場に立たされてしまった私は処刑まっしぐらだった。
そして投獄される寸前。「あれえ、ララナ・ティアベルじゃん。なんで衛兵に捕まってるの?」と声をかけられた。
その相手が、まさしくロゼ・フラムスだった。
このゲームの中で、癖のあるサイコパスとして描かれている彼は私の好みの対象外だったけれど、この際、この詰み切った状況から助けてくれるなら、正直、誰だってよかった。
それでこそ、悪魔だろうが、それでこそサイコパスだろうが。
「ろ、ロゼ・フラムス!」
「ん? うん。あれ、話したことあったっけ?」
「ううん、初めましてだけど! だけどお願い! あなたの嫌いな退屈なんて、全部吹き飛ばしてあげるから……!」
「だから!」と形振り構わず告げる。
「私を、(衛兵から)助けて!」
きっとこの時の私は、ものすごい顔で泣きべそを搔いていたに違いない。
彼はきょとんとした顔をした後、「あはは、退屈を吹き飛ばす?」と、私の腕を掴んでいた衛兵の手を捻り上げると。
「なーに、その口説き文句。ちょっとびびっときちゃった」
そう笑いながら、ぽきりと折ったのだった。
うわあああ、と痛みで蹲る衛兵。
そんな彼を心配する別の衛兵も蹴り飛ばしながら、「ねえ」と長い脚でスキップするように私に詰め寄る。と。
「今のもっかい言ってくんない?」
「い、今の……?」
ひえ、という悲鳴を呑み込んだ私に、彼は機嫌よく「うん」と頷いて。
「退屈なんて全部、ってところ」
花が咲くように輝く瞳が、興味津々に私を見つめている。
ロゼ・フラムスが退屈を最も嫌うキャラクターだということは知っている。気まぐれで我儘。身勝手で利己的。下手したら簡単に味方じゃなくなっている。そんな危険人物だ。
だからこそ、ヒロインの立場からしたら攻略に苦戦したし、私だってゲームで彼の攻略だけは後回しにして、結局クリアできなかった。
だから、まさか。
「もう一回、言って?」
ダメ元で放った言葉が、これほど響いているとは思わなかった。
「あなたの嫌いな退屈なんて、ぜ、全部」
「うん」
「ふ、吹き飛ばしてあげるから……」
「うんうん」
「だ、だから」
じりじりと後ろに下がる私に、じりじりと寄って来て。
「わた、しを、助けて……」
そうして、腰に腕を回され、
「いいよ。助けてあげる」
そう言って、笑顔で抱き上げられたときは、やっぱりこのゲームの中で最も理解できないキャラクターだと再認識させられた。
だって私、悪役令嬢なのに……。
「悪役? 何それ。ララナって、悪者なの?」
投獄を回避してから、私は軽くこの世界についてロゼに説明した。彼はお伽話でも聞くような顔で、「へえ、それで?」と『月のトロイメア』の話を聞いていた。
「ってことは、俺はその中の登場人物の一人ってこと?」
「登場人物っていうか、メインキャラだよ」
「じゃあ、ララナとは仲良くないんだ?」
「まあ……そんなに?」
「ふうん。つまんな」
どうでもよさそうな顔をした後、彼は「でもまあ、いっか」と私に向かって微笑んだ。
「これから仲良くすればいいんだもんね」
無駄に腰に回った手に意識が向かう。いちいちパーソナルスペースの近い人だ。
「その乙女ゲームってのは、つまりどういうものなわけ?」
「えっとヒロイン……主人公が、メインキャラを落として、恋に落ちるような……なんていうのかな、選択肢で変わる物語って言えばいいのかな」
さりげなくその腰に回った手を離しながら答えると彼は、視線をそちらに落としながら「いろんな結末がある、小説みたいなもの?」と続けた。
「そんな感じ。それに、スチルっていうものがつくんだけど……」
「スチル?」
「あーえっと、特別な場面を、写真みたいに切り取った……ものかな? 好きな登場人物のものを集めたりするのが醍醐味なの」
「へえ……特別な場面、ね」
呟くように答えると、彼はぐんっと私の腰と背中を引いた。勢いがよかったので、思わず仰け反るようにして身体を密着させると、彼は悪戯をするように微笑んだ。
「じゃあ、これもその、スチルってやつになる?」
「っな、ならないから! 急に引っ張らないで!」
「なんで」
「なんでって、私はヒロインじゃないから!」
「えー、でも、ララナが主人公の方が面白くない?」
「面白くない!」
はっきり伝えてぐいぐいと身体を押すが、彼は「えーそうかな」と無駄に私の身体を抱き締めていた。
「俺は好きだよ。悪いやつ」
でしょうね。あなたはずっとどっちつかずのキャラだったもの。
「と、とにかく、この世界において私の死ぬ確率は、すっごく高いの! どうにかそれだけは阻止しなきゃ」
「それって、どうやって死ぬの? 事故? 他殺? それとも自分で?」
「えっと、確か……ほとんどが断罪イベントってやつで……って、あの、苦しいから離してもらえる……?」
「断罪ってことは、他殺? えー。知らないやつに殺されるとか嫌じゃない?」
「知らない人だろうが、知っている人だろうがどっちも嫌なんですけど……」
っていうか、この人、私の話聞いてる? さっきから苦しいって言ってるのに。
いらっとして、「ちょっと!」と続けようとすれば、彼は「俺だったら、そうだな」と聞いてもないのに、話を続けていた。
「よく知ってるやつに殺されたいね」
「え、どうして……?」
「えー? だって、よく知ってる人間が自分に手をかけるってことは」
へらりと笑って、私の頬についた髪の毛を耳にかけてくる。その指先は冷たくて、どこかひんやりとする。
「この殺すまでの瞬間に、いろんな思考を張り巡らせたってことでしょ?」
「…………」
「どうやって俺を騙そうか、どうやって俺を殺そうか。葛藤があったのか、愉悦があったのかは知らないけど、俺の息の根が止まるまで、ずっと俺のことばっかり考えてたんだって思うと」
ごくりと生唾を呑む。長い睫毛を伏せるようにして微笑み、彼は告げた。
「すごくぞくぞくするよね」
ロゼ・フラムスが普通じゃないことはわかっていた。
わかってはいた、けど……。
「ん? でも待てよ。そう思ったら、俺がこんなにララナのことで、頭がいっぱいなのって、俺自身がきみの息の根を止めたいって思ってるからなのかな」
ひゅ、と、喉の奥が締まる。すっかり固まった私に「あれ」と彼は続けた。
「どうしたの、ララナ。顔色悪いけど」
「そ、う思うなら離してもらえる……? く、苦しいの……」
「ああ、ごめんね」
ぱっと手を離すロゼに、私は冷静を装って、「あのね、つまり私が言いたいのは」と続けた。
「死にたくないってことなの!」
「うん」
「だから、助けてほしいって……言ってるんだけど」
「うん。いいよ」
「でも無理なら……え、い、いいの? 本当に?」
本当に話を聞いていたかどうか疑わしいけれど、あっさり頷いた彼に私は目を輝かせる。もしも、本当に攻略対象の一人が助けてくれるなら、これ以上に嬉しいことはない。
「うん、もちろん。俺が最後にララナにとどめを刺していいなら」
「ん?」
「ん?」
「とどめを刺していいならって聞こえた気がするんだけど」
「そう言ったけど、なんか変だった?」
なんか変だった? って、何もかもが変なんですけど……。
「あの、私の話、聞いてました?」
「聞いてたよ。殺されたくないから助けてほしいんでしょ?」
「ま、まあ、そうではある……」
「だから、助けるから、最後に俺にとどめを刺させてねって言ってるんだけど」
「……いや、いやいや」
首を盛大に振れば、彼は「ん?」とにこやかに首を傾げたので、私もにっこり笑顔を作りながら「おかしいでしょ」と続けた。
「何が?」
「何もかもが! だって、私に死にたくないって言ってるの! 意味わかってる?」
「あはは、さすがにわかってるよ」
笑うとその耳についた翠色のピアスが揺れる。そのきらりと煌めく様を眺めていると、彼は「でもさあ」とその静かに口を開いた。
「なんの交換条件もなしに、きみを手伝うほど、俺も安い男じゃないんだよね」
「…………」
急に周囲の温度が下がったような気がする。
「簡単なことだよ。長生きしたいか、したくないかって話なんだから」
優しい口調で、言っていることは相変わらずおかしくて。
「ねえ、ララナ」
私はこの時、
「悪役の命、俺に預けてみたら?」
助けを求める相手を間違えたのだと、改めて感じた。