第6話「他人以上知り合い未満」
窓から太陽の光が差し込み、目を覚ます。やはり昨日の事があったせいか、眠りが浅かった。
「眠っ」
気怠い体を起こし、洗面所へと足を運ぶ。冷たい水で顔を洗い、シャットダウンされていた体を強制的に起動させた。体が完全に起きた俺は、美芽留が持ってきた歯ブラシの反対側に置いてある自分の歯ブラシを手に取り、歯磨き粉を付けて口に放り込む。歯を磨きながら俺は、色々な事を考えていた。美芽留の事や、朝食の事や、美芽留の事を。やはり、美芽留の事が心配過ぎて、頭が美芽留でいっぱいだった。
歯磨きを終えた俺は、リビングキッチンに向かう。いくら美芽留が心配とはいえ、腹の虫を抑えないことには意味が無い。俺は冷蔵庫前に立ち、冷蔵庫の中にある材料を確認する。
「豆腐、油揚げ、なめこ︙︙卵に鮭と、数種類の野菜たち︙︙」
目に入った材料を頭の中で組み合わせ、最適解のレシピを考える。レシピが浮かび上がると、早速行動に移した。
最初に調理したのは、豆腐、油揚げ、なめこの三つの具材を取り入れた味噌汁。鰹節と昆布で出汁を取り、最後にネギを飾り付ける。
次にボウルで卵を割り、箸で混ぜる。その後、フライパンで熱し、手前に巻くようにして、卵焼きを作り上げる。
次は鮭に塩を振り、両面を焼き上げる。良い香りがしてきたら、皿に盛り付け、大葉と大根おろしを添える。
次はほうれん草を茹で、味噌汁に使った出汁に浸す。
最後に、炊き終わったご飯をお茶碗によそう。
これで、和食好きにはピッタリの朝食ができた。作り終えた後の優越感に浸っていると、美芽留の部屋(仮)の扉が開き、部屋の主が顔を出した。
「おはよう、美芽留」
部屋の主の美芽留にそう声を掛けると、美芽留は俺を見て、目を大きく見開く。
「あら、先に起きていたのね。昨晩、睡眠薬を沢山飲ませておいたのに︙︙誤算だったわ。これじゃ、私の計画が台無しじゃない」
「一体美芽留は、俺に何をする気だったんだ!?」
「冗談よ、冗談。千春くんには、冗談も通じないのかしら」
「ブラックジョーク過ぎるわ!」
朝からカロリー消費の激しいやり取りを繰り広げた後、美芽留は目を擦りながら、少しおぼつかない足取りで椅子に座った。座り終えた美芽留の前に、先程作り上げた和食たちを机に並べる。
「千春くん、作ってくれたところ悪いのだけれど、和食は嫌いなの」
「意外だな。アレルギーでもあるのか?」
「いいえ、違うわ」
「じゃ、苦手な味があるとか?」
「いいえ、違うわ。︙︙ただ、和食が嫌いなの」
和食が嫌い。
嫌いになる理由がないのに、嫌いと。ただそれだけ。美芽留は、その否定の言葉しか言わなかった。いや、美芽留は、その言葉しか言えなかったのだ。俺には分かる。昨夜のバルコニーの時と同じ顔をしている、その横顔を見た俺には。
「︙︙そうか。じゃ、洋食作るから、俺が食べ終わるまで待っててくれるか?」
「ええ、分かったわ。ありがとう」
そう言われた俺は、柔らかい黄色い卵焼きを箸で持ち上げる。持ち上げた卵焼きの先に、あくびをしている美芽留にピントが合ってしまった。
「えい」
あくびで口を開けている美芽留の口に、卵焼きを放り込む。
「ふぅうにはぁにふぐの!?」
あくびをしている最中に、卵焼きが急に入ってきた美芽留は、驚きを隠せない様子でいた。
「まぁ、いいから食えって」
そう言うと美芽留は黙ったまま、口の中にある卵焼きをもぐもぐと噛み砕く。噛み砕き終わった卵焼きをゴクリと飲み込むと、俺の事を上目遣いで睨んできた。
「︙︙美味しいわ」
「だろ?」
「でもやっぱり、和食は好きになれないわ」
「︙︙そうか」
俺は、美芽留の前に置いてある料理を片付けようとすると、美芽留に呼び止められる。
「千春くん、その必要は無いわ」
「どうしてだ?」
俺は美芽留に純粋な疑問を投げかけた。すると、意外にも早く返事が返ってきた。しかも、返事の内容は至って単純なものであった。
「私が食べるからよ」
返答の内容は単純なものなはずなのに、俺は驚きを隠せない。
「何をそんなに驚いているのよ」
「いやだって、和食は嫌いだって︙︙」
「確かに和食は嫌いだわ。ただ、この料理に使われた生き物や野菜、商品を生産してくれた生産者の方々に失礼にならなようにするために食べるだけよ」
そう言うと美芽留は「いただきます」と囁き、少し冷めてしまった味噌汁を静かに飲み込む。俺にはあんなに失礼な態度をとる美芽留が、そんなことまで考えていたとは素直に驚きだ。こんなことがあったからか魔が差してしまい、後々後悔するであろう質問をしてしまった。
「てか、なんで和食が嫌いなんだ?」
「︙︙」
美芽留は俺の質問に答えることなく、黙々とご飯を食べていた。その状況に気まづくなった俺は、美芽留に倣うようにご飯に口をつけた。しばらくの沈黙が続いた後、美芽留が口を開く。
「あの人︙︙私の父が和食が好きなのよ」
「︙︙そんな理由でか?」
血の繋がっている娘が、自分のお父さんを妙によそよそしい呼び方をしていることに違和感を覚える。
「ええ、そうよ千春くん。嫌いになろうと思えば、人は簡単に嫌いになれるものよ」
そう言うと美芽留は、途中で投げ出していたご飯の続きに口をつけた。
「︙︙そういうもんか」
少し複雑な気持ちを心の内に秘めながら、俺も途中のご飯に手をつける。しばらくしてお互いご飯を食べ終わるとキッチンに行き、使い終わった皿や箸などをシンクに置き始める。汚れを流すために蛇口を捻って水を出すと、美芽留が近づいてきた。
「いいわよ千春くん。作って貰った上に、皿も洗ってもらうなんて申し訳ないわ」
水を出すのを止め、美芽留の話に耳を傾けていた俺は、美芽留の口から出たとは思えない発言を聞き、美芽留の腹を探った。
「一体、何が目的なんだ!」
「別に何も無いわよ︙︙別に何も」
「一体、何が目的なんだ!?」
謎の間を空けた美芽留は、洗剤を洗い流した不気味に光る包丁を見つめていた。それを見た俺は、そこから逃げるように美芽留の部屋(仮)へと向かった。ここで勘違いをして欲しくないのだが、美芽留の目を盗んで下着を物色しようという魂胆ではなく、美芽留の部屋(仮)に私服を置いたままにしていたので、それを取りに行くだけである。決して、やましい気持ちで行く訳では無いので、そこのところを分かっておいて欲しい。
「どれどれ〜?」
部屋に着いた俺は、ベットの横にあるクローゼットを開いた。季節ごとに並べられた自分のお気に入りの服達が、クローゼットの中で俺を出迎えてくれていた。その中から適当に見繕った服装を手に取り、部屋から出ようとする。だが、床に置いていた服に足を滑らせてしまい、綺麗に敷かれた布団があるベットの上に、顔を押しつけるようにして転んでしまった。
「ぶふっ!」
不意にくらった痛みに悶絶していると、後ろから冷気のようなものを感じ取る。恐る恐る振り返ると、蔑んだ眼差しを向ける美芽留がそこには立っていた。
「千春くん、幾ら私が絶世の美女だとはいえ、私が使用した布団に顔を埋めて匂いを嗅ぐのはどうかと思うのだけれど︙︙」
「違うんだ美芽留!これには、駿河湾並に深い理由があるんだ!」
「千春くん、たった二千五百メートル程度の深さの理由に、なんで私が寛大な対応をしなければならないのかしら」
日本規模じゃ、駄目だったのか!?せめて、マリアナ海溝ぐらいにしておけば︙︙いや、今はそんなことを言っている場合じゃない。どうにかして、この場を収めないと。
「そ、そうだ美芽留、俺と私服買いに行かないか?」
「いきなり何を言いだ︙︙まぁいいわ。私服を買いに行きましょう」
少し間があったので焦ったのだが、何とか落ち着いてくれたらしい。その様子を見た俺は部屋を後にし、リビングで着替え始める。着替え終わり、ソファに座って美芽留を待っていると、部屋から着替え終わった美芽留が出てきた。
「美芽留、まさかそれが私服じゃないよな?」
なんと美芽留は、スタイルが映える黒のスーツを身に纏っていた。
「ええ、これが私服よ」
「あのな、私服ってもんはそんなに堅苦しいものではなくてな︙︙」
「そんなことは知っているわ。ただ、あの人︙︙父がスーツと制服しか着ることを許さなかったのよ」
スクールバッグしか持ってきていないなと思っていたが、スーツしか入っていなかったからか。これで納得がいく。それなら、その呪縛から解放するという意味でも、私服を買いに行くということは、とても大きな意味になるに違いない。そうと決まれば、大型ショッピングモールに行くだけだ。
「よし、行くか!」
意気込んだ俺は、美芽留と温度差を感じながらも、駐車場の車へと向かった。