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第1話「初犯」

千春(ちはる)〜、もうそろそろ上がっていいぞ〜」

 ガラの悪い金髪のバイトの先輩が休憩スペースから顔を出し、軽い口調で終わりの合図を出してきた。先輩に(なら)い、は〜いと軽く返事を返した後、荷物が置いてあるロッカールームへと疲れた足取りで向かった。

 地元から引っ越をして一年と数ヶ月が経ち、ようやく新生活に慣れてきたのだが、沢山の汗を染み込ませながら肌に吸い付いてくるコンビニの制服には、未だに慣れることはできなかった。これも、高い湿度と大粒の雨だけを残して行った梅雨のせいだ。梅雨よ、早く忘れ物を取りに戻って来い。

 そんな叶わないであろうことを願いながら、汗で濡れてしまった制服を脱ぎ捨て、バイト前に着用していた私服に着替え直した。ロッカーの扉に着いてある鏡にふと目線を移すと、少し色の抜けた茶髪マッシュの疲れた顔をした青年がこちらを見ていた。誰だこいつ。

 知らない青年から逃げる為に、ロッカールームから早足で出ると、レジ脇に陳列(ちんれつ)されている大好物のから揚げ弁当をヨダレを垂らしながら凝視し、手に取った弁当の会計を済ませる。休憩スペースの喫煙所で、イキりながら煙草を吸っている先輩に、お疲れ様でしたと挨拶をしてから店を出た。最初の頃は怖っかた先輩に、今では色んな面でお世話になっていた。本当に感謝している。

 そんなことを思いながら外に出ると、八月らしくない大雨が、駐車場のコンクリートを強く打ちつけていた。この大雨の中、歩いて帰ることを想像するだけで億劫である。だが幸いにも、住んでいるマンションはバイト先から遠く、車で来ていたので苦労とは縁が無かった。

 念の為に持ってきておいたビニール製の傘を、傘立てから取ろうとするのだが、反対側から傘を引っ張られる感覚が手に伝わってくる。手元の傘に目をやると、整った顔立ちの女子高生がスクールバッグを肩にかけ、俺のことを見上げながら座り込んでいた。茶色のブレザーから見え隠れする透き通った白い肌とは対極に、腰まで伸びた黒い髪に目を引かれる。

 俺は女子高生の傘を持ち帰ろとしてしまっていたのだと思い、傘立てを見返すのだが、ビニール製の傘は一本も見当たらない。他の理由があるのだと思い、傘を置いて考えるも、納得出来る答えを見つけることが出来なかった。現状が理解出来ずに困惑している俺に構う事無く彼女は、俺に淡々と要求をしてきた。

「誘拐してくれませんか?」

 相手から直々に頼まれてしまったら、それは誘拐ではないのではなかろうか。そんな考えを最後に、俺の脳みそは情報処理という仕事を完全に放棄した。こちらとしては、グルコース、酸素、水という三つの代価を欠かさずに払っているのだから、それ相応の働きをして欲しいものだ。彼女は、俺が屍と化している間に、俺の車に向かって指を指した。

「あれですよね? お兄さんの車」

 その発言が俺の動揺を消し、代価の前払いを終えた脳を働かせた。この発言を聞く限り、このコンビニに着いた頃から傘立ての前に座り込んでいたということになるではないだろうか。ミスコンに出場したら余裕で優勝と同性からの嫉妬を持ち帰ってくるであろうその美貌は、男なら誰しも手に入れたいと思うに違いない。もし、バイトが長引いて彼女と遭遇できず、性の猛獣と化した男達に襲われていたら、なんてことを考えると戦慄した。

「遅い」

 そんな俺の心配など露知らず、彼女は車のフロント側に先に立っており、フロントドアをは・や・くの合図でぽんぽんと叩いている。このやり取りを傍から見たら、仲睦まじい兄弟にしか見えないのだが、実は会ってからものの数分しか経っていない。彼女が初対面の男子大学生に対して、何故ここまでに気を許すことができうるのか甚だ疑問だが、運転席に回り込んでロックを解除し、愛車であるディーゼルエンジン搭載のMAZDA6に搭乗した。

 暗闇の中でも一際異彩を放つ黒の愛車は、雪舟が描き上げた水墨画の如く、黒色美を醸し出していた。彼女は助手席に乗り込み、愛車に夢中な俺を横目で見ながら、膝の上にスクールバッグを乗せて、シートベルトをしっかりと締めた。見ず知らずの年下の女子高生に、呆れられたような目線で見られた気がしたが、気のせいだろう。シフトレバーに手をかけ、アクセルを踏み込みながら左折をしようとウインカーを出す。愛車のウインカーは、暗闇の中でも鮮やかな色を放ち、ライン上に光出した。これはまるで、フィンセント・ファ────

「何も聞かないんですか?」

 聞かない聞かない。だから、俺の愛車自慢を遮らないで欲しかった。彼女の完璧過ぎる遮りは、心の中を見透かされている気分にさせる。

「聞くって︙︙どんな事をだ」

 彼女は自分の足元を見ながら、小さな手を強く握りしめていた。色々と聞かれたくないことがあるのだろう。ならば、端から言わなければ良いのにと思いつつも、セオリーに従い、彼女の問いに対して聞き返した。

「なんで誘拐して欲しいんだとか、別の人でも良かっただろうとか、そういう質問ですよ。︙︙これぐらい言われた時から思いますよ、普通」

 後の方は小さくて聞こえなかったが、彼女のその口ぶりからは、その質問がされるだろうと予め想定していたに違いない。

「どうせ質問しても、答えなかっただろう?」

 図星をつかれたのだろうか、彼女は肩を大きく震わせた後、車窓に顔を向けて景色を眺め始めた。俺は必死に誤魔化そうとするクールな女子高生を可笑しく思いつつ、咳払いをして、心の乱れを整えてから、優しい口調で彼女に話し始めた。

「まぁ︙︙なんだ、言える範囲内のことであれば教えて欲しい。何も知らないまま犯罪者に成り下がる気は、さらさらないからな」

 その言葉を聞いた彼女は景色を眺めるのを止め、大きく見開いた目をこちらに向けた。

「誘拐︙︙してくれるんですか?」

 無理だとわかっていてお願いしたが故に、驚きと嬉しさが混ざり合い、彼女の声は震えていた。

「まぁ、車に乗せちゃったしな」

 とか言いつつも、俺は何もしていなかった。助手席に彼女が勝手に乗ってきただけなのだから。

「そうですか︙︙ありがとうございます」

 彼女の震えた声は、いつしか優しいものへと変わっていた。彼女の感謝の気持ちを聞いた俺は、胸の中にあったモヤモヤが決断へと変わるのを確信した。

「誘拐する代わりと言っちゃなんだけど、一つ質問していいか?」

 彼女は小さくいいですよと頷いた。その動作を見届けた後、息を深く吐いてから喋り始めた。

「俺の名前は千春。数字の千に、季節の春。君の名前は?」

 キリッとした目を少し丸めて、彼女は口を小さくぽかんと開けた。そのまま数秒した後、どこか恥ずかしそうにしながら、その質問に答えてくれた。

「美しいの美に、植物の芽、そして歌留多の留で、美芽留(みちる)

 俺を卑下する先程までの態度とは打って変わって、そのなんとも可愛らしい態度に頬を緩めつつ、目的地のマンションまで車を走らせた。

「そうか︙︙いい名前だな」

「キモイです」

 そんな臭い台詞を吐いたためか、美芽留からは罵声が飛んできた。あまりの冷たい対応にツッコミを入れようと美芽留の方に視線を移すのだが、美芽留は外の景色を眺めており、それ以来会話を混じえることは無かった。ほんのわずかに見えたフロントドアのガラス越しに映し出される彼女の顔は、どこか嬉しそうな表情をしていた。

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