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再会

 イガちゃんは肝心なことを言わない。

 一人で考えて、一人で結論を出して、一人で行動に移してしまう。

 だから、こんなことになるのだ。


 イガちゃんがオーストラリアから帰国する日を、僕は絵葉書で知った。

 何時の便だとかそういうことは一切書かれていなかったから、迎えに行くことも出来ない。加藤達にも聞いてみたが、誰も何も聞かされていなかった。


 イガちゃんが帰国する日、僕はいつもと同じように大学の授業に出て、本屋をぶらついてから家に帰った。

 玄関を開けると薄汚れたスニーカーが置いてある。

 まさか、と思っていると、

「あら、おかえり。五十嵐君が来てるわよ」

 と母さんが言った。

「は?」

「あんたの部屋で待ってるから、早く行ってあげなさい」

 そう言われて、急いで階段を駆け上がる。

 部屋のドアを開けると、僕のベッドにイガちゃんが寝転んでいた。

「ただいま」

 イガちゃんが起き上がって僕に笑いかける。

「お前……」

 僕はそれ以上、言葉が続かなかった。

 何でメールも電話も寄越さなかったんだよ。

 何で絵葉書に滞在先の住所を書かなかったんだよ。

 何で、今さら会いに来たりするんだよ。

 聞きたいことは沢山あるのに、一つも言葉にならない。

 突っ立ったままの僕の方へ、イガちゃんが歩み寄る。

「今日、帰国したんだ」

「知ってる。絵葉書が届いたから」

「家に荷物置いて、風呂入って、すぐにここへ来たんだ」

「何で」

「会いたかったから」

「……バッカじゃねーの!」

「何怒ってんだよ」

 イガちゃんはそう言って、壁に貼られた世界地図を見た。

「まだ持っててくれたんだ」

 そう言って、目を細める。

 それから僕のほうを向いて言った。

「好きだ」

 何も言えないでいる僕に、イガちゃんは話を続けた。

「俺、イチヤと結婚したい。この地図をプレゼントした日のこと覚えてる? あの頃からずっと一緒にいたいと思ってた。でも、大事なことだから、一度離れて冷静になって考えたかったんだ」

「この一年、いろんな場所に行って、たくさんの人に会って、自分の中で変化したことは数えきれないほどあった。でも、イチヤを好きな気持ちだけは変わらなかった」

「誰に会っても、何をしてても、ここにイチヤがいたらなって思ってた」

「好きだ。ずっと一緒にいたい」

 イガちゃんは真っ直ぐな目で僕を見つめた。

「もしかして、距離を置いて時間をかけて考えたかったことって……」

 僕が言い終わらないうちに、イガちゃんが言葉を続ける。

「イチヤのことだよ」

 僕は混乱する頭を整理しながら言った。

「いや、そもそも男同士だから結婚なんかできないだろ」

「夫婦みたいな関係になりたいってことだよ。パートナーシップ宣誓制度だってあるし」

「……考える時間が必要なんだけど」

「いいよ。どれくらい?」

 僕はちょって考えてから言った。

「……五年くらい」

「五年?」

「大学卒業して、就職して自立して……それにはあと五年くらいかかるだろ。自分で自分の面倒が見られるようになってからじゃないと、将来のことまで約束できないよ」

「先のことは五年後でもいいけど、イチヤが俺のことをどう思ってるのか、俺と付き合ってくれるのかどうかは、今ここで知りたい」

「そんなの……」

 そんなの、好きに決まってるだろ。

 この一年、僕がどんな気持ちでいたと思ってるんだよ。

 会いたくて、話したくて、もらった絵葉書を何度も読み返した。

 だけど、僕と付き合うことで、イガちゃんが幸せになれるとは思えない。男同士で付き合っていることが周りに知られたら、きっと好奇の目に晒される。どんな思いをするか、僕は嫌というほど知っている。同じ思いを、イガちゃんにさせたくはなかった。

 それに、イガちゃんは男しか恋愛対象として見られないわけじゃない。異性と恋愛し、結婚して家庭を持つという人生だって、選ぶことが出来るのだ。

 イガちゃんの未来を犠牲にしてまで付き合う価値が、この僕にあるとは思えない。

 それなのに、僕はイガちゃんに好きだと言われたことが嬉しくて、そばにいてほしくて、「付き合えない」と断ることが出来ない。それどころか、「付き合いたい」と言ってしまいそうになる。

 僕が黙っていると、イガちゃんが口を開いた。

「じゃあ、五年待つよ。その代わり条件があるんだけど」

「……何」

「うちの仕事を手伝ってほしい。それから、予定の無い週末は、どちらか一日でいいから一緒に過ごしたい」

 イガちゃんはそう言ってニッコリと笑った。


 そういうわけで、一週間後、僕はイガちゃんの父親が運営する学習塾で面接を受けていた。

「話は聞いてるよ」

 塾長であるイガちゃんの父親にそう言われて、一体どんな話が伝わっているんだろうと身を固くした。

「クラスを新設したから、人手が必要でね」

 緊張する僕に、コーヒーを勧めながら塾長が言った。

「あの……でも僕、塾講師とか家庭教師とか、一度もやったことないんですけど。人付き合いが得意なわけでもないし」

 僕が不安そうな声で言うと、塾長は優しく微笑んだ。

 笑顔がイガちゃんによく似ている。

「教える技術は、後からいくらでも身につくよ。それに、君に担当してもらう生徒の中には、イジメを受けたり、落ちこぼれ扱いをされたり、なかなか周りに溶け込めず、心を閉ざしているような子もいるんだ。そういう相手に向き合う時、大切なことは何だと思う?」

 塾長は僕の目を見ながら訊ねた。

「……何だろう。え……っと、ちょっと思いつきません」

 僕はしどろもどろで答えた。

「私はね、共感することだと思っている。厳しい叱責も、優しい励ましも、彼らにはあまり響かないような気がするんだ。ただ、辛かった気持ちを受け止めて、一緒に時間を過ごす。そうやって、彼らが自分の力で立ち上がれるようになるまで見守る」

 塾長はそこまで話すと少し間を置いて、それからまた言葉を続けた。

「君は、息子が高校で孤立した時、ずっとそばで支えてくれていたんだってね」

「いえ……支えてもらっていたのは、僕の方です」

「君はきっと、良い先生になるよ」

 塾長は穏やかに言った。


 僕は、不登校の生徒達の中でも、個別や少人数のクラスを希望している子達を受け持つことになった。

 最初は生徒に警戒されていたし、人に教えることの難しさにも直面して、なかなか上手くいかなかった。

 そんなある日の休み時間、僕の教室の前で他のクラスの生徒が話しているのが聞こえた。

「ここ、不登校の奴らがいるクラスなんだって」

 クラスにいる子供達の顔がこわばっていくのが分かる。

 彼らは、昼間はフリースクールへ通い、夜はこの塾へ来ている不登校児達だった。

 外の話し声は続く。

「不登校とか、ヤバいよな。受験どうすんだろ」

「人生おしまいだよな」

 僕は立ち上がってドアを開けた。外にいた生徒達が驚いてこちらを見る。

 なるべく穏やかな声を出すように努めた。

「どんなことがあっても、人生お終いなんてことはないんだよ」

 一呼吸置いて、付け足した。

「絶対に、ない」

 チャイムが鳴り、外にいた生徒達は慌てて自分達の教室へと駆けて行く。

 僕が教室へ戻ると、クラスのみんなが僕を見ていた。

 一人の生徒が口を開く。

「さっき言ってたこと、本当にそう思ってる?」

 今井という生徒だった。

「心からそう思ってるよ」

 僕はそう言って、いつものように授業を始めた。

 その日から、少しずつ生徒との距離が縮まっていくのを感じた。


 塾の講師は、きちんとやろうと思えば思うほど、時間外労働が増えていく仕事だった。

 教材の予習をし、授業案を練り、板書案を考える。プリントを作り、宿題を添削し、小テストを準備して採点する。

 授業中だけ勉強を見ていればいいというような、簡単なものではなかった。

 もちろん準備時間に時給は発生しないから、手を抜こうとすればいくらでも抜けた。でも、僕はそうしたくなかった。

 他の先生達も、熱心な人が多かった。僕のような普通の大学生だけでなく、司法試験を何年も受け続けている人や、音楽活動をしながら他のバイトと掛け持ちしている人など、いろいろな人がいて面白かった。

 教え方に悩んだり迷ったりして相談をすると、みんな親身になってアドバイスをくれた。


 イガちゃんは夜間大学に通いながら、昼間の授業を受け持っていた。日中は、通信制高校に通う生徒をサポートするクラスと、フリースクールなどに行っていない不登校児のクラスがあり、主にイガちゃんと塾長が担当していた。そして、イガちゃんの仕事ぶりは、意外にも真面目そのものだった。

 授業や授業準備の他に、配布物や掲示物、そして時間割やアルバイト講師のシフト作成も行っていた。そのうえ自分の勉強もしていたから、多忙を極めていた。

 僕は少しでも力になりたくて、大学の授業が早く終わる日は勤務時間よりも前に行き、印刷などの手伝いをした。

 最初、イガちゃんには

「授業時間以外に時給を払えないから」

 と断られたが、

「勝手にやってるだけだから」

 と手伝いを続けるうちに、

「ありがとう」

 と言って頼ってくれるようになった。


 忙しい中でも、イガちゃんは僕と週末を過ごそうとした。といっても、どこかへ遊びにいくわけではなく、もっぱら二人で授業準備をしたり、大学の課題をやったりしていた。

 僕とイガちゃんの関係は、高校生の頃とあまり変わらなかった。変わったことといえば、ハグをされるようになったことくらいだ。

 初めてハグをされたのは、イガちゃんが帰国して僕の家へ来た日だった。

 帰り際、部屋を出る前にいきなり抱きしめられて、思わず押し返した。

「何すんだよ」

 と僕が言うと、

「挨拶」

 と言って再び抱き寄せられた。

 その日から、「充電」とか「ご褒美」だとか言いながらハグをしてくるようになったが、それ以上のことは何もしてこなかった。

 そうして、季節は過ぎていった。


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