進路
年が明け、先輩達が大学入試を迎える頃、僕達の学年も少し落ち着かない雰囲気になった。部活をやっていて先輩との繋がりがある奴らは特に、来年に迫った入試を意識しているようだった。
僕達の間でも進路の話題が出るようになり、昨年から既に予備校へ通い始めていた吉野から、いろいろ話を聞かせてもらうことが増えた。
そんな時、イガちゃんだけはあまり話に入ってこなかった。
加藤も気になったのだろう。
「イガちゃんは進路どうすんの?」
と話を振った。
イガちゃんは少し間をあけてから答えた。
「俺さ、ワーホリ行こうと思って」
「ワーホリ?」
「ワーキングホリデー。一年間、外国で仕事しながら滞在できるビザ。それ取って、卒業したらオーストラリアに行こうと思ってる」
僕達は顔を見合わせた。
「え? じゃあ大学受験はしないってこと?」
佐々木が聞くと、イガちゃんは
「うん」
と言ってニッコリ笑った。
「いや、ちょっと待てよ」
加藤が真剣な顔でイガちゃんを見据える。
「お前、何バカなこと言ってんだよ」
「バカなことなんか言ってない」
イガちゃんはムッとして言い返したが、加藤は引かなかった。
「バカだろ。だって一年間も海外行って、その後どうするんだよ。そっから予備校行って、大学受験すんの? 二浪ってことになるんだぞ」
「二浪してる人なんて、世の中にいっぱいいるよ」
「だけど、お前みたいに一年間も遊びに行って、時間を無駄にしてるわけじゃないだろ」
「俺は遊びに行くわけじゃないし、時間の無駄だとも思わないけど」
「でも! 世間はそう思わないだろ! 就職する時、何て説明するんだよ。正直に言ったって不利になるだけじゃん」
「そんなの、分かんないだろ」
「分かるよ! 俺のいとこが大学受験に失敗してワーホリ行って、何にも身に付かずに帰国して、高卒のまんま30歳過ぎても派遣の仕事で食いつないでる」
「派遣の何が悪いんだよ」
「いとこ自身が後悔してるんだよ! 普通に進学して就職して家庭を持ちたかったって、いつも言ってるよ」
加藤の勢いに押されて、みんな黙りこくってしまった。
気まずい空気が流れる。
加藤の言うことは、きっと正しいのだろう。だけど、その正しさに当てはまらない人達は、全て間違いなんだろうか。
「進学して就職して家庭を持つ。それは、加藤のいとこが考える『普通』だろ」
僕が話し始めると、みんなが顔を上げた。
「僕も進学して就職するつもりだから、そこまでは同じだけど、僕には家庭を持つっていう選択肢はないよ。同性を好きでいる限り……男同士じゃ子供は産めないからね」
加藤がハッとする。
「俺、そういうつもりで言ったんじゃ……」
「分かってるよ。ただ、人によって常識は違うし、何が幸せなのかを決められるのは、本人だけなんじゃないかって言いたかったんだ」
加藤がうつむく。
「僕は、大学でLGBTについて勉強したいと思ってる。今まではずっと、隠すことや逃げることばかり考えていた。でも、みんなに出会って受け入れてもらえて、やっと自分に向き合うことができた。みんなが僕を助けてくれたみたいに、僕もいつか誰かを支えられるような人になりたい。」
自分でも恥ずかしいことを言っているのは分かっていた。でも、どうしても伝えておきたかった。
「僕は、自分の生き方を否定されることが、どれほど辛いかを知っている。でも、理解して寄り添ってもらえることが、どれほど嬉しいかっていうことも知ることができた。みんなが教えてくれたから。だから僕は、五十嵐のやりたいことを応援する」
僕が話し終えると、吉野が顔を真っ赤にしながら賛同した。
「私も、五十嵐君を応援したい」
佐々木が続く。
「まあ、イガちゃんが就職に困ったら、イチヤが養えばいいもんね」
「それは無理」
僕が即座に否定すると、加藤が情けない声を出した。
「イガちゃんごめん……俺、ただ心配で」
すると、イガちゃんが呑気に言った。
「俺の家、自営業だから就職の心配はないよ。父さんも俺に継がせるつもりだし」
「自営って、何やってんの?」
佐々木が聞くと、
「学習塾」
という答えが返ってきた。
「それ、モロに学歴や経歴がものをいう業界なんじゃ…」
加藤が口を挟むと、イガちゃんがこともなげに言った。
「まあ、普通はそうなんだろうけど、うちは大丈夫だよ。父さんも大学中退だし」
「どういうこと?」
佐々木は、訳がわからないという顔をしている。
「俺の父さんが大学生の頃、家庭教師のバイトをしていてさ。評判が良かったみたいで、他の家からも頼まれるようになったんだって。その人数がだんだん増えて、一人ずつは見られないから、小さな部屋を借りてまとめて教えるようにしたんだよ。それからも生徒が増えていって、そっちの方が忙しくなったから、大学を辞めて学習塾を始めたんだ」
イガちゃんはにこやかに話し続けた。
「父さんがそんな経歴だからか、今までうちにきたアルバイトの先生達もいろいろでさ。普通の大学生の他に、夜間大学に通っている人とか、通信教育の大学で学んでいる人もいた。今いる先生の中で一番面白い人は、長期休みのたびにバックパック背負って、アジアを旅して回るのが趣味なんだって」
「でもさ、生徒はよくても保護者は学歴とか気にするんじゃないの?」
佐々木が聞くと、
「先生の学歴や経歴を気にするような親は、うちを選ばないよ。うちに来るのは、勉強が苦手な子とか、進学塾のペースについていけない子とか、他では落ちこぼれ扱いされるような生徒達がほとんどなんだ。だから、他の塾とは保護者の意識も違うんだと思う。昼間は不登校の子達を集めたクラスもやってるし、子供が勉強してくれるようになったってだけで喜んでくれる親が多いよ。俺もたまに代講するけど、高校生だって知ってても、ちゃんと先生扱いしてくれるよ」
イガちゃんが話し終えると、みんなが口々に言った。
「イガちゃんが先生やってるの?」
「想像つかない……」
佐々木と加藤は信じられないという面持ちだ。
「五十嵐君は先生に向いていると思うよ」
すかさず、イガちゃんを師匠と仰ぐ吉野がフォローする。
「じゃあお前、将来は塾の先生になるの?」
僕が訊ねる。
「たぶんね。でも、その前にやりたいことをやる。親も、二十歳までは好きにしろって言ってるし。その後は勉強もしたいから、夜間か通信かはわからないけど、うちの手伝いをしながら大学に通おうと思って」
イガちゃんの言葉には迷いがなかった。
「お前、授業中全然聞いてないのに、人に教えられるのかよ」
僕が言うと、
「もう知っている内容だから、授業を聞いてもしょうがないんだよ」
とイガちゃんが答える。
「指されても『分かりません』って言ってるじゃん」
「授業を聞いていない俺がスラスラ答えたら、先生の立場がないだろ」
「じゃあ、分からないふりしてんのかよ」
「言い方は悪いけど、まあ、そういうことになるよね」
イガちゃんの返事に、僕は思い当たるところがあった。そういえばイガちゃんって、そういうところあるよな。聞いていないように見えてちゃんと聞いていたり、出来ないのかと思ったら手を抜いているだけだったり。
「確かにさ、うちってそこそこの進学校だから、入学している時点で頭悪いはずがないよね」
佐々木が納得したように言う。
「何だよ! じゃあ全然心配いらないじゃん! 先に言えよ!」
加藤が文句を言うと、
「お前が一人で勝手に怒り始めたんだろ」
とイガちゃんが笑う。
みんなと過ごす時間が楽しければ楽しいほど、卒業という言葉が心に重くのしかかる。
まだまだ先のような、あっという間のような。
この先いつまでも五人一緒に過ごせるわけではない。
そんなことはよく分かっていたが、離れ離れになる日を思うと、僕はどうしようもない寂しさに襲われた。




