クリスマス
「なあ、クリスマスって何してんの?」
終業式の日、帰りの電車の中でイガちゃんに訊ねられた。
「家でチキン食ってケーキ食って寝るだけ」
僕が面倒臭そうに答えると、イガちゃんが食いついてきた。
「いいな! 俺も行っていい?」
「断る」
「いいじゃん! おばさんに言っといてよ」
「断るって言ってるだろ」
「あっ、もう降りる駅だ。じゃあまた連絡するから!」
イガちゃんが慌ただしく駅のホームへと降り立った。
僕はため息をつきながら、走り出した電車の窓から流れる景色を眺めた。
その夜、リビングでテレビを見ていると、イガちゃんから電話がかかってきた。
「おばさんに言ってくれた?」
イガちゃんの声を聞きながら、僕はうんざりしながら答える。
「言うわけないだろ」
「何でだよ」
「こっちのセリフだよ」
「クリスマスに家にいるとさ、デートする相手もいないのかって、毎年家族がうるさいんだよ」
何だ、そういうことか。
「男同士でクリスマスを過ごす方が心配されるだろ」
僕の言葉を意に介さず、イガちゃんは話を進める。
「とにかく、行くから」
「来るな」
「いいじゃん、思い出つくろうぜ」
「……」
僕は電話を切った。
すぐさま着信が入るが、無視してテレビを見続けた。
「電話鳴ってるわよ。出ないの?」
母さんが声をかけてくる。
「五十嵐だから」
「五十嵐君? 出てあげなさいよ」
「クリスマスに家へ来たいってしつこいんだよ」
「来てもらえばいいじゃない」
「は?」
「どうせお父さんも年末まで帰って来られないし、あんたと二人だけだと、ケーキも余るし」
「……」
「あんたが嫌じゃないなら、呼んであげたら」
「……別に、嫌ってわけじゃないけど」
「じゃあ、いいじゃない」
そう言って、母さんは台所の片付けに戻っていった。
イガちゃんに、クリスマスに来てもいいとメールをすると、すぐに電話がかかってくる。
「もしもし! 行っていいの?」
「メールしたんだから、メールで返せよ」
「電話の方が早いじゃん」
「チキンとケーキ食ったら帰れよ」
僕が冷たく言っても、イガちゃんは楽しそうに会話を続ける。
「家に行く前にさ、寄りたいところがあるから付き合ってよ」
と、地元から少し離れた駅を待ち合わせ場所に指定された。
「どこに行くんだよ」
「行けばわかるよ」
電話を切った後も、イガちゃんの弾むような声が耳に残った。
当日、待ち合わせ場所に着くと、前髪を上げていつもとは違う雰囲気のイガちゃんが待っていた。
「気合い入ってんじゃん」
と僕が髪型を指差しながら言うと、イガちゃんは顔を赤くした。
「で、どこ行くの?」
僕が聞くと、
「水族館」
とイガちゃんが答えた。
「……デートかよ」
僕が言うと、
「デートだよ」
とイガちゃんが微笑む。
「やめろ」
僕が顔をしかめると、イガちゃんは声を上げて笑った。
「前にイチヤの家に行った時、本棚に熱帯魚の写真集があったからさ、好きなのかなと思って」
「あー、あれね」
「興味なければやめとくけど」
「いや、行く」
「よし」
イガちゃんは張り切って歩き出した。
水族館はカップルや親子連れで溢れていた。
クリスマスに男同士で来ているのなんて、僕達くらいだ。
居心地の悪さを感じながらイガちゃんを見ると、全然気にしない様子で水族館を楽しんでいる。
「すげーな!」
と言いながら、マグロの大群が泳ぐ水槽に顔を近付けているイガちゃんは、まるで子供みたいだった。
いろいろ見て回りながら、イガちゃんがキョロキョロと何かを探している。
「あっ、いた!」
イガちゃんの指差す先に、カクレクマノミの水槽があった。
オレンジの体に、白のシマ模様が入った、南国の魚だ。
「こいつの載ってる写真集、イチヤの部屋にあっただろ? 好きなの?」
「好き……っていうか、なんか、面白いなと思って」
「見た目が?」
「見た目じゃないよ。カクレクマノミってさ、雌雄同体なんだよ」
「シユウドウタイ?」
「メスとオスの両方を兼ね備えてるってこと」
「へぇー」
「カクレクマノミは途中で性別が変わるんだ。群れの中で体の一番大きい奴がメスになって、二番目に大きい奴がオスになるんだって」
「他の小っちゃいやつらは?」
「オスでもメスでもない」
「へぇー、そうなんだ」
僕達はしばらく黙って水槽の中を眺めた。
「どうして自分はこんな風に生まれてきたんだろうって悩んでた頃、テレビでカクレクマノミの生態を知ったんだ」
僕は独り言のように話し続けた。
「それまでは、他のみんなと違うことが嫌でたまらなかったけど、カクレクマノミみたいに途中で性別が変わっちゃう生き物もいるんだって知ってさ、思ったんだよね」
「当たり前だと思っていたこととは、全然違う世界があるんだなって。そう考えたら、みんなと違うっていうことが、前よりは辛くなくなった」
僕が話している間、イガちゃんは何も言わずに水槽を見ていた。たぶん、途中から聞いていなかったんだろう。
「腹減ったな、そろそろ行くか」
と言って僕が歩き出すと、
「イチヤ」
と呼ばれた。
振り返ると、イガちゃんが真っ直ぐに僕を見ている。
「どうした?」
僕の問いかけに、しばらく黙った後、
「俺も、腹減った」
と言ってイガちゃんも歩き出した。
僕の家でチキンとケーキを食べた後、イガちゃんを駅まで送った。冷たい風が頬を刺す。
「イチヤは正月、何してんの?」
「うちは毎年ばあちゃんの家に行ってる」
「そっか。じゃあ会えないな」
「お前、どんだけ暇なんだよ。クリスマスも正月も二人で会ってたらおかしいだろ」
僕がしかめっつらをすると、イガちゃんは目を細めて聞いてきた。
「イチヤって……好きな人いるの?」
「何だよ急に」
「いる?」
「……いない」
「そっか」
お前は? と聞こうとして、やめた。
駅前に飾られた、イルミネーションの明かりが見えてくる。
「あっ、駅だ。もう道わかるから、ここまででいいよ」
イガちゃんに言われて、僕は足を止める。
「これ、渡すの忘れてた」
イガちゃんが、鞄から折り畳まれた紙を取り出した。
「何これ」
「世界地図」
「地図?」
「今日、イチヤが水族館で言ってたことあるじゃん。あれ、俺も似たようなこと考えてた」
「言ってたことって?」
「『当たり前だと思っていたこととは、全然違う世界がある』ってやつ」
「……聞いてないのかと思った」
「聞いてたよ。俺も、その地図を見た時に似たようなことを思ったんだ。見方を変えたら、世界は全然違うものになるんじゃないかって」
「……」
「家でその地図を見てみてよ。じゃあ、またな」
そう言うと、イガちゃんは雑踏の中へと消えていった。
家に着いてからもらった地図を広げると、一見普通の地図に見えた。だが、よく見ると国名の文字が逆さまだ。文字が読めるように、くるりと地図を回すと、世界の国々がひっくり返って描かれていた。
何だこれ。
でも、不思議だ。視点を変えただけなのに、よく知っているはずのものが、全く別物のように感じられる。
イガちゃんみたいだな、と思った。仲良くなる前と今とでは、印象がまるで違う。
僕は、部屋の中で一番目につきやすいところに地図を貼ることにした。そして、もしかしてこれはクリスマスプレゼントだったんだろうか、などとぼんやり考えていた。




