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過去

 学園祭の後も、イガちゃんはフラリと僕の席へやってきては一人で喋っていった。

 たまに佐々木や加藤も声をかけてきたが、僕の反応の薄さに困惑しているようだった。

 誰とも親しくなる気はないんだから、放っておいて欲しい。


 季節が変わり、吐く息が白くなる頃、イガちゃんは突然部活を辞めた。

 普段クラスでつるんでいたバスケ部の連中とも、一切話をしなくなった。

 そして、僕のところへも来なくなった。

 イガちゃんは日に日に元気をなくし、笑顔を見せることもなくなった。


 ある日の放課後、駅のホームで帰りの電車を待っていた僕の前に、誰かが立ち止まった。

 顔を上げると、真っ白な顔をしたイガちゃんと目が合う。

 あまりの顔色の悪さに、思わず声が出た。

「大丈夫かよ」

 言葉にしてすぐに後悔した。

 大丈夫なはず、ないよな。

 イガちゃんは僕の隣に腰を下ろすと、ゆっくり口を開いた。

「俺、また余計なことしちゃったよ」

 イガちゃんは苦笑いをしながら話を続けた。

「部活でさ、澤田がレギュラーに選ばれたんだ。あいつ、本当に上手いから」

「だけど、先輩達とか、そのことが気に入らない奴らも結構いてさ、澤田にパスを回さなかったり、嫌なことを言ったり、本当に酷かったんだ」

「澤田は、黙って耐えてた。それなのに俺、勝手に先輩達に文句言っちゃって……」

「澤田のことを悪く言うなって。嫌がらせするなって。そしたら、澤田に怒られた」

「余計なことするなって。ますます居心地悪くなるだろって」

「その後、先輩達に無視されるようになって、俺には誰もパスを回さなくなったし、だんだん同じ学年の奴らも口をきいてくれなくなった」

「俺が悪いからしょうがないんだけどさ」

 イガちゃんが深いため息をつく。

 僕はなんとも言えない気持ちで口を開いた。

「……何でそんなことをしたんだよ」

「え?」

「カッコつけるの止めろって言っただろ」

 僕の言葉に、イガちゃんは複雑な表情を浮かべた。

「澤田は、自分のことだったら何を言われても顔色を変えなかったけど、あの日、澤田の彼女まで悪く言われてて……。その時の澤田の顔を見てたら、黙っていられなくなっちゃったんだよ」

『辛そうな顔をしている人を見ていると、自分も辛い』

 前にイガちゃんが言っていたことを思い出す。

 世の中には、他人の傷つく姿を見て喜ぶ奴らがたくさんいる。

 僕だって、誰だって、少なからずそういう部分を心の中に持っているんだと思う。

 だけど、イガちゃんのように、人の痛みを自分のもののように感じる奴もいるんだろう。

 そしてきっと、イガちゃんはその感覚が人一倍強い。

「お前はバカだけど、良い奴なんだな」

 僕がつぶやくと、イガちゃんがこちらを見た。

「イチヤにバカって言われると、傷付く」

 反応すんの、そこかよ。

「褒めたんだよ」

「そっか」

 イガちゃんが立ち上がって大きく伸びをした。

 真っ直ぐに空へ向かう、樹木みたいだ。

 もし僕が中学生の頃、イガちゃんに出会っていたら。

 そうしたら、何かが違っていたんだろうか。

 みんなから白い目を向けられていた僕に、イガちゃんなら何を言ってくれたんだろう。

 そんなことを考えながら、ぼんやりとイガちゃんの後ろ姿を眺めていた。


 その日から、僕とイガちゃんは一緒に過ごすことが増えた。

 休み時間や帰り道だけでなく、休みの日にも遊ぶようになった。

 うちの学校はクラス替えがなかったから、二年生になってからも変わらず、イガちゃんとの日々を過ごした。

 平穏な高校生活。このまま卒業まで続いて欲しい。心からそう願った。

 でも、僕の日常は再び壊された。


 高校二年生のゴールデンウィーク明け、僕が教室へ入った瞬間にクラスの中が静まり返った。

 今までとは明らかに空気が違う。

 僕が自分の席へ向かうと、すれ違いざまに木嶋が声をかけてきた。

「おい、ホモ」

 思わず足が止まる。

「なあ、お前中学の時、男と付き合ってたんだろ?」

 顔から血の気が引いていく。

「俺のいとこ、お前と同じ中学でさ、卒アル見てたらいろいろ教えてくれたんだよ」

 足元から世界が崩れていくような気がした。

 やっと抜け出せたと思ったのに。

 地元からは誰も進学しないであろう遠くの高校を、わざわざ選んだのに。

「俺達のことも、そーゆー目で見てんの?」

「キモっ」

「やべーな」

 木嶋の周りから声が上がる。

 ああ、また中学の頃のような地獄の日々が始まるのか。そう思って下を向いた時、場違いに明るい声でイガちゃんが教室に飛び込んできた。

「あぶねー! 間に合った!」

 イガちゃんが僕に笑いかける。

「おはよう、イチヤ!」

 顔をこわばらせた僕に代わって、木嶋がイガちゃんに声をかける。

「なあ、イガラシとイチヤって付き合ってんの?」

「え?」

「あ、知らねーんだ。コイツ、男が好きなんだってさ」

 そう言って、木嶋が僕を指差す。

 その時のイガちゃんがどんな顔をしていたのか、僕は知らない。

 気が付いた時には、教室を飛び出していた。

 そのまま駅に向かって電車に乗り、家へと急いだ。

 途中で何度もイガちゃんから着信があったけれど、僕は携帯の電源を切り、鞄の奥底にしまった。

 誰にも会いたくない。

 誰とも話したくない。

 誰も僕を知らないところへ行きたい。

 今すぐ消えてしまいたい。

 そんなことをずっと考えながら家路をたどり、帰ってすぐに布団をかぶって横になった。

 全て夢だったらいいのに。

 起きたら何もかも元通りで、明日も僕はイガちゃんのくだらない話を聞きながら笑う。

 そうなったらどんなにいいだろう。

 でも、今日僕の身に起きたことはまぎれもない現実で、昨日までの僕には戻れない。


 体調が悪いと言い張って学校を休み続けた三日目、イガちゃんが突然家に来た。

 僕は頑なに会うことを拒んだけれど、イガちゃんは引き下がらなかった。

 愛想の良い笑顔で母さんと話し込み、夕飯まで食べていくことになったと聞いて、僕はようやく観念した。

 僕の部屋に入るなり、イガちゃんが大きな声で僕を責める。

「何で電話に出ないんだよ!」

 珍しくイガちゃんが怒っている。

「電源切ってた」

「ふざけんなよ! 心配したんだぞ!」

「ごめん」

 素直に謝る僕を見て、イガちゃんの眉間のシワが少しゆるむ。

 しばらく黙り込んだ後、イガちゃんが口を開く。

「学校来いよ」

「行けるわけないだろ」

「何でだよ」

「当たり前だろ! あんな風にみんなの前で中学の時のことバラされて。みんな、僕のことを気持ち悪いって思ってる」

「俺は思わない」

「嘘だ」

「嘘じゃない」

「お前が思わなくても、みんなが思ってる。それに、一緒にいたらお前まで変な目で見られる」

 イガちゃんはちょっと考え込んでから、白い歯を見せた。

「俺、もともと変な奴だと思われてるから大丈夫だよ。それにさ、イチヤのこと心配してるのって、俺だけじゃないよ。加藤と佐々木も気にしてた」

「……何で気持ち悪いって思わないんだよ」

「だって、相手が男でも女でも、人を好きになることは気持ち悪いことなんかじゃないだろ」

「お前って変わってるよな」

「イチヤにだけは言われたくないよ。俺、今日泊まっていっていい? 明日一緒に学校へ行こうよ」

「は?」

「おばさんに聞いてくるね」

「おい、ちょっと待てよ」

 慌てて止めに入ったが、すっかりイガちゃんを気に入った母さんは、あっさりと承諾した。

 その夜、僕は布団に入ってから、イガちゃんに中学の時の話をした。

 修学旅行中、仲の良かった男友達から告白されて、手を握られたこと。

 その姿を見られて、噂が広まったこと。

 相手の親にも話が伝わり、そいつは逃げるように転校していったこと。

 残された僕は、誰も味方のいない学校で、卒業まで地獄の日々を過ごしたこと。

「イチヤは、そいつのことが好きだったの?」

 イガちゃんに聞かれて、僕はあの頃の気持ちを思い出しながら答えた。

「たぶん、好きだったんだと思う。でも、もし違ったとしても、他の奴らみたいに拒絶して排除するようなことはしたくなかった。あいつは、僕の大事な友達だったから」

 イガちゃんは、黙って僕の話を聞いていた。

 そして、最後まで何も言わずに眠りについた。


 翌日、キリキリと痛む胃を抑えながら、イガちゃんと学校へと向かった。

 二人で教室へ入ると、

「仲良いなー、お前ら」

 と木嶋がからかってきた。周りの奴らもニヤニヤ笑っている。

 今すぐ帰りたい。

「だろー、邪魔すんなよ」

 イガちゃんが明るく返すと、

「ラブラブじゃん」

 と、誰かが僕の肩に手を置いた。

 振り向くと、加藤が心配そうな顔で立っていた。

「おはよう、イチヤ」

「あ……おはよう」

「三角関係じゃん」

 木嶋がしつこく絡んでくる。

 すると、

「イチヤ、こっちおいでよ。昨日までのノート見せてあげる」

 教室の奥から、佐々木がノートをヒラヒラさせて僕を呼んだ。

 木嶋は顔をしかめて僕を睨みつけると、

「キモっ」

 と吐き捨て、こちらに背を向けた。

 佐々木からノートを受け取りながら、

「ありがとう」

 と僕はかすれた声でお礼を言った。

「声ちっさ!」

 佐々木が笑う。

 何で

 何で、加藤も佐々木も普通に接してくれるんだよ。

 予鈴が鳴る。

 僕は、佐々木のノートを強く握り締めながら、自分の席に向かった。


 昼休みになると、イガちゃんが食堂へ行こうと誘いにきた。

 二人で並んで歩くと、なんとなく周りの視線を感じる。

 手のひらに汗が滲む。

 食堂に着くと、加藤が大きく手を振ってこちらに合図をしてきた。

「席取っといたぞ。こっちこいよ!」

「今行くー!」

 イガちゃんも手を振り返して答える。

「イチヤが休んでいる間は、加藤達と飯食ってたんだ」

 ああ、そういうことか。

 でも、僕まで混ざったら迷惑だよな。

「迷惑じゃないよ」

 イガちゃんが僕の顔を覗き込みながら言った。

「……声に出てた?」

 僕が驚いて聞くと、

「いや、そういうこと考えてそうな顔してた」

 と言ってイガちゃんは笑顔を見せた。

 カウンターで食事を受け取り、加藤のところへと向かう。

「ごめん」

 僕が謝ると、

「何が?」

 加藤がキョトンとしている。

「一緒にいると、加藤まで何か言われるかもしれないから」

 僕がうつむくと、

「何だ、そんなの全然大丈夫だよ。どっちかっていうと、イガちゃんと二人だけでいるよりも、俺達と一緒にいた方が絡まれにくくなると思うぞ」

「でも、加藤まで同じように思われたら…」

「大丈夫だって。俺、彼女いるもん」

「え?」

「えって何だよ。いちゃ悪りーかよ」

「いや、えっ、誰?」

 すると後ろから

「はーい、彼女でーす」

 と言って、佐々木が現れた。

「えっ」

 あまりにも意外な組み合わせだった。

 佐々木は明るくて面倒見が良くて、いつもクラスの中心にいるような奴だったし、加藤は小柄で小動物みたいな感じで、しょっちゅう周りにからかわれているような、いじられキャラだったからだ。

「俺も三日前に知った。意外だよなー」

 イガちゃんが悪気なく言う。

「釣り合わなくて悪かったな」

 加藤がムッとする。

「そんなことないよ。ミキと加藤くんはお似合いだと思うよ」

 佐々木の隣にいた女子が、か細い声でフォローする。

「話すの初めてだね、イチヤくん」

 はにかんだ笑顔を浮かべているのは、いつも地味で目立たない吉野だった。

「マユはわかってるねー」

 佐々木が嬉しそうに声を弾ませる。

 佐々木と吉野が仲良いなんて知らなかった。

「そこの二人が友達なのも意外だよね」

 イガちゃんが言うと、

「そう? イチヤとイガちゃんだって人のこと言えないじゃん」

 と佐々木が返す。

「まあまあ、もういいじゃん。早く食おうぜ」

 加藤に言われて、僕達も席に着く。

 僕は、何が何だか分からないまま、みんなと昼飯を食べた。

 教室に戻る前に、思い切って聞いてみた。

「何で、普通に接してくれるの」

「何でって、そんなの当たり前だろ」

 加藤が言うと、佐々木や吉野も

「そうだよ」

 と言って笑う。

「学園祭でさ、二人が俺のことを助けてくれただろ。凄く嬉しかったんだ。その時から、イチヤとイガちゃんとは仲良くなりたいなって思ってたんだよ」

 と加藤が言うと、佐々木も話に入ってきた。

「私も加藤から話を聞いてさ、二人とも良い奴なんだなって思ってた。マユはイガちゃんに助けられたことがあるしね」

 佐々木に促されて、吉野は恥ずかしそうに話し始めた。

「覚えてないと思うけど……前に授業で先生に当てられて答えられなかった時に、笑われてる私を五十嵐くんが庇ってくれて……」

「そんなことあったっけ?」

 イガちゃんは本当に忘れているようだった。

「その時にね、思ったの。誰かを笑いものにする人にはなりたくないなって。私も、五十嵐君みたいに行動出来る人になりたいなって」

 そこまで一気に話すと、吉野は我に返ったように小さな声でつぶやいた。

「ごめん、変な話して」

「変じゃないよ! 私はマユのそういうところ、大好きだから!」

 佐々木の言葉に、吉野が嬉しそうにはにかむ。

 僕は、どうして二人が友達になったのかが、なんとなく分かったような気がした。


 それからは、昼食だけでなく休憩時間や放課後なども五人で過ごすようになった。

 しばらくそんな日が続くうちに、遠巻きに見ていたクラスメイトも普通に接してくれるようになり、しつこくからかってきた木嶋達は、あまり絡んでこなくなった。


 全員が受け入れてくれたわけではない。それは痛いほどよくわかっている。

 あからさまに不快そうな視線を投げつけられることもあったし、ヒソヒソと陰口を叩かれているのを耳にしたこともある。

 だけど、イガちゃんと加藤、佐々木や吉野がそばにいてくれるおかげで、中学の頃とは比べ物にならないくらい穏やかな学校生活を過ごせた。

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