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希望

 僕達の関係を知っている友達には、パートナーシップ宣誓したことを電話で報告した。

 吉野は自分のことのように喜んでくれたし、小林は「今度会った時に詳しく聞かせて!」と興奮していた。

 加藤と佐々木には根掘り葉掘り聞かれたので、ミナトの家へ挨拶に行った話もした。

「じゃあ、イチヤのご両親のところへも挨拶しに行くの?」

 と佐々木に聞かれて、

「うちの母さんにはもう話したけど、父さんは何も知らないから……たぶん、一生言うことはないと思う」

 と僕は答えた。

 すると佐々木は、

「え……でも、イチヤの家の書斎って、お父さんが使ってるんだよね? お母さんとイチヤの本も置いてるの?」

 と訊ねてきた。

「いや、あの部屋は父さんの本しか置いてないはずだよ。僕は普段入らないし、母さんも掃除の時くらいしか入らないんじゃないかな」

 僕の返事に、佐々木は困惑しているようだった。

「それじゃあ、あれは誰の本だったんだろう……。あのさ、高校生の頃、花火大会の日にイチヤの家へ泊まりに行ったことがあったでしょ? マユと私で書斎を寝室代わりに使わせてもらった時に見たんだけど、本棚にLGBT関連の本が何冊かあったんだよね」

 僕は驚きのあまり、言葉も出なかった。

「本棚の一番下の目立たないところにあってさ、横になった時に目の高さにあったから、たまたま気が付いたんだよね。だから、イチヤの家族はみんな知ってるんだと思ってた」

 その後、僕は何を話したのかよく覚えていない。頭の中は、さっき聞かされた話でいっぱいだった。

 佐々木との通話を終えると、震える指で実家の電話番号を押した。

 書斎の本について電話で母さんに聞いてみると、全然心当たりが無いようだった。

「ちょっと待ってて」

 と言って通話を保留にし、本棚を確認して戻ってくると、

「本当にあった」

 と言ったきり、母さんは黙ってしまった。

「父さんに話したの?」

 と僕が聞くと、

「あんたが中学生の時に、『ワタルが男の子と付き合っていたんじゃないかって噂を流されて困ってる』って相談したことはあるけど……。あの人は『そうか』って言っただけで、その後は一度も話題に出たことがないから、関心がないんだと思ってた……」

 母さんも僕と同じように、混乱しているみたいだった。

「母さんから聞いてみようか?」

 と言われて、僕は少し迷ってから断った。

「年末に父さんが単身赴任先から戻って来たら、自分で聞いてみるよ」

 僕がそう言うと、横で聞いていたミナトが話に入ってきた。

「俺も一緒にワタルの家へ行きたい!」

 大声で言うものだから、母さんにも聞こえたようで、

「あら、ぜひいらっしゃい。待ってるわよ」

 と、二人で勝手に話を進めている。

「やった! 楽しみにしてます! それじゃまた、連絡しますね」

 ミナトはそう言って通話を切ってしまった。

「おい! 勝手に切るなよ!」

 僕が怒ると、ミナトは悪びれもせずに言った。

「一度でいいから、ワタルのお父さんにも会わせてよ。余計なことは言わないからさ。俺達のことを隠しておきたいなら、友達のふりをするし。俺の家族には全員会わせたんだから、俺も会わせてもらったっていいだろ?」

「会ってどうするんだよ」

「別にどうもしないけどさ、会って話をしてみたいだけ」

「……考えておく」

「えー! また五年くらい待たされたら嫌なんだけど」

「そんなにかかんねーよ!」

 ミナトを連れて行くかどうかはともかくとして、父さんとは一度話をしようと決意した。


 中学生の定期テスト対策が終わり、時間に余裕の出来た僕は、小林に誘われてランチに出かけた。

 小林は中堅の学習塾に就職して、忙しい日々を送っていた。

「出勤前に呼び出してごめんね」

 小林が顔の前で両手を合わせる。

「本当なら飲みに行きたいところだけど、私もイチヤも昼から夜遅くまでの仕事だからさ、出勤前のこの時間なら、ランチしながら少し話せるかなと思って」

「休みの日も忙しいの?」

 僕が聞くと、

「休日にイチヤを誘ったら、イガちゃんの機嫌が悪くなりそうじゃん」

 と小林は首をすくめた。

 僕達はナポリタンが美味しいという喫茶店に入り、早めの昼食をとることにした。

 近況を伝え合いながら、僕は小林の耳に光るピアスに目を止めた。

「ピアス開けたんだな」

 何の気なしに話題にすると、小林は大切そうにピアスに触れた。その仕草に勘が働いた僕は、

「もしかして、誰かからのプレゼント?」

 と訊ねた。

「好きな人からもらったの。マユちゃんじゃないよ。同じ会社にいる女の先輩で、研修の時から可愛がってくれてる人。『失恋して気分を変えたいんで、先輩の真似してピアスを開けようと思ってます』って言ったら、これをプレゼントしてくれたの」

 小林は頬を染めながら答えた。

「その先輩は、小林がレズビアンだって知ってるの?」

「まさか。言ってないよ。だから、今回も私の片思い」

「そうか……」

 少しの沈黙の後、小林が僕に謝ってきた。

「マユちゃんのこと、ずっと黙っててごめんね。仲間内で恋愛相談されても困るかなと思って、誰にも言えなかったの」

「佐々木は知っていたんじゃないのか?」

「ミキちゃんにも、結婚式の日まで言ってなかったよ。でも、マユちゃんとミキちゃんとは、たまに三人で遊んでいたから、もしかしたら気が付いていたのかもしれないけど」

 僕がちょっと安心したような顔をすると、小林がすかさず突っ込んでくる。

「イチヤより先に、ミキちゃんに相談したと思ってた?」

「いや、別に。そうだとしても僕は構わないし」

「またまた、実はちょっと寂しかったくせに」

「全然寂しくない」

 僕が憮然としていると、小林は楽しそうに笑った。

 何にせよ、失恋から立ち直ってくれて良かった。

 小林の新しい恋が、いつの日か実を結びますようにと心から願った。


 慌ただしい雰囲気に包まれた年の瀬、僕はミナトと一緒に実家へと向かった。

 電車に揺られながら、ミナトが僕に訊ねる。

「それにしても、家に書斎があるなんて珍しいよな。ワタルのお父さんて何の仕事してるの?」

「普通のサラリーマンだよ。昔から本を読むのが好きだったみたいで、家を建てる時に唯一こだわったのが、書斎を作ることだったんだってさ」

「ふーん。どんな人?」

「どんなって……あまり怒られたことがないし、優しい人なんだろうけど、不器用っていうか……あんまり喋らないから何を考えているかよく分からない」

「じゃあ、ワタルと似てるんだ。まあ、ワタルの場合はすぐに顔に出るから、何を考えているかは分かりやすいけど」

「……」

 そうなんだろうか。父さんも、本当は僕みたいに心の中は伝えたいことで溢れているんだろうか。

 僕が中学生の頃、父さんの職場の上司が変わった。愛想のない父さんは、新しい上司に嫌われたようで、僕が中学を卒業するタイミングで地方の子会社に飛ばされた。

 家のローンもあったし、僕の進学先も決まっていたから、父さんだけが単身赴任することになった。

 僕と母さんがこちらに残ると告げた時、父さんは「そうか」とだけ言った。あの時、一体どんな気持ちでいたのだろう。


 実家に着いて玄関を開けると、台所から母さんが顔を出した。

「あら、おかえり。五十嵐君もいらっしゃい。お昼ご飯が出来たら呼ぶから、リビングで待っててちょうだい」

 母さんにそう言われて、ミナトは

「お邪魔します」

 と言って、僕より先に靴を脱いだ。

 リビングに行くと、父さんがソファに座って新聞を読んでいる。

「お父さん、初めまして。五十嵐ミナトっていいます。ワタル君と一緒に暮らしているんですけど、今日は、一人で留守番しているのが寂しいからついてきちゃいました」

 ミナトに話しかけられた父さんは、

「ああ、どうも」

 と言って、すぐに新聞へ目を戻した。しかし、そんなことで怯むミナトではない。

「あの、お父さんは読書家って聞いたんですけど、何かおすすめの本ってありますか? 俺、ワタル君と同じ塾で働いていて、よく保護者から、子供にどんな本を読ませたらいいか聞かれるんですよ」

 ミナトはニコニコしながら父さんの返事を待っている。

 父さんは新聞を折り畳むと立ち上がって言った。

「うちに書斎があるから、子供でも読めそうな本を探してくるよ。何冊か貸してあげるから、持って行きなさい」

 ミナトが人懐っこい笑顔で

「一緒に書斎に行っていいですか?」

 と聞くと、父さんは頷いた。


 三人で書斎に入ると、父さんは本を探し始めた。ミナトはしゃがみ込んで本棚を眺めていたが、端の方から本を一冊抜き取り、父さんに声をかけた。

「この本って、お父さんが買ったんですか?」

 ミナトが手に持った本のタイトルには、LGBTの文字があった。

 僕は慌てて、

「勝手に触るなよ! 早く元に戻せ」

 と言ったが、ミナトは僕を無視して父さんの方を見ている。

 父さんは本の表紙を見ると、すぐに目を逸らした。

「ああ……どうだったかな。たぶん私が買ったんだと思うけど、よく覚えていないな。ワタルが大学のゼミでそんなようなことを勉強していると聞いて、読んでみた気がするな」

 嘘だ。佐々木は、高校生の時にこの本を見たと言っていた。でも、嘘をついたということは、この話を僕とするつもりはないんだろう。そう思って、僕は唇を噛んだ。

 ミナトはパラパラと本をめくりながら、父さんへの質問を続けた。

「お父さんは、この本に書かれている人達のことをどう思いますか?」

 僕は苛立ちながら、心の中で叫んだ。もうやめてくれ! 頼むから空気を読んでくれ。父さんは、この話をする気がないんだから。

「やめろよ」

 そう言って、僕がミナトの腕を掴んで連れ出そうとした時、父さんが口を開いた。

「自分とは違う世界に住む、理解を超えた存在」

 父さんはそこで言葉を切った。僕は冷たい水を浴びせかけられたような気分になった。もう、これ以上聞きたくない。

 だが、父さんは言葉を探すように話を続けた。

「以前はそう思っていた。でも、その本を読んで彼らの悩みや苦しみを知り、自分と何も変わらない、同じ世界に住む人達だと分かった。それと同時に、彼らにとってこの世界は、私が想像するよりも遥かに生き辛いだろうと感じた。……そのことを考えると、とても悲しくなる」

 僕は、父さんがこんな風に自分の気持ちを話すのを、初めて聞いた気がした。こんなことを考えていたなんて、ちっとも知らなかった。

 ミナトは持っていた本をそっと本棚に戻すと、父さんに向かって微笑んだ。

「でもね、お父さん。彼らには、想像を遥かに超えた幸福な瞬間だって、あるかもしれませんよ」

 ミナトの言葉を聞くと、父さんは僕達の方を見て言った。

「そうか……。もしそうだとしたら、とても嬉しい」

 書斎の窓から、やわらかな陽の光が差し込む。

 その時、下の階から母さんの呼ぶ声がした。僕達は昼食をとるために、書斎を出て階段を降りて行った。


 昼食の間、母さんとミナトは、加藤と佐々木に赤ちゃんが生まれることや、吉野の結婚式での様子などを話しながら盛り上がっていた。

 僕は時々相槌を打つくらいで、父さんは黙々と食事をしている。母さんはそんな僕と父さんを見ながら、

「あんたたち、本当にそっくりよね」

 と笑った。

 ミナトも、

「見た目も中身も、よく似てますよね」

 などと言っている。

 食事が終わり、しばらく寛いだ後、僕達は帰ることにした。

 帰り際に、父さんが本を数冊渡しながら、

「またおいで」

 とミナトに声をかけた。

 隣にいた母さんが、

「あら、あなたがそんなことを言うなんて、珍しいわね」

 と、びっくりしている。

 ミナトは

「また来ます」

 と言って、ニッコリ笑った。


 帰り道、僕はミナトに文句を言った。

「余計なことは言わないって約束だったのに、何だよあれは」

「余計なことなんか言ってないよ。俺は今日、必要なことしか言ってない」

 ミナトは平然と言い放った。

 確かに、そうかもしれない。ミナトのおかげで、僕は父さんの本音を知ることが出来た。ミナトが父さんに聞いてくれなければ、この先もずっと知ることはなかっただろう。

「今、俺の言う通りだなって思っただろ」

 ミナトが僕の顔を指差しながら、はしゃいだ声を出す。

「思ってない」

 僕がムッとして否定すると、

「絶対に思ってるよ。ワタルはすぐ顔に出るからな」

 と、ミナトが子供のように笑う。

 太陽みたいに眩しいその笑顔に、僕は愛しさを覚えた。


 生き難いこの世界で、僕達は幸福な瞬間を積み重ねていく。

 その瞬間が放つ光は、闇夜を照らし、真っ暗な海の底へと降り注ぐだろう。

 深海に潜む絶望は、幸福の光を浴びながら、いつか希望へと姿を変えるのかもしれない。

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