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誓い

 夏期講習が終わる頃、加藤と佐々木から結婚式は挙げないという報告があった。

 あの後すぐに二人は入籍し、加藤は佐々木の両親にも結婚式へ出席して欲しいと説得し続けていたが、結局良い返事はもらえなかったそうだ。

「結婚式は、いつか許してもらえた時に挙げようと思う。その時は、イチヤとイガちゃんにも出席してほしい。ウェディングドレスとタキシードを着た写真だけ撮ったから、年賀状にして送るよ」

 受話器越しに、加藤の幸せそうな様子が伝わってきた。


 ミナトが子供のいない人生でも構わないと言ってくれた日から、僕は二人の関係を今より前に進めたいと思うようになった。

 ミナトにプロポーズされてから何年経っただろう。五年考えてさせてくれと頼んで、その日が過ぎても僕は結論を出せずにいた。

 約束の五年を迎えた時は既に同棲を始めていたし、仕事も忙しかったので、将来のことについて具体的に話し合うことのないまま、今日まで過ごしてきた。ミナトも、僕を急かすようなことは何も言わなかった。


 ミナトの誕生日に、僕は仕事をいつもより早く切り上げて家路を急いだ。

 これまでの誕生日はケーキを買って食べるくらいで、特別なことは何もしてこなかった。今年も、去年と同じように夕飯とケーキを一緒に食べ、風呂に入り、あとは寝るだけという時間になった。

 ミナトが寝室へ向かおうとしたところを引き留めて、誕生日に言おうと心に決めていたことを伝えた。

「もし、ミナトの気持ちがまだ変わっていなかったら、パートナーシップ宣誓制度の申請をしよう」

 僕は、返事を聞くのが怖かった。今さらこんなことを言って、受け入れてもらえるのだろうか。


 ミナトは僕の申し出に苛立っているように見えた。

「どうして今さら? 約束の五年が過ぎた時、何も言ってくれなかったのに。俺を待たせていたことをやっと思い出したの? 健気に待ち続けている俺のことが可哀想になって、責任取ってやろうとでも思った?」

 ミナトの言葉の一つ一つが、僕の心に突き刺さる。ミナトが怒るのも無理はない。僕は、今までずっと答えを出すことから逃げ続けてきたのだから。でも、今の気持ちだけは、どんな結果になったとしても、どうしても伝えたい。

「僕は、女の人と恋愛して結婚して家庭を持つっていう可能性を、ミナトから奪いたくなかった。いつかミナトの目が覚めて、僕から離れていく日が来たら、身を引こうと覚悟していた。だけど、白川が部屋にいるのを見た時、そんな覚悟は跡形もなく吹っ飛んだよ。ミナトのことを誰にも渡したくないし、絶対に失いたくないって思った。あの日からずっとプロポーズしようと考えていて、ミナトの誕生日に言おうって決めてたんだ」

 僕の想いがどれだけ届いたのかは分からない。

 ミナトは僕の目を見ずに言った。

「もし考えさせてって言ったら?」

「何年でも待つよ。僕が生涯を共にしたい相手は、ミナトしかいないから」

「あと十年考えさせてって言っても待つ?」

「待つよ。人生の終わりまでだって待つ。最後まで返事をもらえなかったとしても後悔はしない。僕は、それくらいミナトのことが好きなんだ」

 僕がそう言い切ると、ミナトはやっと僕の目を見た。

「じゃあ、新婚旅行はハワイに連れて行ってくれる?」

「いいよ。行こう」

「ホテルはハレクラニに泊まりたい」

「なんだそれ?」

「ハワイで有名なホテルだよ。テレビで見たんだ」

「わかった。そこに泊まろう」

「ディナーは海が見えるレストランがいい」

「探しとく」

「イルカを見るツアーにも参加したい」

「イルカでもクジラでもサメでも、必ず見せてやるから」

 僕が真面目な顔で言うと、ミナトは笑い出した。

「……それならいいよ。パートナーシップ宣誓する。書類を揃えて申請しよう」

 ミナトの返事を聞いた僕は、全身の力が抜けてその場にしゃがみ込んだ。ミナトが心配そうに覗き込んでくる。

「ありがとう」

 僕はそう言って、ミナトを力強く抱きしめた。


「五十嵐家に挨拶に行きたい」

 と僕が言うと、ミナトは微妙な反応をした。

「別に……入籍するわけじゃないんだから、そこまでしなくてもいいんじゃない?」

 あまり乗り気ではない様子のミナトを見て、僕は少し不安になった。

「もしかして、僕達のことをお母さんに反対されてるの?」

「反対はされてないけど……。とりあえず、行ってもいいか聞いてみるよ」

「無理はしなくていいよ。ただ、前にお母さんと妹にも僕達のことを話してあるって聞いたから、一度会っておきたかっただけなんだ」

 僕が言うと、ミナトは僕の肩に頭をのせてこちらを見つめた。何か言おうとしているように見えたが、結局何も言わないまま、立ち上がってキッチンの方へ行ってしまった。

 僕は、何か取り返しのつかないことをしてしまったような気分になった。


 週末に時間を作ってくれることになったと言われて、僕は初めてミナトの家へ行くことになった。

 スーツを着てネクタイを締め、髪をセットして磨きあげた靴を履く。佐々木が薦めてくれた菓子店のフィナンシェを手土産に、僕達はミナトの家へと向かった。

 家の門の前に着き、ガチガチに緊張している僕を見て、ミナトが笑いを堪えている。

 インターフォンを押すと、塾長がドアを開けて出迎えてくれた。

 居間に通されると、母親らしき人と高校生くらいの女の子が座っていた。

「妻と娘のマリだよ」

 塾長が僕に紹介すると、ミナトの妹はちょこんと頭を下げた。お母さんの方も、僕に軽く会釈をした。

「イチヤワタルです」

 僕は背筋を伸ばして挨拶すると、菓子折りを差し出した。

 お母さんが受け取り、

「お茶を淹れてきますね」

 と言って席を外した。


 塾長に座布団を勧められて座ると、マリが僕の方をチラチラと見てくる。

「カッコいいじゃん」

 マリがそう言ってミナトをつつくと、ミナトは

「だろ? 俺はワタルの顔も好きなんだ」

 と、こちらが恥ずかしくなるようなことを口にした。

 二人の仲良さそうなやりとりに、僕の緊張が少し和らぐ。

 そこへ、お母さんが紅茶と焼き菓子を持って入ってきた。

 途端に空気がピンと張り詰める。

「どうぞ」

 勧められるままに紅茶を一口飲むと、僕は頭の中で何度も何度も練習した言葉を口にした。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ミナトさんとお付き合いさせていただいています。パートナーシップ宣誓制度の申請をしようと思い、ご報告に参りました」

 塾長が穏やかに微笑んで、

「これからもよろしく」

 と言ってくれた。

 マリは小さな声で

「おめでとう」

 と言うと、チラっと母親の方を見た。

「お二人のことは私には関係ありませんから、お好きになさって下さい。さあ、紅茶が冷めないうちにどうぞ。先程いただいたお菓子もありますから。ここのフィナンシェ美味しいですよね。私、大好きなんです」

 お母さんの言葉に、僕は背筋が寒くなる思いがした。丁寧で優しい口調だったが、まるで感情がこもっていない。

 気まずい空気の中、上辺だけの会話が続き、小一時間ほど経ったところで僕達はお暇することにした。

 塾長が玄関まで見送りに来てくれる。

「お邪魔しました」

 僕が頭を下げると、

「来てくれてありがとう」

 と、温かい笑顔を浮かべた。

 門を出て路地を曲がろうとしたところで、

「ミナト!」

 と呼ぶ声がした。

 振り返ると、マリがこちらへ走ってくる。

「私もお父さんも、二人のこと応援してるから」

 ミナトにそう言ってから僕の方を向き、

「ミナトのこと、よろしくお願いします」

 と頭を下げた。

「末永く大切にするよ」

 僕の言葉に、マリはとても嬉しそうな顔をした。


 マリが家の方へ戻っていくと、ミナトが僕を見て言った。

「びっくりしたでしょ? 母さんは俺に関することにはいつも、『私には関係ありませんから』って言うんだ。本当の母親じゃないから仕方ないけどね」

「え……?」

「塾長も実の父親じゃないよ。本当の父親のことは誰も知らない。生みの母は、五歳の俺を弟夫婦の家に預けて、その時付き合っていた男と一緒にいなくなったんだ」

「その弟夫婦っていうのが、塾長とその奥さん。俺から見ると二人は叔父さんと叔母さんで、マリは従姉妹ってことになる。いきなり俺を押し付けられて、塾長は困ったはずだけど、追い出すことなく家に置いてくれた」

「塾長にとって俺の母親は実の姉だから、放っておくことは出来なかったんだろうね。でも塾長の奥さんにしてみれば、俺は血のつながらない他人だから、かなり揉めたよ」

「俺を引き取るなら離婚するって話も出たけれど、塾長がなんとか説得してくれて、同居生活が始まった」

「一緒に暮らし始めてから三年後にマリが産まれて、ますます俺は厄介者になったってわけ。塾長は優しかったし、マリは懐いてくれたけど、俺はこの家にいるべき人間じゃないって、いつも思ってた」

 ミナトが悲しそうに笑う。

「何で今まで言ってくれなかったんだよ。知ってたら、すぐに同棲出来るように頑張ったし、パートナーシップのことだってもっと早く決断したのに」

 僕が言うと、ミナトは目を伏せた。

「そうなるのが嫌だったから言わなかったんだよ。俺がこの話をしたら、ワタルはきっと自分の気持ちよりも俺の望みを優先してくれただろ? でも俺は、可哀想だから一緒にいてやろうなんて思ってほしくなかったんだよ。俺のことが本当に好きで、必要で、失いたくないって心の底から思って欲しかったから、そういう存在になれるまで待とうって決めたんだ」

「それから誤解しないで欲しいんだけど、俺は叔母さんのことを嫌いじゃないし、むしろ凄く感謝してる。洗濯も掃除もしてくれたし、着る物にも食べる物にも困ることなく育ててくれた。叔母さんは義姉の子供を押し付けられた被害者なのにさ、なかなか出来ることじゃないだろ?」

 そこまで話すと、ミナトは微笑んだ。

 ミナトが他人の痛みに敏感なのは、きっと自分も痛みを抱えて生きてきたからなのだろう。

 自分が満身創痍になりながらも、傷付いた人を見つけると後先考えずに手を差し伸べてしまう。

 ミナトはそういう人なのだ。だからこそ、好きになったのだ。

「ハワイに行くのはいつにする?」

 僕が唐突に話題を変えると、ミナトは目を瞬いた。

「急に、何?」

「新婚旅行だよ。行きたいって言ってただろ。これからは楽しい思い出をたくさん作って、辛かった思い出を塗り替えていくんだ」

 ミナトが真っ直ぐに僕の目を見る。僕はその目を見つめ返しながら言った。

「昔、ミナトが同じように言ってくれてたって、吉野から聞いたことがある。過去のミナトには何もしてあげられないけれど、これからは違う。望むことは可能な限り叶えてやりたい」

「じゃあさ、毎年ハワイに行こうよ」

 ミナトが声を弾ませる。

「無理に決まってるだろ。どこにそんな金があるんだよ」

 僕は呆れた顔をした。

「なら、三年に一回」

「……五年に一回だな」

「何だよ! 望みを叶えてくれるんじゃないのかよ!」

「可能な限りって言っただろ!」

 ミナトと言い合いながら、節約すれば四年に一回は連れて行ってやれるかもしれないな、と考えていた。

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