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誰にも渡さない

 梅雨に入ると、夏期講習前の保護者面談が始まった。

 その日は昼クラスの面談が長引き、夜クラスの講師達が来る時間までミナトもいた。

 そこへ白川がやってくると、目を輝かせて

「五十嵐先生!!」

 と叫んだ。

 ミナトは「しまったと」という顔をしたが時すでに遅く、白川が腕に絡みついていた。僕は唖然とした。スキンシップの多い子だとは思っていたが、これはちょっと度が過ぎている。

 いつの間に来たのか、後ろから今井が声をかけてきた。

「白川は、塾生の頃から五十嵐先生のことが好きなんですよ」

 僕は平静を装って聞いた。

「良く知ってるね」

「見てりゃわかりますよ。何度も告白したって自分でも言ってましたし」

「ふーん」

 僕は二人から目を逸らして今日使う教材に目を通したが、ちっとも頭に入ってこなかった。

 ミナトは白川の手を振りほどくと、僕のところへ来て

「夕飯はカレー作っとくから」

 と言って帰っていった。

 白川が訝しげな目で僕を見ている。

 今井がその視線に気が付いて言った。

「五十嵐先生とイチヤ先生は一緒に住んでるんだよ」

 白川の顔から表情が消えた。

「いつからですか?」

 白川の質問に答えるより先に、僕はいつもの言い訳をした。

「家賃が安くなるように、ルームシェアしてるんだ」

「いつからなんですか?」

 白川が重ねて聞いてきた。

「大学四年の時からだけど……」

 僕が答えると、白川は

「そうですか」

 と言って、さっきまでのはしゃぎっぷりが嘘のように静かになった。

 僕は、何だか嫌な予感がした。


 授業が終わり、他の先生達が帰った後も白川は残っていた。

 僕は戸締まりを終えて、

「駅まで送るから、今日はもう帰ろう」

 と声をかけた。

 白川は顔を上げて僕の目を見ると、

「私、五十嵐先生のことが好きなんです」

 と言った。

「……そうなんだ」

「今まで三回告白して、最初は『好きな人がいる』って言われて、二回目は『付き合っている人がいる』って断られて、三回目は『同棲している人がいる』って言われました」

 僕が何も言わずにいると、白川は続けた。

「私が最後に告白した時、五十嵐先生は大学四年生でした。イチヤ先生は、五十嵐先生の付き合っている相手が誰だか、ご存知ですか?」

「知ってどうするの?」

 僕の問いかけに、白川は目を逸らさず答えた。

「伝えてもらいたいことがあるんです。その人が絶対に出来ないことを、私なら五十嵐先生にしてあげられますって」

「……例えば?」

「私なら、五十嵐先生の子供を産めます」

 その時、僕は一体どんな顔をしていたのだろう。

 白川は、僕の表情を見るとハッとして目を背け、

「帰ります」

 と言って荷物を持ち、教務室から出て行った。

 僕は、しばらくその場から動けなかった。


 同棲を始めてから、ミナトは今までの分を取り戻すかのように僕の体を欲しがった。事前の準備の大変さもあり、時に痛みを伴うその行為は、僕からすると自ら進んでしたいものではなかった。それでも愛情表現の一つとして、これまで精一杯応えようとしてきた。

 けれど、白川の告白を聞いた日から、ミナトに体を求められても拒むようになった。子供が産めるわけでもないのに、何のための行為なのだろう。そう思うと虚しくてたまらなかった。


 あれから、白川とは必要最低限のことしか会話を交わさなくなった。元々僕は無口な方だったから、周りも変には思わなかった。白川は時々何か言いたそうにこちらを見ていたが、僕は気付かないふりをした。

 一度、他の先生達が帰り始めても残ろうとしていたので、今井に頼んで一緒に帰らせた。そうやって、僕は白川と二人で話すことを徹底的に避けた。


 面談期間が終わりに近づき、忙しさも一段落した頃、家に帰ると玄関に女ものの靴があった。

 鼓動が速くなる。

 佐々木はあれ以来うちに来ていなかったし、吉野や小林も、引っ越してすぐにみんなで集まった時に来たきりだ。ミナトの母親や妹、そしてうちの母さんも、この部屋に来たことはない。

 誰だ? まさかーー

 僕が玄関に立ち尽くしていると、ミナトが迎えに来た。

「何やってるんだよ、早く入れよ」

 その後ろから、白川が顔を出した。

 彼女の顔を見た瞬間、僕の理性は吹き飛んでしまった。

「何だよ! 僕がやらせないから、女を連れ込んで欲求不満を解消か? そういうことは、外でやれよ!!」

 僕は持っていた鞄を床に叩きつけた。

 ミナトが僕の肩に手を置く。

「落ち着けって、誤解だよ」

 僕はミナトの手を振り払った。

「触んなよ!」

 すると、ミナトが僕の首に手を回してキスをした。ミナトの頭越しに、白川が目を見開いているのが見えた。

「何すんだよ!」

 僕がミナトを押し戻すと、

「ワタルがギャーギャー騒ぐから黙らせようとしたんだよ! こっちに来い! 話があるから」

 ミナトはそう言って、僕の手を掴んでリビングへ連れて行った。

 白川は立ったまま僕に向かい合うと、いきなり頭を下げた。

「ごめんなさい! 私、イチヤ先生に酷いことを言いました。あの時、イチヤ先生が凄く傷付いた顔をしているのを見て……ずっと後悔していました。あと……この前、塾長と一緒に保護者面談に入ったんです。クラスで態度の悪かった子のお母さんが、私に謝ってくれました。それから、イチヤ先生が私を守ってくれたって聞きました。それなのに、私……最低でした。本当にごめんなさい」

 ミナトが横から口を出す。

「うちの父さんがここの住所を教えたんだってさ。家に行って話をしておいでって。お前、塾では白川のことを避けて、話を聞こうとしなかったんだろ? 白川は、お前が帰ってくる時間に合わせてさっき来たばかりだから、心配するようなことは何もしてないよ」

「さっきまでファミレスで時間潰してて……。家に行くのは申し訳ないから、お店まで来てもらおうかと思ったんですけど、五十嵐先生とイチヤ先生の電話番号を知らなかったから、結局家まで来ちゃって……」

 白川が目を潤ませている。

「ワタルが帰ってくるまで玄関で待つって言われたんだけど、そういうけにもいかないから、部屋に入ってもらったんだよ」

 ミナトが補足した。

「今日、ここに来て分かりました。二人の間に、私の入る隙なんかないんだなって。だから、もう邪魔はしません」

 白川の目から、涙がこぼれる。

「僕こそ、誤解してごめん……」

 二人に謝りながら、先程自分が口にしたことを思い出して、顔が赤くなった。


 二人で白川を駅まで送った帰り道、ミナトが僕の手を握る。

 外だったので離そうとしたが、暗いからいいかと思い直して、僕達はそのまま手を繋いで歩いた。

「たぶん父さんは、白川が俺のことをきちんと諦められるようにっていう思いもあって、二人で暮らしている部屋に来させたんだろうな」

 ミナトにそう言われて、僕はふと思い出した。

「前にミナトが今井を警戒していたのって、自分が白川に迫られていたから?」

 僕が訊ねると、ミナトは頷いた。

「そうだよ。若者の情熱は侮れないからね。そういえば、白川に言われたんだろ? 男同士じゃ子供は産めないって」

「そんな言い方じゃなかったけど、まあ、内容的には似たようなことだったかもしれない」

 僕は白川をこれ以上悪者にしたくなくて、曖昧に答えた。

「だから、俺としてくれなくなったの?」

「……子供を産めるわけじゃないのにって考えたら、虚しくなった」

「俺はさ、他の誰かと子供のいる人生を歩むより、子供がいなくても、ワタルと一緒に生きていきたいんだよ」

「後悔しない?」

「しない」

 ミナトはそう言って、握った手に力を込めながら話を続けた。

「ワタルと体が繋がってると、二人で一つになれたような気がして、心が満たされるんだ。だからさ、またしようよ。入れるのがあんまり好きじゃないなら、たまにでもいいから」

「好きじゃないっていうか、準備が大変なんだよ」

「準備なんかしなくてもいいじゃん」

「それは汚いし、痛いだろ」

「じゃあ、祝日だけするのは?」

「ゴールデンウィークとかどうするんだよ。連休中ずっとしてたら、僕の体がもたないよ」

「まあ、その辺は臨機応変ってことで」

「……わかった」

 僕が了承すると、ミナトは嬉しそうな笑顔を見せた。

 ミナトが喜んでくれるんなら、まあいいか。

 久しぶりにすっきりとした気持ちで、夏の夜の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


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