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トラブル

 ミナトと僕が勤める塾は、毎年春になると講師達の入れ替えで慌ただしくなる。

 今年は教え子の今井が大学生になったので、アルバイト講師として僕達と一緒に勤務することになった。

「先生、お久しぶりです」

 中学生の頃の今井はいつも仏頂面だったのに、今では爽やかな好青年に成長して、敬語まで使えるようになっている。

「本当に塾の先生になったんだな」

 僕は嬉しくて、自分でも気がつかないうちに笑顔を浮かべていたらしい。

「ワタルが笑ってる!」

 今井が来ると聞いて残っていたミナトが、僕の顔を見て大声を出した。

「僕だって笑うことくらいあるよ」

「滅多にないだろ」

 僕とミナトのやり取りを見ていた今井は、

「五十嵐先生とイチヤ先生って、結構仲が良いんですね」

 と意外そうな顔をした。

 僕が大学生のアルバイト講師だった頃も、ミナトとシフトが重なるのは講習会くらいだったので、今井は僕達が二人でいる姿をあまり見たことがなかったようだ。

「すっごく仲良しだぞ。俺達は一緒に暮らしてるんだからな」

 ミナトが余計なことを言い出すので、僕は慌てて誤魔化した。

「ルームシェアってやつだよ。家賃が安くすむからね」

「ああ……なるほど。五十嵐先生との共同生活は大変そうですね」

 今井は同情するように言った。その時塾長が呼びにきて、今井は模擬授業の研修をするために出て行った。

「おい、あんまり疑われるような言い方をするなよ」

 僕はミナトを休憩室に連れて行って注意した。

「だって、今井は昔からワタルに懐いているから、好きになられたら困るじゃん」

「そんなわけないだろ」

「じゃあ、俺が生徒に迫られていても平気?」

「……平気じゃない。だけど、僕は別に今井に迫られているわけじゃない」

「まあ、いいや。そろそろ帰るね」

 ミナトはそう言って休憩室を出て行った。

 やきもち焼きなのは昔からだが、今日は様子が変だった。


「新しい先生を紹介するよ」

 今井が入った数日後、塾長が新たに連れてきたのは、瞳の大きな可愛らしい女の子だった。

「白川ユイです。よろしくお願いします」

 彼女が頭を下げると、やわらかそうな黒髪が揺れて、とてもいい香りがした。

「白川先生もうちの生徒だったんだ。中学生の頃からずっと昼間のクラスで、今井先生とは高校生の時から同じクラスになったんだよな」

 そう言って、塾長が今井の方を向く。

「まあ……そうですね。親しくはないですけど」

 今井の言い方に、白川が抗議する。

「ええー、ひどーい! 三年間同じクラスだったし、結構喋ったじゃん」

 甘い声を出しながら、今井の腕に触れる。今井はサッと身を引いた。

「それじゃ、研修を始めようか」

 塾長が歩き出すと、今井と白川が後に続いた。


 白川は、瞬く間に男子生徒の熱い視線を集め、同時に女子生徒から冷たい視線を向けられた。仕草も声音も表情も、まさに「女子に嫌われる女」のお手本のようだった。

 教務室の前で男子生徒に囲まれている白川と、それを遠巻きに見ている女子生徒達、という風景が日常的に見られるようになった頃、保護者からクレームの電話が入った。

 クレームの内容は、「白川先生が男子生徒ばかり贔屓するので困る」というものだった。

 塾長が対応するものだとばかり思っていたが、

「この件はイチヤ君に任せるよ」

 と言われて、僕は授業前に白川を休憩室に呼び出した。

 男女どちらの生徒にも公平に接してほしい、とやんわりと伝えたところ、白川は不満そうな顔で文句を言った。

「私、悪くないですよ。男女で態度を変えているわけじゃないのに、男子生徒ばっかり勝手に寄ってくるんです。女子は意地悪してくるし」

「意地悪って?」

「チャイムが鳴ってもなかなか座らないで私の悪口言ってるし、指名しても聞こえないふりしたり、授業中なのにトイレに行くって言って何度も出て行ったりするし」

 そんなことになっているなんて全然気が付かなかった。

「困っているなら、すぐに相談してくれればよかったのに」

「私は困ってないですよ。授業を受けずに成績が落ちて困るのは、あいつらの方ですから」

 僕は思わずため息をついた。それが気に障ったのか、白川が冷ややかな声で言った。

「これって、イチヤ先生の責任でもあるんじゃないですか? 正社員なんですよね? アルバイト講師や生徒達の管理監督も仕事のうちだと思うんですけど」

 僕は返す言葉が無かった。白川の言う通りだと思ったからだ。

「私、謝らないですよ」

 白川がキッパリと言い切る。

「謝らなくていいよ、君は悪くないから。君の言う通り、僕の責任だと思う。すぐには難しいけれど、解決法を考えるから、少し時間をくれないか」

 僕が淡々と告げると、白川は複雑な表情を浮かべた。

「私が悪いって言わないんですね」

 そう言われて僕は戸惑った。

「君もさっき自分でそう言っていたじゃないか。誰が悪いっていう話じゃないだろう。それぞれの言い分があるんだから」

「私に意地悪する女子も悪くないんですか?」

「良くない態度だと思ってるよ。ただ、そうなる前に対処出来なかったのは、僕の責任だ」

 白川は納得いかないという表情だったが、僕は話を切り上げた。


 観察してみると、本人が言っていた通り、白川は女子生徒にも男子生徒と変わらない対応をしていた。

 中学一年生のクラスの女子とは仲良くやっているようで、楽しそうに会話に混ざっている。ただ、他の学年の女子とは上手くいっていなかったし、寄ってくる生徒は圧倒的に男子の方が多かった。

 僕は一晩考えた末、クレームのあったクラスから白川を外して、その時間は個別の生徒を担当させることにした。

 翌日、塾長へ相談しにいくと、

「どうして白川先生を個別に回そうと思ったの?」

 と聞かれた。

「生徒と先生がどちらもストレスなく過ごすには、棲み分けをするしかないと思ったんです」

 僕の答えに、塾長は微笑んだ。

「白川先生が納得したら、その案でいいと思うよ。まずは二人で話し合っておいで」

 僕は塾長の部屋を後にして、白川を呼んだ。


「嫌です」

 僕の提案を聞いた白川は、不愉快そうに言った。

「どうして私が外れなくちゃいけないんですか? 嫌がらせをしてくる方が間違っているんだから、あいつらが個別に行けばいいじゃないですか」

「僕は、君の振る舞いを直せとは言わないよ。それが君の個性だからね。ただ、自分の意思を貫くのなら、その代償は払う必要がある」

「どうして私だけ代償を払わなくちゃいけないんですか?!」

「仕事だからだよ。君は講師で、彼女達は生徒だ」

「じゃあ、生徒同士だったら、どっちの味方なんですか?」

「君だよ。生徒同士の話だったら、間違いなく君の味方だ」

 僕の言葉を聞くと、白川は急に黙った。そして、そのまま部屋を出て行った。交渉は決裂だ。僕は途方に暮れてしまった。


 その夜遅く、家に帰るとミナトがコーヒーを淹れてくれた。

「白川のこと、父さんから聞いたよ。あいつ、見かけと違って頑固だからな」

「個別に移る案は拒否されたよ」

 僕が深いため息をつくと、ミナトは昔の話を始めた。

「白川は、中学で女子にいじめられて不登校になったんだ。あいつ、昔からあんな感じだからさ、男子にはモテるけど、女子からは物凄く嫌われてたみたいだ」

「それでも自分を変えなかったんだな」

 僕は言った。

「『私は悪くない』って言ってたよ。『私は、私らしくしているだけだ』って」

 ミナトの話に、僕は胸を衝かれた。自分らしく生きているだけで非難され、排除される。その痛みと苦しみは、僕の身にも覚えがあった。

 僕のやるべきことは、白川をクラスから追い出して終わりにすることじゃない。きちんと問題に向き合うことだ。

 僕の表情をみて、何かを悟ったのだろう。

「それじゃ、俺は先に寝るね」

 ミナトはそう言って、新たな解決策を思案している間、僕を一人にしてくれた。


 僕は塾長に辞表を預けると、白川のクラスで態度が良くない生徒達と、話をさせてほしいと頼んだ。

「話をするのは構わないけど、どうして辞表を?」

 塾長に聞かれて、

「生徒達には、白川先生への態度を改めるように話しますが、それが出来ないと言うのなら、辞めてもらおうと思います。その場合は、僕も辞めて責任を取ります」

「白川先生を個別に行かせる案は?」

「拒否されました。でも、断られてよかったです。僕は、大きな間違いを犯すところでした」

 塾長は頷くと、

「イチヤ君に任せるよ」

 と言ってくれた。


 僕は後ろのドアの窓からそっと白川の授業を見学し、問題のある生徒達を授業後に呼び出した。

「どうして白川先生の授業で、あんな態度をとるの?」

 彼女達は顔を見合わせると、クスクス笑いながら

「えー、だって男に媚びててムカつくし」

「自分のこと可愛いと勘違いしてるのがキモい」

「ねー、あんなやつの授業、真面目に受けてらんないよね」

 などと口々に言った。

「だからと言って、人を傷付けていいという理由にはならないんだよ。気に入らないから、自分達と違うから、他のどんな理由であっても、君達の態度は許されることではないし、改めてもらいたい。もしそれが出来ないのなら、塾は辞めてもらう」

 僕の言葉に彼女達は目を伏せた。しかし、武田という生徒だけは異議を唱えた。

「白川先生が態度を改めたら、私達も改めますけど」

 僕は静かに、けれども厳しい声で言った。

「僕の見る限り、白川先生は男子でも女子でも、性別に関係なく同じ態度で生徒に接している。だから、君達も他の先生の授業を受ける時と同じ態度をとってほしい」

 生徒達は黙って僕の話を聞いてたが、武田だけは

「イチヤ先生って、ああいうのがタイプなんだ。笑っちゃうんだけど」

 と、バカにしたように言った。

「白川先生に対して、恋愛感情は全く無い。僕は、白川先生だから言っているんじゃないよ。誰に対してであっても、あんな態度はとってほしくない。それからもしこの先、君達が白川先生と同じように、誰かから理不尽な仕打ちを受けるようなことがあったら、すぐに教えてほしい。その時は必ず、君達のことも守るから」

 夜遅くなってしまったので、それ以上は話が出来ず、生徒達を帰らせた。

 武田は最後まで不貞腐れた顔のままだった。


 その後、武田は自分から塾を辞めた。クレームの電話も、武田の保護者からだったそうだ。他の生徒達はそのまま残り、白川の授業を妨害することはなくなった。

 白川には、個別に移るように話したことや、僕の対応が遅れたことを謝った。

「もういいです」

 彼女はそう言って、僕の目を見ようともしなかった。

 塾長のところへ報告しに行くと、

「お見事」

 と言われて辞表を返された。

「でも、武田を退塾させてしまいました」

 僕が辞表をもう一度差し出すと、

「君は守るべきものを間違えなかった。これは受け取れないよ」

 そう言って、僕の手に辞表を握らせた。

「ありがとうございます」

 と言って、僕は深いお辞儀をした。

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