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結婚

 イガちゃんは相変わらず空気が読めない。

 でも、僕はそのことにあまり腹を立てなくなった。

 イガちゃんの言動に、救われる人々がいることを知ったからだ。

 だけどその日、僕は久々に苛立ってしまった。


 大学を卒業した翌年の冬、僕達は吉野の結婚式に招待された。ウェディングドレス姿の吉野は輝くばかりに美しく、絵画の中から抜け出してきたかのようだった。

 結婚相手は長距離トラックの運転手だそうで、銀行に勤める吉野とは、スポーツジムで知り合ったらしい。強面の男性だったが、慈しむように吉野を見つめる眼差しは、とても優しかった。


 披露宴会場では、加藤と佐々木、イガちゃんと僕、そして小林の五人で同じテーブルを囲んだ。

 就職してからはお互いに忙しく、みんな揃って集まれたのは、この二年近くの間で数えるほどしかなかった。

 披露宴の間、感激の涙なのか何なのか、小林は時折ハンカチで目元を抑えながら、静かに泣いていた。

 二次会へも顔を出したが、また小林が泣きそうな顔をしているので、会場の外へと佐々木が連れ出して行った。

 残された僕達三人は、幸せいっぱいの新郎新婦を遠目に眺めながら、小林と佐々木が戻ってくるのを待った。

「お前達、同棲してから結構経つよな。もう夫婦みたいなもんだな」

 しみじみとした口調で加藤が言う。

 僕とイガちゃんは大学四年になってから同棲を始めていた。就職してからは職場も同じだったが、イガちゃんは朝から夕方まで、僕は昼から夜までの勤務だったので、四六時中一緒にいるというわけではなかった。

「加藤と佐々木の方が付き合い長いだろ。そろそろ結婚するのか?」

 僕が聞くと、加藤は顔を曇らせた。

「向こうの両親が、まだ俺のことを受け入れられないみたいでさ、結婚は難しいかもしれない」

 それを聞いたイガちゃんが口を挟んでくる。

「じゃあ、諦めるんだ。十年近く付き合っておいて、佐々木の気持ちよりも佐々木の親の気持ちを尊重するんだね」

「何だよその言い方」

 僕はムッとしてイガちゃんを咎めた。

「だってそうだろ。佐々木は加藤と結婚するためなら、親と絶縁する覚悟さえあるのに、加藤は逃げ出そうとしてるんだから」

「いい加減にしろよ!」

 僕が厳しい声で諌めると、加藤が慌てて止めに入った。

「めでたい席で喧嘩するなよ。イチヤ、庇ってくれてありがとうな。でも、いいんだ。イガちゃんの言うとおりだから」

 そこへ小林と佐々木が戻って来たので、五人で吉野のところへ行き、写真を撮ったり旦那さんに挨拶をしたりした。

 帰り道、駅まで歩きながら小林が謝ってきた。

「ごめんね。私、マユちゃんのことを本気で好きだったから。ちゃんと祝福しようと思って来たんだけど、やっぱり悲しくて、気持ちが抑えられなくなっちゃって」

 佐々木は知っていたのだろう。

「大丈夫だよ。今日はよく頑張った」

 そう言って、優しく小林の背中に手を添えた。

 加藤は初耳だったようで、ちょっと驚いたような顔をしていた。僕も知らなかったので、小林が今まで打ち明けてくれなかったことを少し寂しく感じた。イガちゃんは知っていたのだろうか。そう思って隣を歩く彼を見たが、表情からは何も読み取れなかった。

 僕は想像してみた。もしもイガちゃんとは友達のままで、今日みたいに結婚式に呼ばれたとしたら。結婚相手と幸せそうに笑うイガちゃんを見て、僕は一体どんな気持ちになったのだろう。考えただけで胸が苦しくなり、僕は手のひらを強く握りしめた。

 真冬の冷たい風が、僕達の間を吹き抜けていく。

「小林、いつでも飲みに付き合うから」

 僕が言うと、小林は泣き笑いの表情になった。


 吉野の結婚式からしばらく経ち、休みの日にイガちゃんと授業準備をしていると、佐々木が突然部屋にやってきた。

 彼女は、スーツケースを片手に玄関で仁王立ちし、

「しばらくここでお世話になるから」

 と宣言した。

「いい年して親子喧嘩か? 転がり込むなら加藤のところにしてくれよ」

 と僕が言うと、

「……妊娠したの」

 佐々木はそう言って、その場に泣き崩れた。

 リビングから出てきたイガちゃんは、

「話を聞くから、こっちにこいよ」

 そう言って、佐々木の手を取った。


「妊娠のこと、加藤は知ってるの?」

 僕が聞くと、

「話したよ。そうしたら、『ちょっと考えさせてほしい』だってさ。笑っちゃうでしょ? 私達、付き合って九年だよ。大学を卒業したら結婚しようって言っていたのに、私の両親に認めてもらうまでは無理だって言い出してさ。それでも信じて待ってたのに、考えさせてくれって何? 結婚以外の選択肢があるってことじゃん!!」

 佐々木は叫ぶように心の内をぶちまけると、再び泣き出した。

 イガちゃんはずっと何か言いたそうにしていたが、佐々木が落ち着くのを待ってから切り出した。

「あのさ、九年間ずっと避妊に失敗しなかったのに、今回だけ妊娠したのはどうして? 佐々木は何か心当たりがある?」

 佐々木は目を伏せて黙った。

「別に責めてるわけじゃないよ。佐々木が今までどんな気持ちでいたのか想像つくしね」

 イガちゃんが言うと、佐々木は少しずつ話し始めた。

「マユの結婚式に出て、複雑な気持ちになった。マユには幸せになってほしいって心から思っているけど、その気持ちと同じくらい、羨ましくて、妬ましくて、どうして私は好きな人と結婚出来ないんだろうって、凄く惨めな気持ちになった」

「だから私……、ピルを飲み始めたから大丈夫って言って、避妊させなかった。子供が出来たら、結婚してくれると思ったから」

 そこまで話を聞いて、僕は思わずつぶやいた。

「なんか、佐々木らしくないな」

 その言葉に、佐々木は怒りを爆発させた。

「私らしいって何?! リーダーシップがあって、明るく元気な優等生? 周りの人達がそんなふうに言う度に、私はいつも苦しかった! 高校の時だって、学級委員になんかなりたくなかったよ! みんな、面倒なことを私に押し付けたかっただけじゃん! 部活でも部長にさせられて、いつも神経をすり減らしてた」

「やりたくないって言えば良かったじゃん」

 イガちゃんが言うと、佐々木はますます感情的になった。

「そんなこと、言えるわけないでしょ! じゃあ他に誰がやるのよ! 私がやらなきゃ、代わりに他の誰かが大変な思いをすることになるじゃない!!」

 その言葉を聞きながら、やっぱり佐々木は良い奴だなと思った。誰かに嫌な思いをさせるくらいなら、自分が我慢しよう。佐々木はきっと、そうやって自分を犠牲にして生きてきたのだ。

「さっき僕が佐々木らしくないって言ったのは、優等生っぽくないって意味じゃないよ。佐々木は、自分の利益のために他人に何かを押し付けたり、他人から何かを奪ったりするような人間じゃないだろ。加藤の同意を得ずに妊娠することは、あいつの意思を無視することになるわけだから、普段の佐々木なら、絶対にそんなことしないのにって思ったんだよ」

 佐々木は、唇を噛み締めながら僕の話を聞いていた。

「まあ、まずは落ち着いてゆっくり休みなよ。俺、ちょっと買い物に行ってくるから、イチヤは奥の部屋に布団を敷いておいて。佐々木は、お腹の子のためにも少し横になりな」

 イガちゃんはそう言って部屋を出て行った。

 佐々木は疲れていたのだろう。僕が布団を用意すると、すぐに横になって眠った。


 イガちゃんは食材を買い込んでくると、佐々木が寝ている間に野菜スープを作ろうと提案してきた。

「これなら俺にも作れるから」

 と言って、水煮野菜を取り出す。水を加えてコンソメを入れると、あっという間に時短野菜スープの完成だ。

 イガちゃんは料理中、しきりに携帯の画面を気にしていた。しばらくしてメールが届き、内容を確認すると

「佐々木を起こしてきて」

 と僕に頼んだ。

 佐々木に声をかけて、野菜スープを食卓に並べる。器が四つあった。

 あれ? と思っていると玄関のチャイムが鳴り、加藤が部屋に入ってきた。

 佐々木が顔色を変える。

「さっき電話して呼んだんだ。どこに行っていたか、佐々木に教えてあげれば?」

 イガちゃんが加藤を促す。

「ご両親に会ってきたよ。お義父さんは、子供が出来たことに怒り狂っていたけど、どうしても一緒にいたいから、許してもらえなくても結婚しますって言ってきた」

 加藤が佐々木の手を握る。

「交際も結婚も反対されて、どんどん自信を失って、俺じゃ幸せに出来ないんじゃないかってずっと悩んでた。でも、妊娠したって分かって、やっと覚悟が決まった。さんざん待たせたけど、もし俺で良ければ……結婚してほしい」

 佐々木の目から、みるみる涙があふれるてくる。

「私、嘘ついてた。ピルなんか飲んでなかった。騙してたんだよ」

「妊娠したって言われた時に、そうかなって思った。でも、俺達の子供が出来たことは凄く嬉しかったよ」

「嘘だよ。だって、考えさせてほしいって言ってたじゃん」

「ご両親への挨拶とか、結婚式どうしようとか、新居を探さなくちゃとか、考えなきゃいけないことがたくさんあったからだよ」

「そんなの、一人で決めないでよ! 一緒に考えようよ」

「そうだな、これからはそうするよ」

 二人が見つめ合う。僕達の存在をすっかり忘れているようだ。

「とりあえず、スープが冷めないうちに飲んでくれよ。せっかく俺が作ったんだからさ」

 イガちゃんが声をかけると、二人は照れ臭そうに座った。

 スープを飲みながら、僕はふと疑問に思って聞いてみた。

「二人とも、高校の時は苗字で呼び合っていたけど、今もそうなの? 結婚したらどうするの?」

「昔から、二人の時は下の名前で呼んでるよ」

 加藤が答えると、

「加藤の下の名前って何だっけ?」

 とイガちゃんが聞いた。

「マサタカだよ。私はマサって呼んでる」

 佐々木がちょっと恥ずかしそうに言う。

 二人の仲睦まじい様子を見ながら、やっぱりこの二人はお似合いだな、と思った。


 佐々木と加藤が帰った後、部屋を片付けながらイガちゃんが提案してきた。

「なあ、俺達も下の名前で呼び合おうよ」

「今さら?」

「いいじゃん。俺、イチヤの名前好きだよ。これからはイチヤのことをワタルって呼ぶから、俺のことはミナトって呼んでよ」

 僕が返事をせずにいると、

「漢字で書くと、こうだろ」

 イガちゃんは、メモ用紙に「港」と「航」の字を書いた。

「どっちの名前も海に関連しているから、もし家族が増えたら海つながりの名前が良いよな」

 家族が増えたら……もし僕達が子供を授かったら。それは、永遠に叶わない願いだ。それなのに、僕は頭に浮かんだ名前を口にした。

「じゃあ、アカリは? 船が航海を終えて港に帰る時、灯台の灯りが道標になるだろ。だから、灯台の灯でアカリ」

 自分でも馬鹿なことを言っていると思った。でも、イガちゃんは……ミナトは、声を弾ませて言った。

「それいいな! 仕事を引退したら、猫を飼って『アカリ』って名前をつけよう」

「猫?」

「うちの実家で飼っていた猫が、去年天国に行っちゃっただろ。今はまだ悲しみが癒えていないし、仕事も忙しいからさ、年を取って世話をする余裕ができたら、新しい家族として猫を迎え入れようよ」

 僕は胸が締めつけられる思いがした。僕といる限り、ミナトは自分の子供を持つことができない。本当にそれで良いのだろうか。

「あのさ、ミナトは僕といて幸せ?」

 ミナトが満面の笑みで僕に抱きついてくる。

「幸せに決まってるだろ! 今、こうやって名前を呼んでもらえただけで、とんでもなく嬉しい気持ちになるよ!」

 僕も、一緒にいると幸せだ。だから、どうしても離れられないし、離したくない。

 ミナトの温もりを感じながら、僕はこの幸せが一日も長く続くことを願った。


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