学園祭
イガちゃんは空気が読めない。
そんな彼に、僕はいつも苛立ちを覚えていた。
授業中、ぼんやりと外を眺めてばかりいるイガちゃんは、先生に当てられても答えられない。
恥ずかしげもなく
「分かりません!」
と答える彼に、
「お前、小学校からやり直してこいよ」
と先生が軽口を叩いて、みんなが笑う。イガちゃんも笑っている。ここまではいいのだ。
そのあと先生が、
「吉野なら大丈夫だよな」
と言って大人しそうな女子を指名すると、彼女はしばらく黙った後、
「分かりません」
と消え入りそうな声で呟いた。
先生が少し困ったように
「じゃあ、お前も五十嵐とおんなじ小学校に強制送還な」
とからかうと、クラスのところどころからクスクスと笑い声が聞こえてくる。
嫌な空気だ。
吉野は、顔を真っ赤にしてうつむく。
するとイガちゃんは、
「先生! 言い過ぎだと思います!」
と大きな声を張り上げ、教室の空気をますます微妙なものにした。
自分が言われた時にはヘラヘラしていたくせに何だよ、カッコつけやがって。
僕は心の中で毒づいた。
でも、イガちゃんはクラスのみんなや部活の仲間に愛されていた。
人懐っこい性格で、誰とでも会話を交わせる。
彼のせいで微妙な空気になることはしばしばあったけれど、
「まあ、イガちゃんだし」
という感じで、特に嫌われることもなく仲良くやっていた。
僕以外とは。
僕はクラスの中で、石ころみたいな存在だった。
誰も意識しない。
必要としない。
いてもいなくてもいい存在。
僕は、その状況をとても気に入っていた。
安堵していたと言ってもいい。
目立たず、関わらず、ただひっそりと高校卒業までの日々を過ごす。
それがあの頃の僕にとって、何よりも重要なことだった。
僕がイガちゃんとまともに喋ったのは、高校一年生の学園祭の準備で、同じ班になった時だった。
うちのクラスはカレー屋をやることになり、出席番号順に班を割り振って準備や店番を分担することになった。
「イガちゃん達の班、買い出しね」
学級委員の佐々木に言われて、俺達は手分けして買いものに行くことになった。
「たくさんあるから、分担しよっか」
同じ班の阿部が、自然とリーダーになって仕切ってくれる。こういう奴が同じ班だと助かる。
「じゃあ、野菜は重いから男子のイガちゃんとイチヤの担当ね。で、女子二人はカレールー。俺は前日に先生と車で肉とかチーズとかの冷蔵物を調達してくるよ」
前言撤回。
なんだよ、僕とイガちゃんだけ大変じゃねーか。大体、大量のジャガイモやニンジン、タマネギなんて、重くって二人で運べるわけないじゃないか。
でも、今ここで何を言ってもどうにもならない。苛立ちながらイガちゃんをチラッと見ると、相変わらずボーっとしている。
阿部が予算や必要な量を説明している間も、イガちゃんは聞いているんだかいないんだか、メモを取る僕の隣でボンヤリしているだけだった。
「あのさ、お前、話聞いてた?」
僕が声をかけると、
「うん。イチヤと買い出しでしょ?」
とイガちゃんが笑顔を浮かべる。
「何をどれくらい買うかわかってる?」
「それは全然分からない」
「は? ちゃんと聞いてろよ」
「イチヤがメモしてたから大丈夫かなって」
出たよ、他力本願。
こいつはずっと、他人にやってもらうのが当たり前みたいな人生を歩んできたんだろうな。
僕はため息をつきながら、
「とりあえず、業務スーパー行って食材の下見をしてくる」
と言って立ち上がった。
「俺も行く!」
イガちゃんがニコニコしながらついてくる。
ウザい。
スーパーに着くまでの間、イガちゃんはどうでもいいことを延々と話しかけてきた。
ホラー映画が好きなこと。でも、誰にも共感してもらえないこと。そして、最近のおすすめホラー映画の感想を熱く語り終えると、一息ついてこちらをじっと見てきた。
なんだよ。
「イチヤってさ、全然笑わないよね」
お前みたいに年中ヘラヘラしている奴よりマシだろ。
「あんまり喋らないし」
お前と話すことなんか何もないんだよ。
「でもなんか、一緒にいると落ち着く」
「……は?」
「あっ、喋った」
イガちゃんが嬉しそうに笑う。
喋ってない。声が出ただけだ。
「俺さ、いつも笑ってるねって言われるんだ。無意識なんだけどね」
「……」
「いつも余計なこと言って変な空気にしちゃうし」
自覚あったのかよ。
「自分でも、何言ってるんだろうって思うことがよくある。だからさ、イチヤみたいな奴が羨ましい」
羨ましいなんて言われて、僕は複雑な気持ちになった。
好きで喋らないんじゃない。好きで笑わないんじゃない。
お前には僕の気持ちなんか、一生分からないだろうな。
行き場のない感情が湧き上がり、僕は思わず口にした。
「……無理して笑わなきゃいいじゃん。普段から」
僕がそう言うと、
「無意識なんだってば」
とイガちゃんが答えた。
「あとさ、お前の余計な一言って、いつも誰かのためだよな。カッコつけ過ぎなんだよ」
「誰かのため?」
「誰かが恥をかいてる時とか、誰かが責められてる時とか」
「そうかな? 自分じゃ分かんないや。ただ、辛そうな顔をした人を見ていると、俺も辛くなる」
「……」
「でもさ、イチヤも口に出さないだけで、俺と同じ気持ちなのかなって思ってた」
「は?」
「クラスが嫌な空気になった時、責められたり恥をかいたりしてる人と同じくらい、イチヤも辛そうな顔してる。それで、俺が余計なこと言ってみんなが微妙な顔してる時、イチヤだけホッとした顔してる」
「してない」
「してる」
「……」
本当にウザい。
「だから俺、あー、また余計なこと言っちゃったなって落ち込んだ時は、イチヤの方をみて、あー、俺とおんなじ気持ちの奴がもう一人いる。良かったーって、勝手に安心してた」
「……」
それ、勘違いだから。
僕が辛そうな顔をしているとしたら、それは、誰かのためじゃない。
中学の頃の自分を思い出すからだ。
嘲笑、罵倒、悪意に満ちた視線。
それらを全身に浴びながら、耐え抜いた卒業までの日々。
どんなに忘れようとしても、頭にこびりついて離れない記憶が、繰り返し繰り返し蘇ってくるからだ。
だから僕は、お前とは違う。
スーパーに着いて、僕が水煮野菜のコーナーへ向かうと、イガちゃんが僕の肩を掴む。
「ジャガイモとかタマネギはあっちだよ」
気安く触るなよ。
「学園祭の模擬店なのに、野菜の皮むいて茹でて……なんてやってたら時間がかかるだろ。だから、水煮野菜で作るんだよ。これなら、あとは肉とカレールーを入れるだけだから。肉とかカレールーの値段も確認して、予算内に収まれば、先生に相談する。まとめて購入して、先生の車で運んでもらえば、買い出しの負担もずいぶん軽くなるだろ」
僕が話し終えると、
「イチヤ、頭良いな!」
て言って、イガちゃんが僕の背中をバシバシ叩く。
だから、気安く触るなよ。
「そんなこと、思い付きもしなかったよ」
「僕が考えたわけじゃない。母さんが働いていた頃、仕事が遅くなった日はこのカレーをよく作っていて、僕も手伝わされたんだ」
「じゃあ、さっそく阿部達に話そう」
イガちゃんが張り切って言う。
「僕から言ったって聞かないよ。先生から話してもらう」
「そうかなあ?」
「そうだよ」
阿部みたいな仕切りたがりの自信家が、人から意見されて素直に聞くとは思えない。普段見下しているであろう、陰気くさい僕の意見なんて特に。
スーパーからの帰り道も、イガちゃんは一人でずっと喋っていた。
飼っている猫が可愛くてたまらないこと、妹がだんだん生意気になってきたこと、そういった、僕にとってはまるで興味のない話を、楽しそうに語り続けた。
翌日、職員室で担任を捕まえて説明すると、
「あー、みんなが良ければそれで」
と、面倒臭そうにあしらわれた。
事なかれ主義で、面倒ごとが大嫌い。そういうタイプの教師だ。
「出来れば先生から阿部達に話してほしいんですけど」
僕が頼むと、
「先生は忙しいからなぁ」
と、あからさまに嫌そうな声が返ってくる。
「僕みたいなのが意見言うと、揉めたり雰囲気が悪くなったりするかもしれないし」
僕が食い下がっていると、後ろから声がした。
「私から言ってあげようか?」
振り向くと、学級委員の佐々木が立っていた。
「はい、先生、これ回収したプリント」
「あー、サンキュ。じゃあ、イチヤの話も聞いといて」
「はーい。行こ、イチヤ」
僕は佐々木に促されて職員室を出た。
ドアの外で待っていたイガちゃんと合流すると、教室へ向かう途中で佐々木が話しかけてくる。
「後ろで話、聞いてたよ。良いアイディアじゃん。作るの楽な方がみんな喜ぶし」
「だろ?イチヤって凄いよな」
イガちゃんが口を挟む。
「阿部ってちょっと強引だし、オレ様キャラだから言いにくいの分かるよ」
と言って佐々木は僕に笑いかけた。
世話好きのおせっかいな女子。普段ならあまり関わりたくない相手だけれど、今回は助かる。
佐々木が
「先生からの伝言」
と言って、僕の提案を阿部に伝えてくれたおかげで、すんなりと話はまとまった。
「ありがとう」
僕がお礼を言うと、
「私達も楽になるし、また何か思い付いたら声かけて」
と言って、佐々木はポニーテールを揺らしながら自分の席に戻っていった。
学園祭当日、うちのクラスのカレー屋はまぁまぁ繁盛した。
僕が汗だくで鍋をかき混ぜている横で、イガちゃんはつまみ食いばかりしていた。
阿部や女子達は意外とよく働くし、誰もイガちゃんには期待していなかったので、特に困ることもなく店番の時間は終わりに近づいていた。
しかし、交代に来るはずの次の班の奴らが、なかなか現れない。
時間ギリギリに加藤が教室へ走り込んでくる。
「ごめん! 部活の模擬店を手伝ってたら遅くなっちゃった。あれ? 他の奴らは?」
「知らねーよ。もう時間だし、俺ら行くから」
と阿部が言い、女子2人もエプロンを外した。
僕も行こうとエプロンのひもに手をかけたところで、
「ちょっと待ってよ、俺ひとりじゃ絶対に無理だよ! 少しだけ手伝ってよ!」
と加藤が泣きついてくる。
僕はため息をつきながら、エプロンの紐を結び直した。
すると、
「じゃあ、イチヤはそのままカレー担当で、俺はライス担当ね。トッピングは手の空いた方がやろう。加藤は注文聞いて、会計してよ」
いきなりイガちゃんがテキパキと指示を出す。
僕は呆気にとられて言った。
「なんなのお前」
「え?」
「さっきまで何にもしなかったじゃねーか」
「だって、さっきはみんなが張り切って仕事してたから、俺がやること何にもなかったんだもん」
「は?」
「え?」
「注文入ったよ!」
加藤に呼ばれて、会話は途切れた。
その後はらひたすら無言でカレーを作り続けた。
イガちゃんはさっきとは打って変わってよく働いた。
本当に何なんだろう、こいつ。
結局、加藤以外の班員は現れないまま、次の交代の時間がきた。
「何でイチヤとイガちゃんがいるの? ていうか、加藤の班一人だけじゃん」
交代に来た佐々木が驚いたように言うと、
「イチヤとイガちゃんが残ってくれなかったらヤバかったよ」
と加藤が情けない顔をする。
何かおごるから、という加藤の誘いを振り切って、僕は教室を出た。
「イチヤ!」
イガちゃんが追いかけてくる。
「イチヤってば!」
イガちゃんの手が僕の腕を掴む。
だから、気安く触んなよ。
「一緒に他の店を回ろうよ」
イガちゃんの誘いを、僕はきっぱり断った。
「嫌だ。帰る」
「え? どこに?」
「家」
「え? 学園祭なのに?」
「学園祭だからだよ」
やることはやったし、もう学校に用はない。
「イチヤって変わってるよね」
「お前にだけは言われたくない」
「せっかく仲良くなったのに」
「なってない」
僕はやっぱり、イガちゃんが嫌いだ。




