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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ゾンビ禍

全校生徒の名前を覚えている生徒会長

 たくさん勉強していい大学に入れば、いい仕事に就けて将来安泰。



 死者が蘇って人を襲い、死者を増やしていく。増えていく死者が学校を埋め尽くし、立てこもっているこの部屋の外にもウヨウヨといる。

 そんな、世界が壊れた日に思い浮かんだのは、よりによってこの言葉だった。


 高卒で専業主婦の母が、わたしが幼い頃からずっと言っていた言葉だ。


 大していい大学を出ているわけではない公務員の父も、母の教育方針に口出ししない。消極的支持ってやつだ。小学校の頃から高い塾代を払って、今も県内で最も偏差値の高い中高一貫の私立校の学費を払ってくれている。


 そんな両親の支援のもと、わたしは小学生の頃から放課後は毎日塾に通っていた。

 十二歳にして気の狂うような努力をして入った中学校は、平日はもとより土曜日にまでみっちり授業が組まれていて、週末には大量の宿題が出される。それが大学合格までの六年間続くなんて、入学時からずっと憂鬱だった。


 将来の何かの役に絶対に立つからと、漠然とした理由による母の勧めで、高校二年の秋に生徒会長選挙に立候補もした。なんの間違いなのか、対立候補も少なかったために当選してしまった。

 普通に考えれば、生徒会の仕事なんてしていたら、その分受験勉強をする時間は減るものだろうに。頭の悪い母はその考えに至らなかったらしい。

 それか、自分の娘なら難なく両立させられると思っていたのか。あんたの娘なのに。そんなに頭の出来が良いわけじゃないのに。


 仕方なくやったところ、大変な努力の結果ながら両立はなんとかできていた。


 生徒会長の仕事に、これまでのところ問題はなかった。全校生徒の顔と名前を把握している、なんて馬鹿げた知識も身につけてしまった。それなりに尊敬されている生徒会長はやれているはずだ。

 勉強の方は完璧とは言えなかったけど。全国模試でも大した成績は残せてないし、校内でも別に上位ってわけじゃない。何でも出来る完璧生徒会長には、残念ながらなれなかった。毎日勉強勉強の繰り返しなのに、この様だ。


 こんな調子で、高校三年生の春を迎えて数日が経った。この地獄の日々も残り一年を切ったのだと思いたい。

 志望校に入れるかどうかは知らないけど、どこかの大学には行けるだろう。母が納得する大学かは知らない。国立大学しか価値がないとかレベルの認識だったらどうしようかな。もう一年浪人しろだなんて言われても、断固として拒否したい。なんとか理屈をつけて母を丸め込まないと。


 これがわたし、三鈴真美のこれまでの人生と、これからの悩みごとだったものだ。


 そんな悩みも、今日突然に過去のものになってしまったのだけど。



 土曜日の午前の授業が終わり、昼休みに昼食をとりながら生徒会の仕事を少しは進めようと生徒会室に入った。

 こんな、突然立候補したような生徒が当選してしまうような学校の生徒会ゆえ、生徒会メンバーも全体的にやる気がない。昼休みに仕事しようなんて思うメンバーはおらず、部屋にはわたししかいなかった。


 家から持ってきたお弁当を食べて、そのまま仕事をする。気づいた時には結構な時間が経っていた。昼休みもそろそろ終わりそうな時間だ。

 最初に異変に気づいたのは、鞄に入れておいたスマホを確認した時。マナーモードにしていたから気づかなかったけど、家からの大量の着信が表示されていた。それがある瞬間から、ぷっつりと途切れていた。

 次に、外が騒がしいと気づいた。なにかトラブルかと窓から外を見ると、グラウンドが大騒ぎになっていた。


 制服姿、あるいは部活動のユニフォーム姿の何人もの生徒が、同じような格好の何人もの生徒を追いかけていた。


 追いかけている側は、一様に不格好な走り方をしていた。怪我をして足をかばっているような、けど自制が利いていない全力の走り方。見れば、顔は妙に青白くて病気を疑ってしまう程だ。

 しかも、多くは体のどこかに深刻な怪我をしているように見える。手足か、首に大きな傷。血が出るどころか肉が露出していた。なのに気にすることなく全力の運動をしている。


 何人かの男子生徒が、怯えて泣いている女子生徒を囲むように追い詰めていた。


 あれは、高等部二年の男子生徒の柿崎さんと成田さん。あと後ろ姿だから確証はないけど、中村さんだ。三人はよく一緒につるんでるから合ってるはず。

 追い詰められているのは中等部三年の斉藤さん。陸上部の彼女は、高等部に上がったらエースとしての活躍が期待されている。


 そんな斉藤さんの首に、成田さんが思いっきり噛み付いた。距離があるから聞こえないけど、斉藤さんは悲鳴を上げたはず。

 そして血が吹き出て、制服のブレザーとグラウンドの茶色い土を赤黒く染める。すぐに死んでしまうなと、頭の中の冷静な部分が判断した。

 事実斉藤さんはすぐにその場に倒れた。首の痛々しい傷から、まだ血が流れていた。なのにそれはすぐに止まって、あろうことか彼女は再び起き上がった。彼女を殺した三人と同じような様子で。

 つまり、青白い顔をして生気のない目と顔つきで、なのに獲物を求めるように猛然と走っている。


 あれは、なに?


 とにかく逃げないと。そう考えて生徒会室の扉を開けて外に出たところ、わたしを見つけた生徒が駆け寄ってきた。

 高等部一年の三輪さんと、二年の神原さん。いずれも生気のない顔をして、こっちにダッシュしてくる。

 さっきの斉藤さんの様子が脳裏を駆けた。一瞬後には、自分もああなっている。あれが死なのかは知らないけど、あんな姿になるのは嫌だった。

 逃げ場はない。咄嗟に、生徒会室に戻って鍵を締めた。直後、ドンドンと扉を叩く音。こちらに対する呼びかけはなく、喉から絞り出すような声になっていない音が聞こえるのみ。


「なんなの。あれはなに。……ええっと……」


 調べないと。こんな大騒ぎになっているなら、校外の誰かが気づいて警察とかに通報しているはず。ニュースにもなっているかも。

 生徒会室のパソコンからネットニュースを見る。そして、わたしは絶望することになった。


 これは学校のまわりだけで起こってることじゃない。世界中のあちこちで同時多発的に、同じ惨状が繰り広げられていた。

 さっきまで普通だった人が、生気のない怪物に変わって人を襲う。すると噛みつかれるなどして、襲われた人も怪物になるという。

 まさにゾンビと言うべき存在らしい。わたしはそんなゾンビ映画なんか見たことないけど、そう呼ぶのが適切な習性を持っているとのこと。


 なにが原因でこうなったのかは知らない。誰もわからないらしい。けど確実なのは、世界は今日突然壊れてしまったということ。


 たくさん勉強していい大学に入れば、いい仕事に就けて将来安泰。

 そんな母の教えが崩れた瞬間だった。


 試しに家に電話をかけてみた。通じはするけど、誰もとらない。それが何を意味するのかは、なんとなくわかった。

 けれどあまりにも現実感がなかったからか、喪失感や悲しみなんてものはあまり感じなかった。

 実感を得られたのは。


「あ……」


 ニュースの切り抜き動画が目に留まった。どこかのテレビ局がヘリを出して、街の惨状を上から撮影したもの。

 わたしの志望校の様子が映されていた。

 親に言われて進路を決めたわたしにも、少しくらい興味のある分野はあった。そんな志望校の志望学部の、この人の講義を受けたいって思っていた名物教授が青白い顔でキャンパスを歩いているのを見て、ようやく世界の終わりを実感した。


 それと、これまでのわたしの努力が水の泡になってしまったことも。高校生の受験勉強程度の知識が役に立つ世界は終わった。わたしは、秩序を失った世界においては、なんの力もない女子高生だ。


 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。誰も聞くことはないチャイムだ。


 これから、どうすればいいのだろう。ここにずっと立てこもるわけにはいかない。食料もないのだから。

 いっそ外に出て、ゾンビの仲間になった方が楽かも。あんな存在に怖がる必要もないし、生存のために必死になることもない。

 けど、窓から外を見る。人間の尊厳を捨てたような知性のない怪物。あれになるのは嫌だった。


 ネットニュースもだんだん更新頻度が落ちてきた。マスコミの人たちもゾンビにやられ始めてニュースどころではなくなってきたか。

 ゾンビは、頭を破壊すれば動かなくなるらしい。ゾンビ映画の常識とのことだけど、わたしにとっては初耳だ。

 じゃあ、奴らに襲われたら頭を狙えばいいの?

 いやいや、無理だって。こっちは暴力とは今までなんの縁もなかった十七の娘。人を殺すどころか、頭を殴るのもやったことがない。しかも、知り合いを相手に。

 だいたい、頭部を破壊ってなに? そんなことできるはずがないでしょ。勉強しかしてこなかった人間に無茶を言わないで。


 ピロン。


「ひゃっ!?」


 突然の電子音に、思わず悲鳴をあげてしまう。けど、よく考えれば聞き慣れたものだった。

 メッセージアプリの通知音。家族からだろうかと開いたけど、違った。

 生徒会の後輩からだった。高等部一年、書紀の平野智美さん。このやる気のない生徒会において、数少ない頑張り屋さん。

 こんなわたしを尊敬していると言ってくれて、将来は生徒会長に就任するのが夢だと語った、かわいい後輩だ。


 そんな彼女が、助けてとメッセージを送ってきた。

 ゾンビと化したクラスメイトから逃げて、教室近くのトイレの個室に駆け込んだという。


 けど、トイレ内にもゾンビはうようよと歩き回っていて、いつこちらに気づいて個室のドアを破って入ってくるかわからない。

 友達に助けを求めたけど、誰からも返事が来ない。頼れるのは会長しかいないんです。助けてください。


 震える手で慌てて打ち込んだのか誤字だらけのメッセージの内容は、概ねこんな感じだ。

 この生徒会室があるのは校舎の五階。智美さんがいる高等部一年の教室の近くのトイレは、三階だ。しかも長い廊下を横切らないといけない。


 無理だ。外には大量のゾンビがいて、廊下も埋め尽くされていることだろう。廊下を歩けば横に並ぶ教室にもゾンビはいるはず。しかも廊下も階段も、一本道だし逃げたり隠れる場所もない。


 また、切実なメッセージが繰り返し智美から送られてくる。既読がついているから、わたしが読んでいることには気づいているのだろう。


 どうしよう。放ってはおけない。行かないと。どうやって? 無理だ。あんな怪物の仲間にはなりたくない。けど、見捨てられない。


「ああっ! もう!」


 自分でも驚くような声が出た。とにかく、繰り返し送られてくるメッセージを止めるために、返事をした。

 すぐにそっちに行くから待っていて。ゾンビに気づかれないように静かにしていて。


 約束してしまった。行かないと。

 そうだ、わたしは生徒会長だ。生徒を守るのが仕事だ。しかもかわいい後輩に頼られているのだから、行かないと。


 まずは武器が必要か。けど、生徒会室にはそんなものはない。いいや、相手を殺せる物があれば、なんでもいいはず。


 とにかく、ゾンビに接近されるのはまずい。距離をとって攻撃できるもの。長い、箒とか。それなら生徒会室にもある。

 隅にある掃除用具入れから、使い込まれた箒を手にして、また窓から外を見た。


 廊下を行けないなら、窓を伝って行く。そんな方法を思いついたけど、すぐに断念した。

 自分の体格と体力でできることじゃないし、落下したらその瞬間に死ぬ。死なないとしたら、下にいるゾンビに受け止めらるとかになるだろうか。もちろん、次の瞬間には噛まれてゾンビの仲間入り。

 今なら、派手な化粧と振る舞いでクラスのトップの立場にいる、中等部三年の井上さんに噛まれることになりそう。


 スマホをもう一度見た。運良く智美が誰か他の人に助けられて、お役御免になったりしないかと期待した。

 もちろん、そんな都合のいいことは起こらなかった。


 そうだ、自分の力でなんとかする必要はない。警察とかに任せよう。この際、消防隊員だろうが自衛隊だろうが誰でもいい。誰か大人に任せれば。

 けど、震える手で110番を押しても誰も出なかった。警察も今は忙しいか、みんなゾンビになったかのどちらか。


 他に頼れる人間は? 見れば、両親も電話以外にいくつもメッセージを送っていた。こっちの身を案ずる内容と、早く返事をしてくれというもの。

 けど、着信が途切れたのと同じタイミングで、メッセージも途切れていた。

 たぶん、父も母もゾンビの仲間入りなのだろうな。不思議と悲しくはなかった。ただ、家族が死んだなら、これからはひとりで生きなければいけないなと思った。

 ひとりは嫌だな。せめて、知り合いと一緒に生きれたらな。そっか、だから智美を助けないといけないんだ。


 わたしは覚悟を決めた。生徒会室の外開きの扉を少し開けて、外を見る。

 すぐ外にはゾンビはいなかったけど、行かなきゃいけない方向に水樹さんと一ノ瀬さんがいた。三輪さんと神原さんはどこかに去ってしまったしい。


 どっちもクラスメイトの女子だ。ふたりともクラス内で目立つタイプではなかったけど、今は生きた人間を見るや即座に凶暴に襲いかかってくるゾンビだ。

 志望校に入るのに十分な成績を持っていたのに、今は知性の欠片も感じさせない。


 どうにかして、ふたりの気を逸らさないと。一旦ドアを閉めて使えるものはないかと探す。

 花瓶が目に止まった。他ならぬ智美が、定期的に花を交換している花瓶だ。

 少し気が咎めるけど気にするものか。世界がこうなってしまった今、花を愛でる暇なんかない。智美も、自分を助けるためなら喜んでくれるだろう。

 扉を僅かに開けて、階段がある方向とは逆側に投げる。花瓶が床にぶつかって割れて音を立てた。

 水樹さんと一ノ瀬さんは、それに気づいて近づいていく。わたしは素早く扉を閉めて、それをやり過ごした。

 扉の向こうの様子はわからないけど、足音が通り過ぎる音が聞こえて、やがて止まった。

 ふたりが今、どうなっているかは知らない。花瓶を認識してそれを見下ろしているのか、それか音の主を探して周りをキョロキョロと見回しているかも。

 もしこっちに気づかれれば最後、間違いなく追いかけてくる。確かめる方法はないし、もう注意を惹くために投げられる物もない。

 行くしかない。


 わたしは箒を強く握り直して、意を決して扉を開けた。直後に、賭けに負けたことを悟った。

 ふたりのゾンビは、こっちを見ていた。偶然なのか、それとも扉を開けるかすかな音に反応したのかは知らない。


 とにかくゾンビがふたり、唸り声をあげながらわたしの方へ突進してきた。


「ひいぃっ!?」


 悲鳴をあげながら、なんとか箒を使ってふたりを遠ざけようとする。けど、持っている箒は一本で相手はふたりだ。柄の方を向けて水樹さんの腹を突いて動きを止めたけど、その間に一ノ瀬さんの方が近づいてくる。


「こ、来ないで! いやっ!」


 慌てて後ろに退くと、その分水樹さんも近づくことになる。もちろん一ノ瀬さんは変わらず急ぎ足で飛びかかってきた。

 恐怖のあまり箒を取り落しそうになったけど、なんとか耐えることができた。というか腕が、箒を強く握る以外のことをしていなかった。

 これは武器なのだから、ちゃんと使わないと。ふたりが動けないように叩きのめさないと。頭を破壊しなきゃいけないんだっけ。

 いや無理無理! いくら顔が青白くて目に光がなくて凶暴な顔してたとしても、クラスメイトなのに。


 なんとか叩きのめすとかで止められないかと、箒を振り回した。頭には当たらない。ふたりの手や足にバシバシと柄が当たるけど、わたしの腕力じゃ大した威力はないし、なんならゾンビの方は痛みを感じていないのか動きは一切鈍っていない。


 なにこれ。わたしだけ疲れて馬鹿みたいだ。こころなしか、ふたりの表情もこっちを馬鹿にしているように見えた。特に、半開きの口とかが。

 わたしがやりたくもない生徒会長の仕事をしている間にも、こいつらは勉強してわたしよりも上の成績を残している。志望校へも入れる見込みが高い。


「馬鹿にしないで!」


 かっとなってしまって、踏み出しながらほうきを振った。意図した形ではないけど、柄の先端で水樹さんを突く形になった。

 これもまた幸運だったのかは知らないけど、柄は彼女のちょうど目に突き刺さった。


 眼球を突いて潰して、それでも勢いは収まらず柄は脳まで達したのだと思う。頭部の破壊とはつまり、脳を壊せばいいってことらしい。

 箒の柄で脳をぐちゃぐちゃにされた水樹さんは、動かなくなりその場で倒れ込んだ。


 わたしの幸運はこれ以上は続かなかった。頭に箒が刺さったまま倒れたわけで、わたしは彼女の体重を支えるだけの腕力はなかった。

 箒を持っていかれてしまう。そしてゾンビはもう一体いた。


「うわあっ!? 来ないで!」


 一ノ瀬さんのゾンビがこっちに襲いかかってきた。対抗手段はないから、わたしは結局生徒会室に戻ることに。

 ギリギリで扉を閉めて、鍵をかける。ドンドンと、扉が叩かれる音がした。

 しかも、その音はだんだん大きくなっているようだった。叩く手の数が増えている。

 水樹さんは死んだから、考えられる事態はひとつだけ。

 わたしが大騒ぎしながらゾンビと戦った結果、声を聞いて他のゾンビも集まってきたのだろう。


「なんで、なんでこんなことに……」


 ドンドンとうるさい扉の前で座り込んで、わたしは力なく呟いた。

 一体殺しただけで、状況はひどくなってしまった。

 そうだ、わたしは殺したんだ。クラスメイトを。


「ご、ごめんなさい水樹さん……」


 脳を潰した感触は、箒越しにしっかりと腕に伝わってきた。それを忘れることなどできない。

 しかし謝っても彼女は聞いてくれない。外にいるゾンビもだ。こっちが弱気になったとしても、向こうはわたしに噛みつこうと必死に扉を叩いている。

 なんなら、数に任せて向こうは扉を壊して入ってきそうな様子ですらある。


 なんとかしないと。なんとか。


 周りを見回す。掃除用具入れに箒はもう何本かあるけど、これで押しかけてくる大量のゾンビを倒すのは無理。

 机があった。扉の前に移動させても、あれは外開きだから扉自体を抑えることはできない。


 いや、ゾンビはもともと開く方向とは逆に押さえつけて破ろうとしているのだから、破れた扉を押さえる役には立つのでは?


 とにかく、ゾンビがこれ以上入ってこれないようにバリケードを作れるはず。生徒会長にしか座ることができない椅子を乱暴に押し出して、日頃使っている机を全力で押す。


「なにこれ! 重すぎる!」


 教室で使われるような机ではなく、職員室の先生が使ってるような、いわゆるデスクだ。引き出しの中にも色々入っていて、重い。自分の腕と体重で動かすのは容易じゃない。


「動いて! 動いてよ!」


 軽めの長机とか椅子とかも、ここにはある。けどそれで、大量に押しかけてくるゾンビを止めるのは不可能だ。

 全力を出すと、机は僅かに動いた。よし、いける。やってやる!




 ピロンと電子音が聞こえた。智美からだった。まだですかと、短いメッセージ。うるさい。あなたのために必死で机を押してる最中なの!


 扉を叩く音はさらに大きくなって、ミシミシと軋む音が聞こえてきた。本来開く方向とは逆側に力ずくで開こうとしている暴挙が、もうすぐ実現されるのは理解できる。

 バキリと音がして蝶番が壊れ、扉が倒れてくる直前に、わたしはなんとか机を扉の前に置けた。

 扉が机に持たれかかり、それからゾンビたちがなだれ込んできた。あれだけ苦労して持ってきた机が、動く。けどなんとか持ちこたえて、生徒会室にゾンビが入ってくることはギリギリ止められた。

 もちろん、放っておくと机がさらにこっちに動いて、扉も完全に床に倒れてゾンビが来る。早くなんとかしないと。

 わたしは急いで掃除用具入れに駆け寄り、箒をもう一本手に取った。こうなったら覚悟を決めてやるしかない。

 今なら、ゾンビは扉の枠と扉の板の間の狭い場所からしか姿が見えない。多すぎて混雑して、互いに押し合って前に進めなくなっているらしい。

 今のうちに攻撃しないと。チャンスは今しかないのは、理解できた。殺し方はわかっている。


「ごめんなさい! でも死んで!」


 ゾンビのひとりの目を思いっきり突いた。中等部二年の榊さんは、年齢に見合わぬ巨体を持った男子生徒として有名。うちには相撲部はないけど、高等部のラグビー部が目をつけていたという噂だ。

 その男子の目が潰れて脳が圧迫されて死ぬ。わたしはすぐに箒を引き抜いた。ぐずぐずしてると、また倒れた死体に持っていかれる。

 次。高等部一年の山田さん、さらに二階さんの目を突いて殺す。次は中等部一年の和田さん。この春入学したばかりで、入学式の時に校舎の中で道に迷っていたのを助けたことがある。彼も殺した。


 何人かの目と脳を潰した結果、箒の先には血とも肉ともつかない物がべったりと付着していた。目と脳の残骸なんだろうか。気持ち悪いけど、そんな場合じゃない。

 完全に死んだゾンビの死体は斜めになった扉を滑るように倒れていき、机にかかる重量を少しだけ増やしながらも後続のゾンビの邪魔にもなった。

 もちろんゾンビは仲間の死体など意にも介さず踏みつけて、わたしの方に向かってくる。少しだけ足取りが悪くなる程度の差でしかない。というか、ゾンビって元々足取り悪いし。

 扉の隙間からわたしを視認したゾンビが、こっちに手を伸ばしてきた。

 ネイルの綺麗なこの手は、わたしと同学年の木下さん。本人の顔は正直そんなにきれいとは思ったことがないが、ずっとお洒落に余念がない高校生活を送っていた。今は見る影もないけど。

 伸びてきた手をはたき落として、これまでと同じように目を突く。


 続けて、高等部一年の双葉さんと白河さん。中等部三年の向井さんを同じように殺して、中等部一年の福島さんは、狙いが外れて額を思いっきり突いて後ろに倒れさせることになった。


 新入生の名前も、入学式の日までに必死に名前を覚えた。こんなことのためじゃない。

 起き上がった福島さんを今度こそ仕留めると、その向こうに数学教師の雑賀先生の姿が見えた。


 わたしにはさっぱり理解できない数式をスラスラと板書する頭の持ち主は、今は生者を求めてさまようだけの死体だ。

 どんなに頭が良くても、ゾンビになってしまったら一緒。なんて無情な世界になってしまったんだろう。


 その教室の目も箒で突いて殺した。次のゾンビはいなかった。集まってきたのは、これで全部なのだろう。校庭を見れば、きっと知っている顔のゾンビが大量に歩いていることだろうけど。


 これまでで、わたしは何人殺したことになる? 数える暇なんかなかった。

 そもそもゾンビは元から死んでるのだから、殺したうちに入らないのでは? そこの考え方はよくわからないけど、とにかくわたしは疲れて座り込んだ。


 けれど、スマホの通知音で我に返った。そうだ、智美だ。まだ助けを求めてるんだ。行かないと。


 机をどかせると、死んだゾンビが大量に倒れ込んできた。彼らの重みで、机はさっきよりもずっと簡単に動いた。


 掃除用具入れから、残った最後の箒を取り出すと、ゆっくりと生徒会室から出た。

 さっきは音を立てたからゾンビを引きつけてしまった。だから、今度は静かに行動しないと。ゾンビと遭遇しても、静かに倒す。


「……一ノ瀬さん……」


 さっきわたしと死闘を繰り広げたクラスメイトのゾンビが、廊下をひとりで歩いていた。周りにゾンビはいない。

 わたしはできるだけ足音を立てないようにしながら、彼女に接近する。そして壁をつま先で蹴って微かな音を立てた。

 ゆっくりと振り向く一ノ瀬さん。その目を、柄の先で突いて殺した。


「よし、次は……」


 階段を下って三階まで行くか、先に廊下を渡って向こうにもある階段から三階のトイレまで下るか。トイレは各階段のすぐ近くにあるから、歩く距離としては変わらない。


 この五階には、高等部三年生の教室といくつかの特別教室がある。三階は、高等部の一年と二年の教室が固まっている。

 特別教室の方が、昼休みにいた生徒は少ないはず。家庭科室や科学実験室を昼休みに使う生徒は……いてもおかしくはない。さっき中等部の子がここにいたのも、部活関係で特別教室を使っていたからの可能性があった。

 けど、普通の教室よりは少ないはず。それにゾンビに襲われたとして、みんな逃げるために下に降りていったのだと思う。

 そもそも最初のゾンビがどこから来たのかは、わたしにはわからない。この学校で突然出てきたのかな。

 いいや、そんなこと考えてる暇はない。


 今のところ、廊下にはゾンビはいない。下の階の廊下がどんな様子かわからない以上、こっちに賭けたほうがよさそうだ。

 箒を握り直して、姿勢を低くして廊下を歩く。

 教室の引き戸が閉まっている箇所は、扉の窓はしゃがんで移動しているのなら、中からこちらの存在に気づかれることはない。

 少しだけ、立ち上がって窓から教室の中を見る。わたしのクラスだったからだ。

 この窓を生まれて初めて有効に活用した瞬間かもしれない。

 少し中を見て、すぐに頭を引っ込めた。中にはゾンビがたくさんいて、全員が知っている顔だった。クラスメイトなのだから当たり前だ。西川さん佐野さん村井さん篠宮さん高橋さん……。


 日頃からよく話す仲の者ばかり。それがわたしを見つけた瞬間に、即座に襲いかかってくるわけだ。


 さっきとは違って、今は盾となるものはなにもない。箒一本で、一斉に襲ってくるゾンビを皆殺しにするのは無理だ。絶対に見つかっちゃいけない。

 だから、再度しゃがんで音を立てないようにゆっくりと歩いた。

 扉の前を通過してほっとしたところで、ひとつ深刻な事態に気づいた。教室には前後ふたつの扉がある。片方は閉まっていたけど片方は開いていた。つまり、わたしが今から横切ろうとしている方の扉だ。

 閉めてから渡るのは現実的じゃない。肝心の扉は向こう側にスライドされていて、手を伸ばさないと届かない。それか開いた戸に姿を晒すかだ。そんな間抜けなことをするくらいなら、ゾンビに見つからないうちに素早く横切ってしまった方がいい。


 けど、遅かった。ゾンビが一体、フラフラとその扉から出てきた。桐島さん。日頃からよく話す、親友と言える仲のその子の目を狙って正確に突く。彼女は、ちゃんと死んだ。

 箒はすぐに抜いたけれど、彼女の体はバタンと大きな音を立てて倒れ込んだ。


 ああ、この音、ゾンビたちに聞かれたな。わたしの推測を裏付けるように、同級生ゾンビたちの唸り声が聞こえた。

 もう慎重に動くよう努力する段階ではなくなった。立ち上がって、全力で走る。後ろから足音が聞こえたけど、振り返る暇なんかなかった。

 前方の教室の扉からも、何体ものゾンビが出てきた。ゾンビには扉を自分で開ける知能はないようだけど、みんな逃げる時に開けたのだろう。前に見える扉は、ほとんどが開いているようだった。


 けど、このまま突っ切るしかない。引き返して階段の方に逃げるのは無理がある。背後にもゾンビはいるのだから。勢いのまま突っ込むしかない!


 覚悟も決まらないけど、足は勝手に動いた。前に出てきた葉山さん松本さん細木さんを勢いのまま箒で叩きつけて転倒させ、その後ろから出てきた田沼さんの目を突き殺す。

 太っていて、二年間何度もダイエットに挑戦しては失敗を繰り返してる倉田さんが、のっそりと現れた。ぶつかっても、こっちが逆に弾き飛ばされるだけ。


 走りながら倉田さんを避けるように横に動く。倉田さんの方も追いかけようとしたけれど、体格の問題からかそんなに素早い動きにはなっていない。なんとか、横を通り抜けることができた。

 振り返らないけど、背後で倉田さんに他のゾンビがぶつかってるのだろうって思える音が聞こえた。もちろん、それをすり抜けてわたしを追いかけるゾンビはいるはず。だから止まれない。


 前方に杉浦さん。二年生の女子でかなり小柄。わたしの胸元くらいまでしか身長がない。ぶつかったら、体に噛みつかれるかも。

 箒を振って、彼女の頭を思いっきり殴る。小柄な体とは思えないくらいの音をたてて床に倒れた。そして次にいく。


 佐々木さん坂下さん中田さんが迫っているのを避けて、ようやく階段付近までたどり着く。そこにも、何人かのゾンビがウロウロしていた。


「邪魔!」


 叫ぶように、高等部二年の如月さんの腹を蹴って階段から落とす。毎日校則ギリギリのスカート丈で登校していた彼女が派手に階段から転げ落ちていく。彼女のショーツを初めて見たけど、イメージに違わぬ派手な色。

 彼女は踊り場に頭から落ちて、そのまま動かなくなった。頭を強く打ったか首を折ったかな。これでもゾンビとしての死を迎えたのか。


 それについて考えている暇はなかった。後ろからも足音が聞こえてきたから。すぐ近くに迫っているのがわかったから、わずかに体を動かす。体格のいい二年男子の香山さんがわたしにとびかかってきて、外して盛大に階段を転げ落ちていく。そして如月さんの上に落ちた。

 そういえば彼、如月さんのことが好きって噂で聞いたことがある。死んでから願いが果たせてよかったね。


 追いかけてくるゾンビは他にもいるはずだし、ふたりの恋路の終わってからの始まりを見届けてる暇はない。手すりに手を這わせながら急いで階段を降りていく。

 踊り場に他のゾンビはいなかったけど、そこにたどり着いてから振り返れば階段の上には数体のゾンビ。高等部一年の大月さんと津堂さん。中等部三年の柊さん小田切さん上杉さん。追いつかれる前に逃げよう。

 もちろん階段の下にもゾンビが大勢いた。中等部二年の成瀬さん山本さん五十鈴さん。同じく三年の竹田さん相澤さん。それから、高等部一年の高橋さんと中等部一年の高橋さん。


 ふたりは姉妹だ。妹が過酷な受験競争を勝ち抜いて入学したことを、姉は我がことのように喜んでいたと聞いている。

 中等部の教室はここより下。妹の方はたぶん、混乱と危機を知った途端に姉のところへ行ったのだろう。助けようと思ったか、それか怖くなって頼ろうとしたのか。

 その努力は無意味で、今はふたりともゾンビだった。このふたりがわたしを見つけ、揃って階段を駆け上ってきた。

 わたしも階段を急ぎ足で駆け下りてるから、両者の距離は急接近。わたしは妹の方に向けて、箒を思いっきり振った。突きをするよう狙う暇はなかった。


 ゴンと鈍い音がして、顔面に箒の柄が当たる。妹の方の体が勢いよく転げ落ちていく。

 あれだけかわいがっていた妹がこうなっても、姉の方は見向きもしなかった。わたしに真っ直ぐ飛びかかってきた。

 身をかがめて、彼女から噛みつかれない体勢になりながら体当たり。階段の上で転倒しながら、高橋さんは妹と同じように転げ落ちていった。

 ふたつの死体は重なり合ったりすることなく、姉妹は別々に死ぬことになった。


 そんな光景を見て感傷に浸る余裕はない。わたしは階段を急いで駆け下りる。前からも後ろからもゾンビは迫ってきた。

 下の階に到達したわたしは、すぐに折り返してまた階段に入る。この階の教室から出てきたと思しきゾンビも、一瞬だけ大量に視界に入った。

 田村さん大島さん早川さん。二条さんは中等部の野球部のエース。進藤さんは定期テストごとに赤点を出していて、補習の常連だったらしい。

 みんなゾンビになっている。だからわたしは、彼らを背に逃げる。


 階段の踊り場に小柄な安西さん。顔も可愛らしい彼女はクラスの中のマスコット的存在だったらしい。今はそんな面影も消えるような凶暴な顔つきで襲いかかってきたから、箒で叩いて転倒させて、踏みつけながら逃げる。

 そしてまた階段を駆け下りた。目的のトイレは、階段を曲がってすぐ左手にある。

 トイレの前にも何人ものゾンビ。川嶋さん志磨さん三田さん上原さん。蹴飛ばして箒で薙ぎ払って、トイレの中に駆け込んだ。

 ああ、中にも大勢いた。田村さん、日野さん、根本さん。


 それから、平野智美さん。


 彼女の向こうに、壊れた個室のドアが見えた。


 彼女は他のゾンビと同じように、青白い肌を虚ろな目でわたしを見ていた。そして襲いかかってきた。


 襲いたいのはこっちの方だ。ここまで散々苦労して来た結果がこれか。


 手を前に伸ばして襲ってきた智美に対して、こちらからも姿勢を低くしてぶつかる。彼女の胸に頭突きをする形になって、後ろ向きに転倒させた。

 すぐに起き上がって再度襲ってこようとするし、他のゾンビもわたしに向かって駆けてきた。

 一斉に襲いかかられるのはまずい。だから、一方向からだけ敵が来るようにしないと。その方法はさっきもやったから、すぐにできた。

 一番近くのトイレの個室に駆け込んで、思いっきり扉を閉めた。


 日野さんがこっちに手を伸ばしてきたけれど、それが個室のドアに思いっきり挟まれるけど、彼はまったく痛みを感じていないらしい。けど、動きを止めることはできた。

 片手で必死に扉を引っ張って開くのを阻止しながら。片手を使って箒で突く。狭い個室では取り回しが悪いけれど、なんとか目を突いて殺すことに成功。日野さんを突き飛ばして扉を閉めた。

 ここは狭い。壁に何度も箒を打ち付けると、柄の真ん中ぐらいでポッキリと折れた。短い方を手にとって、扉を開けた。直後に日野さんが再び迫ってくる。

 その目に箒を刺して殺した。そしてすぐに扉を閉める。再び開けると、今度は田村さんが目の前にいたから、殺す。そして箒を引き抜く。

 

 また扉を閉めて、再び開けると今度は智美がいた。さっきはあれだけ必死で助けを求めていたのに、今は感情の一切こもっていない、うつろな目をしていた。

 その目に箒の柄を突き刺して、殺す。それから扉を閉めた。外は静かだった。


 スマホの画面に目を落とす。充電が切れかけの画面には、わたしへの催促と恨みが書き連ねられていた。


「早く来てください」

「もう限界です」

「扉が破られそうです」

「お願いします」

「来てくれないんですか」

「先輩は、助けてくれないんですか」

「先輩にとって私は、そんなものだったんですね」

「先輩を信じたわたしが馬鹿でした」


 そっか。


 全校生徒の名前を知っていたとしても、わたしはひとりなんだ。


 もはや使いものにならないだろうスマホを放り投げた。トイレの個室の床に落ちて、小さな音をたてた。


「わたしは、助けなんて求めない」


 箒の柄を握り直して、扉を開ける。眼の前にゾンビはいなかった。けれどトイレの外には、多くのゾンビがうろついている。それらが一斉にこっちを見た。


 うちの制服を着ているあれは……誰だったかな。もうどうでもいいや。



 全部殺して、わたしは生き残ってやる。

作中に出てくる名字については、実際の特定の誰かを想起して書いたものではありません。思い浮かんだ名字をそのまま書き連ねました。ご了承下さい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 緊迫感がある描写が素晴らしかったです。受験勉強が無駄になってしまったと理解した時の生徒会長の感情もリアルでした。
[良い点] ∀・)コレめちゃくちゃ傑作てか名作じゃないです?レビューに書かしてもらいましたが、ゾンビだらけの学校で箒を持って戦う三鈴さん以上に心のなかでブツブツ格闘する彼女がすごく映える小説なんですよ…
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