贋花嫁9
更新できました_(^^;)ゞ
―――――― 9 ――――――
「…どうぞ、こちらでございます」
「ありがとう存じます」
雪之丞は伊勢屋の離れに案内する女中の後をしずしずと歩きながら考えていた。
夏の日差しが縁側から入り、微かに目を細める。
「…大おかみのお加減はどうですか?」
声をかけた雪之丞に前を歩く若い女中は曖昧に返事をするばかりで、要領を得ない。まあ、雇い主の娘の駆け落ち話が絡むだけに口が重くなるのもわかる。
(だが、それにしても―――)
そう。まずおかしいと思ったのが伊勢屋の憔悴っぷりであった。伊勢屋の主人だけではなくその御内儀も、離れに暮らす大旦那、大おかみ、果ては女中や番頭までも。家全体ががっくりとふさぎこんでいるようであった。
それがおかしい。
そもそもがおちよの縁談は嫌がるおちよを説得(という名の強制)して成立した、そこへ持ってきておちよのあの性格である。こんな状況(駆け落ち)を伊勢屋サイドが想定していなかったとは思えない。その証拠にあの婚礼の夜も近江屋には幾人もの屈強な男たちが見張りに立っていた。実のところ、雪之丞でさえ抜け出すのに少々苦労したほどなのである。女姿のままでは抜け出せぬと男姿に戻ってからやっと抜け出してきたのだ。それだけの警戒をしていてなおおちよがいなくなったのであるからして、青くなるのも当然…なのかもしれないが、それにしても―――
雪之丞は贔屓筋の大おかみにご機嫌伺いをという態で伊勢屋を訪ねた。もちろん様子を探るためだ。体調が思わしくないと一度は断られたものの、ならばお見舞いをと半ば無理矢理に押し掛けた。
「舞台がお休みに入りましたからね、大おかみにも久しくお会いしておりませんでしたし。何やらお身体の具合がお悪いとか……夏風邪でもお召しになりましたか?」
雪之丞は柔らかな笑みを伊勢屋の大おかみに向けた。
「雪之丞……」
伊勢屋の大おかみは青白い顔で力なく微笑んで雪之丞に目をやった。本当におかしい。『伊勢屋のおとき』と言ったら、当代一の女丈夫よ、傑物よと恐れ…ゲフンゲフン…敬われている女性だ。それがどうだ、実に弱々しく、まるで、そうまるで、普通の当たり前のおなごのようである。と、雪之丞は心の中で大概失礼な感想を抱きながら、表には心配そうな憂い顔を貼りつけて『ソッ』、と大おかみの手を握った。
雪之丞の手は存外にゴツい上に剣ダコやらなにやらで、さすがに『シラウオのような』とはいかない。だから、普段の雪之丞は人に手を取られるようなヘマはしなかった。
それ故、これは大おかみにとって破格のファンサなのである。さらにそこへ畳み掛けるように、
「―――話だけでも聞かせてはもらえませぬか? そなた様のお力にならせては頂けませぬか」
ささやく。
女傑と呼ばれた伊勢屋のおときがポッと頬を赤らめているのだから、雪之丞という役者も大したものである。
「―――雪之丞―――聞いておくれでないかい。知っての通り先だってうちのおちよが近江屋さんに嫁いだのだけど―――」
たまりかねたように伊勢屋の大おかみが言った。不安に押しつぶされそうで、どうしても誰かに、冷静な第三者に言葉をかけてほしかったのだ。
雪之丞は先を促すように相槌を入れる。
「…ええ。存じておりますとも。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。誠にもっておめでとうございまする。―――それで…いかがなさいました?」
おちよの婚礼については存じているどころの騒ぎではない、近江屋の隣で白無垢を着ていた本人が白々しくも祝いの言葉を口に出したものである。もちろんそんなこととは知らない大おかみは雪之丞の言葉を受け流した。
「―――それで……それが……その、あの、祝言の晩におちよがいなくなって…あの、行方知れずに―――そしたら、うちの庭にこんなものが―――」
震える手で伊勢屋の大おかみが差し出した手紙を雪之丞は黙って受け取った。それは、投げ込まれたという言葉通り、結んであったものを慌てて開いたらしくところどころよれたり破れたりしていたが、内容を把握するには十分であった。
『―――娘は預かっている。返して欲しくば金二百両を―――』
その投げ文を寄越した者の意思を伝達するには十分なものであった。
そして、
「は? はぁぁぁ~っ?!」
当代一の名女形にすっとんきょうな悲鳴をあげさせるのに十分な威力を持っていた。
「あ、いえ、コホン失礼いたしました」
慌てて取り繕ったが、動揺は否めない。一体、どういうことだ。おちよさんを拐かした? 誰が? おちよさんならば今出てくる時にもおことちゃんや菊弥と共にのんきに茶を点てていたではないか。それが拐かされた? 誰に? ――贋物屋(私たち)に……?
瞬時にそこまでを考えて雪之丞はポーカーフェイスの仮面をかぶり直した。
(これは、少々、考える必要が出てきましたね…)
伊勢屋の大おかみはそんな雪之丞(の内心大騒ぎ)の様子にまるで気づかず、かえって真面目におちよの身を案じてくれていると感動さえ覚えている。うるりと目を潤ませ、雪之丞に握られた手に力を込めてキュッと握り返した。だが、それでも頬に血の気はなく唇もわなわなと震えたままではあったが。
雪之丞が驚くのは当たり前だと、大おかみはわかっていた。なにしろ六十うん年生きてきた自分でさえこのような状況に取り乱しているのだ。まだ自分の半分にも満たない年若い雪之丞が動揺しても当然なのだ。(厳密に言うと半分ではなく四分の一にも満たないのだが、心の声でさえサバを読むあたり伊勢屋の大おかみもまだまだ枯れてない)
それでもすぐに落ち着きを取り戻した年若い雪之丞の様子に大おかみは頼もしいとさえ感じた。
「―――それで、お上には?」
『お上』とは貴人を指す言葉ではあるが、転じて公儀権力を指すこともある。この場合は町奉行所に届けたのかという意味である。江戸町奉行というは都知事と警視庁長官その他諸々を兼任する役職であるので、つまりは警察には届けたのかということだ。
「……いえ、あの、それは…近江屋さんに諮ってみないことには…ねえ」
大おかみは言葉を濁した。この時代、営利誘拐自体が珍しいこともあるが被害者が女性である場合は無事に戻ってきたところで色々な風評被害が起こることがある。ようするに真実がどうあれ『傷モノ』扱いされるということだ。誘拐事件が表沙汰になりにくい要因もこのあたりにあるのだろう。それ故、曲がりなりにも夫(はっきり言ってほぼ無関係のようなものだが)である近江屋に相談なしで警察に届けるわけにもいかないのであろう。それに脅迫状には当然ながら奉行所にいえば無事では済まないと書いてある。
そこらへんは雪之丞も十分承知であるため、
「ふむ」
とだけ呟いて考え込んだ。だが、その内心では罪悪感が半端ない。あの気丈な大おかみが青い顔で震えているのを見てはすぐにでもおちよは無事だと伝えたいところなのだが、今それを伝えることはできない。下手をすれば自分達が下手人(犯人)だと疑われかねない。引いては贋物屋のことまでバレないとも限らないのだ。それだけはなんとしても避けなければ。
それにしても、この投げ文の主は人質を手中にしているわけでもないのに、厚かましい、厚かましすぎるではないか。腹立たしいことこの上なしである。
「雪之丞……」
「大おかみ」
そっと支えたその身体はこの数日で一回りも小さくなってしまったかのようである。『菊弥誘拐事件』(*第二話『贋恋文』参照)で被害者家族の心痛をわかりすぎるほどわかっている雪之丞。ジレンマに自然と眉根を寄せた。
これはなんとしてでも大おかみの力にならなければ。贋物屋(自分たち)の濡れ衣を晴らすためにも是が非でも下手人をとらえて見せると、雪之丞は己に誓った。
そもそも営利誘拐という犯罪はリスクが高い。現代でもそうなのだからこの時代においてはなおさらであった。
連絡手段と言えば(電話もメールもないので)投げ文をせねばならず―――それも犯人自身がやるのか、人にやらせるのか。どちらにしてもリスクが高い。人を頼めば(それが共犯者であろうと、何も知らぬ第三者であろうとも)それは情報漏洩の可能性が増えるということであり、足がつきやすくなる。
また、投げ文などと怪しい行動をするのであれば当然夜となるわけだが、江戸の夜というのは存外防犯に優れている。町の境界には木戸があり、木戸番に顔を見られるというリスク。木戸を通らずに済ますためには同じ町内にアジトを構える必要があるし、となればしらみ潰し(ローラー作戦)で探索すれば容易に突き止められてしまう。マンガに出てくる忍者のように屋根を渡るというのは現実的ではない。防音に優れた建造物ではないのだ、身のこなしである程度の音は消せても忍者だとて物理的に体重が消えてなくなるわけではない、まったくの無音での行動は人間である以上無理な話だ。忍者の逸話はそのほとんどが後世に残された秘術書から得られた情報であり、その秘術書とは敵方に捕らえられ奪われることを想定して著述された『敵を撹乱するための書』、つまりは『秘伝書カッコ笑』なわけだからして―――
それよりも、だ。わざわざ脅迫状を送るようなめんどくさい真似をするよりも誘拐した娘を吉原に売った方がよっぽどいい金になる。子供でさえ働き手として売れる時代だ。若い女ならそれこそ高値で売れる。営利誘拐自体が珍しいというのはそうした理由もあった。もちろん、大店の娘などならば営利誘拐の事例もないではなかろうが、先述したとおり外聞を考慮して隠されているため話に上らぬのである。
だから、こうした時の対応マニュアルなどおそらくは町奉行所にだってないに違いない。生まれて初めての事態にさすがの女金時(金時は足柄山の金太郎さんのこと)も少々パニクっているようだ。
雪之丞は大おかみを支える手にグッと力を込めた。
「お力にならせて下さいましな」
優しい言葉には力強さがある。
「けして悪いようには致しませぬ故」
その目には怒りと決意があった。
「―――して、受け渡しの日時と場所は?」
こくりと伊勢屋の大おかみは頷いた。
( ゜∀゜)人(゜∀゜ )オヒサー
亀更新、どころかミジンコ更新です。
ミジンコはぎりぎり肉眼で見えます。見えます、見えますよね? ね?




