贋花嫁3
更新できました_(^^;)ゞ
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「ハァ……」
と大黒屋巳之衛門はため息をこぼし、隣を歩く若い娘へちらりと視線を投げた。巳之衛門は今はお取り潰しとなったとある大名家お出入りだったというほどの大店の米問屋・大黒屋の隠居で、芝新明に芝居小屋を出す深山一座の後援者で、そしてなにより贋物屋のクチ役(裏家業において依頼を精査し請け負う者、ツルともいう)を務める男だ。
隠居をするほどの年ではなかったのだが、ある日突然、息子に店を譲り住まいも移した。そして普段は西へ東へと旅に出ては茶碗を買い求めてくるといった道楽三昧に更けるようになった―――とのもっぱらの噂だ。若い頃は抜け目のない商売をすると評判であったし、年齢とともに出てきた貫禄で今も押し出しは悪くない。しかし、そんな大黒屋巳之衛門には致命的な欠点が一つだけあった。
《女嫌い》というのが彼への定番の陰口である。しかも、ただの女嫌いではない。まず女性を前にするとピキリと身体が固まるし、言語中枢にも支障がでる。吃音もでる。話しかけられてもまともに返事が出来た試しはない。ちなみに息子に代を譲って贋物屋に専念している巳之衛門だが、その息子も甥っ子を養子に取ったので巳之衛門自身はこれまで一度も嫁を持ったことはない。
商売に関わる場合ならば多少は緩和されるものの、やはり苦手で何度となく女性の商売人に遅れを取ったこともある。苦手とする女性の年齢層も、子供は平気なのだが妙齢の女性が大抵はダメで、自分の年齢が上がるとともに以前は平気であったオバちゃん層も熟女と脳内変換されてしまい、やっぱり固まるようになってしまった。
特に伊勢屋の大おかみのような押しの強いタイプがとてつもなく苦手だった。大抵の女性は巳之衛門の強面顔に怯んで勝手に引っ込んでしまうものなのだが、伊勢屋の大おかみ(巳之衛門と取引があった頃は現役のおかみで、若くて美人だった)は、巳之衛門の厳めしい顔(生まれつき)にもだんまりを貫く恐ろしい沈黙(固まっているだけ)にも、まったくこれっぽっちもビビってはくれなかった。
そして、今現在隣に居る若い娘は伊勢屋の大おかみそっくりの押しの強い若い娘(一番苦手なジャンル)だった……
「―――」
巳之衛門は開き掛けた口を閉じた。彼は心底困っていた。贋物屋のクチ役としての彼の役目は依頼を精査し依頼人を篩に掛けること。この娘(おちよといってやはり伊勢屋の大おかみの孫娘だった!)からの依頼も最初は断るつもりだった。いや、断ったのだ、巳之衛門としては。彼は頑張った。
ただ、おちよが粘りに粘って口から先に生まれたのではないかというほどの弁舌で巳之衛門を言い負かし、押しに押して、最終的に『いいわ、直接話をするから今からその人のところへ連れてってちょうだいo(`ω´*)o』となったわけである。おちよは伊勢屋の大おかみにそっくりであった。
クチ役として、依頼人を贋物屋に会わせるなどしては駄目なことは承知している。だからこそ今、しきりにため息をこぼしているのである。
そうこうするうちに大黒屋と若い娘の二人連れは、雪之丞たちが住まう寮の前に着いた。芝新明からさらに江戸の外れに向かったところにある元々は大黒屋の寮である。場所を覚えられないようにとぐるぐる回って道を変えつつの道程であったが、とうとう着いてしまった。
「ごめんくださいまし」
声を掛けつつも元の持ち主でもある巳之衛門だ、門から玄関までは案内はなしでスイスイと入っていく。
「おや、巳之衛門どのではありませんか? 如何なさいましたか? 急なことでございますね」
玄関での巳之衛門の呼び声に答えて顔を出したのは、ずいぶんと顔立ちの整った若者であった。着流しで総髪を一つに束ねているだけの姿からはどういった身分の者かわからない男であった。
髷の形一つで身分やら職業やら大体のことはわかってしまうこの時代。それがわからないのは町人髷と侍髷の双方に対応できる髪型(月代は剃ってる)をしている潜入捜査官(町奉行所の町方同心)ぐらいのものである。
だが、この若者は当然ながらその町方同心にも見えない。なにより総髪(頭頂部を剃っていない)である。そのずば抜けた美貌に身分のわからない姿形―――実にもって怪しいことこの上なしであった。おかげで巳之衛門の後ろに控えた若い娘、おちよが警戒を顕にしている。とはいえ、贋物屋に会わせろと息巻いたのは自分である、このくらいのことは覚悟の上だ。
「おや、……雪さん。連絡もなしに申し訳ございません。旦那さまはご在宅でございましょうか?」
巳之衛門は言った。その言葉に美貌の若者、いや、雪之丞はピクリと口の端を持ち上げた。それをそのまま笑みに形作って見せることで、訝しさを覚えた自分の気持ちを完璧に取り繕って見せる辺りがさすがである。
普段の大黒屋巳之衛門は座頭の惣右衛門に対して《旦那さま》などと呼ぶことはないし、雪之丞のことも愛称や略称で呼び掛けたりはしない。
「ええ、奥に。呼んで参りましょう。とりあえずこちらでお待ちください」
雪之丞は咄嗟に手近な部屋へと彼らを案内した。いつもの巳之衛門であれば勝手に惣右衛門の私室まで訪ねていくのだが、雪之丞にそう言われた巳之衛門も近くの部屋でおとなしく座して待つ態勢である。そんな彼と目配せを交わしながら雪之丞はそそくさと家の奥へと消えていった。
その二刻(約四時間)ほどのち―――
「それで? 一体大黒屋はなんの用だったんだ?」
と言ったのは助三である。
巳之衛門とおちよが来ていた時に丁度出先から戻ってきた助三だったが、表口を通らずに直接勝手口から厨に入り込んで二人に会うことはなかった。
暑い中を出かけていたため汗だくで、水を一気飲みしながら雪之丞に問いかけた。江戸の夏の平均気温は現代の東京の平均気温よりも5度以上低くはるかに過ごしやすくはあるが、それでも暑さにうんざりする日はいくらでもある。今日もまた汗ばむほどの陽気であった。ガブガブと水を飲みつつ汗をぬぐうのに忙しい助三に向かって、
「いくらお暇だと言って、出掛けすぎじゃありませんか?」
ちらりと雪之丞が咎めるような視線。それを受けて助三はからりと笑う。この男、同じ顔でも菊弥からの当て擦りであったら大慌てで言い訳をするだろうに、雪之丞に対しては相変わらずその生真面目な性格をからかうように笑う。いや、実際からかうと面白いなどと内心で思っているに違いない。それをわかっていて尚、問いかけずにいられないのが雪之丞の生真面目さである。
ところで、雪之丞の口から『暇』という言葉が出たように今のこの時期、深山一座は小屋を建てていない。夏の時期に小屋を開けている芝居の一座などはほぼなく、せいぜい大芝居(常設の芝居小屋を持つ劇団)の四座だけである。
芝居関係者にとって夏は本当に地獄だ。客の方もむんむんと熱気のこもる建物の中で見る芝居は十分つらいものがあるが、演者にとってはさらにその中で幾重にも重ねた着物(早着替えなどの準備として重ね着が基本)で舞台の上を動き回らねばならない。それ故、夏のこの時期には大芝居では、演目のすべての配役を若手に任せて(若手の勉強のためという大義名分を掲げて)ベテランは休みに入ってしまう。そうなると、人気役者が出ないのでは無理してまで見たいと思う者もなく客足は自然遠退く。客が入らないことでベテラン勢に嫌み三昧を言われる若手たち―――という図式が出来上がっている。
そこで、集客に必死となった若手たちが創意工夫を凝らして生まれたのが後に歌舞伎名物となる夏の怪談話だ。これは見ている客は恐怖でゾーッとなって肝が冷える(冷や汗で体も冷える?)し、演者はなんと言っても役が幽霊役となれば最大のヒートポイントである衣装が薄着となって助かる、という素晴らしいアイデアであった。一つデメリットとしては、若手の未熟さと夏の暑さにボーッとなった裏方スタッフ(こちらも若手ばかり。ベテランスタッフは夏休み)が斬新な仕掛け(舞台装置)の多さに慣れず事故が多いことであったろう。だが、それさえも『本物の幽霊が出る』『呪われるほど面白い』などのキャッチコピーにしてしまい、さらなる集客につなげたのは若手たちのしたたかさだった。
とまあ、それは大芝居の話である。雪之丞ら深山一座のような小芝居の一座ではそもそも小屋掛けをしないのだ。それ故、小芝居の役者たちにとって夏場は稽古し放題(?)の、研鑽の季節(?)なのである(夏休みともいう)。
そして、助三や文治にとってはお出掛けし放題、好きな場所にしけこみ放題(意味深)の嬉しい季節なのである。とはいえ、その助三も今年ばかりは出掛ける度に行き先を申告していくようになった(ただし菊弥だけに、必死の形相で…)ので、行動の把握がしやすくなってはいた。今日は暑さの続く中で無事に過ごしているかと母親の様子を見に行った帰りである。雪之丞には報連相されていなかったようだが。
行動を把握する必要があるというのは、深山一座にとっては表が暇ならば裏家業(贋物屋)の稼ぎ時であるからだ。
だから、巳之衛門の訪問もそのいつもの仕事の話であろうと思われたわけだが―――その大方の予想は裏切られた。いや、仕事の話であったので予想は裏切られてはいないのだが、それにしては後ろにくっついてきた子細ありげな娘の姿が気になるところであった。
「で? なんだったんだ?」
「……仕事の依頼ですよ」
雪之丞の返事にはわずかな間があった。その間があったことに助三は茶碗を置いてその顔を見直すと、雪之丞は『はぁ…』と疲れたようにため息をついた。
「…………巳之衛門どのも……まったく……」
助三の先を促すような視線に負けて雪之丞は話し始めた。
「ご承知の通り贋物屋ではお若い方からの依頼は受けません」
助三がうなずく。建前としては依頼料が高すぎるため若いものには払いきれないということになっているが、贋物屋は慈善事業ではないが営利目的でもない。あくまでもそれは建前で本当のところ、若者相手では彼らの探す物の役に立つ情報は得られないだろうからだ。それに、若者の困り事など裏家業に依頼などせずともカタがつくことがほとんどで、安易に裏家業に関わりになるよりもその方がずっとマシなのである。しかし、そういう若者に限って楽をしたがる、裏家業という闇に関わることをあまりにも簡単に考えすぎる。だから、贋物屋は若い奴からの依頼は受けないし、そこら辺の依頼の精査をするのが巳之衛門の役割なのだが―――
「若い女子に押し負けたのですよ」
やれやれと雪之丞が肩をすくめる。
と雪之丞は言うが、普段から海千山千の商売人たち、あるいは裏家業の者共相手に丁々発止で渡り歩いている大黒屋巳之衛門が、押し負けるというのは相当である。たとえ若い娘だとはしても。
「どんな相手だよ、そりゃ?」
助三が呆れるのももっともだったが、その猛者が伊勢屋の大おかみ(雪之丞のファンクラブ会長)の孫娘と知った助三およびその他の面々も一様に『さもありなん』と頷いたのだった。
「で? 引き受けたのか?」
続けて言われたそれに雪之丞は無言だった。
そもそも《源》(裏世界の隠語で依頼人のこと、あるいはたんに客ともいう)をいきなり連れてくるというのが、反則中の反則である。客の身上と依頼の内容を精査するのが《口》(こちらも隠語で仲介役あるいは口合い役のことを指す。ツルともいう)たる巳之衛門の役目だというのに。押し切られるなんて…と思っているだろうことが丸わかりである。
巳之衛門としては惣右衛門に直接断ってもらおうという腹積もりで連れてきたようだが、商売においては奥山の老狸と評される千軍万馬の巳之衛門(ただし女性恐怖症)が押し切られたソレに惣右衛門が勝てるわけもなく、結果は自明のことであった。惣右衛門とて若い時分には堂々たる二つ名があった筈なのだが、若い娘の押しに弱いというのは中年男の性なのかもしれない。
その一連の流れに若い雪之丞としては少々不服で、『若い娘相手に情けない』とちょっと怒なのであった。
雪之丞は助三の問いかけにようやく、
「……ええ」
しぶしぶと返す。
「依頼は贋の花嫁。おちよさんには今、縁談があるそうでしてね。どうしても嫁に行きたくないということで贋の花嫁を仕立てて婚礼の最中に逃げ出そうということだそうです」
その簡潔な説明に助三が『なるほど』と頷く。
「お付き合いなさっている男と駆け落ちなさるそうで」
雪之丞はやれやれと肩をすくめた。どうにも乗り気ではないらしい。花嫁、となれば雪之丞の出番である。女装なぞ今更だろうにと思えばそういうことではないようで、駆け落ちの相手という男がどうにも胡散臭いと言う。伊勢屋といえば雪之丞の大の贔屓筋であり、大おかみとは個人的にもよくしてもらっているのでその孫娘に対しても心配が募るといった様子だ。
ちなみにおちよの方は役者である雪之丞には気づいていない。祖母に連れられ芝居を見にきた時に挨拶程度に会ったことはあるが、いずれも女装姿でのこと。今日の雪之丞(着流しver.)には気づかなかったようだ。
巳之衛門もさすがに雪之丞たちの正体を贋物屋の客であるおちよに事前に伝えるような真似はしていない。モトとクチとの間で契約が成立しさえすれば、裏家業が露見した時にはお互い一蓮托生、贋物屋が捕まれば客も連座(同罪)が道理、口止めの必要が無くなるのだが、この段階ではまだ尚早。事が進めば雪之丞たちも正体を明かすのだが、今回は変則的な(断るつもりの)依頼だったこともあり未だに深山一座の名はおちよに伝えられていなかった。
「とにかく、」
と言ってから雪之丞は一度深いため息をついた。
「引き受けた以上は手を尽くしましょうか」
そのあまりにも嫌そうな様子に助三は、
「おう、がんばれ」
と『花嫁』の肩を叩き、あくまでも他人事のように笑った。
( ゜∀゜)人(゜∀゜ )オヒサー
亀更新、どころかミジンコ更新です。
ミジンコはぎりぎり肉眼で見えます。見えます、見えますよね? ね?