贋花嫁15
更新できました_(^^;)ゞ
―――――― 15 ――――――
さて、時は少々遡る。
「おひけえなすって! おひけえなすって! 早速のおひかえありがとうござんす。てめえ生国と発しますれば相州(ほぼ神奈川県)にござんす。相州相州と申しましてもいささか広うござんす。東海道をお江戸日本橋から西へ数えて五つ目の戸塚の生まれでござんす。オギャーと生まれて柏尾の川で産湯を使い首も座らねえうちから賽子握り、立って歩いたその時から見ての通りの渡世人。風の向くまま気の向くまま諸国を経めぐる浮草暮らし。人呼んで『根無し草の助五郎』と申しやす。昨今の駆け出し者でございやすが以後お見知りおき下せえますよぉよろしゅう~~おたのォ、申しやす!」
威勢のいい口上で仁義を切っているのはもちろんわれら深山一座の花形役者・助三である。
「ご丁寧なあいさつ、ありがとうござんす」
目の前の男、ザ・ヤクザといった風体の男が助三と同じように足を広げ腰を落とし、上に向けた手のひらを突き出したような姿勢(もう片方の手は後ろ手に匕首を隠し持ち)のまま、助三の口上を受けた。
後ろ手に匕首を隠しているのはよそ者がもし何かしようものならその場でズブリとやってしまうぞ、という意思表示であるため、見え見えでOKなわけである。一方の助三は差し出した手(手のひらを上に向けるのは何も隠し持ってはいないという意思表示。下手に出ている状態)のもう片方は、三度笠を持ってくるりと後ろ手にしている。脱いだ笠の下から現れたのはぼうぼうに伸びた月代と無精ひげ。少々どころではなくむさ苦しさも極まれりなわけだが、旅の博徒としてはごく普通である。助三はこのために三日ほど月代もひげも剃らずに我慢したのである。『三度笠』に『引廻し合羽』、肩には『振分け行李』を下げている。正しく股旅(旅の博徒)姿というわけだ。
目の前のヤクザは値踏みをするようにじろじろと助三を眺めまわす。手のひらを差し出しながらも一分の隙もない様子。踏ん張った足元は力強く。肩幅も広く胸にも腕にもみっしりと筋肉がついて相当に鍛えているのがわかる。なにより懐に呑んだ匕首にいつでも手を伸ばせるだけの瞬発力が見て取れる筋肉の張り―――
両者、しばしの睨みあい。じりじりとした緊張が走る。
(これはデキる)
と思われたのかどうかはわからないが、
「こちとらここら一帯を取り仕切る戸塚の長吉親分の一の子分、『血しぶき源治』と申します」
助三と同年代と見られるそのヤクザは、やけに廚二くさい名前を名乗りおとなしく姿勢を戻した(後ろ手に隠していた匕首も懐にしまった)後、ニカリと意外に人懐こい笑顔を見せた。
「戸塚の生まれたぁ、うちの親分と同じゃねえか。こりゃいいや、親分も喜ばぁな」
「長吉親分のご高名は音に聞こえてござんす。同郷のよしみで草鞋を脱がせていただけねえものかと参じやした」
と助三。草鞋を脱ぐというのは旅のヤクザがその土地の実力者に挨拶したついでに寝泊りと食事をお願いします、ということだ。まあ、一宿一飯の恩義として股旅の方も頼まれれば何がしかのことをしたりするのだが。
「それで親分さんは? ご挨拶させていたでぇても?」
「いや、親分は……あ~……丁度いいや。おめえさんにも力を貸してもらえるかもしれねえな。おめえさん、腕っぷしの方はよ?」
問われた助三はにやりと笑い、
「ツボ振りほどじゃあねえが―――任しておくんなさい!」
太い腕をブンッと振り上げて見せる。
「そりゃ頼もしいや。ま、おあがんなせえ」
助三は『血しぶき源治(笑)』に案内されて奥へと通された。
「―――てえと、結局のとこ、こういうこってすかい?」
奥の部屋にいたのは親分である戸塚の長吉と、長吉一家の幹部の数人、そして若い男が一人。駒吉だった。
(ドンピシャだ!)
駒吉は迫力満点の男たちの真ん中に据えられて小さくなりながらもぼそぼそと説明をしていた。顔やら何やらが青黒く腫れ上がり、だいぶんにボコされたらしいことが見て取れる様子だった。その駒吉の方では助三に気が付いていないようで、ちらりと視線を寄越しはしたがすぐに外れた。駒吉と顔を合わせたのはただの一度きり、しかも夜更けの暗い中でのことだったので正体がバレるはずもなかった。
助三は心の中で叫んだ快哉を押し隠し何食わぬ顔で彼らの話に割って入った。
「こちらの色男のにーさんと駆け落ちをしなすった娘っ子を、拐かしたフリで身代金をせしめてやろうって話ですかい?」
「おう、その通りよ。客人、どうでぇ? おまえさんも力を貸してくれめえか」
戸塚の長吉が言った。助三が同郷であると知って大喜びで仲間に加え、下にも置かぬ待遇をしてくれている。思った以上の好待遇に多少の居心地の悪さを感じぬでもないが、助三はこれ幸いと話にぐいぐいと食い込んでいく。
「でも、その娘ってのは結局ここにはいねえんでしょ? 大丈夫なんですかい? 途中で娘っ子が帰ってきちまっちゃあ、せっかく送った脅し文も丸めて鼻紙にされちまいますぜ」
助三の言葉に長吉の子分の一人が駒吉をつつくと、
「…そいつぁぜってえにねえです。おちよは―――駆け落ちまでしたってのに男に袖にされたからってノコノコと家に帰れるような、そんな可愛げのあるタマじゃねえんで。それに、スケベ爺とは夫婦にならないでくれと涙ながらに言ってやったんで、そいつを拠り処にして―――意地でも家には帰んねんはずです」
さすがに駒吉、おちよのことならよくわかっている。そう、まさにおちよのその意地っ張りが発動して助三たちはてんやわんやなのである。『おまえか、この野郎』という気持ちでじろりと駒吉を睨みつけてしまったのは許してほしい。
「けど―――」
何かを考えこむような様子に戸塚の長吉は、
「どうしたい? 気になることがあるなら何でも言ってくんねえな」
「いや。百五十両っていったら相当な大金。伊勢屋だってバカじゃない、娘の顔も見ずに出しやすかねえ」
助三は思案気に呟いた。
一両は現代の金に換算すると大体十万円ぐらいであろうか。それが50枚となれば江戸庶民の年収を軽く超える大金である。また、『十両盗めば首が飛ぶ』とお定め書(公事方御定書)にあることからわかるように犯罪の規模としても『デカいヤマ』であることは間違いないのだ。
「まさか、娘っ子の居所がわかんねえんじゃねえだろうな、あ゛?」
柄悪く駒吉に凄んで見せる助三。確かに助三の言うことには一理も二理もある。おちよの身柄を確保していないのは確かに不安が残る。悪事の成功のためには慎重に慎重を重ねて万全を期すのが一流の悪党というものだ。そんな助三の態度を見て戸塚の長吉は頼もし気に『ホォー』と呟いた。
一方で凄まれた駒吉は震えあがってぼそぼそと話し始めた。
曰く、娘は駆け落ちの手引きを頼んだ者の家に隠れていること。曰く、先ほどの話通りに娘が万が一にも家に帰る心配はないこと。そして、いざという時にはその家の奴らに誘拐の罪を着せるつもりだ―――ということをだ。そのためには逆に娘はそいつらの住処に置いといた方が都合がいい、と。
その口ぶりから察するに、どうやら駒吉はその家が裏社会で名を知られた〈贋物屋〉であることにいまだ気が付いていないようだと助三は見た。おちよが、金で駆け落ちの手助けをしてもらったということまでは話していたようだが、それがまさかの〈贋物屋〉であることまでは知らない様子なのである。
(へえ)
と助三の中でのおちよへの評価が少し変わった。さすがに伊勢屋のおときの孫だけはある。
当然のように語られた『いざとなったらそいつらに罪をなすりつけ…』という点については、『やはり』という思いしかない。自分が駒吉だったとしてもそうするだろうと思うので、驚くこともしない。
この勝手な計略には戸塚の長吉も大いに賛成しているらしく、
「どうだ中々に頭が回るじゃねえか」
と親しげに肩に手を回す。もっとも駒吉の方は終始びくびくと震えているのだが。
「は、はい…」
蚊の鳴くような声で返す駒吉。ここまで怯えるのにはわけがある。そしてそれは駒吉の顔に刻まれた青痣に関係があった。一体どれほど殴られたのか、赤黒く腫れ上がり色男がひどいご面相である。
「なあ? 駒吉よぉ」
と戸塚の長吉が駒吉の肩を抱きながら言う。
「これに懲りたら―――他人様の女には手を出さねえほうがいいぜ―――まぁ―――次はねえだろうがなぁ」
ニコニコと笑っているにもかかわらず目ばかりは底光りするようにギラギラとしている。
どうやら駒吉、色男を気取って調子に乗った挙句、長吉の女とねんごろになったらしい。戸塚の長吉という男はその通り名が示すように相模の国は戸塚の生まれである。幼い頃は非常に貧しく、上に四人の姉がいたがすべて遊郭に売られていった。長吉もまた売られるように江戸の商家に丁稚に行かされたが、そこで先輩である手代などからそれはもうひどいイジメにあった。長吉が奉公先を飛び出して身を持ち崩しヤクザ者に成り下がるまでに大して日を要さなかったという。どこにでもあるようなありふれた話だ。そんな長吉だが、四人の姉が廓に売られたことが相当なトラウマであるらしく、女郎の身の上話に同情しすぐに身請けしてしまうという悪癖があった。その所為で何人もの妾を囲っているのだが、その中の一人におさだという女がいた。
おさだはご多分にもれず借金のカタに売られてきた。だが、幼い時分から頭がよく才覚もあった彼女は幸いなことに禿から振袖新造となり、いよいよ―――そんな頃に戸塚の長吉と出会ったのである。
おさだはどの客にもやるように涙ながらに自分の身の上話をお約束とばかりに語って聞かせたが、長吉はそんなおさだに同情してオイオイと泣いた。彼女の身請けの金は百五十両の大金であったが、長吉はそれをポンと出してやった。曲がりなりにも親分と押し立てられ、それぐらいの金は用意できるようになった。金が出来て真っ先に思ったのが姉たちのことであったが、すでに彼女たちはどこへ売られたのか行方も分からなくなっていた。だから、長吉は姉たちと同じような悲しい女郎に金を使うことにしていた。
そんな経緯でおさだは今、長吉の妾となっているのだった。
遊女の身の上話はたとえそれが真実だったとしてもいわゆる手練手管の一つである。おさだの話も確かに本当のことではあったが、そういうつもりで話したわけではなかった。
遊女の手練手管に乗せられて金を使いまくる親分に子分どもは苦い顔をしてはいたが、世間から見れば情に厚い漢気のある懐の深いお人だとの評判が立ったことから、それなりに目をつぶっていた。
さて、ではこの美談をおさだの側から見たらどうなるのか、きっと別の景色が見えてくるに違いない。
おさだは十の年に借金のカタに吉原に売られてきた。十、というのがまた微妙な年齢で。一緒に売られてきた隣の家の幼馴染は体も大きく器量もあまりよくなかったことからそのまま遊女となった。おさだは禿(先輩遊女の身の回りの世話をする小間使い的な少女)になれた。禿から新造、そして花魁になるのが吉原における最大の出世コースなのだ。もっとも本当に花魁になれるのはほんの一握りである。だが、とにもかくにもおさだは禿になれたし振袖新造(留袖新造は客を取らされる)にもなれたのだ。その先は花魁かそうでないか―――そんな時におさだは長吉に身請けされた。
もちろん、吉原にいるすべての遊女にとって『身請け』が遊郭を抜け出す最上級の形だ。花魁にもなれば身請けの金は千両にもなるという。身請け先は大名や豪商だ。おさだの身請けの金は百五十両、身請けしたのは戸塚の長吉だった。長吉はけっして容貌が整っているわけではないし年もおさだの二十は上だったが、人情家と評判の地回りだった。あともう少し、ほんの指先一本分もないその先に花魁への道が見えていた、そんなタイミングであった。
不幸な身の上の女郎を苦界から救う人情家、戸塚の長吉の美談の行き先は、それはおさだの心の中だけが知っていた。
そうして長吉の妾として暮らすおさだはある日、駒吉という男に出会った。風采も良く、言葉も達者で(おさだの容姿を褒める語彙は驚くほど豊富だった)、何より優しい。おさだのこぼす愚痴を『うんうん』と一々否定することなく聞いてくれた。かわいそうだと言ってくれた。他の人のように長吉のような人情家に身請けされて幸せだろう、などとは言わなかった。
おさだは駒吉に夢中になった。おさだの突き出し(遊女が初めて客を取る儀式)の相手は長吉だったので、彼女は長吉以外の男を知らなかった。だから、駒吉がおさだの初恋だったのかもしれない。彼女は夢中になって駒吉に金を貢いだ。そして駒吉は―――彼にとっておさだは所詮金づるに過ぎなかったので、何も気にしたことはなかった。おさだが欲しいというものはできる限りくれてやった。甘い言葉でも優しい態度でもしびれるような快楽でも。そして、おさだがくれるというものは何でも有り難く頂戴した。駒吉にとっては息をするように当たり前のことだった。たとえそれがおさだの旦那である長吉の懐から出た金であろうとも。
おさだは―――
おさだはそれが長吉の金だということを見ないフリした。その金で駒吉のためにあらゆるものを買い与えた。贅沢をさせた。飯も食わせたし酒も飲ませた。小遣いもやったし、せびられる度にいくらでも出した。もちろん駒吉は喜んでくれたし、優しい言葉をかけてくれた。おさだはそれで満足だった。
しかし、彼女には金のことだけではなく、他にも色々と見ないフリをしたことがある。例えば突き出しの儀式の相手客が金を持っているとはいえたかが地回りの親分である長吉だったという事実(花魁になれば客筋は大名や豪商)。あるいは身請けの話を楼主が二つ返事で承知したという事実(花魁になれば大金を稼いでくれる)。あるいは身請けの金がたったの百五十両(花魁の身請けの金は千両を超える)だったという事実。
それらすべてからおさだは目を逸らし顔を背け、見ないフリ、気づかないフリを続けた。そんなことをしなければ。ちゃんと自分の身の程というものをわかっていれば。現実を受け入れ満足していれば、きっと……と今頃は、
―――冷たい土の下でさぞや悔やんでいることだろう。
「なあ、駒吉よぉ」
戸塚の長吉は駒吉に親しげに話しかけた。顔が近い。
「てめえが手ェ出したおさだはこの俺が吉原から大枚百五十両も払って請け出してるんだよ。わかるよなぁ。百五十両といや、とんでもねえ大金だ。わかるだろ。だがなぁ、俺だってガキじゃあねえ。女の惚れた腫れたは歯止めの利くもんじゃねえってえのも知ってる。そこで、だ。俺が使った身請けの金百五十両をおまえが払ってくれさえすりゃあ、おさだはおめえにくれてやろうじゃないか。なあ、悪い話じゃねえだろ? おめえが百五十両、耳を揃えて払ってくれりゃあおさだのトコにちゃーんとこの俺が送ってやるよ―――」
ずっと駒吉の肩を抱きその耳元に囁くようにネツイ口調でぐちぐちと繰り返す長吉。その間、駒吉はコクコクと青い顔で頷くことしか出来なかった。
助三はその様子を横目でじっと見ていたが、
「ほんじゃまぁ、そういうこって。娘っ子は手元にはいねえ、身代金は取る、万が一の時には娘っ子を預かってる間抜け野郎どもに罪を着せるってこったな。承知だ。となりゃあ―――俺の出番までにはまだ間がありそうだ。ちっと休ませていただきてえ」
と言って立ち上がり、部屋を出て行った。その背中に長吉が、
「おう! 兄さん、頼んだぜ」
頼もしげに声をかけ、子分に目配せをした。それを受けた子分『血しぶき源治』は、助三の後を追っかけた。
源治が部屋を出ると、すでに助五郎(助三)の姿がない。
「あれ?」
キョロキョロと辺りを見回す源治。
「!」
続く廊下の物陰からニュッと突き出された腕に捕まり、奥へと引っ張り込まれた。
「ヒョエッ!?―――ああ、なんだ、お客人。冗談はよしてくんねえな」
源治は冷や汗を拭って文句を言ったが、助五郎(助三)はそれをスルーしつつ声を潜めた。
「源治のアニィ。ちぃーっと思いついたことがあるんで、親分さんに話を通しちゃもらえねえですかい? 親分さんの右腕のアニィを見込んでこの通りおたの申しやす」
「ああん? なんでぇなんでぇ。どうしたい?」
客としてもてなしていた助五郎(助三)から『アニィ』などと持ち上げられた源治はいぶかしげに問い返したが、
「親分はお忙しい方だぜ? この俺さまがいくら親分の右腕だってな、そうおいそれとつまらねえ話をお耳に入れるわけにゃあいかねえな」
などと言うところを見ると満更でもなさそうだ。助五郎(助三)は流れ者、旅の博徒だ。他所の土地で戸塚の長吉のところはケチくさかったなどと低評価を受けぬように『客人』として歓待するのが慣習である。ましてや助五郎(助三)は同郷というアドバンテージもあって長吉親分に気に入られた様子。だが、それを笠に着ないへりくだったところに好感が持てる。
「まあ、その思いついたことってのを話してみねえ。そいつ次第で親分に口をきいてやってもいいぜ。何しろこの俺は親分の右腕だからなぁ」
抱え込んでいた助五郎(助三)の腕を勢いよく跳ね返し逆に助五郎の肩を、少々高い位置にあるそれを無理やりに抱いてきた。
「―――お耳を―――」
助五郎(助三)は血しぶき源治の耳に口元を近づけた。
( ゜∀゜)人(゜∀゜ )オヒサー
亀更新、どころかミジンコ更新です。
ミジンコはぎりぎり肉眼で見えます。見えます、見えますよね? ね?