贋花嫁14
更新できました_(^^;)ゞ
―――――― 14 ――――――
「どうするんです、どうするんですよぉ…、おまえさん」
伊勢屋のおかみは夫の袖に縋りつき意味をなさない言葉を呟いていた。おちよと近江谷彦四郎との祝言の日から五日が経っている。
祝言の席からおちよが煙のように消えていなくなり、それはもう大騒ぎとなった。その時点ではおちよの家出(あるいは駆け落ち)したものだと全員が思っており、伊勢屋では迅速なそれでいてなるべく人目に立たないような捜索がなされた。伊勢屋本人とおかみは近江谷彦四郎や仲人、親類縁者へのお詫び行脚だ。
最初は相当に反抗していたおちよが大人しくなっていたのでやっと観念したかと油断していた、おちよの行動力をみくびっていたと―――思っていた。
―――あの、手紙が届くまでは。
「おちよは、おちよは、ほ、本当に……?」
「心配ないさ。アレにも書いてあっただろう、無事に返してほしくば金二百両を用意しろ、と。なーに、二百両なんてはした金、喜んでくれてやろうじゃないか。すぐに、すぐに、すぐにおちよは帰ってくるよ」
伊勢屋は自分に縋りつく妻の手を優しく叩きながら妻に、というよりも自分に言い聞かせるように呟いた。
おちよの行きそうなところはすべて探しつくしたが、娘の姿は影も形もなく…。煙のように消え失せてしまった。今はその脅迫状以外に手がかりがまるでない状態だった。だから、脅迫状の指示する身代金を用意して、ただ、ただ、相手からの連絡を待つしかない。脅迫状には身代金の指定のほか、お上(奉行所)には知らすな、用心棒は雇うな、などの細かい指示もありおかみが不安で血の気を失くしているのも仕方がなかろう。
それにしてもさすがは天下の大店。『十両盗めば首が飛ぶ』世の中で、金二百両をはした金と言ってのける。
「―――おかみさん、ご心痛お察しいたします」
そんなギリギリとした雰囲気の中で、凛とした声が上がった。ちゃっかりとこの場に混ざっていた雪之丞である。今朝ほども自宅でおちよ本人と言葉を交わしてきた雪之丞だが、もちろんそんなことはおくびにも出さない。さすがの演技力である。その一方で当事者である筈のおちよの様子は実にあっけらかんとしたものであった。両親がこのような有様であると伝えても特に心を痛めるでもなく、いや痛めてはいるのであろうがそれ以上に脅迫状の送り主への怒りをあらわにしていた。
曰く『このおちよさんにふざけた真似をしてくれた落とし前はきっちりつけさせてやる!』とのこと。
雪之丞は新たに受けた依頼、脅迫状の犯人を見つけるというおちよからの依頼を果たすためもあってこの場に参加しているのである。なんの捜査権も持たない雪之丞だが、そこはそれ持ち前の明晰さと落ち着きから、被害者家族(おもに伊勢屋の大おかみ)から頼りにされていたりする。
それに奉行所に知らせることも用心棒も雇うこともできない現状、女装して紛れ込める彼が最善の策であった(と丸め込んだ)。こう見えて雪之丞がそれなりに腕っぷしが立つということは大おかみが請け合った。ドンと胸を叩いて見せてまで言うのだからよほどに自信があるらしい。
以前にならず者に絡まれていた時に偶然通りかかった雪之丞が5、6人もいた男たちをあっという間にやっつけたことがあるというのだ。大おかみが雪之丞のファンクラブ会長になったのはそれがきっかけだったわけだが。
祖母と孫―――大おかみとおちよ、本当にそっくりな二人である。もっとも男を見る目という意味では大おかみに一日の長があったわけだが。
まあそういうわけで、今日も雪之丞は女姿で伊勢屋に入り込んでいるというわけだ。と言ってもいざという時に動けないのでは本末転倒と、本日の雪之丞は夏色の小袖にはかま姿。まるで江戸に来たばかりの時の菊弥のような格好に身を包んでいる(助三に『ピュゥッ!』と口笛を吹かれたが無視した)。髪はもちろん後ろで高く一つに結んだ総髪スタイル(ポニーテール)。衣装も髪も男女どちらともに通用するものだというのに、そこはかとなく色香が漂っているところがさすがに雪之丞(性別=雪之丞)であった。
「金は私が用意しますよ。おちよさんはもう私の妻ですから」
そこで割入ってきたのは近江屋彦四郎だった。駆け落ち、ではなく誘拐なのである。そうであるならば伊勢屋の面目も立つというもの。近江屋も頼んだ仲人も同じ廻船問屋組合の同業者である。もしおちよのこれが誘拐ではなく駆け落ちだとしたら、伊勢屋の商売にとって取り返しのつかない打撃となったであろう。商人は信用が命とはそういうことなのだ。
そして、雪之丞がおちよの無事(駆け落ちの事実)を伊勢屋に伝えられない理由の一つでもある。
「ッ! 近江屋さん…」
伊勢屋のおかみが感動したように言葉を詰まらせる。拐かされた若い娘がどんな扱いを受けるか、たとえ無事に戻ってきたとしてもどんな噂が立つか、もうまともなところには嫁に行けまい。近江屋だって、つい先日祝言を上げ床入りもないままに消え失せた花嫁など『お断りだ』と言ったところで誰も咎めはしないだろう。それなのにこの漢気―――近江屋はこのまま無事に戻ってきたおちよを嫁にもらってくれると宣言したのだ。これは間違いなくイケオジである。
「きっと、無事ですよ。大丈夫です」
深く低いイケボでそう繰り返す近江屋彦四郎。
伊勢屋のおかみは不安と恐怖と近江屋への感謝でぐしょぐしょになった顔を隠すように袂で覆った。その彼女に伊勢屋もそっと寄り添う。
(キリキリキリキリ…)←雪之丞の胃(-_-;)
「あの、えっと、その―――あ! そう、今夜! お金の受け渡しは今夜でございましたよね。それで、その、刻限は…」
雪之丞が暗い雰囲気を払拭しようとことさらに事務的な話題を持ち出す。言われた伊勢屋は慌てて脅迫状を見直し、
「今夜、子の刻一つ時…でございます。
この時代は不定時法といって現代とはそもそも時間の数え方が違う。日の出から日の入りまでを6等分して一刻がおよそ二時間、正午と深夜を九つとしてそこから一刻ずつ減算する方式なのである。ちなみに現代のサマータイムの考え方と同様の省エネ生活となっている。
また、この不定時法では1日を12等分していることから十二支で表現することも一般的だった。十二支の始まりの子年を真夜中の12時(を挟んだ23時~2時)のこととして、子の刻・丑の刻・寅の刻……と数えていく。午の刻は昼の十二時(その前後2時間)のことで、正午という表現はその名残である。江戸城内や神社仏閣などに置かれた和時計で計ったこれを時の鐘として『城の鐘』『寺の鐘』『町の鐘』で知らせていたのが江戸時代である。17世紀にはすでに全国展開して、地方の農民ですら時間によって畑仕事を行っていたという。この時報システムは19世紀の欧米諸国と比してすら画期的で、さすが『時間厳守大国・日本』の面目躍如といったところであろうか。
とはいえ、不定時法の最小単位は2時間(1日を12等分している)である。いくら現代ほど時間に追われた生活をしていないといってもさすがに色々と不便であった。待ち合わせ(身代金の受け渡し)の刻限に2時間の幅があっては生きた心地もしないだろうし。
そのため江戸の人々は一刻を二つに分けて数えたり(初刻・正刻)三つに分けたり四つに分けたりと工夫していた。(それでも最小単位は四半刻(30分)であったが)
―――つまり、脅迫状の相手が指定した『子の刻一つ時』というのは23時から23時半ということになる。
皆で頭揃えてうんうん唸っている現在、時刻は戌の初刻(19時)ではあったが、身代金の受け渡し場所として指定されたのは伊勢屋(日本橋)からはだいぶ離れた野っ原で人ではなく獣の方が多いような場所である。しかも、そこまで行くには木戸をいくつも越えなければならない。木戸番は四つ(午後10時ごろ)には木戸を閉めるため、その前には最後の木戸を抜けてしまわなければ見咎められることになる。駕籠を使うにしろ、おなごには少々きつい道程だ。
「そろそろお支度を―――」
雪之丞は泣き崩れるおかみを気の毒そうに見やりながらも声をかけた。
(キリキリキリキリ…)←雪之丞の胃(-_-;)
脅迫状には身代金を持ってくる人物も指定しており、それがおちよの母親、おかみだ。
もっとも一人とは言われていないのでこの場にいるもの全員で行くつもりである。ただし伊勢屋の旦那以外は背後に隠れて様子をうかがう予定である。旦那だけはおかみを支えるためにもぴったりと寄り添って同行することになる。向こうだってさすがに女一人がやって来るとは思っていまい。
「…はい。そうでございますわね。……でも……ほんとに…?」
「大丈夫でございますよ。私めを信じてくださりませ」
もう一度促すと、おかみは奥の部屋へと赴き着物を選ぶために箪笥を開けた。
「………」
おかみが去って男三人が取り残された部屋で、
「本当に―――大丈夫でしょうか、おちよは…」
おかみのいる前では気丈にふるまっていた伊勢屋もさすがに憔悴が隠せない。青い顔で、ぽつりと小さく呟いた。
(キリキリキリキリ…)←雪之丞の、以下略。
「伊勢屋さん」
近江屋が労わるように声をかける。伊勢屋にとって、近江屋が傷物となった(なったとは言ってない)おちよを見捨てずにいてくれることがどれほど有り難いことか、言い尽くせぬほどである。だが、有り難いことではあるのだが、そうではあるが―――まずもっておちよが無事でいてくれることが大前提なのである。
「本当に、本当に、上手くいきますでしょうか」
本日何度目かもわからないくらいに繰り返した言葉をもう一度伊勢屋は繰り返した。その視線は雪之丞の方へと向けられている。彼も身代金の受け渡しの場に同行するのだ。もちろん用心棒として。
その容貌ゆえに少々その実力が疑問視されていなくもないのだが、腕前の方は大おかみのお墨付きである。それ以上に、誰もが不安に押しつぶされそうになっているこの場において自信を持って力強く請け合う雪之丞を知らず知らず頼るようになっていた。その期待に応えるように雪之丞もまた本日何度目かもわからない慰めの言葉をかけた。
「もちろんです。万事はこの雪之丞にお任せください」
ポンと胸を叩きキッパリとと言い切る雪之丞。
「よろしくお願いいたします」
商売人として今、飛ぶ鳥落とす勢いの新進気鋭の近江屋が一介の役者に過ぎない雪之丞に頭を下げた。その姿に、伊勢屋が『うっ!』と嗚咽を漏らす。
「―――」(キリキリキリキリ…)←以下略。
三人が黙り込む。息詰まるような静寂の中、
「だっ、大丈夫ですとも! おちよさんはこの私が絶対に帰して見せますから! 絶対です。大丈夫です」
(キリキリキリキリ…)←以下ry…
雪之丞は思わず声を大きくした後で、慌てたように立ち上がった。おかみが去っていった方向にちらりと目を向け、
「そろそろ私も身支度をして参りますね」
伊勢屋と近江屋に会釈を残して先におかみが向かった方へと廊下を歩み去った。
( ゜∀゜)人(゜∀゜ )オヒサー
亀更新、どころかミジンコ更新です。
ミジンコはぎりぎり肉眼で見えます。見えます、見えますよね? ね?




