贋花嫁12
更新できました_(^^;)ゞ
―――――― 12 ――――――
「あいつは屑です」
駒吉のことである。
「―――いや、知ってましたけど」
部屋の真ん中で文治が珍しく息巻いている。
駒吉はおちよにはその日その日の仕事を見つけては働いている(ようするにフリーターである。当時はそういう奴も多かったし、男一人なら十分に生計を立てられていた)と話していたようだが、その実仕事らしい仕事など一切していなかった。賭場で稼いだ金と女たちから巻き上げた金で暮らしていたのだ。賭場では圧倒的に負けが込んでいたので女の金がほとんどだ。仲間内ではいっぱしの色事師を気取っているらしい。
文治は駒吉を『女の敵』『屑』と評したが、言い足りなかったらしく、良い言葉はないかと探すようにうろりと視線を動かした。自称・江戸一番のフェミニスト(あくまでも自称。ちなみに助三も同じことを言っている)としてはよほど憤っているらしい。
駒吉を称して『屑』と呼んでみたが、江戸は他に類を見ないほどのリサイクル都市で紙屑一つとっても利用価値が高く『屑拾い』という職業が成立する(生活できるだけの収入が見込める)のである。駒吉のような男には『屑』だとてよく言い過ぎだと、憤っているのだ。
「あいつはクソだ!」
と言い直してみたが、世界最先端のリサイクルシステムを構築していた江戸だ。人糞は江戸近郊の百姓が高値で買い取っていく立派な資源なので、やっぱり納得のいかなかった文治は、
「あいつは猫の糞だ!」
フンスと胸を張る。(肉食の獣の糞は分解・発酵が遅く肥料に適さない)
「アホか! どうでも良いわ」
助三に頭を叩かれていた。
まあ駒吉の非道さを文治が話し始めれば、確かにとその場の全員が頷いたわけだが。
まずもって仕事をしていない。暮らす金はもちろん遊ぶ金まで女に出させていた。しかも、女に出させた金を別の女と遊ぶのに使う、といった鬼畜具合。呑む・打つ・買うは当たり前。女が金を出し渋れば殴るし蹴るし。それでも言うことを聞かない女は基本的に捨てるか、岡場所に売る。売った金は当然自分の懐だ。女はすべからく男(自分)に奉仕するもの、というのが駒吉の考えだ。
ちなみについ先日おちよが都合してやった金は賭場にツッコんで一晩で消えてなくなった。
閑話休題。
―――で、だ。おちよとの駆け落ちをドタキャンした現在、駒吉は家にも戻っていないらしい。とはいってもそういうことはよくあるらしく近所の連中は誰一人おかしいとも思っていなかった。家財道具らしい家財道具もない駒吉の家は出て行ったのか留守にしているのか判断がつきかねる。ひと月もふた月も帰ってこないようであれば大家(委託管理人のこと。多くの場合長屋のオーナーは表通りの大店の主人なので、実際の差配は委託管理人が行っている。大家さんとも差配さんとも呼ばれる)がさっさと片付けて新しい住人が住み暮らすことになるのだろう。江戸(都会)というのはそこらへん実にいい加減である。
だから、駒吉がこのまま帰らぬ場合も大いにあり得るわけだが―――
「あの猫の糞野郎、今、ちぃーっとばかり拙いことになってるらしいんで…」
文治が律儀にも一々『猫』を付けてくる。
「拙いことってのは?」
「戸塚の長吉ってぇ奴を知ってやすかい?」
「戸塚の…? いや? 知らんな」
助三が知らぬとあれば他の誰も知るわけがなく、文治は話を続けた。
「戸塚のってからにはあっちの方からやってきたんでしょうが、木挽町のあの辺り一帯を取り仕切っている地回りなんでさ」
地回りというのは有り体に言えばヤクザの親分である。そして、ヤクザといえばそのシノギ(収入源)は大抵は非合法なものである。
肉体労働者の斡旋や興行の元締めといった合法なものもあるが、大抵の場合、用心棒や賭博・売春斡旋・闇金融・詐欺などといった非合法なものが多い。
戸塚の長吉もご多分に漏れず色々と手広くやっていた。賭場の運営やら岡場所(非合法の遊女屋。吉原以外はすべて非合法)の経営、それにセットのようについてくる闇金である。
一番の収入源はやはり賭場であろう。ここに駒吉も出入りしていたようだ。
しかも、金の貸し借りといった単純なものではなさそうだ、というのが長屋のおばちゃんたちの見立てである。
「ほんと、許せないわよね」
とおことが言った。憤懣やるかたなしといった表情である。その隣でそっくり同じ表情で、
「許せません」
菊弥も憤っている。そろって駒吉・おちよカップルの恋模様に夢中になっていた二人である。裏切られた感が半端ないようなのだ。男性陣は最初から駒吉が箸にも棒にもかからないろくでなしだということは調べがついていたので、今更だという気持ちが強い。文治は駒吉の女たちにも実際に会ってきたので憤りが再燃している。
さて、駒吉の現状であるが、これが困ったことに行方知らずという奴であった。おちよとの駆け落ち(未遂)の所為でなのか、借金取りに追われてなのか、はたまた別のトラブルに見舞われて…なのかは判然としていない。
これをおちよに伝えるべきか否か、今まさに意見が割れているところである。おことと雪之丞は“ハッキリと伝えるべきだろう派”で菊弥と助三は“かわいそうだから伝えない方がいい派”である。もっとも助三には(あまり興味はないからどっちでもいいけど、でも俺フェミニストだから)という心の声が枕詞についていそうである。ただ単に菊弥に同調しているだけという可能性も捨てきれない。
そして文治や他の者たちは―――もう少し証拠を集めてからの方がいい(言ってもおちよはどうせ信じないから)という意見だった。
「だけど、ほんっとに!」
おことが再び気炎を上げ始めた。おちよと駒吉には誰よりも思い入れていただけに、気持ちの収まりがつかないのである。
「まぁーったく! ほんっとーに! 男ってどうしようもないわね!!」
そこで『男』と一括りにされてしまうのはこの場にいる者たちにとっては堪らない。特に雪之丞には。
「待ってください、おことちゃん!」
『異議あり!』とばかりに挙手。
「駒吉を男のうちに入れないでくださいよ」
と言えば、助三も便乗して、
「そうだ、そうだ! あんなのは男の風上にも置けん!―――もちろん、あんなのばかりじゃないと(おまえだけは)わかってくれてるとは思うが…」
宣ってからチラリと菊弥に艶っぽく流し目一つ。菊弥がポッと頬を染め…ずにキョトンと見返したのはご愛敬である。
隙あらばアピールをしようとしてくる(出来ているとは言ってない)助三と違って、ここで攻勢に出られないのが見かけのわりに堅物な雪之丞だ。反射的に”異議あり”したのはいいがその先が続かない。
菊弥は自分のことは高くて高い棚のその奥の方にヨイショして、それをもどかしくもニヤニヤと見守っている。
おことは菊弥の目から見てもすごく可愛いし、年下だというのに(そして身分も上のお姫様だというのに)とてもしっかりとした、少々おきゃん(お転婆)が過ぎる気もするが明るい女の子だ。だが、そっち方面(恋愛ごと)には疎いらしく(自分のことは…以下略)、そこらへんは子供っぽいところもある。
(ああ、もぉぅ…モダモダするぅ)―――自分のこ…以下略2回目
「あ、その―――えと…」
言い淀む雪之丞におことがハテナ?と小首を傾げて見返して、雪之丞が『ハウッ!』と胸を押さえる、までがパターン化されているいつもの遣り取りだ。
「その、あの、けっして!…いや、その、私はそのような真似など…」
超絶モダモダする。
「あ! 大丈夫よ、雪さんも助さんもみんなもそんなんじゃないってちゃんとわかってるわ。ごめんなさい、ちょっと言いすぎね、わたし」
と、ペロッと舌を出す。これがわざとならば非常にあざといところなのだが天然なのである、困ったことに。基本的にしっかりしていて大人なところはあるのだが、見るもの聞くもの初めての庶民生活に大いに浮かれて見せるという子供っぽいところもあるおことなのだ。そんなアンバランスも彼女の魅力と言えよう。
蝶よ花よと育てられた幼少期。国許から単身で江戸にやってきたらしい行動力(もちろんお付きの一人や二人はいたと思われる)。そして、お嬢様育ちから一転しての庶民暮らし。だが、おことはそのことに関して一切の苦情を申し立てたりはしなかった。
最初のころは確かにおことも陰鬱な表情で落ち込んでいた。辛そうにため息をつく姿を見たのも一度や二度ではない。主君を失った悲しさは仲間たちすべてに共通していたが、そこへ加えての生活の不自由は幼い少女にとって相当な打撃であったろう。
庶民、それも『士農工商』(近世日本の身分制度を儒教思想に当てはめて表したものだが、実情は武家とその他の二分化だったという)からさえも除外される『芸人(えた・ひにんと同等、あるいはそれ以下)』という最底辺の身分にまで零落したのだからそれも致し方ない。
だが、立ち直りの早さはおことの持つ美点の一つであった。自分で何もかもをやらねばならぬ生活は確かに苦労が多かった筈なのに、それらすべてをおことは『面白いわね、楽しいわね』とこなして見せた。以前は着替え一つに数人の女中がつくのが当然だったのが、今ではそんな素振りなど少しも見せない。一人で着替えでも何でもするし、今では米を炊いて握り飯まで握ってくれる。
以前は米を水とともに火にかけると飯になるということさえ知らなかったのに(雪之丞が米の炊き方を一から教えた)。そのことを指摘するたびに真っ赤な顔でキャンキャンと嚙みついてくるおことが可愛くて、からかうのを止められないのはここだけの話だ。
雪之丞はおことのその明るさと前向きさにはいつでも驚かされた。大変な努力家で、なのにそれを人に悟らせることもなく。あまつさえそれを楽しんでしまおうというおことを雪之丞は尊敬していると言っても過言ではない。
雪之丞から見たおことの人物像はその第一印象(小柄で大変可愛らしく守ってあげたくなるような…)から、『並大抵の少女ではない』というものに変わった。
その敬慕の情がさらに『力になりたい・支えたい』『ドキドキする』『ヤバい』『可愛い』に変化していったのは自然な成り行きであった。
おことがペロッと出した紅い舌にドギマギと鼓動を高鳴らせた雪之丞が、
「あ、その…」
と頬を赤らめうつむくまでがワンセットの一連の流れをその場の全員がスルーして、話を元に戻した。
「まあ、その男が糞だとして―――問題はそれをおちよちゃんが信じるかどうかですよ」
と菊弥が場をとりなすように言ったが、その途端、雪之丞が目を三角にして振り向いた。
「おきく! 何ですか! 糞だなんてはしたない!」
と。
お兄ちゃんぶり(過保護)は健在である。菊弥は剣術道場に幼い頃から通っているだけあって、まあそういう面では情緒がいささか育っているとは言い難いのである。なにしろ同門の士がすべてむくつけき男連中なので、情緒が育とうにも育たなかったから仕方がない。そしてそれは、隣で助三が『そういう菊弥もカワ(・∀・)イイ!!』みたいな顔をしている以上、今後の改善も望めないことだろう。
「じゃあ、クズでいいです。でも、きっとおちよちゃんは信じないと思います」
「おきく、問題はそこじゃないです」
糞もクズも同じだし、それ以上に問題はそこではない。この際、おちよの気持ちははどうでもいい。問題は自分たちがおちよを拐かした犯人にされかねない状況であるということだ。だというのに、
「大丈夫です。俺も猫の糞だと思います」
と何故か文治まで参戦してくる。フェミニストの彼としては駒吉と自分が似ていると思われるのは非常に業腹なのである。
「文治…」
雪之丞がこめかみを押さえた。『頭痛が痛い』みたいな顔をしている。
「助さん、あなたも何とか言ってください」
雪之丞が振り返ると当の助三はどさくさ紛れに菊弥の手をにぎにぎしつつも、
「この俺は、そのようなことはせぬよ」
キリッと音がしそうなほどのキメ顔である。
「―――なにを!なさっておられるか!」
パシン!と雪之丞が助三の手を叩き落とした。
おことはその横で『いいぞ、もっとやれ』的なワクテカ顔でニマニマしている。
「………」
そんな彼らの様子を黙って眺めていたのは一座の中では比較的年長の小平太だった。文治と同じく道具方を務めている。以前は雪之丞の片桐家で中間をしていた男で、おとなしい…普段から自分の意見を差し挟んだりということはあまりない男だ。ただ言われたことは確実にこなしてくれる忠義者で、贋物屋にはなくてはならない主要メンバーの一人である。
「………」
小平太は無言で頭を振った。今頃、東海道を西に上っているであろう座頭の不在をこの時ほど嘆いたことはなかった。
( ゜∀゜)人(゜∀゜ )オヒサー
亀更新、どころかミジンコ更新です。
ミジンコはぎりぎり肉眼で見えます。見えます、見えますよね? ね?




