怒り心頭の待ち人
「す、すいませーん。戻りましたー……」
姉村所長からのメッセージを確認し、俺はひとまず事務所に戻ることにした。
恐る恐る中に入ってみると、半ば予想通りの光景が広がっている。
汚くて散らかっているのは相変わらずだが、ある一点の散らかり具合が特に酷い――
「ムニャムニャー……。もうカレー、食べられないよー……」
「あぁ……。ビール缶が散在してる……」
――姉村所長のデスクの周囲に、大量のビール缶が空になって置かれていた。
当の所長本人はというと、だらしない顔をしながら涎を垂らし、デスクの上で寝言を述べていた。
夢の中ではカレーを食べているようだが、胃に入っているのはビールとはこれ如何に。
「俺の帰りなんていつになるか分からないから、そのまま休んでくれればよかったのに……」
そう苦言を言いつつも、俺は心の中でどこか嬉しく思う。
俺が家族を失ってから、姉村所長はずっと俺の面倒を見てくれた。
最近では俺の方が日常の面倒を見ることが多くなったが、それでも所長は俺にとって心の拠り所だ。
親とは違う。それでも、家族に近い安心する場所。
――俺に姉がいたら、それは姉村所長と過ごす今に近かったのだろう。
「それにしても、白峰はいないのか?」
デスクに突っ伏す姉村所長の肩にタオルケットをかけると、俺は再度事務所の中を見渡してみる。
先程のメッセージの内容だと白峰もまだいそうな気がしたが、どこにも姿が見当たらない。
「もう夜だし、怒って帰ったか」
「帰ってない。いる」
「うおおぉ!? い、いたのかよ!? どこに!?」
「ずっと気配消してた」
俺が事務所の中を見回っていると、突如隣から白峰が顔を出してきた。
あまりに突然の出現に、俺も思わず驚き後ろに下がる。
――以前の白峰なら、ここまで完全に気配を消すことなどできなかった。
だが、これも『感情による能力への影響』という、異界能力者の特性の一つだろう。
その頬を膨らました表情から、怒りで能力が高められていると考えられる。
「クンクン……。黒間君、お酒臭い」
「そ、そうだろうな。ちょっと鬼島さん達と飲んでたから」
そんな怒り心頭の白峰なのだが、俺の体に顔を近づけ、何やら鼻をスンスンとしてくる。
どうやら、俺が酒を飲んできたことにご立腹な様子。
確かに俺が帰ってくるのを待たせていたのは悪い。だが、そもそも白峰が待つ必要もない。
そもそもどうして、白峰はここまで怒っているのだろうか?
「黒間君、カレー作ってくれるって言った! それなのに、わたし達を置いてお酒飲んでた! ひどい!」
「あれって、今日の話だったのか!?」
そんな気になる白峰の怒りの根源なのだが、昨日に話した『俺がカレーを作る』という約束を守らなかったためらしい。
確かにその約束はしたが、今日するとは言ってない。
ただ白峰からしてみると、俺は『約束を忘れて、酒を飲んでた悪い男』という印象であるようだ。
言い返したい気もするが、怒る白峰の表情を見るとそんな気持ちも消える。
――涙目で迫られると、俺の罪悪感が勝る。
そんなに俺のカレーが食べたかったのか。
「姉村さんも黒間君のカレーを待ってた」
「ああ。だから所長は寝言でカレーのことを言ってるのか」
「わたしもカレー楽しみにしてた。明日、調査が終わったら作って」
「明日、異界能力者の施設に潜り込んだ後でかよ……」
なおも白峰のカレー欲求は留まるところを知らず、明日にでも食べたいと申し出てきた。
姉村所長も待っていてくれたことを考えると、勝手に進められた話とはいえ、俺も本当に申し訳なくなってくる。
――鬼島さんにも言われたし、ここは一つ白峰の気持ちを汲み取ろう。
「分かったよ。明日の調査が終わった後、この事務所に来てくれ。お前と姉村所長に俺の手作りカレーをご馳走してやる」
「……え? ほ、本当に作ってくれるの?」
「お前が言ったんだろが。なんだったら、材料を買いに行くのについてくるか? そんなに時間はないけど、欲しいものがあれば買ってやるよ」
「く、黒間君からわたしを誘ってくれるの? これって、デート?」
俺はカレーの約束ついでに、白峰を買い物に誘ってみた。
白峰はどこか恥ずかしがりながら、俺との買い物をデートなのかと尋ね返してくる。
別にそういうつもりで言ったわけではないが、確かにこれもデートの一種かもしれない。
いくら俺と白峰がそういう仲でないとしても、同い年の男女が二人で買い物をすればそういう括りに入るのだろう。
「まあ、デートだな。てか、それだったら白峰とは何度かやってるだろ」
「そうだけど、わたしの方から誘ってばかりだった。黒間君から誘われて、わたしも嬉しい」
「そりゃよかった。だったら明日の調査もきっちり終えて、気持ちよく買い物に行けるようにしないとな」
「う、うん!」
不満いっぱいだった白峰も、ようやく元の明るい笑顔に戻ってくれた。
俺とのデートがそんなに嬉しいだなんて、まるで本当に幼い妹のようだ。
そんな白峰の様子を見て、俺も思わず頭を撫でながら話を紡いでしまう。
「この連続殺人の犯人も捕まったら、白峰が命を狙われる危険性もなくなる。そうなったら、遊園地とかにも連れて行ってやるよ」
「く、黒間君、どうしちゃったの? 酔っぱらってるの?」
「かもな。まあ、酔ってても口にした以上、約束は守るさ」
「う、嬉しい! ありがとう!」
頭を撫でられたことに嫌悪されると思ったが、白峰は嬉しそうに俺の話を聞いてくれた。
酔った口上もあるだろう。それでも、俺はこいつが喜ぶことをしてやりたい。
――すべてが片付いたら、俺もこいつとの友人関係を進めていこう。
俺は白峰が犠牲になって欲しくもないし、悲しんで欲しくもない。
どうせなら、こいつにはもっと笑顔でいて欲しい。
――俺はそのためにも最善を尽くす。




