手掛かりの入手
『――よし。ネットに繋いでなくて油断してたのか、随分とお粗末なセキュリティだったね。簡単に突破できたよ』
俺が虹谷博士のパソコンにUSBデバイスを接続してものの数分。姉村所長はあっさりと遠隔操作でハッキングを完了したそうだ。
元々ネットワークに接続された情報機器でさえも、簡単にセキュリティを突破する技量を持った所長だ。
そんな所長にしてみれば、今回のハッキングはあまりに楽勝過ぎたようだ。
『もうデバイスも抜き取って大丈夫だよ。ツッ君も早くそこから避難して』
「そうさせてもらいますよ。これ以上潜入してたら、虹谷博士に何をされるか分かったものじゃありませんのでね」
姉村所長の確認を聞くと、俺はパソコンからUSBデバイスを抜き取った。
データもすでに所長のもとに転送されているし、精査するのはこの後でもできる。
残る仕事は俺がここから無事に脱出し、姉村所長や白峰と合流するだけだ。
――とりあえず、俺も早くここを離れたい。
このままでは俺が虹谷博士に、アレやらコレやらされる羽目になる。
「今廊下に出たら流石にマズいか。虹谷博士と鉢合わせになったら、どうにも説明がつかない」
脱出方法については、来た道を戻るのは難しい。
白峰が一緒にいれば言い逃れもできるだろうが、俺一人でこの施設の中を歩けば怪しまれる。
そうなると、逃げ道も一つぐらいしか思いつかない。
「所長。この部屋の窓の外に監視カメラがあるか分かりますか?」
『それなら大丈夫。ツッ君の眼鏡から送られる映像でも確認したけど、その部屋の窓からなら脱出できるよ』
俺は窓の外を覗きながら、姉村所長にも確認をとった。
部屋の位置は四階。それなりに高い場所にあるが、俺ならここから降りることができる。
外は建物の間になっているらしく、人の気配も監視カメラもない。
――脱出経路はここが一番よさそうだ。
「それじゃ、俺も脱出するとしますか」
『気を付けてね。監視カメラがないとはいえ、そこは異界能力者の本拠地だよ。見つかったら終わりだと思って、慎重に脱出するように』
「分かってますって」
通信越しに姉村所長の忠告を受けながら、俺は窓の外へと飛び出した。
ここが異界能力者の本拠地であることも承知の上だ。見つかったら終わりなのもよく分かる。
俺は慎重に窓枠をつたい、この特務局からの脱出を図った。
■
「どうにか脱出できそうだけど、ハイヒールって動きづらいな……!」
その後、俺は建物の壁にある配管や窓枠を掴み、少しずつ地面へと降りて行った。
途中、窓の向こうに異界能力者が見えたりもしたが、今のところは見つかっていない。
そうやって誰にも見つからないように降りているのだが、最大の問題は俺の服装だ。
普段の動きや慣れた革ジャンやジーパンと違い、今も潜入する時の女装のまま。
何より厄介なのは、靴がハイヒールということだ。
これでは足元がおぼつかず、下手をすれば踏み外して落下してしまう。
世の女はこんなものを履いて、よく生活できるものだ。感心してしまう。
『ハイヒールって、結構大変なんだよね。ツッ君も女性の気持ちが分かった?』
「それは分かりましたから、今は話しかけないでください。集中してるんです……!」
いつもはこれぐらいの高さなら、もう地面に降りてもいい頃だ。
それでも今の俺にはかなりキツい状況で、ようやく二階まで降りたところ。
「ゼェ、ゼェ……! これ、本当に堪えますよ……!」
『かと言って、あのまま部屋に残っていたらツッ君の身が危なかったからね。貞操のためにも、ここは頑張って脱出してね』
「貞操とか言わないでください。ハァ……少し休憩……」
色々とこうなったのも仕方ないとはいえ、ここまでキツい思いをするのは計算外だった。
足にうまく力が込められない分、手のグリップにも負担がかかる。
もう少しで地面まで降りられそうだが、俺は誰の目にも触れない室外機の上で一息入れることにした。
「そういえば、所長。白峰とは連絡取れましたか?」
『白峰ちゃんなら大丈夫だよ。ツッ君と別れた後に連絡が入って、今は私とも別行動で特務局からは離れてもらってる』
「順当な判断ですね。ここに白峰が残っていても、いいことなんてなさそうですし」
そうして一息入れる中で、俺は姉村所長から白峰のことについても尋ねてみた。
あいつはどんくさいところがあるし、今も施設内に残られると色々と面倒に繋がりかねない。
――それに白峰はこの特務局施設内において、とてもいい扱いを受けているとは思えない。
正義四重奏の連中と会った時もそうだが、やはり白峰は異界能力者の中でも蔑まれている。
白峰のように臆病な奴もいるし、全員が全員というわけではないのだろう。
それでも異界能力者は総じて、どこか自分達より劣る人間を小馬鹿にしているところがある。
一応は上司であるはずの虹谷博士にまで、お世辞にも素直な態度をとっていたとは言えない。
まるで俺がまだ荒れていた頃の精神年齢。第一世代はあれから五年経っているのに、どこか精神面での成長が見えない。
魔法なんていう強大な力を手に入れたせいで増長し、国もその力を磨く方針ばかり取ったのが原因だろう。
――そんな連中が集う場所に白峰を置いておくなんて、俺にとってもいい気がしない。
『あれれ? もしかしてツッ君、白峰ちゃんのことを心配してた?』
「まーた俺の考えてることを言い当ててきますね。ご想像の通りですよ。ですが、別に五年遅れの同級生恋愛とかはないですから」
『ツッ君は本当に冷めてるというか、枯れてるというか……。まあ、異界能力者である白峰ちゃんを無下にしないだけでも、ツッ君にとっては大きな一歩なのかな』
姉村所長は相変わらず俺の心の隙間に入り込むように話を持ってくるが、そんな話のおかげか気持ちも楽になって来た。
ここまで総理大臣に会ったり、異界能力者のトップ四人と会ったり、虹谷博士に体を狙われたりで緊張しっぱなしだった気持ちにはいい薬だ。
手の疲れも抜けてきたので、俺もそろそろ脱出を再開することにする。
「さて、俺ももうひと踏ん張りしますか。もう少しで脱出できそうなので、それまでは通信も控えて――」
俺はそのことを姉村所長に通信で伝えようとした――
バキィィイイン!!
――その時だった。
聞いたことのない轟音と共に、壁の配管を掴んでいた俺の右手の感覚が突如としてなくなる。
「こ、これは!? 凍ってるのか!?」
慌てて右手を確認すると、掴んでいた配管が凍りついていた。
かなり急速に凍ったらしく、触れていた俺の右手の感覚さえも一瞬で麻痺するほど。
しかも最悪なことに、そのせいで俺はバランスを崩し、二階から地面へと落ちてしまう――
ドシィィイン!!
「いってぇ……!? な、何がどうなってんだ!?」
――慌てて受け身をとったおかげで、怪我をすることはなかった。
それでも『触れていたものがいきなり凍る』という未知の体験をして、俺の頭はパニック状態だ。
さらには落下の衝撃で眼鏡も吹き飛んでしまい、姉村所長とも連絡が取れない。
「バハハ! 虹谷博士がぞっこんの女性記者さんが、こんなところで何をやってんだかなー!?」
――そして俺の耳に入ってくるのは、下品に笑う男の声だ。
この声には聞き覚えがある。俺もさっき会った奴だ。
白峰も言っていたが、確かこいつは氷の魔法の使い手。
最悪だ。異界能力者に見つかるどころか、よりにもよってこいつと出くわすなんて――
「また会ったなー! 美人の女記者さんよー!」
「正義四重奏の青林……!」
■青林 冬定
正義四重奏の一人。二十三歳の男性。氷魔法の能力者。




