ジェンダートラップ
「色々付き合わせて悪かったね。ここが私の部屋だ。黒間さんも入ってくれ」
「はい。失礼します」
幕川総理に出会ったり、正義四重奏に出会ったりと慌ただしかったが、俺はようやく本来の目的である虹谷博士の部屋へ侵入することができた。
俺の背中に手を回しながら招き入れてくるが、何とも気味が悪い。
これは俺が女でも男でも関係なく、セクハラではないだろうか?
「白峰君。君はもういなくて大丈夫だ」
「で、でも、わたし、この人の案内――」
「私は大丈夫だと言ったんだ。おとなしく命令に従え」
「は、はい……」
おまけにここまで付き添ってくれた白峰は虹谷博士の部屋への入室を認められず、俺とも離れ離れになってしまう。
一人で部屋の中に案内される俺を、白峰は心配そうに見つめてくるが、俺は軽く頷きながら『大丈夫だ』とアイコンタクトを送る。
最悪の場合、俺一人でなら逃げ出す手段はある。
『ツッ君、大丈夫だよ。私も通信でサポートするから、気負わず一人で部屋に入っちゃって』
遠方で俺のかけている眼鏡を通して状況を確認する姉村所長も、俺に励ましのエールを送ってくれる。
ここからは俺一人の作戦になるが、バックアップは万全だ。
そんな安心を胸に、俺は一人で虹谷博士の部屋へ足を踏み入れた。
――カチャリ
「さて、早速取材してもらおうか」
「すみません。何故、部屋の鍵を閉めたのですか?」
そうして気をしっかり持ちながら部屋に入ったのだが、俺が部屋に入ると虹谷博士が扉の鍵を閉める音が聞こえた。
一応、今の俺は取材に来た女記者という体裁をとっているが、鍵を閉める必要があるのだろうか?
「いやいや、最近は物騒なものでね。どこからか聞き耳を立てる不逞な輩もいそうなもので」
「……そうですか。失礼しました」
虹谷博士は情報漏洩を気にしているようだが、そもそも俺を研究開発フロアに案内した時点で、そんなことを気にする以前の話ではないだろうか?
それに『聞き耳を立てる輩』と言うが、それなら部屋を密室にする必要性を感じないし、なんだったらすでにその『聞き耳を立てる輩』はこの部屋に入り込んでいる。
――俺がそうだとバレていない証拠だが、どうにも本当の理由は別にありそうな気がしてならない。
「それではまず、第二世代の異界能力者についてお聞きしたいことがあります。先程も虹谷博士がおっしゃっていたことなのですが――」
「そんなことよりも、まずは君も一杯飲まないかね? ここは私専用の部屋で、高価な酒類も揃えている。飲みながらゆっくり話そうじゃないか」
部屋のソファーに案内された俺は、まず記者らしく取材で話を聞き出そうとした。
ここに来る前に虹谷博士が口にした『第二世代のベース』云々の話も気になるし、取材という体裁で聞き出すのも好都合だと思った。
だが虹谷博士は取材など関係ないといった様子で、部屋の隅にある高級そうな棚から酒のボトルを取り出している。
部屋の中を見回してみても、研究室というよりはグラビア女優のポスターが張ってあったりして、独身男性の部屋といった印象が強い。
――こいつはここの代表のはずなのに、随分と俗っぽい。
見た目は真面目な科学者なのに、中身は俺が異界能力者に対して抱く悪いイメージとは違うベクトルで、なんとも腐敗した男だ。
「君は酒は飲まないのかね? それとも弱いのかな?」
「嗜む程度です。強くもありません」
「それなら、これを機会に飲んでみてもいいんじゃないかい? 安心したまえ。酔っても私が介抱してあげよう」
棚からボトルを持ち出した虹谷博士は、それをグラスに注ぎながら俺の横へと腰かけてくる。
さらには空いた手で俺の肩を抱き込むようにし、グラスに口を付けながら顔を近づけてくる。
――その時の表情なのだが、ハッキリ言って気味が悪い。
それこそ俺のことを完全に女だと思い、いやらしく口説くように接してくる。
俺も虹谷博士の好みに合うように変装したわけだが、こうも近寄って来られると血の気が引いてくる。
――なんだか、俺の身が想像以上にヤバそうだ。
『ツッ君、ツッ君。これはチャンスだよ』
俺が全身を身震いさせていると、眼鏡を通して姉村所長から通信が入った。
白峰もいなくなって、俺一人でどうにかするしかないこの状況。こんな状況をどうチャンスに変えるのかは分からないが、ここは遠距離から通信で状況が確認できる所長だけが頼りだ。
そんな期待を胸に、俺は続けられる言葉に耳を傾けたのだが――
『ここは色仕掛けだよ。今こそ、ハニートラップを仕掛けるんだ』
――思わず怒鳴り返したくなるような言葉が飛んできた。
この状況で? 男の俺が? 虹谷博士に? ハニートラップ?
俺の頭の中に大量の理解不能な情報が流れ込み、軽くパニックを起こしてしまう。
確かに元々はそういう作戦だったが、ここまでやるとは思わなかった。
――何が悲しくて、男の俺が男の博士に色気を見せないといけないのだろうか?
『グダグダ怖気づいても仕方ないよ。ここをうまく乗り切らないと、ツッ君も体を張った意味がないんだからね』
俺の内心を読まれでもしているのか、姉村所長はさらに急かすように通信を入れてくる。
嫌なこと極まりないが、言いたいことは理解できる。
ここで収穫なしで俺の体を言いようにされるだけの結果など、俺自身も望まない。
――ここまで来てしまったら、俺も腹を括るしかなさそうだ。
「ねえ、虹谷博士? お酒なんかよりも、私ともっといいことしませんか?」
「お、おお? なんだか、急にグイグイ来るね?」
俺は内心で吐き出したい気持ちを堪えながら、虹谷博士との距離をこちらから縮めに行った。
首元に両手を回しながら、自らの脚を絡めるように虹谷博士の脚へと回す。
俺が知る限りの『そういう動画』で見たテクニックを必死に思い出し、それを真似るような動きをとりる。
声色も表情も『そういう動画』を意識して、なんとか色っぽくしてみる。
――内心では自身の行動に吐きそうだ。男が男にこんなことをしているし、俺にそういう趣味はない。
それでもなんとか堪え、虹谷博士の気をそっちに逸らせるように仕向ける。
「そ、そうだな。どうせ誰もいないんだ。君がよければ、是非とも――」
「でしたら、マナーとしてシャワーを浴びて来てくれませんか? 私、お酒臭いのは苦手でして」
「こ、これは失礼。では、私はしばらく部屋を離れよう。すぐに戻るから、ここで待っていてくれ」
そして俺が『そういう行為』を匂わせたことで、虹谷博士もその気になってくれた。
思惑通りに虹谷博士は部屋の鍵を開けて外に出て、シャワーを浴びに向かってくれた。
これで計画通りに進んだわけだが――
「オ、オエエェ……! き、気持ち悪い……!」
――我慢していた俺の精神が限界にきて、軽く吐き出してしまった。
なんとかハンカチで口元を抑えるも、自分で自分のやったことが気持ち悪すぎる。
これだけでも普段異界能力者に喧嘩を吹っ掛けられるより、よっぽどの体力を使ってしまった。
『ツッ君、すごいよ! 完璧な色仕掛けだね! 将来は女優になれるんじゃないかな!?』
「舞台女優だろうと、AV女優だろうと、こんなことは金輪際ごめんです……!」
姉村所長も虹谷博士がいなくなったのを確認すると、俺に通信を入れてきた。
女優だなんだと言ってくるが、俺は男だ。女装趣味も同性愛趣味もない。
だが、姉村所長の妄言を聞いている余裕もない。
虹谷博士がいつ戻ってくるか分からない以上、早急に目的を果たす必要がある。
「これが白峰も言ってた、虹谷博士のパソコンですね」
『そうだね。それじゃあ早速、中のデータを頂戴しましょうか』
とんでもない目に遭ってしまったが、無事にチャンスは訪れた。
俺は当初の予定通り、虹谷博士のパソコンのUSBへ預かっていたデバイスを差し込み、姉村所長が外部から干渉できるようにする。
『……よし。少しだけ待っててね。どうにかしてこのパソコンから、データを抜き取るから』
「できる限り早くお願いします。俺はもう、ここから逃げ出したくて仕方ありません」
そして始まる、姉村所長によるハッキング。
虹谷博士がいつ戻ってくるか分からない以上、余計な時間をかけるわけにはいかない。
――何より、このままでは俺の体が危険なままだ。




