汚部屋王子と断捨離のお姫さま
むかしむかしあるところに、片づけの苦手な王子さまがおりました。
そのうえ新しもの好きの浪費家で、商人が勧めるものはなんでも買ってしまいます。
「王子さま、こちら東国で有名なアニメイターの原画でございます。プレミアものでオークションにかければいくらまで値がつりあがるか、という代物なのですよ」
「なるほど、それはすばらしい! ぜひとも寝室に飾って毎日のように眺めよう」
「いえいえ王子さま、時代は立体でございます! こちら、有名原型師のつくった美少女フィギュアです。……ちなみに、色のほうは白、とだけ申し上げておきましょう」
「……! こ、これもすばらしいな。よし、そちらも貰おう。従者よ、こちらふたつを部屋に運んでくれ!」
ーー万事が万事この調子なものですから、商人たちは毎日のようにたくさんの商品を王子さまのもとへ持っていきます。
新発売のゲームや家電、おもちゃに漫画にライトノベル――王子の推しキャラのグッズが発売されようものなら、商人たちは我先にと城へと押しかけました。
そんなことを繰り返していたら、王子さまの部屋はあっという間にモノで埋まってしまいました。
王子さまは片づけが苦手です。部屋はあっという間に「ゴミ屋敷」と呼ばれるそれに変わってしまいました。
王様もお妃さまも、これにはとんと困ってしまいました。王子の私室とはいえ、城の中の一室がゴミ屋敷となっているのですから。
また、悪い噂は広がるのも早く、城から貴族へ、貴族から平民へと流れ、今では知らない者などおりません。
「王子の部屋はゴミ屋敷〜!」
「そのうえ美少女アニメ好きのオタクらしいぞ。そんな人が未来の王様なんて、この国は大丈夫なのか?」
「たとえ王妃になれたとしても、あんな引きこもりの妻になるなんて御免だわ!」
城の厨房で、貴族同士のお茶会で、城下の道端でーー王子を嘲笑う噂は絶えません。
国中そのような状態ですから、味方になってくれるような友達も恋人も、王子さまにはいませんでした。
しかし王子は王子、いずれはこの国を背負って立つことになるお方です。このまま貴族にも平民にもバカにされたままではいけません。どうにかせねばと、親である国王夫妻は頭をひねって考えました。
王子という立場ですから、メイドや執事に掃除を任せればいいのですが、王子さまは自分の趣味のものを他人に触らせるのをよしとしない人間でした。
実の親である国王さまやお妃さまが入ろうとしても、「人の部屋になに勝手に入ろうとしてんだよクソババア!」などと怒られてしまうのです。王子さまは反抗期の真っただ中でもありました。
「うーむ、うーむ。どうしたものか」
「わたくしたちが言ってもだめなのです。だれか、王子が言うことを聞いてくれそうなひとはいないものでしょうか」
「あいつ昔からアニメや漫画ばかり見て、友達のひとりもいないからなあ……」
国王さまは、王子の幼き日々を思い出し遠い目をしました。お妃さまもそれに苦笑いで答えます。
「ああもういっそ、王子の好きなキャラクターが画面から出てきてくれたらいいのに! あれほどまでに夢中な女性からの忠告なら、いかに王子といえど耳くらいは貸しただろう」
投げやりに放った王様の言葉に、お妃さまはハッとして言いました。
「好きなキャラクター……そうだ、それですわ! 王子の好きなキャラクターにそっくりな令嬢を探せば良いのです! 二次元から嫁を連れてくることはできませんが、国中、いえ世界中を探せば、似ている女性の一人や二人は見つかるでしょう!」
「それは素晴らしい案だ! それではその女性を王子の婚約者としよう!」
「それですわ!」
そうと決まれば話ははやく、国王夫妻は王子の相手にふさわしいご令嬢を探し回りました。
騎士団も冒険者ギルドも闇の組織も、全部全部利用して。王国の隅から隅まで、国境を超え海を超え世界の裏側まで。貴族も平民も、年下も年上も、既婚者も彼氏持ちも関係なく探しました。
条件はたった二つ。
王子の最推しキャラにそっくりなこと。そしてできれば、王子を諌められる強さを持っていること。
そうして世界中を巻き込んだ捜索の末、一人の女性を探し当てたのです。
◇◆◇
「王子、あなたの婚約者が決まりました。挨拶なさい」
「こ、婚約者……っ!? そんなの、聞いてないですよ!?」
母であるお妃さまに突然呼び出され、一人の女性をそう紹介された王子さまは、驚き不機嫌に叫びました。
婚約者なんて冗談じゃない、そんなものができたら趣味の時間が減ってしまうーーそう考えたからです。
ですが、妃の隣に佇む女性はそんな王子の様子も気にせず、すました顔で礼をしました。
「初めてお目にかかります、王子さま」
「……ッ…!!!?」
その目と目が合った瞬間、王子さまは自分の心臓が、ドクリと音を立てるのを感じました。
月の光を集めたような淡い銀の髪に、丸い形のアイスブルーの瞳。
顔立ちはまるで彫刻のように美しく、にこりともしない無表情がさらにその美貌を引き立てるようでした。
飾り気のないドレスからのぞく肌は雪のように白く、華奢な手足は今にも折れてしまいそうです。
その儚い雰囲気とは裏腹に、ピンと伸びた背筋が彼女の存在感を際立たせていました。
なんということでしょう。その女性は、王子の最推しである「魔法少女☆まじかるブルーローズ」ちゃんにそっくりだったのです。
(こ、この子が私の婚約者……!?こんな、かわいくて、清楚な女の子が……ブルーローズちゃんそっくりの女の子が……!?)
王子さまは驚きつつも心から喜びました。好みのタイプど真ん中な婚約者を、一目で気に入ってしまったのです。
「王子、彼女は隣の国の姫君なのよ。隣国の王族といえば真面目で勤勉なことで有名でしょう? きっとあなたの支えになると思って、婚約させることにしたの」
「なに、お姫さまだったのか! それにしてはずいぶん質素なドレスを着ているけれど……」
王子さまは、隣国のお姫さまだというその少女の纏うドレスに目を向けました。
色も装飾も控えめなそれは、一国の姫君が着るには少々地味な印象を受けてしまいます。よく見ると宝石の類も身に付けておりません。
(隣国は自国の姫を着飾らせることもできないほど貧しかったか? そんな話は聞いたことがないが……そうだ、いいことを思いついたぞ!)
「そうだ! 私たちの婚約を記念して、何か贈り物をさせてくれないかい? そんな慎ましやかなドレスより、君に似合うものを私が見立てよう!」
王子さまは名案だとばかりにそう言いました。できたばかりの婚約者の気をひきたかったからです。女性の気を引くには贈り物が効果的だと、王子さまはSNSで見たことがありました。
だけどお姫さまはツンと澄ました顔のまま、静かに首を振り言いました。
「いいえ、王子さま。わたくしは何もほしくはありません。だって、どうせ捨ててしまうもの」
「へ?」
王子さまはこの言葉に驚きました。
贈り物をいらないと言われたこともですが、捨ててしまうとはいったいどういうことなのでしょう。
「ドレスは必要ないかい? それなら、そのドレスに似合う宝石はどうだ? 靴でもアクセサリーでも、君の好きなものを買ってあげるよ」
王子さまは焦って言葉を続けます。だけどお姫さまは、やはり落ち着いた表情で首を振るだけでした。
「いいえ王子さま。贈り物など、なにも必要ありません。資源に乏しい我が国では『質素・堅実』が美徳とされ、華美なものも実用的でないものも好まれません。わたくし自身も、無駄なものや着飾ることは好きではありませんの。好きなのは片付け、大掃除、断捨離ですわ」
「だ、だ、だ、断捨離……!?」
その言葉は王子様も聞いたことがあります。旦那の趣味のコレクションを勝手に捨ててしまうという、妻のおそろしい趣味のことです。ネット上のお友達が嘆いていたのを見たことがあります。
(そんな恐ろしい趣味を持った女性が私の婚約者!? た、大変だ! そんな人が未来の妻だなんて、私の大事なコレクションたちが捨てられてしまう……!)
王子さまは自室の大事なコレクションたちを思い出し、青ざめました。
そうしてやっと気づいたのです、お妃さまの思惑に。断捨離好きのお姫さまと婚約させることで、王子さまの汚部屋を大掃除させようとしていることに。彼女の見た目がブルーローズちゃんそっくりなのも、おそらく仕組んでのことだったのでしょう。
「それではさっそく掃除に取り掛かりましょう。王子さま、王子さまのお部屋にご案内していただけますか?」
「な、だ、だめだだめだ! たとえ婚約者であろうと、私の部屋のモノには触らせないぞ!」
「え……そんな……。王子さまのお部屋の片付けはわたくしの婚約者としての義務のひとつなのに……このままではわたくし、婚約者失格ですわ……」
「うっ、落ち込んだ顔もかわいい……っじゃなくて! 君が婚約者失格になるのは私も困る……でもなくて! と、とにかく、だめなものはだめなんだ!」
理想そのものの顔が悲しげに歪むのに多少心を抉られた王子さまでしたが、どうにか自我を保ちお姫さまを拒絶することができました。
ですが、そんなことをお妃さまが許すわけもなく、ずずいと二人の間に入りにこやかに言いました。
「大丈夫。王子が許さなくても、国王と妃であるわたくしが許可しますわ。この城に滞在中は、掃除に関する場合はいつでも王子の部屋を訪れてヨシ! はい、これ許可証ね」
「は、母上!? なに勝手に息子のプライベートを売ってるんですか!?」
「ありがとうございます、お妃さま」
「君もなにナチュラルに受け取ってるんだい!?」
王子さまは焦りました。いくら王子さまでも、お妃さまや国王さまには逆らえません。
どうにかして彼女を自分の部屋から遠ざけないと……王子さまが必死に考えていると、お妃さまは口元を隠していた扇子をパタリと閉じ、王子に向き直り言いました。
「いいですか、王子。この婚約は、国王と、妃であるこのわたくしが決めたこと。逆らうことはたとえあなたであってもできません。そして彼女の婚約者としての役割の一つは、あなたの部屋をどうにかすること……わかりますね? あなたの部屋の大掃除は、いわば王命なのです」
「そ、そんな……! それなら、掃除なら私ひとりでもできます! 彼女の手を煩わせるまでもない。だから彼女に掃除をさせるのだけはーー」
「そう言って今までやらなかったからあの惨状なのではありませんか! もうこれ以上は待てません。あなたは次期国王なのですよ? いいかげん自覚を持ちなさい!」
「しかし、母上……!」
言い募る王子さまには目もくれず、お妃さまは従者に言いつけ、お姫さまを王子さまの部屋へ案内させました。
王子さまは消沈した様子のまま、それについて行きます。
「ーーこちらが王子様の私室になります」
「……っ! まあっ、これは……なんてことなの……」
ーーそうして従者によって開かれた扉の奥の光景に、お姫さまは息をのみました。
クローゼットからはみ出した服、ゴミ袋と段ボールの山で足の踏み場もない床。机も椅子もベッドの上まで何かしらのモノで溢れ、ぎゅうぎゅうに詰められた本棚は今にも壊れてしまいそうです。
ゴミとゴミの間を抜ければ、そこから覗くのは王子様自慢のコレクションーーオタクグッズの収納棚です。愛らしい顔立ちの女の子たちの、ポスター、フィギュア、タオル、Tシャツ、抱き枕……中にはヒーローフィギュアやプラモデルなどもありますが、やはり目に入るのは圧倒的割合を占める、あられもない姿の女性キャラたちのそれなのでした。
度を過ぎたゴミ屋敷、そのうえオタク部屋ーーお姫さまはそれを見て、口元に手を添え驚きました。
(ーーなんだ、掃除好きだとか言っていたくせに、この程度の汚さでこんなに驚くのか……)
そんなお姫さまの様子に、王子さまは落胆とともに少しの安堵を覚えました。
いくら掃除が好きだと言っても所詮お姫さま、噂の汚部屋が想像以上で言葉もないのでしょうかーー驚いているのは部屋の汚さではなくその奥にある美少女グッズにかもしれませんがーーどちらにせよこの分だと、彼女の方から婚約破棄を言い出してくれそうです。
(いやでも婚約破棄だけはどうにかして阻止したいな……だってかわいいし……)
王子さまはそんなことを考えつつ、どう声をかけようか迷っていると、
「なんて、なんて………………掃除しがいのあるお部屋なのかしら!」
「……へ?」
お姫さまから放たれた予想外の一言に、王子さまはうっかり間抜けな声を漏らしました。
「ああ、床も壁も見えなくなるほどのゴミ、ゴミ、ゴミ! なんて素晴らしいのでしょう、ここまで酷いゴミ屋敷は久しぶりだわ!」
「ひ、姫……?」
「このゴミの山がどんどん小さく消えていく快感、見えない床が少しずつ顔を出していく快感……それを想像するだけでわたくし、わたくし……ふふふふふふふふふふ」
「姫!?!?!?!?!?」
なんということでしょう、先ほどまでクールな無表情しか見せていなかったお姫さまが、王子の汚部屋を見てここ一番の笑顔を見せたのです。興奮したように笑い声をあげるその様は、いっそ気味が悪いほどでした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。君は気持ち悪く思わないのかい、この部屋を見て」
「気持ち悪い? 何がですの? むしろ掃除のしがいがあってこうふ……楽しそうではありませんか」
「今興奮って言いかけたよね!?」
「こんなやりがいのある部屋、長い間空き家で幽霊屋敷とまで呼ばれたお屋敷の大掃除をした時以来だわ!」
「そんなことまでしているのか一国の姫君が!?!?」
次々とあらわれる姫の新たな一面に、王子さまはしどろもどろするばかりです。
「安心してください王子さま。わたくしこれでも、自国ではそこそこ有名な整理整頓アドバイザーでしたのよ。わたくしにかかればこのくらいの部屋、すぐにきれいにしてみせますわ!」
「整理整頓アドバイザー!?」
「ええ。国中まわって講義もしましたし、書籍もいくつか出版していますの。よろしかったら差し上げますわ」
「え、ああ、ありがとう……?」
その勢いに思わず受け取ってしまいましたが、王子さまは焦りました。
この部屋を見ても物おじしないその態度、講義だとか書籍だとかいう功績の数々……本物です。彼女は本物の断捨離魔です。
このままでは今まで集めに集めた王子さまの宝物たちが断捨離されてしまいます。今日もインターネットのどこかで嘆いている男性たちのようにーー
焦る王子さまを尻目に、お姫さまは楽しげに声を上げました。
「さて、どこから手をつけるか想像するだけでわくわくしてきますね。まずはまとまってるゴミ袋や段ボールを外に出してしまって、本や服も一度まとめて分別した方が良さそうですね。……ああ、そうだわ。それよりも先に、あの女の子のフィギュアたちをーーー」
ぶつぶつと呟かれたその言葉に、王子さまはサアっと血の気が引いていくのを感じました。
(ああ、言われてしまうのだ、あんな気持ち悪いオタクグッズなど、何より先に捨ててしまえとーー)
それは自分の両親に、いつも世話をしてもらっているメイドに、いずれ自分の臣下となるはずの貴族の子女たちに、言われ続けた言葉でした。
『一国の王子たる者がだらしない』
『次期国王が萌えオタクだなんて国の恥だ』
……クスクスと嘲り混じりにされるその噂話は、王子さまに深い深い傷を作っていました。
(この子にも言われてしまうのか……こんなにかわいい、私の理想そのもののような女の子にも、『私』を否定されてしまうのか……)
王子さまは諦めたように目を伏せ、ぎゅうっと両の拳を握り締めました。
そうして次に紡がれるであろう言葉を怯えながら待っていると……
「先にあのフィギュアたちをーーーー汚さないように別の部屋に移動させましょう」
聞こえてきたのは、王子さまが予想もしていない一言でした。
「へ……?」
「ですから、フィギュアを別の部屋に移動させましょう。これから大掃除に取り掛かりますから、ぶつかって傷つけたりホコリまみれにしては可哀想ではないですか?」
キョトンとした表情で、お姫さまは続けます。まるで、さも当たり前のことかのように。
「い、移動させる……だけ? 捨てるのではなく?」
「あら、捨ててもよろしかったので?」
「よよよよよろしくない! まったくよろしくないけども! ……その、絶対、捨てろって言われると思ってたから……だって、断捨離って、無駄なものを全部捨てるってことだろう?」
王子さまはおどおどと聞きました。
王子さま自慢のコレクションたちは、王子さまにとっては3度の食事より大切な宝物たちですが、他人ーー特に非オタの女性ーーから見たら、そこらのゴミクズと変わらない価値のものだと知っていました。
それをこのお姫さまは、「汚れたらかわいそう」などと言うのです。
王子の宝物たちのことを、慮ってくれたのです。
「ーーたしかに断捨離とは、不要なものを処分することを言います。ですが、何が必要で何が必要でないかは、その人にしかわからないではないですか」
呆けた表情のまま固まる王子さまに、お姫さまは静かに言いました。
「このフィギュアたちが王子さまにとってどれだけ大切なものなのか、一目でわかりましたよ。だってこんなに散らかった部屋の中で、この棚は唯一整頓されているんですもの。……ほら、ホコリひとつついてない」
たしかに王子さまは掃除や片付けは苦手ですが、フィギュア棚の掃除だけは欠かしたことがありませんでした。
王子さまは、数あるオタクグッズの中でも立体物には特に目がなかったのです。大好きなブルーローズちゃんが汚れてしまわないように、細心の注意を払っていました。
「掃除嫌いで有名な王子さまがこんなに気にかけているモノを、捨てろと言う人はダンシャリアン失格ですわ。だいたい、断捨離や大掃除の目的は『部屋をきれいにすること』ではなく『部屋をきれいにすることで心や生活を整えること』なのです。大切なものまで捨ててしまっては、本末転倒もいいとこですわ」
お姫さまは柔らかな声で、だけど堂々と、言いきりました。
「本末転倒……」
「ええ、手段と目的が入れ替わっている典型例ですわ」
「……ふふっ。言われてみれば……そうかもしれないな」
真顔でズバリと言い切るお姫さまに、王子さまは心が軽くなっていくのを感じました。
(そうか、別にいいのか、捨ててしまわなくても。大切なものを持ったままでも……私は変われるのか)
王子さまは、心にじわじわとあたたかいものが広がっていくのを感じました。それは喜びで、感動で、未来への期待でもありました。
汚部屋に引きこもって、国民たちに嫌われていた自分。そんな自分が、『自分』を保ったまま、変わっていけるかもしれない。
彼女とならーーこの美しい、できたばかりの婚約者となら。
「さあ王子さま、笑っている場合じゃありませんよ。これらを移動させるだけでもう重労働なのですから!」
「ああ、そうだな」
王子さまはそう言って、キラキラと輝く青の瞳を見つめました。
『理想そのもの』のその姿に、別の感情が芽生えた瞬間でした。
◇◆◇
「ああ王子さま、いったい何度言ったらわかるんですか! ペットボトルの蓋はプラスチックゴミ、ちゃんと分けてくださいまし!」
「えええ、いっしょじゃダメなのかい!?」
「だめです! それから紙類はまとめて束ねて資源ごみ! 今可燃ゴミの袋にノートを捨てましたね!?」
「あああ待ってくれそれは私の黒歴史ノートで……!」
ーーさてはて、ふたりの大掃除はこのようにバタバタと始まりました。
山と積まれたゴミ袋を外に出すだけで一仕事。そのあとも部屋中に散らばったゴミをかき集め、地獄の分別作業がはじまります。
なにせ王子さまはゴミの分別すらしたことのない完全なお掃除初心者です。たいへん苦労しましたが、お姫さまのアシストもありどうにか部屋中のゴミを一掃することができました。
大量のゴミを捨てただけで、王子さまの部屋は見違えるようにきれいになりました。
もちろんクローゼットからはみ出た服も、積み上がった本の山も、ホコリを被ったチェストもそのままですがーーなんと、床が見えるのです。足の踏み場が、できたのです。
王子さまの部屋の床が見えたのは、もう数年ぶりのことでした。
「す、すごい……! 床が見えるぞ……!」
王子さまはその光景を見て、思わず感嘆しました。
なにせ自分の部屋の床を見たのは数年ぶりです。どんな色をしていたのかさえ忘れているほどでした。
「姫、礼を言わせてくれ! 私の部屋がこんなにきれいになるなんて……君のおかげだ、ありがとう!」
王子さまはつい感極まって、お姫さまの手をギュッと握りしめ言いました。
お姫さまは握り込まれた手のひらに、ずずいっと近づいた王子さまの顔に、ポっと顔を赤らめて答えました。
「わ、わたくしは何もしていませんわ。せいぜいゴミの分別の仕方を教えたくらいで……」
「いや、むしろそれがうれしかったんだ。君は見るからにゴミとわかるものでも、勝手に捨てたりせず私に判断させてくれただろう? 他の誰かだったらああはいかない。こんなものいらないだろうと勝手に捨てることも、こんなものの何が大切なのかと呆れた目で見てくることも、君はしなかった。それが私にはとても貴重で、とてもうれしいんだ。だから礼を言わせてくれ。ーーありがとう」
「そんな……もったいないお言葉ですわ」
直球の言葉をぶつけてくる王子さまに、お姫さまは気恥ずかしさに目を伏せました。
その様子に王子さままで恥ずかしくなり、握ったままだった手を離しごまかすように咳払いをしました。
「そ、それに、少し床が見えるようになったくらいで満足しないでくださいな。大掃除はこれからですのよ! たとえ一度の掃除できれいになったとしても、今度はそれを維持しなければいけません。掃除そのものよりも、きれいな状態を維持する方がずっと難しいのですから!」
お姫さまもまた、照れをごまかすようにわざと声高に言いました。
「そのために重要なのが、『断捨離』ですわ!」
ビシリと人差し指を立てるお姫さまに、王子さまはウッと顔をしかめました。
断捨離ーー王子さまのもっとも嫌いな言葉のひとつです。
かつてこの言葉によって、多くの同胞がコレクションを捨てられてきました。王子さまは覚悟を決めるように、ごくりと唾を飲み込みました。
「いいですか、王子さま。片付けや整理整頓のコツは、そもそもモノを持たないことなのです。なぜ部屋が散らかるのか、それはモノがありすぎるから。モノがあるから収納が必要になり、収納があるとそこに収めるモノが欲しくなるのです。ですから、掃除の後きれいな状態を保ちたいのなら、断捨離は不可避なのです」
お姫さまの言うことはもっともです。ですがいまいち苦手意識が拭えない王子さまは、
「君の言うことはわかるよ。だけど、この部屋にあるのはどれも私が気に入って購入したものばかり。どうしても捨てることに躊躇してしまうんだ」
そう小さく反論しました。
「ええ。ですから、興味のない分野から始めましょう」
「興味のない分野?」
「はい。『断捨離』という言葉に拒否反応を示す方もいますが、なにも大切な宝物を全部捨てろと言っているわけではないのです。この部屋の中のいらないもの、不必要なものを吟味して、整理しましょうと言っているだけなのです。たとえば王子さまなら、あのアニメキャラのグッズを半分にしろと言われたらとても困るでしょうが、クローゼットの中のお洋服を半分にしろと言われてもさほど困らないのではないでしょうか?」
お姫さまの言葉に、王子さまはたしかにと頷きました。
曲がりなりにも王族ですから、パーティやら謁見やらで半端な服を着るわけにもいかず、そのたびに新しい服を仕立てています。それを整理もせずにひたすらクローゼットに詰め込んでいるため、あっという間にパンパンになってしまうのです。
もしかしたら、こどもの頃に着ていた服もまだ残っているかもしれません。それも含めるのなら、洋服を半分に減らす、というのは難しいことではないように感じました。
「なるほど、それなら私にもできそうだ! それでは洋服の断捨離から始めてみよう!」
こうして王子さまは、まずは洋服の断捨離に手をつけることを決めました。
クローゼットの扉を開け放つと、シャツやらマントやら冠やらが一気に雪崩れてきます。
二人は若干遠い目をしつつ、いらない服を仕分ける作業に取り掛かりました。
「断捨離のコツでよく言われるのは、『1年使ってないものは捨てる』ことですね。もちろん着たか着ないかにかかわらず、お気に入りの服まで無理矢理捨ててしまわなくても結構ですよ」
「なるほど、着なかった期間で区切るのはわかりやすいな。このマントはたしかもう2年は使っていないし、こっちのシャツ……も最近着てはいないが、生地の肌触りが良くて気に入っているんだよなあ……」
「捨てるか迷った場合は『保留箱』を用意して、そこに入れておくという手もありますよ。そこに入れて、たとえば1ヶ月以内に一度も使わなかったら捨てる、一度でも使ったらクローゼットに戻すなど、自分ルールを作るんです」
「それはいい、ではこのシャツは『保留箱』行きだ!」
こうして王子さまは、次々といらないものの断捨離を続けて行きました。
クローゼットの整理が終わったら、その次は部屋の隅に山と積まれたダイエット器具、途中で飽きてしまったゲームソフト、アニメの影響で手を出した楽器、こどもの頃の思い出の品々……。
あまりの量に何度も心が折れそうになりましたが、その度にお姫さまがすぐそばで支えてくれました。
お姫さまの的確なアドバイスのおかげもあり、自分の部屋がみるみるうちに美しくなっていくその光景が新鮮で、王子さま自身も断捨離を楽しく感じるようになりました。
何よりも、きれいになった空間に推しグッズを飾れるのは、ただただコレクションしていた頃とは別の楽しみがありました。
そうして大掃除を始めてから1ヶ月ほど経った頃ーー王子さまの部屋は以前とは見違えるほど、スッキリと整理整頓された部屋へと生まれ変わっていました。
「終わった……やっと……丸1ヶ月かかったけど……」
「お疲れさまです、王子さま。よくがんばりましたね」
疲れでぐったりする王子さまに、お姫さまは優しく微笑み労いの言葉をかけました。
その言葉と笑顔に胸を高鳴らせつつ、王子さまは答えました。
「ああ、どうにかここまできれいにできたよ。君のおかげだ、……ありがとう」
「わたくしは何もしていませんわ、そばであれこれ口を出していただけです。それに、掃除というのは一度きれいにしただけでは終わらないのですよ、大切なのはーー」
「このきれいな状態をいかに維持できるか、だろう?」
「まあ、わたくしのセリフを取らないでくださいまし!」
ムゥと薔薇色の頬を膨らますお姫さまに、王子さまは胸いっぱいに愛しさが広がるのを感じました。
この1ヶ月、呆れることも諦めることもなくそばで支えてくれたお姫さまに、王子さまはすっかり夢中になっていたのでした。
「それにしてもーーよくもまあこの量があの部屋に入っていましたね」
お姫さまは、半ば感心するような声色で、王子さまが捨てると判断したモノの山を眺めました。
あまりの量で一度には処分できなかったため、まだ一箇所にまとめて留め置いていたのでした。
「今まで捨てることなく、溜め込んでばかりいたからなあ。それにしても……だめだなあ、断捨離の大切さは重々理解したつもりだったのに、こんなにあると捨ててしまうのがもったいなく思ってしまう」
「たしかに、まだ使えるモノばかりですものね」
王子さまは飽き性でもあるため、ほとんどが新品同様の状態を保っていたのでした。
「そうですわ! それでは、フリーマーケットに出してみるというのはいかがでしょう?」
「『フリーマーケット』?」
初めて聞く言葉に、王子さまは首を傾げました。
「簡単にいうと、商人だけでなく一般市民も参加できる古物市のことです。家庭で不要になったモノなどを持ち寄り売買する、我が国では有名な催しなのですが、この国にはないのですね」
お姫さまは続けて、お姫さまの国は資源に乏しいため、古くなったモノもみんなで使い回す風習があること、そんな庶民の風習から『フリーマーケット』は始まったのだということを説明しました。
「なるほど……自分にはもう不要なモノでも、他の誰かには必要なモノかもしれないんだな」
今まで欲しいと思ったモノはすぐに手に入れてきた王子さまは、そんな当たり前のことに大きな衝撃を受けました。
「よし、この私主催で『フリーマーケット』を開こう! 王族が主催して、王族の私物を売るのだ。
きっと大きな話題になるだろう!」
「それはいいですね。ぜひお手伝いさせてくださいな」
かくして王子さまとお姫さまは、王都中を巻き込んだ『フリーマーケット』を企画することになったのでした。
◇◆◇
「フリーマーケットを行なう場所は、大神殿前の噴水広場がいいと思うんだ。あそこは貴族街が近く治安もいいし、平民も立ち寄りやすい。雨が降ったときは大神殿の大広間を借りることもできる」
「モノの売買だけでなく、屋台で食べ物を売るのはどうでしょうか? 噴水広場には美しい薔薇園があったはずです、買い物に疲れたらそこでゆっくりピクニック、というのも素敵ではありませんか?」
「それから多くの貴族が出歩くことになるから、騎士団に都合をつけて見回りもしてもらわないと……」
ーーフリーマーケットの計画は、こうして順調に進んでいきました。
もともとしっかり者のお姫さまと、突拍子のないことをしだす王子さまは思いのほか相性がよく、ぽんぽんと出るアイデアがどんどん具体的になっていきました。
そのうち、
「ずいぶん面白そうなことをしているじゃない、なぜ母を混ぜないのです!」
というお妃さまや、
「もう使わなくなったものの処分市ですか? それなら城のいらない備品も売らせてくださいよ〜!」
というメイドたちの声もあり、王子さまの私物だけではなく、王城全体の不要なものを売り出すことになりました。
これには国中の貴族たちも大騒ぎ。
はじめは「あの汚部屋王子の私物なんて誰が欲しがるんだ?」と嘲笑っていた者たちも、
「お妃さまの扇子コレクションの一部が売られるらしいわよ!? ただでさえオーダーメイド一点ものしか使わないことで有名なのに、お妃さまのお古なんてプレミアなんてものじゃないわ!」
「城の厨房で使われている調理器具が売られるって話でな、それを使えば我が家の料理も王宮の料理に近づくかもしれん。昔城で食べたあの味が忘れられんのだ!」
……などなど、まだ知らぬフリーマーケットに期待を寄せるのでした。
そうして始まったフリーマーケットは、王子さまたちが想像していたよりもずっと大盛況に終わりました。
特にお妃さまや国王さまの私物は一部の客から高い人気を得、マーケットというよりもはやオークションのような状態になっていたようです。
王子さまの私物もなんだかんだと質の良いものばかりだったため、下級貴族や富裕層の手へと渡っていきました。
城の者たちは不用品を片付けられて上機嫌、客の側だった貴族たちも安く質の良いモノや王族のお古を手に入れられて上機嫌ーー。
嫌われ王子の企画した催しに、「手ひどく失敗するのを見てやろう」と意地悪い気持ちでいた者もいましたが、それとは裏腹に大成功のまま幕を閉じました。
はじめはイベントが成功したことや、不用品を処分できたことにただ喜んでいた王子さまでしたが、だんだん周りの人たちの態度が変化していることに気づきました。
まずは、自分の両親である国王夫婦です。
ゴミ屋敷に引きこもってばかりいた王子に悲しみと後悔の入り混じったような目を向けていた彼らには、「あの王子がこんな大きな企画を投げ出さずにやり遂げるなんて……」と泣きながら感動されました。
次に、城の使用人たち。
影で「オタク王子の世話は本当に疲れるわ」「あんな汚い部屋で飲み食いされるなんて俺の料理が泣いてらぁ」などと悪口を言っていた彼らは、今では「処分に困っていたものが高値で売れたんです!」と王子さまに笑顔で話しかけてきます。
同じく影で王子さまを蔑んでいた貴族たちも、「楽しい催しだった」と王子さまを褒め、商人たちからは「次はいつやるんだい? 私たちにも出店を開かせて欲しいのだが……」と商談を持ちかけられたりもしました。
フリーマーケットの話は平民にまで広がっているらしく、「楽しそうだ」「平民も真似てやってみても良いだろうか」などと、城下では噂されています。
そんな話を従者から聞かされ、王子さまはとても驚きました。
「次……? 次があるのか? 次を、期待されているのか……?」
「ええ、ええ! そうです王子さま。貴方さまが企画された催しを、たくさんの民が心待ちにしているのです!」
「たくさんの民が……私を……」
王子さまは、なんだか熱くぐるぐるとした感情が胸に込み上げてくるのを感じました。
何かをやり遂げて誰かに喜ばれるという経験は、引きこもってばかりの王子さまには初めての経験だったのです。
「やりましたね、王子さま。王子さまの頑張りが、多くの民に届いたのですよ」
言いようのない感情に立ち尽くす王子さまに、お姫さまは優しく笑いかけます。
王子さまはやっと、自分の胸いっぱいに広がる思いが、「感動」という名のつくものだと理解しました。
「ああ……ああ……! ……だけどまだまだだ、次を期待してくれている民がいるのなら答えなければ。ーーまた協力してくれるかい、姫」
「ええ、もちろんですわ」
そうして王子さまとお姫さまは、一度きりのはずだったフリーマーケットを、再び開催することに決めたのでした。
◇◆◇
それからふたりは、何度もフリーマーケットを企画しました。
あるときは大商人と協力し豪勢に、あるときは平民限定で慎ましく。売り上げをすべて慈善事業に寄付する、チャリティーイベントとして開催したこともありました。
そのうち出店者も増え、古物だけではなく、多くの種類の店が並ぶようになりました。
たとえば飲食店が屋台を出したり、個人が趣味で作ったハンドメイド作品を出したり、お姫さまが隣国の特産物店を開いたこともありました。
もはや『フリーマーケット』という言葉では収まらない、お祭りのような盛り上がりです。
この噂を聞きつけて、地方や他国からの観光客も増えました。
王都以外の領地でも、このフリーマーケットを真似た催しが開かれるようになりました。
今ではもう王都だけでなく、国中が賑わいを見せていました。
◇◆◇
ーーさて、このように何事も順調そうに見える王子さまですが、ひとつ重大な悩みがありました。
「私と姫の関係、婚約者同士というよりビジネスパートナーではないか……?」
そう、婚約者であるお姫さまとの関係のことです。
真面目で仕事熱心なお姫さまは、口を開けばフリマの企画・運営についての話ばかりします。そうでなければ掃除の話です。この前も内緒で新しいアニメグッズを買ったことがバレて怒られたばかりでした。
もともとが王子さまの汚部屋を掃除させるためにできた縁談ですし、フリマの運営についても手伝ってもらっている立場です。お姫さまの働きに文句などひとつもないのですが……
王子さまだってやはり年ごろの男の子、好きな女性とはそれなりに恋人らしい関係を築きたいと思っているのです。
「こういうときはやはり、男の私から何かアクションを起こすべきなのだろうか!?」
切羽詰まった王子さまは、とある夜会にて、自分の周りに集まっていた貴族令嬢たちに相談してみることにしました。
「あらまあ王子さま、今はゆっくり愛を育むときですわ。相手のペースを待ってあげる度量も男性には必要ですわよ」
「仕事の話ばかりなんてずいぶん冷たい婚約者なのね。わたくしならそんな寂しい想いはさせなくてよ?」
「それよりも王子さま、今度フリーマーケットに合わせて旅芸人がやってくることをご存知ですか? わたくし、チケットを持っていますの。ご一緒にいかが?」
しかし返ってきた答えは、すべてふたりを邪魔するものでした。
それもそのはずです。フリーマーケットの成功からこっち、王子さまの株は爆上がり。空前のモテ期が来ていたのですから。
今までは汚部屋王子、引きこもり王子と悪い噂ばかりが流れていましたが、そうは言っても身分は王族で次期国王。お妃さま譲りの美しい見た目に、企画したフリマを大成功させた実績までが追加されたのです。
それを見逃す女性などいるはずもなく、この夜会でも、はじまるや否やワンチャン狙う女性たちに囲まれていました。
「すまない、フリーマーケットの日はいつも視察に回っているんだ。それに仕事熱心なのは姫の美点で、冷たいなんて思ったことは一度もないよ」
「「「…………」」」
しかし王子さまは彼女らのアピールにも気づかず、華麗にスルーしてその場を去りました。
(恋愛の相談なら女性の方が詳しいかと思ったが、あまり役立つ答えはもらえなかったなあ)
王子さまは、スルーされた女性たちの表情にも気づかず呑気にそんなことを考え、ふらふらと歩き出しました。
(普通の女性相手なら宝石やアクセサリーを贈るんだが、姫は喜ばないだろうし。やはり今度、デ、デートとかに誘ってみようか……!)
思えば一緒に掃除器具を買いに行ったり、フリマの視察に行ったりはしましたが、まともなデートは一度もしたことがありませんでした。
(これはいい考えだぞ! ではさっそく姫を誘って…………ん?)
降って沸いた名案に心を躍らせていると、お姫さまが同い年くらいの貴族令嬢と話しているのが目に入りました。
相変わらず質素なドレスを纏うお姫さまに対し、相手の女性は華やかなドレスを美しい宝石でさらに飾り立てており、ふたりを知らない人が見たらきっと身分を勘違いしてしまうだろうと王子さまは思いました。
話しているときの態度も真逆で、にこやかな表情を扇子で隠す貴族令嬢に対し、お姫さまは無表情のままピクリとも動きません。
(掃除に関わることでなければ)クールで冷静なお姫さまの性格を王子さまは気に入っていましたが、これには少しだけ苦笑いをこぼしました。
(いずれはこの国に嫁ぐのだから、もう少し我が国の貴族と打ち解けてもらいたいが……)
まあ、掃除に関わる時にしか見せないあの笑顔を独り占めしているというのも、悪くはないのだけれどーー
などと考えていると、王子さまの登場に気づいたご令嬢は、小さく会釈してその場を去って行きました。
「やあ、姫。君が同じ年頃の令嬢といるなんてめずらしいね。何を話していたんだい?」
「……大した話ではありませんわ。フリーマーケットについて、王子さまを大変褒めていらっしゃいましたの」
「ふうん?」
すかさず声をかける王子さまに、お姫さまは相変わらずツンとクールに答えました。
王子さまは、「それは自分ではなく姫のおかげなのだがな」と心の中で思いつつ、「なんだかどこでもその話題でいっぱいだなあ」と笑いました。
「……王子さまも、あちらの令嬢とその話をしていたんですの?」
「えっ!?」
お姫さまからの問いに、王子さまは思わず声をうわずらせました。まさかお姫さまとの関係を相談していたなんて言えません。
王子さまはついつい誤魔化すように答えました。
「あ、ああ! も、もちろん! えーと、彼女たちも買い物を楽しんでいるようだったよ! なんだか有名な宝石商が訳ありの宝石を特価で出していたとか、そうだ、今度は旅芸人が合わせてやってくるだとかいう話もしていたな!」
どこか焦った様子の王子さまに、お姫さまは不審な目を向けました。
その目にさらに焦り、何か違う話題を、と王子さまは続けました。
「まあ、彼女たち自身はなにか出品したりはしていないようだけどね。やっぱり貴族令嬢というのは、自らそういうことに動く人は少ないみたいだ」
何気なく言ったその言葉に、お姫さまはピクリと表情を動かしました。
そんな様子に気づくことなく、王子さまは続けます。
「そうだ! 君、さっきどこかの令嬢と話していたとき、ずっと無表情だったろう? あれはいけないな。せっかくのパーティなんだから、もっとたくさんの人と歓談すべきだ。君は貴族と話すとなると、年配の男性と経済や政治の話ばかりするからな……」
「そう、ですわね……」
お姫さまの相槌に、やっと話を逸らせたと王子さまはほっとしました。
ほっとした王子さまは気づきませんでした。自分の後ろで小さく、
「……そうですわよね。それが女性の、当たり前の姿ですわよね……」
そう呟くお姫さまの姿に。
◇◆◇
王子さまが初めてフリーマーケットを開催してから、もうどれくらいの時間が経ったでしょう。
今では、フリーマーケットは月に一度の恒例行事になっていました。
「ずいぶん賑やかだなあ」
王子さまは、広場いっぱいに集まった出店を見てつぶやきました。恒例となった今もフリマは盛況が続き、この光景ももう見慣れたものです。
最初こそ自分の私物を売りに出していた王子さまですが、今では出品はメイドたちに任せてフリマ会場を視察するようになっていました。
活気と笑顔あふれる広場を散策するのは、王子さまの最近の楽しみのひとつです。
「まあ、欲を言えば姫と一緒に歩きたかったけれど……」
「わがまま言わないでください、王子。お姫さまは隣国からの出店を手伝ってらっしゃるのですから」
「わかっているさ……」
お供の従者とそんな会話をしながら歩いていると、ふとひとつの出店が目に入りました。
平民区画らしく質素な見た目で、古物ではなく手作りのお菓子やアクセサリーなどを売っているようでした。
「平民区画ではハンドメイド作品を売る店が多いな。質はプロには劣るが、安価なため子どもの客が多いようだ……ん?」
さまざまな商品が並ぶなか、ひとつの髪飾りが目に留まりました。
青薔薇を象ったと思われるそれは、王子さまの最推しキャラである、魔法少女☆まじかるブルーローズちゃんの付けている髪飾りとそっくりでした。
「これ、姫に似合いそうだなあ……」
王子さまはそっとその髪飾りを手に取り、呟きました。
平民の手作りの品など、王族が身につけるようなものではありません。だけど素朴な可愛らしさのあるその髪飾りは、姫の淡い銀の髪にきっと映えるだろうと王子さまは思いました。
(プレゼントしたら喜んでくれるだろうか……でも贈り物の類はいらないと言われたことがあるしなあ)
王子さまは悩みました。
もともとお姫さまとの仲を一歩進めたいと思っていたところです、贈り物をするというのは良いアイデアに思えました。
(それに一国の姫に平民の手作りアクセサリーを贈るというのも……いや姫はそういうのは気にしないだろうけど……むしろ高級品をあげた方が無駄遣いだと怒られる気もするけど……)
王子さまが頭を抱えていると、一人の少女が話しかけてきました。
「そちら、お買い上げですか? プレゼントなら簡単なラッピングもできますけど……って、あれ? お、王子さま!?」
「あっ、す、すまない! ちょっと購入するか迷っていて……他の客の邪魔になってしまったかな」
「いえいえそんな! めっそうもございません!」
この店の店員なのでしょう、そう声をかけてきた平民の少女は、相手が王子さまだと気づいた途端恐縮して身をすくませました。
その様子に申し訳なく思った王子さまは、できるだけ優しい笑顔を浮かべて尋ねました。
「この商品は全部君の手作りなのかい?」
「あ、いえ、全部ではないです。ここのお店は、私のいる孤児院の子どもたちが作ったものを売っているんです。たとえばその髪飾りは私が作ったものですが、こっちのお菓子は子どもたちが主導で作ったものです」
「孤児院?」
王子さまは思わず聞き返しました。
フリーマーケットはいまや平民にまで広がっていることは知っていましたが、孤児院の子どもたちまで参加しているとは思いもよらなかったからです。
「はい、これで5度目の出店なのですよ! 孤児院はむしろいただいた古物で生活していますから、フリーマーケットなんて関係ないと思っていたのですが……古物以外を出品している方も多くいると聞いて、手慰みでつくったものを売りに出してみたんです。裁縫が得意な者は孤児院には多いですから」
そうしたら思いの外好評でそれから続けて店を出していること、ハンドメイド作品だけでは店が成り立たないため子どもたちでも作れるようなお菓子も売るようになったこと、いつでも金欠の孤児院にとってこの臨時収入はとても大きかったこと……などなど、少女は楽しげに語ってくれました。
「だから私、王子さまにはとても感謝しているんです。このフリーマーケットのおかげで孤児院の子どもたち自ら稼げるアテができて、生活もずいぶん楽になりました。きっと私だけじゃなく、この国のみんなそうだと思います。お金のことだけじゃなくて、このイベント自体がとても楽しいんだもの。大変なことばかりの毎日に楽しみができたんです。全国民に代わってお礼を言わせてください。王子さま、本当にありがとうございます」
少女の直球な言葉に、王子さまは照れるのを隠しきれず頬を赤くしました。
「そ、そんな、感謝したいのはこちらの方だよ。私は企画しただけで、盛り上げてくれたのは君たち国民なのだから」
元をただせば自分の部屋の不用品を片付けるためにはじめたものだし……と心のどこかで決まり悪くなりながらも、自国民からの素直な感謝の言葉には純粋にうれしく思いました。
「そうだ! 王子さま、もしよかったらその髪飾り、もらってくれませんか?」
「え、いいのかい?」
「はい! 私からのお礼の気持ちです。……なんて、こんな平民の手作りの髪飾りなんて、王子さまにとってはゴミみたいなものでしょうけど……」
「いや、そんなことはない! むしろ一目見て気に入っていたんだ。ありがとう……大切にする」
「お、王子さま……!」
王子さまからの優しい言葉と笑顔に、少女は顔を真っ赤にして感動しました。
簡易なラッピングを頼むと、少女は思っていたよりもずっと気合の入った装飾を施してくれました。
商品を受け取り代金を渡そうとすると案の定断られましたが、「大切な人への贈り物にするから」と言うとほほえましそうに笑って受け取ってくれました。
王子さまは改めて礼を言い、その場を去りました。
(孤児院にまで影響が広がっているなんて予想もしなかったな。それもあんなに感謝されるなんて……むしろその言葉を受け取るべきなのは姫のほうだろうに。やはり私の方から改めて礼を言うべきだ)
手のひらに収まる髪飾りを眺めながら、王子さまは考えました。この髪飾りを、今までの感謝の気持ちだと言って渡そうと。
フリーマーケットは、王子さまとお姫さま、二人が協力して成し遂げたいわば初めての共同作業です。それに心から感謝していると言った少女が作った髪飾りーーそれはお姫さまに贈る初めてのプレゼントとして、この上ないものに思えました。
そしてまるでビジネスパートナーのようだったふたりの関係も、これを贈る時に一歩前進させたいと王子さまは思いました。
そう、たとえば、きちんと愛の言葉を伝えるとかーー
……想像だけで緊張してしまい、王子さまは頬を染めたまま小さく咳払いをしました。
「……王子さま……?」
するとどこからか声をかけられ、王子さまは急いで振り返りました。
「姫! どうしたんだい、こんなところで。自国の店の手伝いをすると言っていなかったかい?」
「……客足が落ち着いたので、休憩をいただいたのです。ちょうど王子さまが視察に出ていると聞いたので、お会いできないかと思って……」
「そ、そうか。私に会いに……」
声の主はお姫さまでした。
自分に会いにきた、なんてかわいいことを言うお姫さまに、王子さまは照れて目を逸らしました。
そんな王子さまを見て、お姫さまは静かに問いかけました。
「……今の方はどなたですか?」
今の? と王子さまは首を傾げました。
軽く俯いているせいでお姫さまの表情がよく見えません。
「ああ、さっき寄ったお店の女の子のことかな?」
「ええ。なにか購入していたように見えたので……」
「えっ!?」
王子さまはドキリとしました。サプライズでプレゼントしようとしていたのに、まさか購入しているところを見られるなんて……。
いっそ今渡してしまおうかとも思いましたが、こんな往来で愛の言葉を伝えるのはさすがに気が引けます。
せめてもうちょっと雰囲気のあるところで渡したい……!
そう思った王子さまは、とりあえず適当にごまかすことにしました。
「き、気のせいじゃないかい? 私はただ、視察の一環としてあの店を訪ねただけだぞ。それにあの店にあったのは女性向けの商品ばかりで、男の私には必要ないものさ」
ペラペラと並べられる言い訳を、お姫さまは黙ったまま聞いていました。
「店員の女性と少し話していたからそう見えただけではないかな、きっと。最近は街を歩いているだけで話しかけられることも増えたからなあ」
王子さまのその一言に、お姫さまはようやくピクリと反応し、独り言のように小さくつぶやきました。
「どうして、嘘をつくんですか……?」
「……え?」
王子さまはギクリと肩を揺らしました。
嘘だとバレたこともですがーー顔を上げたお姫さまの瞳に、うっすらと涙の膜が張っていたのが見えたからです。
「ひ、姫……?」
「お話に夢中で気づかなかったのですね。わたくし、ずいぶん前から王子さまを見つけていましたのよ。何かを購入したのも、何か楽しそうにお話していたのも、ずっと見ていたのです。……王子さま、女性用の商品しかないお店で、わたくしには言えないような何を、購入したというのですか?」
「ま、待ってくれ! 何か勘違いしていないかい? モノを買ったのも彼女と話していたのもたしかに事実だが……」
「事実なら、なぜ嘘をついたのです。なぜわたくしに、言えなかったのです……? また無駄遣いしたと怒られると思ったのですか? それとも、わたくしには言えない誰かへの、贈り物でも買ったのですか?」
「ち、ちが……っ!? 私が君以外の誰に贈りものをするというんだ! これは、君に渡そうと思って買ったんだ!」
「……え?」
何か誤解している様子のお姫さまに、王子さまは焦って髪飾りを差し出しました。ムードもへったくれもありませんが、勘違いされたままよりもずっとマシです。
これを渡し、今までの感謝と愛の言葉を贈ろうとした瞬間、
「……まだ、嘘をつくのですか」
お姫さまのした返答は、予想もしないものでした。
「わたくし、贈り物の類はいっさいいらないとはじめに言ったはずですわ。そんなわたくしのために何かを買っただなんて、到底信じられません」
「な……っ!?」
王子さまは驚き言葉に詰まりました。
たしかにそう言われたことは覚えていますが、それでもお姫さまに贈り物をしたいと思ったのは本当です。
それを信じられないと言われたら、王子さまとしてはもうなにも言えなくなってしまいます。
「そんなこと言われても、本当に君に買ったんだよ。髪飾りなんだ。きっと君に似合うと思って、一目で気に入ってしまって……」
「嘘ですわ。わたくしが髪飾りなんてつけないのは、王子さまもご存知ではありませんか」
「それはもちろん知っているけど……!」
王子さまはほとほと困り果ててしまいました。どうしてここまで疑われなければならないのでしょう。
そもそも贈りものなんていらないというお姫さまに、何かを買ってあげようとしたことが悪かったのでしょうか?
ただ、喜ぶ顔が見たかっただけなのに。感謝を、愛を、伝えたかっただけなのに。
そう思うと王子さまもだんだんイライラしてきました。
勇気を出して愛を伝えようと思っていたところに、出鼻を挫かれた悔しさもありました。
「ああもう、君がこんなに強情な人だとは思わなかったよ!」
「な……っ! そもそも王子さまがわたくしに嘘を着いたのが悪いのではありませんか!」
「それでも、すぐに事実を言っただろう!? それを信じないと頑なになったのは君の方だ!」
ーーあとはもう平行線でした。
王子さまの嘘を暴きたいお姫さまと、嘘なんてついていないという王子さま。お互いに言い合うだけ言い合い、売り言葉に買い言葉、ついに王子さまはその言葉を発してしまったのです。
「もういい、ここまで私を信じてくれない女性と、このさきずっとやっていけるものか! 君との婚約は、ーー破棄させてもらう!」
◇◆◇
かくして婚約破棄の噂は、瞬く間に広がりました。
それと同時に、王子さまには新しい縁談の話が数え切れないほど舞い込みました。
夜会やお茶会では今までの比ではないほどの女性に声をかけられ、あらゆる方法で王子さまにアピールしてきます。
年配の貴族たちも、折につけて自分の娘や親族の令嬢を婚約者にと推してきます。
「いいかい王子、女性なんて世の中には星の数ほどいるんだ。たった一人にフラれたからって不貞腐れてはいけないよ」
「そうですわ王子。縁談ならこの母がいくらでも持ってきます。他にはどんなキャラクターが好みなんですの? 次はその子にそっくりな女性を必ず見つけ出しますわ!」
「「だからお願い、部屋を元通りにはしないで!!!」」
国王夫妻はそう言って、消沈している王子さまを元気づけようと、また部屋を散らかす暇すら与えないようにと、毎日のように夜会を開くようになりました。
王子さまはそれに応えるように夜会に出ては、たくさんの女性と触れ合いました。
貴族も平民も、年下も年上も、国すらも超えてたくさんの女性と出会いました。
お姫さまよりも豪奢で美しい見た目の女性、豊満な体を持つ女性、にこやかで愛らしい女性、謙虚で大人しい女性……たくさん、たくさん出会いました。
だけど王子さまは、その中の誰も選びはしませんでした。
王子さまを慰めるための、派手で豪勢なパーティを眺め、「この様子を姫が見たらどう思うのだろうか」と、ぼんやり考えるだけでした。
◇◆◇
「そういえば王子さま。以前の婚約者さまとは、どうして婚約破棄に至ったのでしたっけ?」
とある日の夜会にて、自分を取り巻く令嬢のひとりにそう尋ねられました。
扇子の奥で細められた瞳に、「おそらくこの女性は知っていて聞いているのだろうな」と思いつつ、「贈り物をしようとしたら断られたんだよ」と一言だけ返しました。
「まあなんてひどい婚約者さまなのかしら! ああ失礼、元、婚約者さまでしたわね」
「せっかくの贈り物を断るだなんて、高慢ちきな女性ですわ!」
「本当に、王子さまがお可哀想!」
すると判で押したように、お姫さまを非難し王子さまを慰める声が返ってきます。
これは王子さまにはもう慣れたやり取りでした。婚約破棄に至った経緯を聞き出して、元婚約者であるお姫さまと比べて自分を持ち上げるための会話術なのだと、しばらく前に気づきました。
王子さまは彼女たちの言葉を半ば聞き流しながら、
「本当に愛している方からの贈り物なら、どんなものでも喜んで当然ですのに!」
その言葉だけが、どこか心の隅に引っかかるのでした。
◇◆◇
そうしてまた、月に一度のフリーマーケットの日がやってきました。
王子さまはいつものように、従者とともに会場を見回っていました。
今回はお姫さまの補佐がない分忙しく、広場をゆっくり見回るのはいい気分転換になりました。
なんともなしに歩いていると、以前お姫さまへの髪飾りを買ったお店にたどり着きました。
今回もまた、可愛らしいハンドメイドのアクセサリーや、子どもたちが作ったであろうお菓子が並べられています。お菓子の方はよほど売れ行きがいいのか、すでに残り少なくなっていました。
「あ、王子さま! また来て下さったんですね!」
すると、この前の店員の少女に声をかけられ、王子さまは笑顔で応対しました。
「やあ、久しぶり。相変わらず盛況のようだね」
「はい、おかげさまで! 子どもたちの作るお菓子がなかなか好評なので、今回は新しいレシピにも挑戦してみたんです」
「ほう、なかなかおいしそうだな」
少女はそのまま、自分が作った商品の紹介や、王子さまのことを子どもたちに話したらとても羨ましがられたことなどを話してくれました。
自国民の微笑ましい話題に表情を緩めていると、
「そういえば王子さま、以前購入された髪飾りは、お相手の方には喜んでいただけたでしょうか?」
「ぶふぅッ!?」
突然聞かれたくなかった話題に突っ込まれ、思い切りむせてしまいました。
「前回のフリマのあとすぐ、王子さまが婚約破棄されたと聞きました。それで、もしかして私の髪飾りが原因なんじゃないかって、心配で心配で……」
「え、えっと、それはだな……」
申し訳なさそうに目を伏せる少女に、王子さまは慌てました。
あの髪飾りが婚約破棄のきっかけになったのはそのとおりですが、まさか受け取ってもらってすらいないとは口が裂けても言えません。
少女に非があるわけでもなし、どう宥めすかすか考えていると、
「あら、王子さま! こんなところで会うだなんて、奇遇ですわね!」
天の助けか、一人の貴族令嬢が王子さまに声をかけてきました。
「君は……ええと、夜会でよく会う……」
「まあ、覚えていてくださったのね! 王子さまが毎回フリーマーケットの視察をしていると聞いて、探しておりましたの。まさかこんな平民区画にまで顔を出しているとは思いませんでしたから、こちらにいると聞いた時は驚きましたわ」
それは、夜会などで王子さまを囲んでいる取り巻き女性のひとりでした。
王子さまと偶然会ってもいいようにか、服装も化粧もビシリと決めた彼女はいかにもな貴族令嬢で、平民しかいないこの区画ではいささか目立っていました。
「ところで、こちらはなんのお店ですの?」
「ああ、ここは孤児院の子どもたちがやっているお店で……」
ご令嬢の問いかけに答えながら、王子さまは思い出しました。このご令嬢は、以前の夜会で「想い人からの贈り物はなんでも嬉しい」と言っていた女性です。
こんなところまで王子さまを追いかけてくるような熱烈な方です、もしかしてお姫さまには断られた髪飾りも、彼女なら喜んで受け取ってくれるのではないかーー
そう考えた王子さまの耳に飛び込んできたのは、それとは真逆の言葉でした。
「まあ、孤児というものはゴミを売る趣味がおありなので? それとも平民の方にゴミを買う趣味があるのかしら。こんな、紐を編んだだけのブレスレットの紛い物や、小麦粉を丸めただけのクッキーの紛い物で商売ができるのね。わたくし、勉強になりましたわ」
ご令嬢は、わざとらしく驚いてそう言いました。
細い指を口元に当てるその仕草すら嫌みたっぷりで、後ろにいた少女が小さく息を呑むのが王子さまにもわかりました。
王子さまは驚き諫めます。
「なんてことを言うんだ! ここにある商品はすべて彼女たちが心を込めて作ったものだぞ!?」
「彼女? ああ、そこの平民のことですか。嫌ですわ王子さま、あなたほどのお人がそんな見窄らしい女と会話なんて……。そんなことより、わたくしと一緒にフリーマーケットをまわりませんか? 今日はわたくしのお気に入りのジュエリー店が出店しているのです。ぜひ髪飾りを見立てて欲しくて、王子さまを探しておりましたのよ!」
ちっとも話を聞かないご令嬢に、王子さまはとうとう怒ってしまいました。
「私は今視察中だ、それを投げ出し貴女とともに行くことはできない! だいたい、平民とはいえ彼女は我が国の国民だ! 自国民相手にそんな無礼な態度をとる貴女に、なぜ私が髪飾りを選ばなけれなならないのだ!」
激昂する王子さまにそのご令嬢は不満そうな表情を浮かべましたが、このままでは王家の不興を買ってしまうと判断した彼女の従者たちが、半ば無理矢理王子さまから引き離しその場から去って行きました。
「ーーすまない、私のせいで騒ぎになってしまったな」
「えっ!? い、いえ王子さまのせいでは……!」
王子さまは振り返り、今までのやりとりを困った顔で見守っていた少女に謝りました。
少女は王族からの謝罪に焦り、ワタワタと両手を動かしました。
「……あの、もしかしてさっきの方が、噂の王子さまの婚約者さまなのでしょうか……? それなら、私の作った髪飾りが気に入られないのも当然ですよね。やっぱり婚約破棄は私のせいで……」
「えっ!? ち、違う! 彼女はただの知り合いで、あの髪飾りは彼女には全く関係ないよ!」
「そうなのですか?」
凹んだ様子の少女に、王子さまは強く否定しました。
「ああ、違う。私の……元、婚約者は、身分で人を判断する人ではないよ。……少なくとも、私はそう信じていたから、君の作った髪飾りをプレゼントに選んだんだ」
まあ、その信頼は裏切られたわけだけれど……。
王子さまは心の中だけでそう呟きました。嘘も方便というやつです。これ以上少女を傷つけることは言うべきではないと思ったのです。
そんな王子さまに少女は、
「そっか……そうですよね! この素晴らしい催しを王子さまと一緒に運営されていた方が、そんなひどい人なわけないですよね!」
そう笑顔で言い放ちました。
「え……?」
「だって、このフリマって、貴族も平民も関係なく楽しめるお祭りじゃないですか。貴族の方が考えるイベントが、こんなにすぐに平民にまで広がるなんて今までじゃ考えられないことですよ! しかも、私たち孤児にまで恩恵があるなんて……。だからこの企画を考えた方は、本当にすごい方なんだろうなって思っていたんです。きっと貴族だけでなく、私たち平民のことまで考え抜いてくれた、お優しい方なんだろうなって」
少女のその言葉に、王子さまハッとしました。
そうして思い出しました。お姫さまと二人、このフリーマーケットを成功させるために何度も何度も話し合った日々を。貴族も平民も、売る側も買う側も、全ての目線に立って心を砕いてくれていた、お姫さまの姿を。
それを皮切りに、さまざまな記憶が思い出されました。
最初は王子さまの汚部屋の片付けから始まったこと。文句も言わず、根をあげる王子さまを見捨てることもなく、最後までそれに付き合ってくれたこと。大掃除が終わればフリーマーケットの案を出してくれ、その運営まで王子さまの補佐として尽くしてくれたことーー
思えばお姫さまは、王子さまがただの嫌われ王子だった頃から、いつだって一番そばで支えてくれた女性でした。
今の取り巻きの令嬢たちが見向きもしなかった頃から、この少女のような平民たちが王子さまの悪い噂で嘲笑っていた頃から、本当の王子さまを受け入れ、そしてともに努力してくれたのは、間違いなくあのお姫さまだけでした。
そうして考えました。
どうしてそんなお姫さまが、あの時だけはあんなに頑なに王子さまの言葉を信じてくれなかったのかと。
何か理由があったのでは? 何か自分たちの間に、ボタンの掛け違いがあったのでは……?
(姫ともう一度話がしたいーーいや、しなきゃいけない。たとえ話し合った末に、今度こそ完全にフラれてしまったとしてもーー)
そう思い至った王子さまは、勢いよく顔をあげ少女に振り返りました。
「すまない、行くところができた。騒がせてしまって悪かったな。そうだ、お詫びに子どもたちが作ったという菓子を売ってくれないか?」
「い、いえ! お詫びされるようなことは何もありませんから!」
少女は王子さまからの申し出に、大きく首を振って言いました。
「それに、王子さまがいらっしゃる前にお菓子を大量に買っていかれた方がいたんです。その上王子さまにまで買われたら売るものがなくなっちゃいますから」
「そういえば、残り少なくなっていたな」
「はい、ですから大丈夫です。そういえばその方に、私の作ったアクセサリーを褒められたんですよ! とても綺麗な方で……きっとあの方も貴族の方だと思うんです。先ほどの女性のように派手な格好ではなかったけど、溢れ出る気品みたいなのがあって……そんな方に褒められたから私、嬉しくて嬉しくて!」
嬉しそうに語る少女に、王子さまはハッとして問いただしました。
「それはもしかして、長い銀の髪に青い瞳の、私と同じ年頃の女性かい!? 貴族とは思えないほど質素な服を着て、体型は細く頼りなくて、いつだって無表情で……」
「え、ええ。その方だと思います。もしかしてお知り合いですか?」
「ああ、きっと姫だ……! それで、彼女はいつここに? どこに行ったかわかるかい!?」
張り詰めた様子の王子さまに、少女は戸惑いながらも答えてくれました。
「ここに来られたのはつい先ほどです。ほとんど王子さまと入れ替わりでいなくなったので。どこに向かったのかまでは流石に……。……あっ、そういえば今日は天気がいいから、『このお菓子を持って薔薇園を散策でもしようか』と言っていたような……!」
「っ! それだ、ありがとう!」
王子さまは今日一番のーーいえ、お姫さまと別れて以来の笑顔を見せて、少女の元を去りました。
◇◆◇
ーー噴水広場の中央、白亜の噴水とそれを取り囲む青の薔薇園で、王子さまの探しものはすぐに見つかりました。
お姫さまは黄昏れるように、ベンチに腰掛け休んでいました。
そういえばお姫さまは、いつかここでのんびりピクニックをしたいと言っていたことがありました。
いざフリーマーケットが始まるとお互い忙しく、ふたりでこの場所を訪れる機会はありませんでしたがーー
(別れてからやっと叶うなんて、皮肉なものだな)
お姫さまの両手には、先程の店で売っていたお菓子の袋が握られていました。
中身はすでに空で、お姫さまがそれを食べただろうことは一目瞭然です。あの貴族令嬢が「ゴミのようだ」と評した、そのお菓子を。
「ーー姫」
静かに声をかけると、お姫さまはハッとしたように振り返りました。
青の瞳に王子さまを捉えると、驚き立ち上がり、一度だけ逃げるように体を翻しました。
ですが、隣国の王子に対し流石に非礼だと思ったのか、体勢を正し深く礼をしました。
「……お久しぶりです、王子さま。この度は挨拶のひとつもしないで、申し訳ありません」
「いや、そんなことはいい。君も一緒に始めたことだ、気になって来てくれたんだろう?」
「ええ……」
……そのまま、なんとも言えない空気が流れました。
勢いのままお姫さまを追いかけていた王子さまですが、いざ目の前にするとどう切り出していいのか、そもそも何を話せばいいのかわからなくなっていました。
ただ、久しぶりに見たお姫さまは、やっぱりとても綺麗だと思いました。
平民と変わらないような質素な装いなのに、この薔薇の海でもかき消されない凛とした存在感。風に揺れる銀の髪や、冷たい氷のような瞳や、折れそうなほど細い手足。
最初はそんな彼女の見た目が、ただただ好みなだけでした。
だけどいつしか、自分の好きなことには一直線なところ、他人の大切なものまで大事にしてくれるところ、仕事熱心で真面目なところ、だけど真面目すぎてなかなか遊びにも誘えないところーー
そんな、お姫さまを形作る全てのことが、愛しくて愛しくて仕方なくなっていました。
初めて出会った時と同じ、いえそれ以上に強い気持ちで惹かれているのだと、王子さまは痛感しました。
「……話があるんだ。君と、姫と話がしたくて、探していたんだ……」
王子さまがそう言うと、お姫さまは驚いたように目を見張りました。
「え、ええと……ま、まずは謝らせてくれ。……すまなかった。君の話を全く聞かず怒ってしまったこと、それから、一方的に婚約破棄なんて突きつけてしまったことも……。そして、わがままを承知の上で言わせてくれ。ーーもう一度、私とやり直してくれないか? 婚約破棄を、……なかったことにしてほしい」
王子さまの申し出に、お姫さまは目に見えて戸惑いました。
当然です。お姫さまからすれば、突然婚約破棄を切り出され、また突然なかったことにしてくれと言われているのですから。
「本当に、すまなかった……。あの時は頭に血が上ってしまって、君の話をちゃんと聞いてやろうともしなかった。そのことに今日、やっと気がついたんだ。……思うに、私たちの間には何か誤解がある。それを解消したい……もう一度君と、きちんと話がしたいんだ」
「……」
お姫さまは王子さまの目を真っ直ぐ見つめ、その言葉を黙って聞いていました。
そして、一度小さく息をつくと、ゆっくりと話し始めました。
「そんなふうに言っていただいて、とても嬉しいですわ。ですが……婚約破棄をなかったことに、というのは、やはり受け入れられません」
「……っ!」
断られることは予想はしていましたが、お姫さまの言葉に王子さまはショックを受けました。
お姫さまは続けます。
「元々は、王子さまのお部屋の掃除のために結ばれた婚約です。それが解決し、フリーマーケットも波に乗った今、わたくしと婚約を続ける必要性は、王子さまにはないではありませんか。わたくし以外の誰かに心惹かれたって、それをわたくしは責められはしません」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 私は君以外の女性に惹かれてなんていないぞ!?」
「今現在そうであっても、これからはわからないではありませんか! 毎晩のように夜会を開いて、たくさんの女性とお会いしているんでしょう!?」
「それは、そうだが……」
「わたくしは、彼女たちのように着飾ることも、愛らしい態度で微笑むことも苦手です。こんな女、王子さまの隣には相応しくありませんわ……」
「っ、そんなことはない!」
お姫さまからの思わぬ言葉に、王子さまは強く否定しました。
ですがお姫さまは、
「そんなことあるから婚約破棄なんて言い出したんでしょう! まだわたくしと婚約関係にある時だって、貴方は夜会やお茶会があればたくさんの女性に囲まれて、視察に出れば平民の女性とだって談笑して……。その姿を見るたび、とてもつらかった。同じように振る舞えない自分の可愛げのなさを、突きつけられているみたいで……。掃除のことや、仕事のことに口を出すたび、こんな口うるさい女、男性から嫌がられて当然だと思って……だけど、一度引き受けたことを途中で放り出すこともできなくて……」
涙ながらにそう訴えるにお姫さまに、王子さまはただただ驚きました。
いつだって冷静で、澄ました顔をしていたお姫さまのこんな本音を聞いたのは、はじめてのことでした。
そうして同時に、じわじわとくすぐったい気持ちが湧き上がって来ました。
だってそれは、詰まるところ、お姫さまの言い分は……
「それって……ヤキモチ妬いてたってこと?」
「……〜〜〜〜ッ…!!!!!!」
王子さまの一言に、お姫さまはボフンっと顔を赤くしました。
自分の悩みや苦しみを「ヤキモチ」の一言で片付けられて、だけどそれはたしかに否定しようのない事実で……そんな複雑な気持ちが詰まった表情に、王子さまは思わず吹き出しました。
同時に後悔もしました。
お姫さまが心の中ではこんなことを考えていたなんてーー自分がもっと感謝の言葉や愛の言葉を伝えていたら、こんなに傷つけることもなかったのにーーと。
ーーそうして王子さまは覚悟を決め、お姫さまに語りかけました。
「姫、聞いて欲しい。私は君が思うように、ほかの誰かに惹かれたことはない。私はーー君のことが好きだから」
その言葉に、お姫さまはハッと息を飲みました。
「最初は一目惚れだったんだ。正直、とても、見た目が好みだったから。だけど君が掃除好きだと聞いて、とても焦った。私の大事なコレクションを、全部捨ててしまうような人だったらどうしようって。……だけど君はそれをしなかった。私の宝物を、まるで自分の宝のように扱ってくれた。それを大切にする私ごと、『私』を受け入れてくれた。ーーだから私は、変わろうと思えた。一生この汚い部屋に引きこもって生きてたっていいと思っていたけど、君が隣で支えてくれるなら、頑張れると思った。そして君は本当に最後まで、私を支えてくれた。私でも変われるんだと教えてくれた。新しい価値観をくれた。フリーマーケットのこともそうだ。あれだって、君の案と補佐がなければ、到底成功なんてできなかった。そのおかげでこの国は潤い、私自身、たくさんのものを得た。君は夜会のたびに私が女性に囲まれていると言ったが、それだって君が私に与えたものだ。君と出会う前の私の周りには人っ子一人いなかったし、そもそも夜会にすらほとんど顔を出さなかったよ。……君が私を変えてくれたんだ。今の私がいるのは君のおかげで、私は今の自分がとても好きだ。そんな私が、なぜ君以外の人に惹かれるんだい。……君が好きだよ、とても。本当はあの時だって、それを伝えたくてこれを渡したかったんだ」
王子さまはそこまで言って、件の髪飾りをお姫さまに渡しました。
苦い記憶しかないものなのに、あれ以来どうしてか手放すことができず、いつも持ち歩いていたのです。
「これは……」
「あの時喧嘩の種になった、あの平民の店から買った髪飾りだよ。……開けてご覧」
王子さまが促すと、お姫さまはおずおずと包装を解き始めました。
いつでも持ち歩いていたせいで、店員の少女がしてくれた装飾も今ではもうぐちゃぐちゃです。
「これは、青薔薇……? 可愛らしいですね、作りも丁寧で……」
素朴な愛らしさのあるその髪飾りに、お姫さまはふと笑みをこぼしました。
柔らかいその表情に王子さまは少しホッとして、
「覚えているかい、それは平民の手作りの店で買ったものだって。あの店は孤児院の子どもたちがやっている店なんだ。君も今日訪れたみたいだから、もう知ってるかな」
「え、ええ。わたくしも聞いて驚きましたわ。作るお菓子も、とても美味しくて……」
「うん。それで、これを買う時に言われたんだ。このフリーマーケットで孤児院は新たな収入源を手に入れて、生活が楽になったと。だからこれを始めた私や君にとても感謝していて、お礼にこの髪飾りをもらって欲しいと」
「え……?」
「格好つけて私からの贈り物なんて言ったけど、正確に言うならあの少女からの贈り物なんだよ。もちろん代金は私が払ったけどね。……一平民の作ったアクセサリーなんて、本来なら王族に贈るには相応しくないってわかっていた。だけど私から君に贈るものとしては、これ以上ないものだと思ったんだ。だってこの髪飾りは、私と君とで成し遂げたことの証じゃないか」
王子さまが言い切ると、お姫さまは目をくるりと丸くして、「本当にわたくし宛のプレゼントだったのですね」と呟きました。王子さまは苦笑いに頷きます。
「本当にいいのですか、わたくしで……」
「強情だな。これだけ言葉を尽くしても、まだ私を信じてもらえないのかい?」
「だって……たくさんの方に言われましたもの。こんな可愛げのない女、すぐに王子さまに見捨てられると」
「はっ!? そんなこと誰に……っ!」
言いかけていつかの夜会のことを思い出しました。
お姫さまが同じ年頃のご令嬢と話していたこと、相手は気味が悪いほどにこやかだったのに対し、お姫さまの方は凍りつくほどの無表情だったことーー
「王子さまにだって、もっと笑った方がいいと言われましたし……」
「ああああああれは……っ!」
王子さまは焦りました。
そんなところで最悪の一手を選んでいたとは気づいてもいなかったのです。
「あれは……っ! 冗談のつもりだったというか、えーと、その…………すまない、本当はただ話を逸らしたかっただけなんだ。あの時私は、取り巻きの女性たちに君とのことを相談したばかりだったから。その、君と、もっと恋人らしくなるにはどうしたらいいかと……」
「……へっ!?」
照れて真っ赤になってしまった王子さまに、お姫さまもつられて赤くなりました。
「そ、相談……そうでしたの……」
「そう……それに、口ではああ言ったけど、心の中では別に君は笑わなくてもいいと思っていたんだよ。君は、掃除の時だけ、私の前でだけ楽しげにしてるのが……とても可愛いと、思うから……」
初めて言った、言われた口説き文句に、ふたりはもう全身を真っ赤に染めて俯きました。
「……王子さま。これ、王子さまがつけてくださいませんか?」
そのうち、沈黙に耐えかねたお姫さまの方から、そう言って青薔薇の髪飾りを差し出しました。
「えっ? だ、だが、私は女性の髪の結い方なんてわからないぞ?」
「ええ、それでも、王子さまにつけて欲しいんです」
「そ、そうか……」
女性の髪になんて触ったことのない王子さまは、四苦八苦しながらもどうにか髪飾りをお姫さまの銀髪に結い止めました。
くしゃくしゃになってしまった髪に手を伸ばしながら、お姫さまは言いました。
「不思議。今までどんな綺麗なドレスも宝石も、欲しいと思ったことなんてなかったのにーー」
ーー貴方が選んでくださったというだけで、こんなにも嬉しいものなのですね。
そう言って笑ったお姫さまは、泣いて目も真っ赤だし、不器用な王子さまがいじったせいで髪もぐちゃぐちゃです。だけれど、やっぱり王子さまの目には、何より美しく映ったのでした。
「ねえ王子さま、どうかわたくしの話も聞いてください。わたくしも、あなたのことがーー」
◇◆◇
ーーむかしむかしあるところに、自分を飾り立てることが苦手なお姫さまがおりました。
一国の姫君だというのに、持っているドレスや装飾品の数は下級貴族のそれと変わりません。
そんなお姫さまにも唯一、大切にしている髪飾りがありました。
お姫さまが身に着けるにはいささか低質なそれを、誰かに尋ねられるたびお姫さまは答えました。
「愛する人からもらったものなら、どんなものだって嬉しいものよ」
どんな装飾品などなくとも美しく笑ってみせる彼女は、いつしか賢妃として、国中から愛されるようになったのでした。
めでたしめでたし