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106 懐石料理その1


「えぇー! 着てくださいよぉー!」


 コスの不満たらたらな叫ぶ声は聞かなかった事にして、今何時よ? と時計を見ればそろそろ慌てなくてはならぬ時間。


「ていいますかね、コスさんや。私、三十分前に来いって言いませんでしたっけ?」

「だって出来上がったし! 直したくなったら直す余裕があった方が良いし! 写真も撮りたいし!」


 この女には己の欲望しかないのだろうか。


「ええっと、和香さんはこのまま作務衣で、その方が浴衣とのバランスが良いと思うんです。でもせっかくご用意いただいたわけですし、男装はコスさんがされてはいかがでしょう?」


 茉里奈がどうどうどうと、馬を鎮める要領でシリコン製のインナーを当てがってお似合いですよ、などと詰め寄っている。浴衣というか、コスプレをさせられた上に被写体にされたのをちょっと怒っているのかもしれない。

 私の方が戦犯っぽいけど藪蛇っぽいので黙っておこう。


「じゃ、茉里奈、悪いけどコスよろしくね。私は準備を始めないと」

「あ、はい。すぐ降りますね」

「え、え、え、ちょっ……待って! 待って! 葛城さん! ストップ、スト……」


 目の端にコスのブラウスのボタンを外す茉里奈が写ったような気がしなくもないけれど、私は黙って一階に降りるのであった。

 ちょっと楽しみ。



 結局コスはスイッチが入ってしまったようで、少しして降りて来た茉里奈が、


「やっぱり自分用に仕立てたやつじゃないとダメだって、ご自宅に戻られました」


何故か少し残念そうに言った。

 戻って来ないんじゃないの、あいつ。

 などと思いながら二人で細々と準備をしていたら、ちゃんと戻って来た。

 きっちりと髪もまとめて、調理師と言うよりは、カウンターキッチンの似合う美中年男性になって店の入り口から入って来る。

 なんて言うか現実にはあり得なさそうな二次元ぽい風体。

 勿論第三ボタンまで開けたワイシャツからは件の偽胸筋が角度によってはほんの少し覗き、肩幅も胸板も厚い。

 多分元ネタがあるんだろうけれど、私にも茉里奈にも分かるはずもなく、取りあえず二人で携帯端末を向けたら嬉々としてプラスチック段ボール製の包丁を構えてくれた。

 これはこれで楽しいのかもしれない。


 次の来客は全く予想していなかった佐藤さん。


「こんばんはー。ちょっと早かったですかねー」


 時間ぴったりか受付で誰か捕まえてくると思っていたので、ちょっとびっくりした。


「いらっしゃい。全然大丈夫。遊んでた」

「そうなんですかー?」


 にこにこと、お土産です、と大豆をくれた。

 大豆?


 茉里奈とコスも挨拶を交わし、佐藤さんはすぐに話に加わった。

 ペタペタとコスの胸を確認している。

 そこなのか。


「高坂さんが着る予定だったんですかー?」

「ないない。そこの人が勝手に妄想してただけ」

「だって似合うと思いません? あのゴミかすを見るような目で包丁を持つとかしっくり来すぎません? 佐藤さんもどうですか? 血糊のついた看護師服とかめちゃくちゃ似合うと思うんですけど? 着ません?」

「ゴミかすを見るようなってー、それは殿山さんにしか向けられてないですよー」


 うふふ、と佐藤さんは楽しそうに笑っている。

 ちょっとディスられたような気が。佐藤さんもゴミかすを見るような目になっているに違いない。わちゃわちゃと全体的に可愛らしい空気なので良しとしよう。


 次にやってきたのは峰岸さん。

 茉里奈を褒めちぎってから、コスを見てすぐに視線を逸らしたのは年代のせいだろうか。

 それでも一応、お似合いね、と簡単に微笑んで、鞄から黒糖を出してくれた。

 早速受け取って水を加えて煮詰め、黒蜜にする。

 

 そこで丹羽先生がやって来て、外見だけ性別を変える時に生じる内面の変化について、とつとつとコスに訪ねていた。

 あれは興味があるんだろうか、ないんだろうか。

 困っているなら申し訳ないな。


 そろそろ土間に移動してもらって、食前酒の準備。

 小さなグラスに日本酒ベースで作った柚子酒を注いで、ノンアルコールの柚子ソーダは普通のグラスで作る。


「食前酒の後はどうしましょうか?」


 ここは大人な峰岸さんに聞いてみる。


「そんなに種類もないし、ウッドデッキに置いちゃったらどうかしら? その都度行ったり来たりも大変でしょう?」


 峰岸さんは言いながらちらっと佐藤さんを見た。

 佐藤さんはニコニコと頷く。


「そうですねー。中身が見えなければ味なんてどうにでもなりますからー、いっそ湯呑に水を入れて置いておいても良いのではないでしょうかー」

「……」

「嫌ですねー。冗談ですよー。意外と飲む時に視界に入るのでー、上手くいかないんですよねー」


 仲悪いのかな、この二人。


「じゃあ並べちゃいますね。後はコップと、氷と……」

「すみません、私はノンアルコールで、暖かいものを頂ければと」


 控えめに丹羽先生。

 飲みそうなのにちょっと意外。


「ティーサーバーとカップ、茶葉もいくつか出しておきますね。あ、食前酒も止めておきますか?」

「いえいえ、お付き合いで頂くのに丁度良いと思うんですよ。楽しみです」


 コスに質問しつつお品書きを見ていたようで、コスの長ったらしい説明はどうやら右から左に抜けているみたいだ。

 流石。


 茉里奈は話を聞いて黙々と準備を進めているので、バケツリレー状態で運んでいたら、職員組の三人が一緒にやって来た。


「こんばんわー」

「お邪魔します」

「失礼します。あ、お手伝いします」


 池橋さんに向井さん、山田さんは慣れた様子でバケツリレーに加わってくれたんだけれど、その後ろから池橋さんがひょいっと土間を覗き込んで目を丸くする。


「おお! とうとう筋トレに……って男だったのか!」


 コスは説明を途中でやめられないのか、気が付いていないのか、パタパタと手を上下させながら何事か切々と丹羽先生に語っている最中だ。

 池橋さんは嬉しそうにコスに近づいて、握った拳でトンとコスの左胸を叩く。


「うん? 随分柔らかい筋肉だな? ちょっと力を入れて……ゴム?」


 とか言いながら手のひらで押して指先にシリコンが触れたんだろう、池橋さんが固まった。

 私を含めて全員フリーズしてるけどね。

 ついでに池橋さんは固まりすぎてまだシリコン製の胸筋に手を置いたままである。

 そして峰岸さんが真っ先に復旧。

 ウッドデッキの上、置かれたお盆で池橋さんの手を払いのけて、ついでにコスの左胸もお盆でガード。


「男の子な訳が無いでしょう! どこに目を付けているの! 何年彼女の事を知っているの! 大体断りもなく人に……」


 峰岸さんがお怒りになってくれたのでフリーズが溶けた私は近くにいた向井さんに、


「わぁ、大変。向井さん、あとお願いしますね。私、準備しなくちゃ」


と口早に厨房に逃げる。


「大変ですね、手伝わなくては」


 人の事は言えないけれど、茉里奈も結構な棒読みでついてくる。

 向井さんは再フリーズ。

 山田さんはやれやれと、運んでいた酒瓶をウッドデッキに置き、佐藤さんは丹羽先生にシリコンとゴムの違いについて質問を始めている。


 茄子とオクラの煮びたしを小鉢に入れながら、聞き耳を立てていたら、暫くしてようやくコスの絶叫が聞こえてきた。


「これだからゴリマッチョは嫌いなんですよ!!!!」


 物凄い偏見である。




***




 帰ります、というコスをなだめすかして、乾杯だけは皆で土間で。

 ちなみに食前酒で乾杯をする場合もあれば、別の飲み物で乾杯をする場合もあるし、特に決まりはないみたい。乾杯用の飲み物をと声をかけたら各々好きに準備してくれたので助かった。

 で、挨拶はするべきと言われたので、しぶしぶ食前酒を持って口を開く。


「そもそもそこの佐藤さんのせいで懐石料理を作る羽目になったんですが、おかげでこういう機会が出来たので嬉しく思っています。

 個別にはお会いするかもしれませんが、このメンバーで一緒にと言うのは恐らく最初で最後でしょうか。始まる前からちょっと揉めたりもしてましたが、そういうのもこの人数だからこそで」


 しん、と皆して黙って聞いているのでちょっと恥ずかしくなってきた。


「成り行き任せのなし崩しではございますが、本日はお集まりいただきありがとうございます。楽しんでいってください。乾杯」


 軽くグラスを持ち上げると、乾杯、と口々に返ってきて、会は始まった。

 神妙にも、笑い転げられもしなかったのでホッとして、テーブルをぐるっと回ってから厨房に戻る。

 先付の煮びたしは既に運んでもらっているので、茗荷甘酢漬とシマアジでお寿司を握る。

 酢飯とネタは用意済みなので本当に握るだけだけど。

 ついでにお椀用の出汁も温め始める。

 土間では飲み物を選んでいるようで、楽しそうな話声が聞こえてきた。

 そして私の目の前では、乾杯の音頭の後脱兎のごとくこちらに回り込んでカウンターで頭を抱えているコスがいる。

 想定通り。


「カビが生えそうね」

「だって……だって……ここで大人数で集まったのが二回目で……! 一回目は米俵で! 二回目は胸タッチですよ?! あの××ゴリマッチョ、××××に決まってますよ、デリカシーとか××××××××とか欠落して……」


 かつてない程の口の悪さでブツブツと罵っているんだけど、顔が赤いので逆に好きなんじゃないのと言う感じ。

 好きの反対は無関心と言うし。


「ここから始まる恋ってある?」


 と聞いてみたら、


「細マッチョにジョブチェンジして一昨日来やがれですよ」


と返って来た。ちょっと微笑ましい気持ちになる。

 落ち着くまでそっとしておこうと、せっせと準備。


 小皿に二貫のお寿司はちょっと物足りない見た目なので、椀も一緒に出してしまいたい。

 出汁が温まってきたら昨日蒸しておいた海老しんじょを入れる。

 温まり切った頃合いで、二本づつ切って結んだ豆苗を入れて、椀の用意。

 海老しんじょと汁を入れて、結んだ豆苗をのせたら仕上げに柚子皮もひとかけら。

 摺り下ろすと香りが立ちすぎる気がするんだよね。


「和香さん、運ぶ物ありますか? あと飲み物どうします?」


 丁度茉里奈が覗いてくれたので、お寿司と椀をセットにして運んでもらう。

 飲み物は柚子酒の残りを、ちょっと邪道に炭酸割で。厨房で出来るので気にしないように言った。

 ちなみにコスはオクラと茗荷とシマアジは嫌いだそうで、茄子とポテトチップスで白ワインを飲んでいる。


 向付むこうづけは半分に切った竹の器に。大根のツマとワカメ、大葉で山を作って飾る様にお刺身を並べる。

 有頭甘エビがあるだけでちょっと見た目もいいような気がする。


 エビの頭を回収して、焼いたり揚げたり煮たりしてもう一品料理を出してくれるお店もあったな。

 考えすぎたことがあって、頭、と呼ばれる部位はあまり好きではない。

 魚類の頭は食べられても動物の頭、ましてや哺乳類の頭は食べられそうにもないな、とある映画を見て思った。

 どんな物でも命をいただくという事なので、種によって食用にしたり廃棄物にしたりは違う様な気がするし、病原菌の問題もあるし、味や食感の好みもあるけど、その理屈でいくと一度は口にすべきという話になるしと、あれこれ考えはしたものの、答えをまとめることが出来なかった。

 基本的に自分で決めてしまったことは守りたいし、ルールは分かりやすく簡素化したい。

 こういうのどうしよう? と考え始めたのに、人任せが難しい自分ルールの話で、結局決めないと決めたので、非常にふわふわした感じになる。

 迷子みたいに自信がなく、落ち着かない感じ。誰かにこれでいいの? と確認したいけれど、多分回答は複数あって、強制的に自分の意見が必要になる様な、酷く面倒な議題。


 好きじゃないのに無関心になりきれないなら案外好きなのかな?

 食材なら食べてみたいという好奇心と、罪悪感はあるかもしれない。

 対人だとどうなんだろう?

 仕上げに穂紫蘇を添えつつ、そっとコスを見る。


「わぁ……海老は頭と尻尾があると食べられないです。サーモンと大根のだけください。オリーブオイルとお塩で食べます」


 懐石料理どこいった?

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