第4話 破壊者の住む町 4 異空間の住人
クケケケケケアア!
鏡獣の群れが一斉に甲高く吠える、侵入者排除の号令だ。その鋭利な鏡の腕に貫かれては、陽たちも死亡まっしぐらとなるだろう。
「千景! 出し惜しみなしだ!」
陽は暁月を勇ましく掲げる。ただの鼓舞ではない。相棒として数多の戦闘をこなしてきた千景は陽の求めをすぐさま理解することが出来た。
要請に応じ千景は自身の魔力を魂から練り上げ掌へ凝集、光球を生成し暁月の刀身へ射出する。魔人の魔力を受け止めた剣はそれを喰らいなお紅に輝き敵を打ち砕く力を得る。
陽は光纏う暁月を腰に構え、渾身の力で振り抜く。
「──飛弦之刃、くらいやがれえええっ!」
暁月自体が持つ力と千景の魔力が融合し、陽の斬撃により刀身から振り飛ばされれば、それは飛翔する巨大な光の魔刃となる。陽の眼前、敵の群れに衝突し脆弱な彼らを容赦なく貫通し粉砕する。
魔刃の飛距離には限度がある、精々三十メートルほどか。前方すべての敵を排除することは出来ないが、それでもかなりの視界が開けて快適になった。
その様子をただ見ている千景ではなかった。
彼女はワンピースのポケットから小瓶を取り出した。それを、陽とは反対方向へ放り投げる。そこにいた鏡獣にぶつかり小瓶は割れ、封入されていた液体が飛散する。すると、その周囲の鏡獣の注意が一斉にそちらへ引き寄せられる。
魂の匂いに似せた香水。人間を食らう鏡獣達を惑わすための、魂の疑似餌。
「ほれほれー爆弾だよー」
次に千景は親指サイズほどの小さな筒状の物体を複数取り出す。鏡獣たちの群れの中に投げ込まれれば、千景の言葉通り炸裂し目標を破壊していく。甘美な香りに釣られた愚鈍な獣たちは、それが罠であると認識することなく硬質な体を散らせるのだ。
「そっちは任せたぜ千景」
陽は正面から迫りくる鏡獣たちへ鋭い視線を注ぐ。集団とはいえ統率はされず知能も低いコレらは、どうしてもその動きにバラツキが出る。一体の鏡獣が、やや先走って突出し陽へ跳びかかった。
「一体ずつではなあ!」
こちらとしてはわずかに身をずらすだけでいい。攻撃を回避され、なにも破壊出来ずただ跳び着地しただけに終わった鏡獣へ、陽は慈悲なく暁月の刃を触れさせ切断する。
息つく間もなく次の鏡獣が襲いかかる。コイツは跳躍はせずに走ってきたが、ならばこちらは剣のリーチを活かしてやればいい。暁月を水平に構え、全身の筋肉を用いて押し出しその切先で鏡獣の胸を刺し穿つ。その横から回り込んできた別の鏡獣には流れでそのまま横薙ぎを食らわせる。自分で言うのもなんだが踊るような斬り方だと陽は考える。
数で攻めようと、一切統率されていない雑魚たちにそう容易く落とされる陽と千景ではない。二十年近くもの間戦い続けてきた経験は陽を一騎当千の戦士とした。
わずか数分のことだ。鏡獣の数は見る間に削り取られていき、歩行空間を埋め尽くすほどに居た彼らは、はるか遠くにポツリポツリと生き残りが確認出来る程度となった。
「あらかた片付いたねヨウー」
戦いなど存在しないかのように、千景は極めて日常的な仕草でパシンと陽の背を叩く。
千景は陽のような武器こそ使えぬものの、多量の道具を用いて圧倒的な殲滅力を生み出すことが可能だ。道具は亜空間に保管されていて、取り出すのに魔力を消費してしまうので無限に用いることは出来ない。
「……ヨウ。なに息きらしてるの?」
暁月を杖のようにして呼吸を整える陽に、千景は冷凍庫の中ほどに冷めた声をかける。
「いや、ちょっとね……やっぱもう三十路だし」
「何言ってるのー、四十でも五十でも元気な人たくさんいるじゃん」
「そうだけどさ……」
「普段のトレーニングが足りないんだよ。そうだ、オチバと一緒にジムにでも行ったら?」
「なんで落葉を誘うんだ」
「一緒にトレーニングしたほうがさ、元気出るでしょ?」
薄いトレーニングウェアで汗を流す落葉の姿を想像して、やる気はともかく元気は出そうだなと納得した。どこの元気とは言わない。
「ジムっていくらするのかね……それは後で考えるとしてだ。ここの本体はどこにありそうだ?」
「うーん、このまままっすぐ進んだらありそう」
煩悩を払い除けて話を仕事へ戻す。いくら雑魚を排除しても、この異次元のコアとなっているモノを破壊しなければ陽たちの仕事は終わらない。
千景の言葉に従い、陽たちは歩行空間を奥へ奥へと進んでいく。
歩きながら壁や掲示物などに目をやる。階段近くの壁に描かれた、出入り口番号を示す巨大なアラビア数字が左右反転している。壁に貼られたポスターも左右がひっくり返っていて何ひとつまともに読むことが出来ない。
正常な文字はそこには一つもない。すべてが鏡像のように反転している。
異常なものはそれだけではない、空間がアチコチとズレている。この地下歩行空間をホースに例えると、ホースをカッターで切りほんの少しずらして貼り付け直してそれを繰り返したような具合で、こんな足が引っかかるガタガタ歩行空間はマトモには使えない。ズレたおかげで目にすることが可能になった空間の断面は、歪みのない鏡の壁となっていてそこから外に脱出することは出来ない。
異常な空間だ。陽たちにとっては慣れきった仕事場だが。
「なあ、千景はトレーニングしないのか?」
「チカゲは魔人だよー? 意味ないしやだ」
「少し付き合ってくれてもいいだろう?」
「だからオチバ誘ったらって」
「トレーニングは一人で孤独にするに限るぜ」
「どーてー」
まだチラホラと残る鏡獣たちを軽く片付けながら、歩行空間最奥部へ。奥とはいえ、地上の各地を地下で結ぶ通路であるここには、端のどちらかが手前でありもう片方が奥であるという定めはない。
しかし、この異空間においては奥、という表現で間違いなさそうだ。
「あったぜ、魔鏡がよ」
鏡獣を生み出す異空間、最奥部には必ず鏡がある。それは現実世界の同じ場所には存在せず、異空間のコアとして静かに佇む。
胸から上だけを映すための小さな鏡。如何にも悪魔的な装飾が施されていて趣味が悪い。
悪趣味鏡は、歩行空間の端でユラユラと浮遊していた。ソイツの向こう側には本来あるはずの地下鉄駅構内への扉が存在せず、代わりに全面張りの巨大な鏡となっている。ここまでの通路を、その景色を曇りなく映し出していて、鏡のその先にさらに長大な道が続くように錯覚させる。
陽たちの接近を感知し、魔鏡が震えだした。
魔鏡に人間の顔が映し出される。陽や千景ではなくまったく別の人間、若い女性の顔だった。
「間違いないよヨウ。調べたばかりの行方不明者だよ」
そう伝える千景の声は、少し硬く少し冷たい。
「そうか……」
鏡面が水面のように揺れる。女性の顔が、鏡の中からこちら側へと飛び出てきた。顔だけではなく肩、胸、脚……全身がゾンビめいた動きで這い出てくる。
現れたのは、スーツを着たごく普通の女性の姿。しかし、その目には一切生気がない。
そして、スーツを突き破り鏡の巨大な破片が彼女の胸から飛び出した。女性が苦痛に叫ぶ様子はなく、ただそこに居る。
胸だけではなく、破片は全身から次々と飛び出す。膨大な破片は体の殆どを覆い尽くし、鏡の鎧となる。
破片に覆われた冷たい瞳が、陽たちを捉えた。
「行くぜ、千景!」
「うん。行くよ、ヨウ!」
鏡の女が、哀し気な金切り声を上げた。