第13話 相棒 8 舌禍
おいでと言われてとくに断る理由もなく、陽は小雪へ歩み寄る。
「まずその脚の怪我だね……晴継、治してあげな」
少年晴継……戦闘装束からネルシャツと短パンに着替えた彼は、陽の脚に手を当て、その手から淡い白の光を放つ。それは、陽が戦闘で負傷した際に千景が施すものと同様だった。
傷の痛みが穏やかに引いていき、そのまま完全に失われる。
「……ありがとうございます」
陽は敬語で礼を述べる。晴継も魔人であれば、陽よりは間違いなく年上だろう。
陽の礼に、晴継はとくに感情を乗せずに返す。
「はい、どういたしまして。さて、いつもならあなたの記憶を操作するところですが」
「その必要はないだろうさ、そのぼうやも同業者みたいだからね。そうだろう?」
小雪の言葉を受けた晴継は、陽の顔面に視線を注ぐ。これは陽に説明を求めているのだろう。なぜ魔人と契約した破壊者が一般人のように鏡獣に襲われていたか、そのことについて。
「ええとですね、ちょっと──」
なんと伝えればいいか思案していると、陽はチノパンのポケットに振動を感じた。ポケットに手を入れ振動源のスマートフォンを取り出し画面を確認すると、千景からの着信が示されていた。マナーモードに設定されているためメロディが奏でられることはない。
「あっ……えっと、ちょっと待って下さい」
小雪たちへ詫びのジェスチャーを片手で示して、陽は電話に出る。
小さな端末から聞こえてくる声は、不安色に塗れていた。
『ヨウ、今どこにいるの?』
「ああ……そうだな、公園の近くだ」
それを拭うように、陽は努めて普段の調子で返す。
『オチバのとこに行ったんじゃないの? オチバは来てないって言ってたけど』
「あ、いや、そうだったんだが……」
『……なにかあったんだ?』
「まあ……いや、たいしたことじゃないんだ。もう終わったしな。後で話す」
『ふうん……?』
「すぐ帰るよ、じゃあな」
陽の方から通話を切り、スマートフォンをポケットに収納する。
通話を終了させてから、陽は自分の発言に疑問を抱いた。
べつに今回のことを千景に隠す必要はないんじゃないか? そもそも陽は千景に救助を求めたかったわけで。済んでしまったことで心配をかけたくなかったのだろうか俺は。
そうだ、結局落葉への土産はどこに行ったのだろうか。仕方ない、諦めてまた買うか。
「……今のは、ぼうやの相棒かい?」
癖なのだろうか。そこに銃などないのに、小雪は何かを弄ぶように指を蠢かしながら陽に問う。
「ああ、はい。そんなところです」
むしろ、家族と呼んだほうが適切ではある。
「魔人なら念話が使えるじゃないかい」
「いや、あいつあんまり念話が好きじゃないんです」
千景が念話を使うときは、緊急時などの必要性に迫られたときに限る。コミュニケーションを押し付けるみたいで嫌だ、というのが彼女の述べる理屈であった。かなり嫌な顔をしながらそう言ったので、なにか好ましくない思い出があるのかもしれない。
「ほう、面白そうなだねえその子も」
これにはなんと返せばいいのかわからず、陽は曖昧に笑う。実際、千景との生活に不満はない。
「ひとりで行動してたらついうっかり魔鏡空間に入ってしまったってとこかい? 気をつけなよ、私達は力が濃いのだから鏡獣にもいい餌なんだ」
「餌ですか……」
「そうさ。きっと美味いのだろうさ」
小雪は実に愉快というように笑うが、陽は自分の味に想いを傾ける気は起きず、自らの好奇心へと話題を転換させる。気になることがあった。
「少し、お聞きしたいんですけども」
「ん、なんだい?」
「あの二丁拳銃ですが……あれ、弾は何発あるんですか」
陽は、小雪の二丁拳銃に強く興味を惹かれていた。
剣に暁月と名付けたり技に名前をつけて叫んだりと、陽はそういった少年が好みそうな類の趣味を持つ男であり、ナイフ付きの二丁拳銃というものにはどうしても心を揺さぶられてしまう。
「弾かい? ありゃあ、晴継が転送してくれるのさ。在庫はたっぷり余裕があるわけ」
「なるほど。あの、最後の技はあれどうやって」
「あれは、大量の弾と晴継自身の魔力をエネルギーに変換して……なんだいあんた、そんなに人の武器が気になるかい?」
「ええ、まあ」
「勉強熱心なのかねえ。私の武器を学んだところであんたは使えないけどねえ」
魔人と契約した者が手にする武器は、契約者本人のみ扱うことが出来る。魔人の力を契約者の魂に吹き込むことにより生まれるものであり、別の魂を持つ他人にとってはどれほど優れた武器でもガラクタと同然となる。それでも興味は湧き出るものだ。
「いや、まさか銃があるなんて俺も知らなくて」
「確かに珍しいようだね。弾丸には屑を使うからコストはかかるがいい武器さ」
「コスト……けっこうかかるんですか」
「そうさね、ケチるとあんまり無駄撃ちは出来ないね。だけどね、武器はケチってはいけないさ」
小雪は嫌な顔をすることなく陽の問いに笑顔で答えてくれる。他の同業者と話す機会などほとんどなく、陽は唇の滑らかさを増していた。
「逆に聞くけど、ぼうやはどんな武器なんだい?」
「俺は、剣です。赤い直剣です、暁月って言います」
「へえ、名前つけてるのかい? まあ、いいんじゃないかね」
珍しいことなのだろうか、武器に名前をつけることは。
「ええと、小雪さんの武器が二丁拳銃であるのは、晴継さんの方の性質ですか?」
「多分ね。ナイフは私の方さ」
生まれる武器の性質は、魔人と契約者の双方の性質によって定まるらしい。千景は剣の性質を持ち、陽はあまり複雑な性質を持っていなかったので、刀身が赤い以外は素直な直剣である暁月が生まれたのだと……千景にそう教わっている。
「そうですか。いいなあ、俺も晴継さんと契約して二丁拳銃持ちたいな。剣よりいいかも」
陽が彼と契約していれば、陽の武器も二丁拳銃となっただろう。形状はごく普通のものになりそうだが。
「あんた、そりゃあ……」
「…………」
「…………」
「…………」
何故だろうか。急に会話が途切れ、空気が冷たく淀む。
「あ、えっと……」
今の陽の言葉が気持ち悪かったのだろうか。好奇心に心を踊らせるあまり礼を失っていたかもしれない。
謝ろうとしたそのとき、しかし小雪たちの視線の先が陽ではなくその向こう側へあることに気づいた。陽は振り返り、
「千景っ」
自分にとっても最も親しい存在をそこに見つける。銀髪の少女が、陽のすぐそばにいた。
「なんだおまえ、来たのか」
魔人が魔力を用いて低空飛行でもすれば、家から近所のここまでは一瞬でたどり着けるだろう。あるいは、通話の時点ですでに近くにいたのかもしれない。
どちらにしろ、陽を想っての行動だろう。
「心配してくれたのか? 悪いな」
陽は、彼女に歩み寄りその肩に手を伸ばし
そして弾かれる。千景の小さな手による鋭い打ち払いにより、陽の手は空中に泳いだ。
「…………?」
想定外の事象により、陽の脳は一瞬だが情報処理を放棄してしまう。千景にこのような形で手を払われた経験など、二十年の中で一度たりとてなかった。
打たれた手が、滲むように痛む。
「…………」
千景の顔を見る。いつものように人形めいた麗しさだが、陽はそこから一欠片の感情も読み取ることが出来なかった。
「ち、千景……?」
惑いながら、陽は眼前の少女の名を呼び、
「……死ね」
ごく簡潔で抑揚のない罵倒を受け取った。
「えっ……」
その言葉の意味を陽が理解する前に、彼女は踵を返し銀髪をなびかせ駆け出してしまった。なにが起きたのかまったく把握出来ない陽は、ただ呆然と立ち尽くす。
「…………?」
「なにやってんだい、追いかけな!」
カカシと化した陽の背中を小雪の怒号が突き飛ばす。
そうだ、理解出来ずとも千景の様子がおかしいのは明白であり、ならば放置するわけにはいかない。
「えっと、すみません!」
陽はすぐに走りだし千景を追う。既に見失っていたが、消えた方向から考えて家に向かった可能性が高い。
推測に従い道を駆けると、ちょうど自宅アパートのドアを開け中に入る千景の姿が見えた。
陽もやや息を乱しながら自宅前に辿り着き、ドアノブに手をかけ、
「……カギかけるなよ!」
思わず声を張ってしまう。何故か後ろめたい気持ちになりつつも陽はチノパンから鍵を取り出して解錠し、ドアを開いて……開かない。
「おまっ……なんでチェーンしてるの!?」
ドアチェーンが陽の帰宅を阻んでいた。千景はわずかに開いたドアのそのすぐ内側にいるようで、体が少しだけはみ出て見える。顔はまったく確認出来ず、表情がわからない。
「……二丁拳銃」
粘着質の恨みで塗り固めたような声が、陽をギクリとさせた。
「え……」
「欲しいんでしょ、二丁拳銃。あの子と契約すればいいじゃん」
「……………」
陽は発声の力を失った。千景の奇妙な行動の理由が解明され、同時に己の愚かさを知ったからだ。恐怖にも似た熱が陽の顔にのぼる。
「……い、いや、待て、違う。アレはそのっ」
それでもなんとか声を絞り出し弁解を試みるが、三十年の人生の中で自己の失言を取り繕う方法を陽は学んでいなかった。適切な言葉が何一つ浮かばず、それは結局沈黙を結び自らの胸を刺すのみだった。
何も言わない陽に千景もそれ以上の言葉を返さず、再びドアを閉め更にはまた施錠をしてしまった。それをなお解錠する度胸など陽には備わっていないため、完全に閉め出される形となった。
「……………」
陽は、無言でドアを見詰める。待っているだけではドアが陽を招き入れることはなく、さりとてなにをすればいいのか検討がつかない。
傍目には、まるで妻に浮気がバレて追い出された夫のようだ。当たらずとも遠からずな状況の気がする。
そうしてひたすらドアの前に居座り続けて、それは何分後か。陽のスマートフォンに着信が入る。陽は弾かれるようにそれを手に取るが、表示された名前は落葉であった。
この通話が千景に聞かれるのはなんとなく不味いような気がして、陽はドアから離れ階段を降り、アパート正面の路上に出てから通話操作を行った。途中で切れるかと思ったが、コールは陽が出るまでしっかりと待っていてくれた。
「……はい」
応答する陽の声は、自身が驚くほど亡霊じみていた。
『あっ……えっと、大丈夫ですか?』
端末を通してもてもなお蜜のごとく甘やかな声は、しかし戸惑いに揺れる。陽は咳払いをし、意識して声に生気を込めた。
「あ、ああ。とりあえず大丈夫だ」
なにも大丈夫ではないが、そう言う他ない。
『……あの、ですね。今、ひとりですか?』
「ん? ……ああ、そうだが」
『……あの、なにか、千景ちゃんとありました?』
「……どうして」
『その……えっと、呪詛が』
「呪詛?」
『陽さんについて、呪詛めいたメッセージが、ですね……』
「……君の方に?」
『はい……』
「…………」
『陽さん……』
「……ちょっと、今からそっち行っていいかな」
ひどく萎れた声になったが、もはや繕う余裕がない。
『え? あ、は、はい』
「すまん……」
落葉の家には元々行くつもりではあったが、より確実に行かなければならない理由が出来てしまった。
陽ひとりでは、この状況は打開出来ない。
本当に、無力なオジサンであった。




