第12話 相棒 7 魔犬打ち砕く魔銃
「坊や、って歳じゃねえが……」
眼前に降り立った女性に陽は気安い口調で言い返すが、その容姿から見るに、彼女にとっては三十歳の男もまだまだ子供なのだろう。
「ありがとうございます。たすかりました」
見ず知らずの目上の人間には、とりあえず敬語で礼を返すべきだと陽は考える。
「ふふ。しかし、あんた度胸あるね。鏡獣と戦おうとするなんて」
癖なのだろうか、女性は握った拳銃を意味もなく前後に揺らし弄んでいる。
無骨な形状をした濃紺の大型拳銃は、銃身の下にナイフが取り付けられていた。実用性はわからないがカッコいいな……銃そのものも美麗な装飾が施されていて、ぜひ明るいところで鑑賞してみたい。
「まあ、俺、鏡獣は慣れてるんで」
この非常時に武器をじっくりねっとり見せてくれなどと要求をする非常識な陽ではない。
「鏡獣に慣れてるだって? あんた……」
女性が陽へなにか問いかけようとしたとき、何者かが彼女の隣に降り立った。
「小雪。まだ敵はいますよ」
幼い少年。燕尾服を身に着けた利発そうな彼は、柔和な声で女性に話しかける。どこにいたんだ、屋根から飛び降りてきたのか?
「分かってるさ。ぼうや、後で少し私とお話しようか」
小雪と呼ばれた女性は、トレンチコートを翻して駆けていき裏庭を離れる。
「……ふぅ。まさか、他の破壊者にたすけられるとはねえ」
危機を脱した陽の声は軽やかだった。
魔人と契約し魔鏡を破壊する者は、陽だけではない。彼女たちは、陽と同職だ。
小雪はどうやらの熟練の戦士のようだし、このまますべて彼女に任せておくが利口だろう。しかし……
「気になるよな」
陽も静かに裏庭を離れる。鏡獣の注意がこちらに向かぬよう慎重に動き、小雪からは距離を置いて塀の影に身を潜め様子を伺う。家が燃えているのでここもあまり長居は出来ないが、もはやそれも懸念する必要はないだろう。
「はっは、弱いねえ弱いねえ!」
高揚に満ちた小雪の声が住宅を震わせる。鏡獣の群れに囲まれ、彼女は舞っていた。
鏡獣の爪がその肩に振り下ろされれば道を譲るように身を捻って爪を避け、すれ違いざまにその首をナイフで切りつけそのまま銃弾も置いていく。次いで小雪の脚部に噛みつこうとする鏡獣には、その頭部をブーツで踏みつけ胸部に弾を浴びせる。二体の鏡獣に挟撃されれば、二体の爪を二本の銃ナイフで同時に受け流し鏡獣同士を衝突させ、体勢が崩れたところに二丁分の拳銃弾を注ぎ込む。
初老のトレンチコートは、かすり傷一つ負うことなく怪物の群れを撃ち砕く。
少年の姿は見当たらないが、また屋根の上だろうか。巨犬の周りを蝶のようなエネルギー体がひらひらと舞い注意を引いているが、あれは少年によるものか。少年とはいうが、千景と同様の存在であるならば年齢は見た目通りではないだろう。
「ふぅん、こんなもんだね。残るは犬だけかい?」
「はい、この周囲は」
少年の落ち着いた返事に小雪は満足げに頷き、犬の顔面へ銃口を向ける。蝶に弄ばれていた犬は鼻先に銃弾を撃ち込まれ姿勢を崩しかけるが、巨体は容易くは落ちない。鏡片に包まれたマズルを振るい、犬は大口を開く。
巨犬を構成するエネルギーの一部が、その肉から滲み出て口腔へ収束する。その力は犬が持つ因子に導かれ超高熱体と化し、球状を成すとツバのように勢いよく吐き捨てられた。
熱球は小雪に襲いかかり、しかし彼女が焼かれることはない。軽快なステップは、彼女の身を苦もなく安全圏へ運ぶ。球は一度ならず、二発三発と続けざまに放たれるがすべて道のアスファルトを焼くだけに留まり小雪は飄々と笑う。
ステップの間にも銃弾は放たれ、犬の顔面の鏡片は確実に削り取られていく。
犬は業を煮やし、発達した脚部でその巨体を跳躍させた。その高さは三階建て住宅をも越え、その位置エネルギーごと腕を叩きつけられれば小雪も粉砕されてしまうだろう。巨体そのものが迫るため、距離の短いステップで回避するのも困難に見える。
ソレを笑顔で見詰める地上の小雪、その彼女の体が突然白く光りだした。
直後、犬は振り下ろす剛腕を着地させそこにある物体を破砕する。
「とろくさいわんこだねえ、ねえ晴継」
「まったくですね、小雪」
破砕されたのは、ただ舗装路面のアスファルトのみ。女と少年の、日常のように悠然とした声がそれを嘲笑う。
犬の腕が小雪を砕かんとするその刹那、彼女はそれまでと同様にステップをしてみせた。しかしその身は突風に吹き飛ばされた紙片のごとく瞬間的に空間を駆け、犬の全長ほどの距離をただ一瞬の内に離し攻撃を回避したのだ。
「ありゃ、少年の補助魔術だな……」
小雪の超ステップに、陽はひとり勝手に納得する。
「そろそろ終わりにしますよ」
晴継と呼ばれた少年の声と共に、なにやら野球ボールのような物体が犬の顔へ放り投げられる。
それは犬の鼻先で爆発を起こした。顔面を覆うほどの爆炎が発生し、頭部破壊には至らぬものの犬はたまらずその場に脚を折り姿勢を崩してしまう。
その間に小雪は二丁の銃の、グリップの底と底を合体させU字型の奇妙な物体を作り出した。そして二つの銃口から光が生まれ、それは両者の中間の位置に集合し拳大の光球を、眩く濃密な魔力の塊を産み出した。
「さあ、ワンちゃんはおねんねしなさいな」
その小雪の声は、本当に犬をあやすようであった。
光球はまさしく弾丸の速度で放たれ、巨犬の頭蓋に衝突するとごく小規模の光の炸裂を起こし、頭部の大半を盛大に抉り取ってしまった。
頭部を失った鏡犬はその場に崩れ落ちてしまい、そして休む間もなく全身のすべてに亀裂が走りそのまま自然に砕け散った。鏡獣の絶命だ。
鏡犬はやはりこの空間のコアである魔鏡を内蔵していたのだろう、彼の絶命に呼応するようにこの世界に亀裂が走り出した。
燃える住宅もアスファルトの道路も路上駐車の車も、その場にあるものが空間ごとすべて細かくひとりでにヒビ割れていき、最後には鏡犬と同様に砕け散り自壊した。
すべてのものが膨大な鏡の屑となり、どこから照らされたかもわからぬ光を反射し輝きながら拡散し、粒子の霧となって陽を包み込む。
霧はやがて空気に希釈され、そのまま消えていく。霧のあとにその場を支配するのは、火事などはどこにもない至って平和な夜の住宅街の景色だった。
魔鏡空間は破壊された。
陽は、無事に現実世界へ戻ることが出来た。
「ふう……さ、おいでぼうや」
トレンチコートは魔鏡世界での戦闘装束だったのだろう。スラックスとブラウスを身に着けた初老の女は、悪戯っぽい笑みを見せた。




